モーツァルト セレナード第6番「セレナータ・ノットゥルナ」
2013.01.28
モーツァルトの小さな宝石
ザルツブルクの宮廷音楽家として窮屈な思いをしながら働いていた1776年、モーツァルトは多くの機会音楽を作曲した。セレナード「セレナータ・ノットゥルナ」もその中のひとつである。作曲の動機は何なのか、誰のために書かれたのかは明らかにされていない。「セレナータ・ノットゥルナ」というのも、父レオポルトによってモーツァルトの自筆譜に書かれた名称である。
ただ、ここには「機会音楽」の冠をつけながら、その枠内で出来るだけ自由と創造を満喫しようとするモーツァルトの姿が克明に刻まれている。同年に書かれた「ハフナー」に比べるとスケールは小さいし、いってみれば軽い気持ちで聴ける曲なのだが、こういう小粒な宝石の中にさりげなく深い魅力を込めてしまうところが、モーツァルトの面白さであり、凄さである。
私がこの曲に出会ったのは、クラシックを聴き始めて間もない頃である。それ以来、なぜそこまで好きなのか、自分でも理解に苦しむほど好きな作品であり続けている。モーツァルトを語る上で必ず挙げられる作品というわけではないし、ほかに人類の遺産と呼ぶべき傑作が数多く存在することも承知している。『ドン・ジョヴァンニ』や『魔笛』などと比べる気もない。それでも「セレナータ・ノットゥルナ」は、かなり控えめにいって、モーツァルトの傑作として十指に入れたい作品である。
先に「深い魅力」と書いたが、これを私なりにほぐすと、毅然たる風格と香り立つエレガンス、ささやかな冒険心、天才の筆ならではの簡潔な人生の表現ということになる。ただ、こういう言葉で表現し得る作品はほかにも沢山ある。音符のひとつひとつが小さな磁石のように私の心を引き寄せるのは、もっと生理的な理由があるからだろう。人生の中で、なぜ惹かれるのかよくわからないまま人に惹かれるのは別段珍しいことではないと思うが、私の場合、それと同じ心理がこの作品に対して働いている。
演奏には2群のアンサンブルを必要とする。ひとつは2挺の独奏ヴァイオリン、ヴィオラ、バス。もうひとつはヴァイオリン2部、ヴィオラ、チェロ、ティンパニ。弦楽四重奏に小オーケストラを組み合わせた編成である。バロックのコンチェルト・グロッソの音響を想定して、こういう編成にしたのかもしれない。
第1楽章は行進曲、マエストーソ。ヴァイオリン協奏曲第4番を彷彿させる力強い導入から、優美な独奏ヴァイオリンに引き継がれる流れにまず魅了される。「マエストーソ」からも容易に想像がつくように、全体的には毅然としているが、ところどころ戯れがあり、陶酔的な面ものぞかせる。第2楽章は優雅な主題を持つメヌエット。ただ、その枠から少しの間だけ自由を味わおうと試みる(かのように私には思える)トリオが印象に残る。第3楽章はロンド、アレグレット。軽快な主題が耳に心地よいが、途中で走り疲れた後のように歩度を緩め、アダージョでひと呼吸置いてから、最後の疾駆を見せる。
この作品を以て人生を語るつもりはないが、苦悩や悲哀や疲労や思い出とうまく折り合いをつけながら、とにかく前を向いて進もうとする意思を、私はこの曲から感じる。
世評の高い名盤はカール・ベームやヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮した録音になるのだろう。オーケストラはどちらもベルリン・フィル。前者はアンサンブルが盤石で、ベームの手綱の締め方が光る。後者は耽美的で、もっと引き締めてほしいと注文をつけたくなる部分もあるが、トマス・ブランディスの美音目当てでよく聴く。
この2人に限らず、良い演奏は沢山ある。というか、よほどまずい演奏でなければ、それなりに満足を得られる作品である。それでも出来るだけ魅惑の世界に浸りたい、という人にはギュンター・ヴァント盤がお薦めだ。理性によって統御されたアンサンブルから、おさえきれずにこぼれてくるような愛らしさと美しさ。絶品である。1990年のライヴ録音で、音質も申し分ない。ヨーゼフ・カイルベルト盤も名演。余計な飾りがなく、それでいて馥郁たる歌心がゆらめいている。カイルベルトとバンベルク響が組んだ録音の中では、最良の部類に属する。古楽器系の録音もあるが、私が好んでいるのはジョルディ・サヴァール盤。大胆でありながら優雅さを失わないアーティキュレーションと清新な響きで、この曲に今生み落とされたばかりのような生命力を吹き込んでいる。
【関連サイト】
モーツァルト:セレナード第6番「セレナータ・ノットゥルナ」
ザルツブルクの宮廷音楽家として窮屈な思いをしながら働いていた1776年、モーツァルトは多くの機会音楽を作曲した。セレナード「セレナータ・ノットゥルナ」もその中のひとつである。作曲の動機は何なのか、誰のために書かれたのかは明らかにされていない。「セレナータ・ノットゥルナ」というのも、父レオポルトによってモーツァルトの自筆譜に書かれた名称である。
