ショスタコーヴィチ 交響曲第10番
2013.08.24
「DSCH」の宣言
ショスタコーヴィチの交響曲第10番は、1953年の夏から秋にかけて作曲され、同年12月17日に初演された。1953年といえばスターリンが亡くなった年である。1948年以降、「ジダーノフ批判」にさらされていたショスタコーヴィチが8年ぶりに交響曲を作曲したのは、おそらく圧政者の死に触発されたためだろう。ただ、この作品をスターリンとスターリンの時代を描いたものだとする見解には、慎重な態度をとらなければならない。たとえ、「偽書」ともいわれている『ショスタコーヴィチの証言』(ソロモン・ヴォルコフ著/1979年出版)で、作曲家自身がそのように語っているとしても。
交響曲第10番は、スターリン以後の新しいソ連の音楽作品とみなされ、イリヤ・エレンブルグの人気小説『雪解け』の中でも取り上げられた。その評価をめぐる論争は国内にとどまらず、国外にも波及。国外初演権の価格が高騰するなど大きな注目を集めた。
1954年3月29日、3月30日、4月5日の3日間にわたって行われた公開討論会は、面目躍如の場となった。ショスタコーヴィチは自身の作品の長所と短所を挙げた上で、「ひとつだけいわせてほしい。私はこの作品の中で人間の感情と情熱を描きたかったのである」と述べた。「ジダーノフ批判」の下で辛酸をなめた改革派たちは交響曲第10番を支持し、討論会はショスタコーヴィチに比較的有利な形で幕を下ろした。
この作品を説明する際、「ペシミズム」や「重々しい」という言葉がつかわれているのをしばしば目にするが、本当にそこまでペシミスティックなのか、重々しいのか、私は疑問に思うことがある。ショスタコーヴィチが書いた作品には、もっと救いのないものがある。それらに比べると、第10番は割合とっつきやすい。「音楽によるスターリンの肖像」とされる第2楽章にしても、苛烈で凶暴な音楽であることは事実だが(ムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』の序奏との類似も指摘されている)、そこには聴き手の心を高揚させずにはおかない力がある。これを一元的にショスタコーヴィチから見たスターリン像という風にみなしてしまうと、要らぬ誤解が生じるような気がする。第一、スターリンが亡くなったからといって、すぐにソ連という国が「雪解け」したわけではないし、ショスタコーヴィチの足を掬おうとする体制派は沢山いた。そういう状況下にあって、スターリンを描くべく交響曲の筆を執ったとは考えにくいのである。
だからこそ、「私はこの作品の中で人間の感情と情熱を描きたかった」という言葉の方が切実に響く。第3楽章などはその典型で、自分の名前「(D)mitri (SCH)ostakowitch」に由来するモノグラム「DS(=Es)CH」を織り込み、さらに彼が当時想いを寄せていたエリミーラ・ナディーロヴァのファーストネームを「ミ・ラ・ミ・レ・ラ」に置き換えて溶かし込んでいる。マーラーの『大地の歌』からの引用を思わせるところも、これがショスタコーヴィチの10番目の交響曲であることを考えると、意味深である。ショスタコーヴィチは、マーラーにとっての実質的な交響曲第9番である「大地の歌」を引用することにより、いわゆる「第九のジンクス」を封印した。こういうことを行う際、彼が意識的でなかったとは私には思えない。第4楽章のコーダも印象的である。ここで勝利を告げるかのごとく轟くのは「DS(=Es)CH」なのだ。以上の事実や印象を総合すると、これが極めて私的な感情と情熱が込められた作品であることが分かってくる。もっといえば、「この作品は自分そのものであり、マーラー以降の時代を担う、真の意味で重要な交響曲作曲家は自分なのだ」と宣言する作品でもあるようにも感じられる。
数ある録音の中では、初演を務めたエフゲニー・ムラヴィンスキー、レニングラード・フィルの組み合わせによる1976年3月3日の驚異的なライヴと、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルによる1981年2月の名演奏をまずは聴いておきたい。立脚点は違えど、指揮者の個性がショスタコーヴィチの個性と対等に向き合っていて、音楽的密度が濃く、聴きごたえがある。
ちなみに、カラヤンは1969年にベルリン・フィルを率いて訪ソし、5月29日に第10番を指揮しているが、その烈火のような演奏は、遺された音源からもうかがえるように尋常ならざる熱狂をひきおこした。たしかに今聴いても五感が戸惑うほどの刺激に溢れた演奏である。
【関連サイト】
ドミトリ・ショスタコーヴィチ
ショスタコーヴィチの交響曲第10番は、1953年の夏から秋にかけて作曲され、同年12月17日に初演された。1953年といえばスターリンが亡くなった年である。1948年以降、「ジダーノフ批判」にさらされていたショスタコーヴィチが8年ぶりに交響曲を作曲したのは、おそらく圧政者の死に触発されたためだろう。ただ、この作品をスターリンとスターリンの時代を描いたものだとする見解には、慎重な態度をとらなければならない。たとえ、「偽書」ともいわれている『ショスタコーヴィチの証言』(ソロモン・ヴォルコフ著/1979年出版)で、作曲家自身がそのように語っているとしても。
