ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」
2011.03.03
日本の年末を彩る不朽のメロディー
そもそも第九の日本初演が行われたのは1918年のこと。場所は徳島の俘虜収容所で、そこに収監されていたドイツ人俘虜たちが演奏したのが始まりである。公の場で初めて日本人の手によって演奏されたのは1924年。ウィーンで初演されたのが1824年だから、その時すでに丸100年が経過していたことになる。しかし、この作品が「輸入」されてから今までの間、おそらく日本人ほど第九を聴いた国民は、世界中どこを見渡してもいないのではないか。
年末に第九を聴く習慣がいつから定着したかはさだかでないが、様々なことがあった一年を「歓喜の歌」で締めくくりたい、大いなる音楽を全身に浴びて一年の垢を洗い落としたい、と思う気持ちは理解できる。いわば「みそぎ」にうってつけの作品なのである。いちおう説明しておくと、この「歓喜の歌」の詩は、ドイツの詩人シラーの頌歌『歓喜に寄す』からとられており、そこでは人類愛、全世界の団結、人間の解放が高らかに謳われている。はっきり言ってしまうと、現在の不穏な世界情勢や国内の暗い世相とはまるっきりかけ離れた内容なのだが、そうは思っていても、聴いているうちにだんだんと胸が熱くなってくる。そして、第四楽章であの合唱が始まる時には心の中で共に歌っているのだ。
第九のCDはたくさんある。その中で、最も有名で、最も高く評価されているのは、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが1951年7月のバイロイト音楽祭再開時に同祝祭管弦楽団を振った際のライヴ録音である。これを人類の至宝と評する人もいる。たしかに、そう言いたくなるのもわかる。「苦悩を通しての歓喜」というモチーフが、この人の指揮で聴くと手にとるような明快さで伝わってくるし、それ以上に、人類史上最高に感動的な瞬間に立ち会っているような、そんな敬虔な気持ちにさせられるのだ。
とはいえ難点がないわけではない。録音状態が悪かったり、終楽章のコーダでオーケストラが突っ走りすぎて最後の一音が調子外れになっていたり......CDでこれを繰り返し聴ける立場にある以上、そういうことを全く気にしないで聴くのは不可能、というか不自然である。また、この音源を取り巻く状況も少々異常である。完全なライヴ録音ではなく、つぎはぎで出来ているとか、2007年にバイエルン放送で発掘された新音源の方が本物だとか、何やらミステリーのような展開になっているのだ。結局、何が真相なのかは解明されていない。
ただ、そういった不透明な謎、音質の古さ、最後の崩れた一音があるからこそ、この演奏は今も「歴史的名盤」と言われ続けているのかもしれない。音質がクリアーで、最後の音も完璧に決まっていたら、むしろ世の評価は下がっていたのではないか。我々は完全なものに不満を抱く。これは理屈では説明のつかない心理である。非の打ちどころのない人間が、必ずしも崇拝や恋愛の対象にならないのと同じこと。そういう意味では、バイロイト盤は聴き手の想像力と愛情によって補完された大いなる幻影と言うこともできるだろう。同時に、この名盤にも難点があるという事実は、「最高の第九はCDやレコードには存在しない」ことを物語っているようにも思えてならない。
これとは全くタイプの異なる演奏として、ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィルによる1962年のスタジオ録音も紹介しておく。人工美の楽園に身を埋めたい人にはおすすめできる。歌手も魅力的だし、カラヤンの数ある第九録音の中でもこの演奏が一番聴きやすい。気迫と集中力のバランスがとれている。
同じ1962年に録音されたピエール・モントゥー/ロンドン響による演奏は、精緻なアンサンブルが最高。第九という大作の構造、骨組みを内側から見ているような気分にさせてくれる。透明度の高い演奏にありがちな冷たさがなく、音楽の流れに余裕を感じさせるところも良い。この指揮者の芸格の成せるわざだろう。
ベートーヴェンの第九といえば、今や日本では年末になくてはならない音楽となっている。コンサート、テレビ、ラジオ、雑誌でも、11月くらいになると、こぞって第九が取り上げられる。ほかの国にはこういった習慣はないので、これはもう日本の風物詩と言っていい。
そもそも第九の日本初演が行われたのは1918年のこと。場所は徳島の俘虜収容所で、そこに収監されていたドイツ人俘虜たちが演奏したのが始まりである。公の場で初めて日本人の手によって演奏されたのは1924年。ウィーンで初演されたのが1824年だから、その時すでに丸100年が経過していたことになる。しかし、この作品が「輸入」されてから今までの間、おそらく日本人ほど第九を聴いた国民は、世界中どこを見渡してもいないのではないか。
年末に第九を聴く習慣がいつから定着したかはさだかでないが、様々なことがあった一年を「歓喜の歌」で締めくくりたい、大いなる音楽を全身に浴びて一年の垢を洗い落としたい、と思う気持ちは理解できる。いわば「みそぎ」にうってつけの作品なのである。いちおう説明しておくと、この「歓喜の歌」の詩は、ドイツの詩人シラーの頌歌『歓喜に寄す』からとられており、そこでは人類愛、全世界の団結、人間の解放が高らかに謳われている。はっきり言ってしまうと、現在の不穏な世界情勢や国内の暗い世相とはまるっきりかけ離れた内容なのだが、そうは思っていても、聴いているうちにだんだんと胸が熱くなってくる。そして、第四楽章であの合唱が始まる時には心の中で共に歌っているのだ。
