シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレイト」
2012.02.22
奇蹟の楽想
シューベルトは31歳で亡くなったが、その短い生涯に人が何年生きても書けないような神韻縹渺たる傑作をいくつも完成させた。途方もない音楽的深度を獲得したそれらの作品は、私たちの心の暗部にまで届き、孤独感や苦悩や渇望と呼応し、調和的な余韻で満たす。作曲家に対して共感以上のもの、友情すら感じさせるような親密さと清廉さがその音楽には潜んでいる。
交響曲第9番「ザ・グレイト」は、そういうシューベルトの特性をあますところなく伝える傑作である。音楽史上、最も抜きん出た天才というと、多くの人がまずモーツァルトを思い浮かべるだろうが、私はモーツァルトと共にシューベルトの名前を挙げずにはいられない。シューベルトから溢れ出る数々の楽想は、構成上ないし理論上の制約をものともせず、それぞれ単体では脈絡があるようには思えないのに、つなげると驚くほど生気を帯びた音楽が現れ、有機的な美しさをたたえはじめる。シューベルトが自分の大胆さをどの程度自覚していたのかは分からないが、「ザ・グレイト」の第1楽章を聴くだけでも、普通の人なら、そのめくるめく旋律発想に度肝を抜かれるのではないか。全くとんでもない才能である。こういう音楽の前では、ほかの作曲家の作品が感性よりも頭脳から生まれたものに見えてしまう。
作曲時期は1825年から1826年(1828年に完成したという説もあった)。そのスコアは世に出ることなく、兄フェルディナントのもとで長い間眠っていたが、1839年、フェルディナントを訪ねたロベルト・シューマンがこの未発表の交響曲の存在を知り、彼の勧めで友人メンデルスゾーンが初演を行う運びとなった。もっとも、それからしばらくの間は「長すぎる」「難しい」という理由でオーケストラから敬遠されていたという。シューマンはこの作品を「ジャン・パウルの4巻からなる長編小説のように、天国的な長さを持つ」と評したが、ブルックナーやマーラーの交響曲を知っている私たちには長さそのものはあまり問題にならない。ただ、既述したように、大胆かつ奔放に楽想を盛り込んだ構成には誰もが驚かされるに違いない。
夢幻的な美しさと毅然とした強さが同居する第2楽章のアンダンテ・コン・モートは、シューベルトの規格外の才能の結晶。シューマンが「天の使い」と評したホルンが聴けるのもこの楽章である。第3楽章のトリオも美しい。この楽想一つだけ抜き取っても、一個の作品として成立しそうである。そういう才能をシューベルトは惜しげもなくこの交響曲に注ぎ込んでいる。第4楽章は反復のパレード。シューベルトの内的独白が奔出している。文学で言うところの「意識の流れ」の先駆とも言えそうだが、無造作に書いているわけではなく、ソナタ形式に巧みに還元させている。ただ、それもほとんど偶然の発明であるかのように計算を感じさせない。音符そのものが作曲者の計算や思惑を離れ、自らの意思で躍動しているようにも聞こえる。ことほどさように、音楽的な奇蹟が随所にちらばっている、否、ちりばめられているのだ。これをシューベルトは不治の病に体を蝕まれている中で書いた。一体どこからそんな創造意欲が出てきたのだろう。
ここでシューベルトの交響曲をめぐる複雑な事情にふれておきたい。彼が最終的に完成させた交響曲は7作である。そこに彼の作品の中でも一、二を争うほど有名な「未完成」交響曲を含めると、8作になる。それなのに、なぜ9番「ザ・グレイト」が存在するのか。ここには入り組んだ経緯がある。当初、「ザ・グレイト」は7番とされていた。その後、「未完成」が発見され、これには8番の番号が与えられた。しかし、「未完成」の作曲時期が「ザ・グレイト」の前であることが分かり、「ザ・グレイト」は9番になり、7番にはスケッチ以上の状態にある「ホ長調交響曲」があてがわれた。
ところが、話はここで終わらない。現在では、7番とされていた「ホ長調交響曲」はあくまでもスケッチにすぎないという理由により新作品目録から外されている。そんなわけで、「未完成」を7番、「ザ・グレイト」を8番とする風潮もある。音楽の本質に関わる問題ではないので、何番でもいいのかもしれないが、「今日はシューベルトの8番のコンサートがあるらしい」といった紛らわしい言い方には注意が必要だ。
【関連サイト】
シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレイト」 [続き]
シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレイト」(CD)
シューベルトは31歳で亡くなったが、その短い生涯に人が何年生きても書けないような神韻縹渺たる傑作をいくつも完成させた。途方もない音楽的深度を獲得したそれらの作品は、私たちの心の暗部にまで届き、孤独感や苦悩や渇望と呼応し、調和的な余韻で満たす。作曲家に対して共感以上のもの、友情すら感じさせるような親密さと清廉さがその音楽には潜んでいる。
交響曲第9番「ザ・グレイト」は、そういうシューベルトの特性をあますところなく伝える傑作である。音楽史上、最も抜きん出た天才というと、多くの人がまずモーツァルトを思い浮かべるだろうが、私はモーツァルトと共にシューベルトの名前を挙げずにはいられない。シューベルトから溢れ出る数々の楽想は、構成上ないし理論上の制約をものともせず、それぞれ単体では脈絡があるようには思えないのに、つなげると驚くほど生気を帯びた音楽が現れ、有機的な美しさをたたえはじめる。シューベルトが自分の大胆さをどの程度自覚していたのかは分からないが、「ザ・グレイト」の第1楽章を聴くだけでも、普通の人なら、そのめくるめく旋律発想に度肝を抜かれるのではないか。全くとんでもない才能である。こういう音楽の前では、ほかの作曲家の作品が感性よりも頭脳から生まれたものに見えてしまう。
作曲時期は1825年から1826年(1828年に完成したという説もあった)。そのスコアは世に出ることなく、兄フェルディナントのもとで長い間眠っていたが、1839年、フェルディナントを訪ねたロベルト・シューマンがこの未発表の交響曲の存在を知り、彼の勧めで友人メンデルスゾーンが初演を行う運びとなった。もっとも、それからしばらくの間は「長すぎる」「難しい」という理由でオーケストラから敬遠されていたという。シューマンはこの作品を「ジャン・パウルの4巻からなる長編小説のように、天国的な長さを持つ」と評したが、ブルックナーやマーラーの交響曲を知っている私たちには長さそのものはあまり問題にならない。ただ、既述したように、大胆かつ奔放に楽想を盛り込んだ構成には誰もが驚かされるに違いない。
夢幻的な美しさと毅然とした強さが同居する第2楽章のアンダンテ・コン・モートは、シューベルトの規格外の才能の結晶。シューマンが「天の使い」と評したホルンが聴けるのもこの楽章である。第3楽章のトリオも美しい。この楽想一つだけ抜き取っても、一個の作品として成立しそうである。そういう才能をシューベルトは惜しげもなくこの交響曲に注ぎ込んでいる。第4楽章は反復のパレード。シューベルトの内的独白が奔出している。文学で言うところの「意識の流れ」の先駆とも言えそうだが、無造作に書いているわけではなく、ソナタ形式に巧みに還元させている。ただ、それもほとんど偶然の発明であるかのように計算を感じさせない。音符そのものが作曲者の計算や思惑を離れ、自らの意思で躍動しているようにも聞こえる。ことほどさように、音楽的な奇蹟が随所にちらばっている、否、ちりばめられているのだ。これをシューベルトは不治の病に体を蝕まれている中で書いた。一体どこからそんな創造意欲が出てきたのだろう。
ここでシューベルトの交響曲をめぐる複雑な事情にふれておきたい。彼が最終的に完成させた交響曲は7作である。そこに彼の作品の中でも一、二を争うほど有名な「未完成」交響曲を含めると、8作になる。それなのに、なぜ9番「ザ・グレイト」が存在するのか。ここには入り組んだ経緯がある。当初、「ザ・グレイト」は7番とされていた。その後、「未完成」が発見され、これには8番の番号が与えられた。しかし、「未完成」の作曲時期が「ザ・グレイト」の前であることが分かり、「ザ・グレイト」は9番になり、7番にはスケッチ以上の状態にある「ホ長調交響曲」があてがわれた。
ところが、話はここで終わらない。現在では、7番とされていた「ホ長調交響曲」はあくまでもスケッチにすぎないという理由により新作品目録から外されている。そんなわけで、「未完成」を7番、「ザ・グレイト」を8番とする風潮もある。音楽の本質に関わる問題ではないので、何番でもいいのかもしれないが、「今日はシューベルトの8番のコンサートがあるらしい」といった紛らわしい言い方には注意が必要だ。
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