交響曲第10番は、スターリン以後の新しいソ連の音楽作品とみなされ、イリヤ・エレンブルグの人気小説『雪解け』の中でも取り上げられた。その評価をめぐる論争は国内にとどまらず、国外にも波及。国外初演権の価格が高騰するなど大きな注目を集めた。
1954年3月29日、3月30日、4月5日の3日間にわたって行われた公開討論会は、面目躍如の場となった。ショスタコーヴィチは自身の作品の長所と短所を挙げた上で、「ひとつだけいわせてほしい。私はこの作品の中で人間の感情と情熱を描きたかったのである」と述べた。「ジダーノフ批判」の下で辛酸をなめた改革派たちは交響曲第10番を支持し、討論会はショスタコーヴィチに比較的有利な形で幕を下ろした。
この作品を説明する際、「ペシミズム」や「重々しい」という言葉がつかわれているのをしばしば目にするが、本当にそこまでペシミスティックなのか、重々しいのか、私は疑問に思うことがある。ショスタコーヴィチが書いた作品には、もっと救いのないものがある。それらに比べると、第10番は割合とっつきやすい。「音楽によるスターリンの肖像」とされる第2楽章にしても、苛烈で凶暴な音楽であることは事実だが(ムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』の序奏との類似も指摘されている)、そこには聴き手の心を高揚させずにはおかない力がある。これを一元的にショスタコーヴィチから見たスターリン像という風にみなしてしまうと、要らぬ誤解が生じるような気がする。第一、スターリンが亡くなったからといって、すぐにソ連という国が「雪解け」したわけではないし、ショスタコーヴィチの足を掬おうとする体制派は沢山いた。そういう状況下にあって、スターリンを描くべく交響曲の筆を執ったとは考えにくいのである。
だからこそ、「私はこの作品の中で人間の感情と情熱を描きたかった」という言葉の方が切実に響く。第3楽章などはその典型で、自分の名前「(D)mitri (SCH)ostakowitch」に由来するモノグラム「DS(=Es)CH」を織り込み、さらに彼が当時想いを寄せていたエリミーラ・ナディーロヴァのファーストネームを「ミ・ラ・ミ・レ・ラ」に置き換えて溶かし込んでいる。マーラーの『大地の歌』からの引用を思わせるところも、これがショスタコーヴィチの10番目の交響曲であることを考えると、意味深である。ショスタコーヴィチは、マーラーにとっての実質的な交響曲第9番である「大地の歌」を引用することにより、いわゆる「第九のジンクス」を封印した。こういうことを行う際、彼が意識的でなかったとは私には思えない。第4楽章のコーダも印象的である。ここで勝利を告げるかのごとく轟くのは「DS(=Es)CH」なのだ。以上の事実や印象を総合すると、これが極めて私的な感情と情熱が込められた作品であることが分かってくる。もっといえば、「この作品は自分そのものであり、マーラー以降の時代を担う、真の意味で重要な交響曲作曲家は自分なのだ」と宣言する作品でもあるようにも感じられる。
数ある録音の中では、初演を務めたエフゲニー・ムラヴィンスキー、レニングラード・フィルの組み合わせによる1976年3月3日の驚異的なライヴと、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルによる1981年2月の名演奏をまずは聴いておきたい。立脚点は違えど、指揮者の個性がショスタコーヴィチの個性と対等に向き合っていて、音楽的密度が濃く、聴きごたえがある。
ちなみに、カラヤンは1969年にベルリン・フィルを率いて訪ソし、5月29日に第10番を指揮しているが、その烈火のような演奏は、遺された音源からもうかがえるように尋常ならざる熱狂をひきおこした。たしかに今聴いても五感が戸惑うほどの刺激に溢れた演奏である。
(阿部十三)
【関連サイト】
ドミトリ・ショスタコーヴィチ
ドミトリ・ショスタコーヴィチ
[1906.9.25-1975.8.9]
交響曲第10番 ホ短調 作品93
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮
レニングラード・フィルハーモニー
録音:1976年3月3日(ライヴ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1980年2月
[1906.9.25-1975.8.9]
交響曲第10番 ホ短調 作品93
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮
レニングラード・フィルハーモニー
録音:1976年3月3日(ライヴ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1980年2月
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