音楽 POP/ROCK

名曲の真実

歌詞から読み解く名曲物語

普段なにげなく耳にしている洋楽は一体どんなことを歌っているのだろう。
なじみのある曲ほど私たちは歌声や旋律の美しさ、親しみやすさにばかり惹かれ、
歌詞を知らないままにしてしまいがち。
そのせいで、名曲についてとんでもない誤解をしている人もいる。
ただ、今は歌詞カードを見ても、意味を取り違えた誤訳があったり、
文法的にも混乱していたり、となかなかしっくりこないものが多い。
ここではそんな誤解や誤訳の埃をきれいに取り払い、名曲の真の姿に迫りたい。

  • 高校生の頃、エアチェックしていたラジオの番組で初めて「アル・ディ・ラ」を聴いた。曲をかける前に、DJはベティー・クルティスのことを「歌がうまい」という風に紹介していた。それでも、当時私はカンツォーネをよく聴いていたので、ちょっとくらい歌がうまくてもそう簡単に心を動かされることはないとタカをくくっていたのだが、豈図らんや、その美声、技巧、声量を前にして、眩い光...

    [続きを読む](2017.03.04)
  • レイモン・ルフェーヴル楽団の「シバの女王」は1969年に日本でシングル・カットされ、同楽団の代表曲として知られるようになり、それと同時に、ムードミュージック界を象徴する名曲の一つになった。そのため、レコードを買うまで、私はレイモン・ルフェーヴルが作曲したものと思い込んでいた。原曲は1967年にフランスで流行ったシャンソンである。作詞作曲を手がけたのはチュニジ...

    [続きを読む](2016.10.08)
  • 「枯葉によせて」の原題は「プレヴェールの歌(La Chanson de Prévert)」。セルジュ・ゲンズブールが1960年頃に作詞作曲したもので、もともとはゲンズブール自身とミシェル・アルノーが歌っていた。当時のゲンズブールはまだフランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」も「アニーとボンボン」も書いておらず、「ジュ・テーム・モア・ノン・プリュ」を

    [続きを読む](2016.03.12)
  • ハンガリーのピアニスト兼作曲家シェレシュ・レジェーは、ブダペストのレストランでピアノを弾いていた時代にこの曲を書き上げた。1933年のことである。作詞のヤヴォール・ラズロはレストランのオーナーで、レジェーの鬱々として美しいメロディーに厭世的な歌詞をのせた。題名は「悲しい日曜日」。録音されたのは1935年。パール・カルマールが歌ったレコードが発売されると、ハン...

    [続きを読む](2015.11.15)
  • これは映画音楽の大家ポール・ミスラキが若い頃に書き上げた一風変わったシャンソンである。ミスラキは1908年生まれ。パリ音楽院では映画好きで有名だった作曲家シャルル・ケクランに師事していた。映画ファンの弟子が映画音楽を書くという成り行きになったわけである。しかし映画の世界で名を成すのは1930年代後半のことで、それまでは同い年のレイ・ヴァンチュラの楽団で腕を磨...

    [続きを読む](2015.08.05)