ブロッホ ヘブライ狂詩曲『シェロモ』
2013.08.07
アイデンティティーの結晶
スイス生まれのユダヤ人作曲家、エルネスト・ブロッホはエミール=ジャック・ダルクローズに作曲を学び、一時期はヴァイオリニストのウジェーヌ・イザイにも師事していた。作曲家として知られるようになったのは30歳の時、ロマン・ロランにオペラ『マクベス』を認められてからで、それまではジュネーヴの時計屋で働きながら、余暇を作曲活動や指揮活動にあてていた。1916年には舞踏家モード・アラン一座の指揮者として初めてアメリカを訪れ、音楽学校の教壇に立ち、いわゆるヘブライ精神を強く打ち出した作品で名声を確立。1920年にはクリーヴランド音楽院の初代院長に就任、1925年からはサンフランシスコ音楽院の院長を務めていた。
シェロモとはソロモン王のこと。イスラエル第2代の王ダビデの子で、貿易拡大や政治改革によってイスラエル王国に繁栄をもたらしたとされる人物である。しかし、知の王として敬われた彼も、晩年は享楽に溺れ、重税で民衆の生活を圧迫し、さらに偶像を拝したために宗教的対立を生み、結果的には王国の分裂を招いた。
ブロッホが『シェロモ』を作曲したのは1916年。ロシア人チェリスト、アレキサンダー・バルヤンスキーの妻で、彫刻家だったカサリン作のソロモン像を見て、生に疲れ、富に疲れ、権力に疲れたソロモン王の姿にインスパイアされたという。もっとも、ブロッホが試みたのは、ソロモンの伝記を音楽で表現することではない。彼は作曲の動機について、「ユダヤ民族の音楽的再建を企てようというつもりはない」とことわった上で、自分たちの魂の底に眠っている民族感情を掘り下げたかったと述べている。彼にとって大事なのは、純粋な意味での真摯な音楽、自分自身の中に流れている血の最も濃厚な部分を抽出して作曲することだったのである。そういう意味では、ブロッホ自身のアイデンティティーの結晶ということが出来るだろう。
単一楽章で、自由なラプソディー形式で書かれたこの作品は、まずチェロの序奏で始まる。この旋律の陰鬱な雰囲気を「ユダヤ的」の一言で片付けるのが適切かどうかはさておき、いわゆる西欧的イメージと一線を画していることは間違いない。私たちはここから壮大な叙事詩の中へと引き込まれ、古代イスラエルの民となり、やがて映画のような音のスペクタクルを目の当たりにする。
独奏チェロは、時にソロモンの声となり、時に語り部(解説者)となり、オーケストラと触発し合い、狂乱、情熱、歓喜、残虐、官能、瞑想のドラマを描き出す。凶暴なまでに美しい夢幻。演奏時間は約20分にすぎないが、違う世界に行って戻って来たようなトリップ感がいつまでも残る。そして、またその世界へ行ってみたくなる。
録音では、エマヌエル・フォイアマンの演奏が図抜けている。フォイアマン自身ユダヤ人であり、波瀾万丈の人生を送っていたこともあって、『シェロモ』には格別の愛情と共感を抱いていたものと思われる。彼の音源は2種存在する。
私が『シェロモ』に惹かれたのは、フォイアマンが亡くなる半年前ーー1941年11月10日のライヴ音源を聴いてからである。高校時代、ドヴォコン目当てにこのCDを購入したのだが、『シェロモ』の一音に漲る迫力と悲壮感、そして格調の高さに圧倒され、しばらくの間、何もする気が起こらなくなったものだ。ちなみに、指揮はレオン・バージン、オケはナショナル・オーケストラル・アソシエイションである。
ただ、純粋に演奏としてすぐれているのは、レオポルド・ストコフスキー指揮、フィラデルフィア管弦楽団の演奏による1940年の録音の方だろう。アンサンブルも色彩感に溢れている。良くも悪くもアクの強いストコフスキーだが、ここではフォイアマンの意を汲んだ素晴らしいサポートぶりを披露している。
チェロにやたらと細かい表情がありすぎたり、フレージングに妙味を持たせすぎたり、大風呂敷を広げてドラマ性を強調しすぎたりすることで、作品の本質から遠ざかっている演奏も少なくない。過ぎたるは及ばざるがごとし。それらは全て茶番劇である。フォイアマン盤が存在する以上、何の価値もない、とさえいいたくなる。
フォイアマン以外だとアントニオ・ヤニグロ盤が佳演で、必要以上に叫ぶことなく、音楽自体に多くを語らせている。立派すぎず、それでいて深みに欠けることもない。荒波を作り出すアルトゥール・ロジンスキーの指揮とも、絶妙な対照をなしている。ヤーノシュ・シュタルケルとズービン・メータが組んだ録音も名演。私はメータの良い聴き手ではないが、この伴奏に関する限り、鮮やかな棒さばきに唸らされる。
【関連サイト】
ernestbloch.org
スイス生まれのユダヤ人作曲家、エルネスト・ブロッホはエミール=ジャック・ダルクローズに作曲を学び、一時期はヴァイオリニストのウジェーヌ・イザイにも師事していた。作曲家として知られるようになったのは30歳の時、ロマン・ロランにオペラ『マクベス』を認められてからで、それまではジュネーヴの時計屋で働きながら、余暇を作曲活動や指揮活動にあてていた。1916年には舞踏家モード・アラン一座の指揮者として初めてアメリカを訪れ、音楽学校の教壇に立ち、いわゆるヘブライ精神を強く打ち出した作品で名声を確立。1920年にはクリーヴランド音楽院の初代院長に就任、1925年からはサンフランシスコ音楽院の院長を務めていた。
