クラム 『ブラック・エンジェルズ』
2011.12.19
悪魔と祈りの音楽
最初の数秒で聴き手に一生忘れられないような衝撃を与える音楽がある。私にとってそういう作品を現代音楽の中から挙げるなら、まずジョージ・クラムの『ブラック・エンジェルズ』に指を屈する。あの出だしを初めて聴いた(というか、食らった)時、目の前できらめくナイフが飛び交っているような錯覚に襲われ、頭がくらくらした。今聴いても衝撃度はさほど変わらない。つくづくショッキングで革新的な導入だと思う。
ジョージ・クラムは1929年生まれの作曲家。ロジャー・レイノルズやウィリアム・オルブライトの先生でもあるロス・リー・フィニーに師事していた。1959年からは大学で教鞭をとり、作曲活動を続け、1970年の『ブラック・エンジェルズ』、1972年以降の『マクロコスモス』で世界的に有名になった。円形や十字の五線譜を用いる人としても知られている。
『ブラック・エンジェルズ』はエレクトリック・ストリング・カルテットのための作品で、サブタイトルは「暗黒界からの13のイメージ」。楽譜には「戦時下に」と記されている。完成したのは1970年3月13日の金曜日。つまり「戦時」とは言うまでもなくヴェトナム戦争のこと。騒然として不穏なムードに包まれた世界を意識しながら、クラムは作曲を進めていたのである。
作曲上の特徴としては、音程や構成を決める上で7と13という2つの数字に重要な役割を与えている点がまず挙げられる。いわば数霊術的な作曲法だ。そして、もう一つ見逃せないのが引用の巧みさ。シューベルトの「死と乙女」のほか、悪魔の音程(三全音)やタルティーニの「悪魔のトリル」などから音楽的イメージを拝借し、単なる実験音楽を超えた奥深さと美観を身につけることに成功している。
それらの意匠から生まれた音響は唖然とするほど斬新なものだった。第1部の1曲目「電気昆虫の夜」や4曲目「悪魔の音楽」の強烈なインパクトは、聴覚だけではなく、視覚や触覚にも訴える力がある。ほとんど恐怖映画の音響だ。実際、「電気昆虫の夜」は1973年の映画『エクソシスト』で使われた。一番分かりやすく引用されているのは、悪魔に憑かれたリーガンのおなかに「help me」の文字が浮かび上がるシーン。あの真空を切り裂くような音響は一度聴いたら忘れられないだろう。
楽器編成はエレクトリック・ストリングだけではない。カルテットの体裁をとってはいるが、舌打ち、ささやき声、叫び声、マラカス、クリスタルガラスのコップ、銅鑼など多彩な音が採り入れられている。奏法も多種多様、人知の及ぶ限りやれるだけのことをやっている。4人の奏者が舞台上で繰り広げる不気味な音のパフォーマンスは一度見ておいて損はない。演奏される機会はほとんど無いけど。
『ブラック・エンジェルズ』はヴェトナム戦争で疲弊し、悲しみと苛立ちを抱える人々に受け入れられた。この作品に込められたメッセージは深い。最初は音響効果に耳を奪われるが、何度か聴いているうちに13のイメージが描き出すストーリーが見えてくる。凶兆、混乱、苦痛、涙、空虚、そして祈り......。これは寓話である。外観は革新的で、歪んでいて、まがまがしいのに、聴いた後は聖なる音楽にふれたような感触が残る。奇怪な音響がひしめきながらも、散漫な感じがしない。これはクラムの数霊術的計算のなせるわざなのか、古典引用の絶妙なバランス感覚のおかげなのか。
音源では、クロノス・カルテットによる1990年の録音とブロドツキー・カルテットによる1992年の録音が有名だ。この2種類の演奏が『ブラック・エンジェルズ』を不朽の作品たらしめたと言っても過言ではない。超人工的なアーティキュレーションとヴィヴィッドな音響は今聴いても全然褪せていない。ちなみに、クロノス・カルテット盤はショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番、ブロドツキー・カルテット盤はシューベルトの「死と乙女」を併録している。新しい録音では、ディオティマ・カルテットの演奏が、前二者に比べると自然体ながらもシャープで聴きごたえがあった。
【関連サイト】
The Official George Crumb Home Page
最初の数秒で聴き手に一生忘れられないような衝撃を与える音楽がある。私にとってそういう作品を現代音楽の中から挙げるなら、まずジョージ・クラムの『ブラック・エンジェルズ』に指を屈する。あの出だしを初めて聴いた(というか、食らった)時、目の前できらめくナイフが飛び交っているような錯覚に襲われ、頭がくらくらした。今聴いても衝撃度はさほど変わらない。つくづくショッキングで革新的な導入だと思う。
