モーツァルト ピアノ協奏曲第20番
2011.06.29
ベートーヴェンも愛した「短調のモーツァルト」
明るく、無邪気なモーツァルトしか知らない人は、悲しみ悶え苦しむ「短調のモーツァルト」の存在を知った時、少なからず驚くに違いない。生活の匂いを感じさせない、まるで天使が書いたような長調の作品は、モーツァルトが〈神の子〉であったことを伝えているが、暗い情熱が波打つ短調の作品は、モーツァルトがまぎれもなく苦悩する〈人間〉であったことを伝えている。そして、多くの人がモーツァルトにのめり込むきっかけとなるのは、その短調の作品である。
ピアノ協奏曲第20番は、「短調のモーツァルト」の中でも、最も有名で、最も愛されている作品のひとつだ。作曲されたのは1785年頭。当時29歳のモーツァルトは、同年2月11日の予約演奏会のためにこの作品を完成させた。ちなみに予約演奏会とは貴族や上流階級の人たちを対象とした私設コンサートのことで、ウィーンで音楽家としてやっていく上では大事な収入源だった。モーツァルトの父レオポルドの手紙によると、初演は大成功、臨席した皇帝ヨーゼフ2世は「ブラヴォー!! モーツァルト」と叫び、先輩作曲家のハイドンはレオポルドにこう言ったという。「私は正直な人間として神に誓って申し上げますが、あなたの息子さんは私が知っている作曲家のうちで、最も偉大な方です」
皇帝と先輩作曲家を興奮させたピアノ協奏曲。第1楽章の冒頭からエモーショナルである。暗く、激しい。しかし、悲しみと怒りの大きな渦にのみこまれそうになりながら、モーツァルトはそこからなんとか持ち直そうとしてあがく。落ちては浮かび、また落ちては浮かぶ。いっそ落ちるところまで落ちてしまいたいと思いながら、同時に救いを求めているような、そんなアンビバレントな感情が描き出されているかのようだ。それが、ひたすら暗さを強調するよりもかえって惻々と胸に迫り、痛切な気持ちへと私たちを追いやる。第2楽章は美しい主題で穏やかにはじまるが、中間部でト短調になり、荒々しい楽節がなだれ込んでくる。独奏ピアノで幕を開ける第3楽章は、第1楽章以上に明暗の浮き沈みが激しく、ドラマティックである。
ここまで見かけの美しさを捨て去り、怒り、悲しみ、嘆きといった感情を剥き出しのままスコアに叩きつけた音楽は、それまでほとんどなかった。ベートーヴェンやブラームスがこの作品を溺愛し、自作のカデンツァを遺したというのも頷ける話だ。
音源では、モーツァルトを得意としていた女流ピアニスト、クララ・ハスキルによる1960年の録音が有名である。作品の核にざっくりと切り込んだ演奏で、虚飾やたるみが一切ない。イーゴリ・マルケヴィッチによるサポートも完璧だ。第2楽章の中間部の執拗な反復など、演奏者によってはだれてしまうのだが、この録音で聴くと全くそういうことが起こらない。
ルドルフ・ゼルキンとジョージ・セルが組んだ1961年の録音もよい。とくに絶妙のアーティキュレーションで聴きなれた曲から新鮮な響きを紡ぎだし、それでいてそこを下手に強調して音楽の流れを乱さないセルの手腕には畏れ入る。ゼルキンのピアノも穢れを知らない美しさで、徹頭徹尾、高踏的だ。
あと、特筆すべきものとしてブルーノ・ワルターが弾き振りしたものがある。戦前の1937年の録音なので音は古いが、苦しみと悲しみの中を脇目もふらず、前傾姿勢で突っ切ろうとするピアノの疾走感には誰もが耳を奪われることだろう。身をなげうつように演奏される第3楽章冒頭にはデモーニッシュな凄みも漂っている。
【関連サイト】
モーツァルト ピアノ協奏曲第20番(CD)
モーツァルト(書籍)
明るく、無邪気なモーツァルトしか知らない人は、悲しみ悶え苦しむ「短調のモーツァルト」の存在を知った時、少なからず驚くに違いない。生活の匂いを感じさせない、まるで天使が書いたような長調の作品は、モーツァルトが〈神の子〉であったことを伝えているが、暗い情熱が波打つ短調の作品は、モーツァルトがまぎれもなく苦悩する〈人間〉であったことを伝えている。そして、多くの人がモーツァルトにのめり込むきっかけとなるのは、その短調の作品である。