第九のCDはたくさんある。その中で、最も有名で、最も高く評価されているのは、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが1951年7月のバイロイト音楽祭再開時に同祝祭管弦楽団を振った際のライヴ録音である。これを人類の至宝と評する人もいる。たしかに、そう言いたくなるのもわかる。「苦悩を通しての歓喜」というモチーフが、この人の指揮で聴くと手にとるような明快さで伝わってくるし、それ以上に、人類史上最高に感動的な瞬間に立ち会っているような、そんな敬虔な気持ちにさせられるのだ。
とはいえ難点がないわけではない。録音状態が悪かったり、終楽章のコーダでオーケストラが突っ走りすぎて最後の一音が調子外れになっていたり......CDでこれを繰り返し聴ける立場にある以上、そういうことを全く気にしないで聴くのは不可能、というか不自然である。また、この音源を取り巻く状況も少々異常である。完全なライヴ録音ではなく、つぎはぎで出来ているとか、2007年にバイエルン放送で発掘された新音源の方が本物だとか、何やらミステリーのような展開になっているのだ。結局、何が真相なのかは解明されていない。
ただ、そういった不透明な謎、音質の古さ、最後の崩れた一音があるからこそ、この演奏は今も「歴史的名盤」と言われ続けているのかもしれない。音質がクリアーで、最後の音も完璧に決まっていたら、むしろ世の評価は下がっていたのではないか。我々は完全なものに不満を抱く。これは理屈では説明のつかない心理である。非の打ちどころのない人間が、必ずしも崇拝や恋愛の対象にならないのと同じこと。そういう意味では、バイロイト盤は聴き手の想像力と愛情によって補完された大いなる幻影と言うこともできるだろう。同時に、この名盤にも難点があるという事実は、「最高の第九はCDやレコードには存在しない」ことを物語っているようにも思えてならない。
ところで、フルトヴェングラーにはほかにも第九のライヴ音源がいくつかある。そのうち注目したいのは1952年にウィーン・フィルを振ったもの。これはバイロイト盤にひけをとらない素晴らしい内容である。音の密度が濃く、押しが強く、「歓喜の歌」というよりはなんだかよく分からない感情のカオスが爆発しているような壮絶な演奏である。それでいながら、アンサンブルはギリギリのところでまとまっている。薄味好みの人には向かないかもしれないが、フルトヴェングラーの指揮は絶好調だし、全体の音質もバイロイト盤よりは良い(最後の合唱部分の音は難あり)。
これとは全くタイプの異なる演奏として、ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィルによる1962年のスタジオ録音も紹介しておく。人工美の楽園に身を埋めたい人にはおすすめできる。歌手も魅力的だし、カラヤンの数ある第九録音の中でもこの演奏が一番聴きやすい。気迫と集中力のバランスがとれている。
同じ1962年に録音されたピエール・モントゥー/ロンドン響による演奏は、精緻なアンサンブルが最高。第九という大作の構造、骨組みを内側から見ているような気分にさせてくれる。透明度の高い演奏にありがちな冷たさがなく、音楽の流れに余裕を感じさせるところも良い。この指揮者の芸格の成せるわざだろう。
もうひとつ、ヘルベルト・ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデンによる1985年のライヴ盤は知る人ぞ知る名演。戦争で破壊されたゼンパーオーパーの再建記念コンサート、という特別な意味を持つステージで、指揮者、オーケストラ、独唱者、合唱団が一体となって大きなエネルギーを放散している。個性的なアプローチがあるわけでもなく、ストレートに胸に迫る第九である。
(阿部十三)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
[1770.12.16?-1827.3.26]
交響曲第9番ニ短調「合唱」作品125
【お薦めディスク】(掲載CDジャケット:上から)
エリザベート・シュヴァルツコップ、エリザベート・ヘンゲン
ハンス・ホップ、オットー・エーデルマン
バイロイト祝祭管弦楽団及び合唱団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
録音:1951年7月29日
ヒルデ・ギューデン、ロゼッタ・アンダイ
ユリウス・パツァーク、アルフレート・ペル
ウィーン・ジングアカデミー
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
録音:1952年2月3日
[1770.12.16?-1827.3.26]
交響曲第9番ニ短調「合唱」作品125
【お薦めディスク】(掲載CDジャケット:上から)
エリザベート・シュヴァルツコップ、エリザベート・ヘンゲン
ハンス・ホップ、オットー・エーデルマン
バイロイト祝祭管弦楽団及び合唱団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
録音:1951年7月29日
ヒルデ・ギューデン、ロゼッタ・アンダイ
ユリウス・パツァーク、アルフレート・ペル
ウィーン・ジングアカデミー
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
録音:1952年2月3日
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