ジョージ・クラムは1929年生まれの作曲家。ロジャー・レイノルズやウィリアム・オルブライトの先生でもあるロス・リー・フィニーに師事していた。1959年からは大学で教鞭をとり、作曲活動を続け、1970年の『ブラック・エンジェルズ』、1972年以降の『マクロコスモス』で世界的に有名になった。円形や十字の五線譜を用いる人としても知られている。
『ブラック・エンジェルズ』はエレクトリック・ストリング・カルテットのための作品で、サブタイトルは「暗黒界からの13のイメージ」。楽譜には「戦時下に」と記されている。完成したのは1970年3月13日の金曜日。つまり「戦時」とは言うまでもなくヴェトナム戦争のこと。騒然として不穏なムードに包まれた世界を意識しながら、クラムは作曲を進めていたのである。
作曲上の特徴としては、音程や構成を決める上で7と13という2つの数字に重要な役割を与えている点がまず挙げられる。いわば数霊術的な作曲法だ。そして、もう一つ見逃せないのが引用の巧みさ。シューベルトの「死と乙女」のほか、悪魔の音程(三全音)やタルティーニの「悪魔のトリル」などから音楽的イメージを拝借し、単なる実験音楽を超えた奥深さと美観を身につけることに成功している。
それらの意匠から生まれた音響は唖然とするほど斬新なものだった。第1部の1曲目「電気昆虫の夜」や4曲目「悪魔の音楽」の強烈なインパクトは、聴覚だけではなく、視覚や触覚にも訴える力がある。ほとんど恐怖映画の音響だ。実際、「電気昆虫の夜」は1973年の映画『エクソシスト』で使われた。一番分かりやすく引用されているのは、悪魔に憑かれたリーガンのおなかに「help me」の文字が浮かび上がるシーン。あの真空を切り裂くような音響は一度聴いたら忘れられないだろう。
楽器編成はエレクトリック・ストリングだけではない。カルテットの体裁をとってはいるが、舌打ち、ささやき声、叫び声、マラカス、クリスタルガラスのコップ、銅鑼など多彩な音が採り入れられている。奏法も多種多様、人知の及ぶ限りやれるだけのことをやっている。4人の奏者が舞台上で繰り広げる不気味な音のパフォーマンスは一度見ておいて損はない。演奏される機会はほとんど無いけど。
『ブラック・エンジェルズ』はヴェトナム戦争で疲弊し、悲しみと苛立ちを抱える人々に受け入れられた。この作品に込められたメッセージは深い。最初は音響効果に耳を奪われるが、何度か聴いているうちに13のイメージが描き出すストーリーが見えてくる。凶兆、混乱、苦痛、涙、空虚、そして祈り......。これは寓話である。外観は革新的で、歪んでいて、まがまがしいのに、聴いた後は聖なる音楽にふれたような感触が残る。奇怪な音響がひしめきながらも、散漫な感じがしない。これはクラムの数霊術的計算のなせるわざなのか、古典引用の絶妙なバランス感覚のおかげなのか。
音源では、クロノス・カルテットによる1990年の録音とブロドツキー・カルテットによる1992年の録音が有名だ。この2種類の演奏が『ブラック・エンジェルズ』を不朽の作品たらしめたと言っても過言ではない。超人工的なアーティキュレーションとヴィヴィッドな音響は今聴いても全然褪せていない。ちなみに、クロノス・カルテット盤はショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番、ブロドツキー・カルテット盤はシューベルトの「死と乙女」を併録している。新しい録音では、ディオティマ・カルテットの演奏が、前二者に比べると自然体ながらもシャープで聴きごたえがあった。
(阿部十三)
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ジョージ・クラム
[1929.10.24-]
『ブラック・エンジェルズ』
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
クロノス・カルテット
録音:1990年
ディオティマ・カルテット
録音:2011年
[1929.10.24-]
『ブラック・エンジェルズ』
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
クロノス・カルテット
録音:1990年
ディオティマ・カルテット
録音:2011年
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