シェロモとはソロモン王のこと。イスラエル第2代の王ダビデの子で、貿易拡大や政治改革によってイスラエル王国に繁栄をもたらしたとされる人物である。しかし、知の王として敬われた彼も、晩年は享楽に溺れ、重税で民衆の生活を圧迫し、さらに偶像を拝したために宗教的対立を生み、結果的には王国の分裂を招いた。
ブロッホが『シェロモ』を作曲したのは1916年。ロシア人チェリスト、アレキサンダー・バルヤンスキーの妻で、彫刻家だったカサリン作のソロモン像を見て、生に疲れ、富に疲れ、権力に疲れたソロモン王の姿にインスパイアされたという。もっとも、ブロッホが試みたのは、ソロモンの伝記を音楽で表現することではない。彼は作曲の動機について、「ユダヤ民族の音楽的再建を企てようというつもりはない」とことわった上で、自分たちの魂の底に眠っている民族感情を掘り下げたかったと述べている。彼にとって大事なのは、純粋な意味での真摯な音楽、自分自身の中に流れている血の最も濃厚な部分を抽出して作曲することだったのである。そういう意味では、ブロッホ自身のアイデンティティーの結晶ということが出来るだろう。
単一楽章で、自由なラプソディー形式で書かれたこの作品は、まずチェロの序奏で始まる。この旋律の陰鬱な雰囲気を「ユダヤ的」の一言で片付けるのが適切かどうかはさておき、いわゆる西欧的イメージと一線を画していることは間違いない。私たちはここから壮大な叙事詩の中へと引き込まれ、古代イスラエルの民となり、やがて映画のような音のスペクタクルを目の当たりにする。
独奏チェロは、時にソロモンの声となり、時に語り部(解説者)となり、オーケストラと触発し合い、狂乱、情熱、歓喜、残虐、官能、瞑想のドラマを描き出す。凶暴なまでに美しい夢幻。演奏時間は約20分にすぎないが、違う世界に行って戻って来たようなトリップ感がいつまでも残る。そして、またその世界へ行ってみたくなる。
録音では、エマヌエル・フォイアマンの演奏が図抜けている。フォイアマン自身ユダヤ人であり、波瀾万丈の人生を送っていたこともあって、『シェロモ』には格別の愛情と共感を抱いていたものと思われる。彼の音源は2種存在する。
私が『シェロモ』に惹かれたのは、フォイアマンが亡くなる半年前ーー1941年11月10日のライヴ音源を聴いてからである。高校時代、ドヴォコン目当てにこのCDを購入したのだが、『シェロモ』の一音に漲る迫力と悲壮感、そして格調の高さに圧倒され、しばらくの間、何もする気が起こらなくなったものだ。ちなみに、指揮はレオン・バージン、オケはナショナル・オーケストラル・アソシエイションである。
ただ、純粋に演奏としてすぐれているのは、レオポルド・ストコフスキー指揮、フィラデルフィア管弦楽団の演奏による1940年の録音の方だろう。アンサンブルも色彩感に溢れている。良くも悪くもアクの強いストコフスキーだが、ここではフォイアマンの意を汲んだ素晴らしいサポートぶりを披露している。
チェロにやたらと細かい表情がありすぎたり、フレージングに妙味を持たせすぎたり、大風呂敷を広げてドラマ性を強調しすぎたりすることで、作品の本質から遠ざかっている演奏も少なくない。過ぎたるは及ばざるがごとし。それらは全て茶番劇である。フォイアマン盤が存在する以上、何の価値もない、とさえいいたくなる。
フォイアマン以外だとアントニオ・ヤニグロ盤が佳演で、必要以上に叫ぶことなく、音楽自体に多くを語らせている。立派すぎず、それでいて深みに欠けることもない。荒波を作り出すアルトゥール・ロジンスキーの指揮とも、絶妙な対照をなしている。ヤーノシュ・シュタルケルとズービン・メータが組んだ録音も名演。私はメータの良い聴き手ではないが、この伴奏に関する限り、鮮やかな棒さばきに唸らされる。
(阿部十三)
【関連サイト】
ernestbloch.org
エルネルト・ブロッホ
[1880.7.24-1959.7.15]
ヘブライ狂詩曲「シェロモ」
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
エマヌエル・フォイアマン(vc)
レオン・バージン指揮
ナショナル・オーケストラル・アソシエイション
録音:1941年11月10日(ライヴ)
アントニオ・ヤニグロ(vc)
アルトゥール・ロジンスキー指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1950年代
[1880.7.24-1959.7.15]
ヘブライ狂詩曲「シェロモ」
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
エマヌエル・フォイアマン(vc)
レオン・バージン指揮
ナショナル・オーケストラル・アソシエイション
録音:1941年11月10日(ライヴ)
アントニオ・ヤニグロ(vc)
アルトゥール・ロジンスキー指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1950年代
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