ただ、ここには「機会音楽」の冠をつけながら、その枠内で出来るだけ自由と創造を満喫しようとするモーツァルトの姿が克明に刻まれている。同年に書かれた「ハフナー」に比べるとスケールは小さいし、いってみれば軽い気持ちで聴ける曲なのだが、こういう小粒な宝石の中にさりげなく深い魅力を込めてしまうところが、モーツァルトの面白さであり、凄さである。
私がこの曲に出会ったのは、クラシックを聴き始めて間もない頃である。それ以来、なぜそこまで好きなのか、自分でも理解に苦しむほど好きな作品であり続けている。モーツァルトを語る上で必ず挙げられる作品というわけではないし、ほかに人類の遺産と呼ぶべき傑作が数多く存在することも承知している。『ドン・ジョヴァンニ』や『魔笛』などと比べる気もない。それでも「セレナータ・ノットゥルナ」は、かなり控えめにいって、モーツァルトの傑作として十指に入れたい作品である。
先に「深い魅力」と書いたが、これを私なりにほぐすと、毅然たる風格と香り立つエレガンス、ささやかな冒険心、天才の筆ならではの簡潔な人生の表現ということになる。ただ、こういう言葉で表現し得る作品はほかにも沢山ある。音符のひとつひとつが小さな磁石のように私の心を引き寄せるのは、もっと生理的な理由があるからだろう。人生の中で、なぜ惹かれるのかよくわからないまま人に惹かれるのは別段珍しいことではないと思うが、私の場合、それと同じ心理がこの作品に対して働いている。
演奏には2群のアンサンブルを必要とする。ひとつは2挺の独奏ヴァイオリン、ヴィオラ、バス。もうひとつはヴァイオリン2部、ヴィオラ、チェロ、ティンパニ。弦楽四重奏に小オーケストラを組み合わせた編成である。バロックのコンチェルト・グロッソの音響を想定して、こういう編成にしたのかもしれない。
第1楽章は行進曲、マエストーソ。ヴァイオリン協奏曲第4番を彷彿させる力強い導入から、優美な独奏ヴァイオリンに引き継がれる流れにまず魅了される。「マエストーソ」からも容易に想像がつくように、全体的には毅然としているが、ところどころ戯れがあり、陶酔的な面ものぞかせる。第2楽章は優雅な主題を持つメヌエット。ただ、その枠から少しの間だけ自由を味わおうと試みる(かのように私には思える)トリオが印象に残る。第3楽章はロンド、アレグレット。軽快な主題が耳に心地よいが、途中で走り疲れた後のように歩度を緩め、アダージョでひと呼吸置いてから、最後の疾駆を見せる。
この作品を以て人生を語るつもりはないが、苦悩や悲哀や疲労や思い出とうまく折り合いをつけながら、とにかく前を向いて進もうとする意思を、私はこの曲から感じる。
世評の高い名盤はカール・ベームやヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮した録音になるのだろう。オーケストラはどちらもベルリン・フィル。前者はアンサンブルが盤石で、ベームの手綱の締め方が光る。後者は耽美的で、もっと引き締めてほしいと注文をつけたくなる部分もあるが、トマス・ブランディスの美音目当てでよく聴く。
この2人に限らず、良い演奏は沢山ある。というか、よほどまずい演奏でなければ、それなりに満足を得られる作品である。それでも出来るだけ魅惑の世界に浸りたい、という人にはギュンター・ヴァント盤がお薦めだ。理性によって統御されたアンサンブルから、おさえきれずにこぼれてくるような愛らしさと美しさ。絶品である。1990年のライヴ録音で、音質も申し分ない。ヨーゼフ・カイルベルト盤も名演。余計な飾りがなく、それでいて馥郁たる歌心がゆらめいている。カイルベルトとバンベルク響が組んだ録音の中では、最良の部類に属する。古楽器系の録音もあるが、私が好んでいるのはジョルディ・サヴァール盤。大胆でありながら優雅さを失わないアーティキュレーションと清新な響きで、この曲に今生み落とされたばかりのような生命力を吹き込んでいる。
(阿部十三)
【関連サイト】
モーツァルト:セレナード第6番「セレナータ・ノットゥルナ」
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
[1756.1.27-1791.12.5]
セレナード第6番ニ長調 K.239「セレナータ・ノットゥルナ」
【お薦めディスク】(掲載CDジャケット:上から)
ギュンター・ヴァント指揮
北ドイツ放送交響楽団
録音:1990年5月(ライヴ)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮
バンベルク交響楽団
録音:1959年
[1756.1.27-1791.12.5]
セレナード第6番ニ長調 K.239「セレナータ・ノットゥルナ」
【お薦めディスク】(掲載CDジャケット:上から)
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北ドイツ放送交響楽団
録音:1990年5月(ライヴ)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮
バンベルク交響楽団
録音:1959年
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