メンデルスゾーン 弦楽四重奏曲第6番
2011.07.29
天才は最後にキレた
メンデルスゾーンが紡ぎ出す旋律は流麗で、親しみやすく、時折情熱的な力強さや憂鬱な表情を見せることはあっても、取り乱した叫び声となることはない。音楽的な冒険をしても、それは「カッコいい」と思える範囲にとどまり、節度は保たれている。だから紳士淑女が顔をしかめることもない。そういうところをあげつらい、「メンデルスゾーンの作品はお上品で中身が薄い」と揶揄する人もいる。
しかし、そんな彼が人生を終える前に書いたのは、あまりにも激しく悲痛な音楽だった。それが弦楽四重奏曲第6番である。ここでは悲しみと怒りと焦燥感がむきだしになり、もがき、叫び声をあげている。節度のオブラートは捨て去られ、一心不乱に書かれたような印象だ。これには「ファニーへのレクイエム」という呼び名がある。つまり、愛する姉ファニーの死に打ちのめされたメンデルスゾーンが、哀惜の念を込めて作曲した作品なのだ。
この姉弟は絶対的な信頼関係で結ばれていた。弟と同じく音楽の才能に恵まれていたファニーは、幼い頃から神童として知られ、13歳の時にはJ.S.バッハの『平均律クラヴィーア曲集』を暗譜で演奏することができたという。つぶらな瞳の美人で、作曲の才能もあり、魅力的な作品をいくつか残している。ただ、当時は女性作曲家の地位が認められておらず、ほとんど出版されることはなかった。メンデルスゾーンの有名な『無言歌集』には、ファニーの曲も混ざっていると言われている。
彼女はメンデルスゾーンにとって最大の理解者であり、その作品を最初に評価する役割を担っていた。子供の頃にユダヤ人として差別された時も、2人でその痛みを分け合った。ファニーの手紙を読むと、彼らが他者の介在し得ない分身のような関係だったことがよくわかる。「私はあなたの肖像画を前にしながら、愛しいあなたの名前を何度も呼び、私の傍にいるかのようにあなたのことを思っています。私は泣いています。私はこれからの生涯、毎朝、どの一瞬でも、心の底からあなたのことを愛します。そうしてもヘンゼル(夫)に悪いとは思いません」ーーこれは結婚当日にファニーが弟に書いた手紙として知られている。2人の間には密接すぎる姉弟愛があった。その姉が1847年5月14日、脳卒中で急死したのである。メンデルスゾーン家で催されていた日曜演奏会に向けて、弟の作品をリハーサルしている最中のことだった。メンデルスゾーンが受けたショックの大きさは計り知れず、一時は悲しみのあまり作曲も出来なくなったという。
弦楽四重奏曲第6番は、そういう精神状態にあった彼がすがるようにしてペンをとり、己の真情を吐露すべく書き上げた直球の作品である。第1楽章の冒頭から不安と焦燥をあらわすトレモロが不気味に走り、ヴァイオリンが閃光のように激しい叫びをあげる。この疾風怒濤の勢いと緊張感が弱まることはない。第2楽章もアレグロで畳み掛けるように突き進む。第3楽章は姉との思い出を回顧しているような甘く切ないアダージョだが、途中で喪失感が頭をもたげ、詠嘆調になる。そして救いようがないほど激越な第4楽章では、たった4挺の楽器で演奏されているとは思えないほどドラマティックな表現の振り幅に唖然とさせられる。
弦楽カルテットというと、交響曲や協奏曲に比べて地味な印象を持たれがちだが、これを聴けばイメージもだいぶ変わると思う。まるでベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」が弦楽カルテットになったかのよう。それくらい凄みのある作品なのだ。とはいえ、基本的にはメロディアスなので、初めての人にも聴きやすい。この曲を書いて2ヶ月後、11月4日にメンデルスゾーンはファニーの後を追うようにして同じ病気で亡くなった。最期の言葉は、「疲れたよ、ひどく疲れた」(Ich bin müde, schrecklich müde.)であった。
音源の種類はあまりないが、カルミナ四重奏団の録音があるのは幸いである。これは核心をついた、胸に迫る名演だ。メロス弦楽四重奏団、ヘンシェル四重奏団、プソフォス弦楽四重奏団の録音も、それぞれ個性的な熱演で聴きごたえがある。
【関連サイト】
フェリックス・メンデルスゾーン(CD)
メンデルスゾーンが紡ぎ出す旋律は流麗で、親しみやすく、時折情熱的な力強さや憂鬱な表情を見せることはあっても、取り乱した叫び声となることはない。音楽的な冒険をしても、それは「カッコいい」と思える範囲にとどまり、節度は保たれている。だから紳士淑女が顔をしかめることもない。そういうところをあげつらい、「メンデルスゾーンの作品はお上品で中身が薄い」と揶揄する人もいる。