ピアノ協奏曲第20番は、「短調のモーツァルト」の中でも、最も有名で、最も愛されている作品のひとつだ。作曲されたのは1785年頭。当時29歳のモーツァルトは、同年2月11日の予約演奏会のためにこの作品を完成させた。ちなみに予約演奏会とは貴族や上流階級の人たちを対象とした私設コンサートのことで、ウィーンで音楽家としてやっていく上では大事な収入源だった。モーツァルトの父レオポルドの手紙によると、初演は大成功、臨席した皇帝ヨーゼフ2世は「ブラヴォー!! モーツァルト」と叫び、先輩作曲家のハイドンはレオポルドにこう言ったという。「私は正直な人間として神に誓って申し上げますが、あなたの息子さんは私が知っている作曲家のうちで、最も偉大な方です」
皇帝と先輩作曲家を興奮させたピアノ協奏曲。第1楽章の冒頭からエモーショナルである。暗く、激しい。しかし、悲しみと怒りの大きな渦にのみこまれそうになりながら、モーツァルトはそこからなんとか持ち直そうとしてあがく。落ちては浮かび、また落ちては浮かぶ。いっそ落ちるところまで落ちてしまいたいと思いながら、同時に救いを求めているような、そんなアンビバレントな感情が描き出されているかのようだ。それが、ひたすら暗さを強調するよりもかえって惻々と胸に迫り、痛切な気持ちへと私たちを追いやる。第2楽章は美しい主題で穏やかにはじまるが、中間部でト短調になり、荒々しい楽節がなだれ込んでくる。独奏ピアノで幕を開ける第3楽章は、第1楽章以上に明暗の浮き沈みが激しく、ドラマティックである。
ここまで見かけの美しさを捨て去り、怒り、悲しみ、嘆きといった感情を剥き出しのままスコアに叩きつけた音楽は、それまでほとんどなかった。ベートーヴェンやブラームスがこの作品を溺愛し、自作のカデンツァを遺したというのも頷ける話だ。
音源では、モーツァルトを得意としていた女流ピアニスト、クララ・ハスキルによる1960年の録音が有名である。作品の核にざっくりと切り込んだ演奏で、虚飾やたるみが一切ない。イーゴリ・マルケヴィッチによるサポートも完璧だ。第2楽章の中間部の執拗な反復など、演奏者によってはだれてしまうのだが、この録音で聴くと全くそういうことが起こらない。
ルドルフ・ゼルキンとジョージ・セルが組んだ1961年の録音もよい。とくに絶妙のアーティキュレーションで聴きなれた曲から新鮮な響きを紡ぎだし、それでいてそこを下手に強調して音楽の流れを乱さないセルの手腕には畏れ入る。ゼルキンのピアノも穢れを知らない美しさで、徹頭徹尾、高踏的だ。
あと、特筆すべきものとしてブルーノ・ワルターが弾き振りしたものがある。戦前の1937年の録音なので音は古いが、苦しみと悲しみの中を脇目もふらず、前傾姿勢で突っ切ろうとするピアノの疾走感には誰もが耳を奪われることだろう。身をなげうつように演奏される第3楽章冒頭にはデモーニッシュな凄みも漂っている。
(阿部十三)
【関連サイト】
モーツァルト ピアノ協奏曲第20番(CD)
モーツァルト(書籍)
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
[1756.1.27-1791.12.5]
ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466
【お薦めディスク】(掲載CDジャケット:上から)
ルドルフ・ゼルキン(p)
コロンビア交響楽団
ジョージ・セル指揮
録音:1961年
※実際はクリーヴランド管弦楽団が演奏しています。
ブルーノ・ワルター(p、指揮)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1937年
[1756.1.27-1791.12.5]
ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466
【お薦めディスク】(掲載CDジャケット:上から)
ルドルフ・ゼルキン(p)
コロンビア交響楽団
ジョージ・セル指揮
録音:1961年
※実際はクリーヴランド管弦楽団が演奏しています。
ブルーノ・ワルター(p、指揮)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1937年
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