しかし、そんな彼が人生を終える前に書いたのは、あまりにも激しく悲痛な音楽だった。それが弦楽四重奏曲第6番である。ここでは悲しみと怒りと焦燥感がむきだしになり、もがき、叫び声をあげている。節度のオブラートは捨て去られ、一心不乱に書かれたような印象だ。これには「ファニーへのレクイエム」という呼び名がある。つまり、愛する姉ファニーの死に打ちのめされたメンデルスゾーンが、哀惜の念を込めて作曲した作品なのだ。
この姉弟は絶対的な信頼関係で結ばれていた。弟と同じく音楽の才能に恵まれていたファニーは、幼い頃から神童として知られ、13歳の時にはJ.S.バッハの『平均律クラヴィーア曲集』を暗譜で演奏することができたという。つぶらな瞳の美人で、作曲の才能もあり、魅力的な作品をいくつか残している。ただ、当時は女性作曲家の地位が認められておらず、ほとんど出版されることはなかった。メンデルスゾーンの有名な『無言歌集』には、ファニーの曲も混ざっていると言われている。
彼女はメンデルスゾーンにとって最大の理解者であり、その作品を最初に評価する役割を担っていた。子供の頃にユダヤ人として差別された時も、2人でその痛みを分け合った。ファニーの手紙を読むと、彼らが他者の介在し得ない分身のような関係だったことがよくわかる。「私はあなたの肖像画を前にしながら、愛しいあなたの名前を何度も呼び、私の傍にいるかのようにあなたのことを思っています。私は泣いています。私はこれからの生涯、毎朝、どの一瞬でも、心の底からあなたのことを愛します。そうしてもヘンゼル(夫)に悪いとは思いません」ーーこれは結婚当日にファニーが弟に書いた手紙として知られている。2人の間には密接すぎる姉弟愛があった。その姉が1847年5月14日、脳卒中で急死したのである。メンデルスゾーン家で催されていた日曜演奏会に向けて、弟の作品をリハーサルしている最中のことだった。メンデルスゾーンが受けたショックの大きさは計り知れず、一時は悲しみのあまり作曲も出来なくなったという。
弦楽四重奏曲第6番は、そういう精神状態にあった彼がすがるようにしてペンをとり、己の真情を吐露すべく書き上げた直球の作品である。第1楽章の冒頭から不安と焦燥をあらわすトレモロが不気味に走り、ヴァイオリンが閃光のように激しい叫びをあげる。この疾風怒濤の勢いと緊張感が弱まることはない。第2楽章もアレグロで畳み掛けるように突き進む。第3楽章は姉との思い出を回顧しているような甘く切ないアダージョだが、途中で喪失感が頭をもたげ、詠嘆調になる。そして救いようがないほど激越な第4楽章では、たった4挺の楽器で演奏されているとは思えないほどドラマティックな表現の振り幅に唖然とさせられる。
弦楽カルテットというと、交響曲や協奏曲に比べて地味な印象を持たれがちだが、これを聴けばイメージもだいぶ変わると思う。まるでベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」が弦楽カルテットになったかのよう。それくらい凄みのある作品なのだ。とはいえ、基本的にはメロディアスなので、初めての人にも聴きやすい。この曲を書いて2ヶ月後、11月4日にメンデルスゾーンはファニーの後を追うようにして同じ病気で亡くなった。最期の言葉は、「疲れたよ、ひどく疲れた」(Ich bin müde, schrecklich müde.)であった。
音源の種類はあまりないが、カルミナ四重奏団の録音があるのは幸いである。これは核心をついた、胸に迫る名演だ。メロス弦楽四重奏団、ヘンシェル四重奏団、プソフォス弦楽四重奏団の録音も、それぞれ個性的な熱演で聴きごたえがある。
(阿部十三)
【関連サイト】
フェリックス・メンデルスゾーン(CD)
フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ
[1809.2.3-1847.11.4]
弦楽四重奏曲第6番ヘ短調 作品80
【お薦めディスク】(掲載CDジャケット:上から)
カルミナ四重奏団
録音:1991年
プソフォス弦楽四重奏団
録音:2001年12月
[1809.2.3-1847.11.4]
弦楽四重奏曲第6番ヘ短調 作品80
【お薦めディスク】(掲載CDジャケット:上から)
カルミナ四重奏団
録音:1991年
プソフォス弦楽四重奏団
録音:2001年12月
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