ブルックナー 交響曲第8番
2013.09.16
巨人の創造物
交響曲第8番は1884年7月から1887年8月10日の間に作曲された。1884年といえば、ブルックナーが交響曲第7番で大成功をおさめ、キャリアの絶頂期を迎えた年である。彼は60歳になっていたが、その創作意欲は衰えることを知らず、ますます横溢していた。それは同年に完成した『テ・デウム』を聴いてもはっきりと分かるだろう。そして3年後、彼は生涯最大規模のスケールを誇るシンフォニーを書き上げたのである。
この長大な第8番は容易に人に理解されず、信頼していた指揮者、ヘルマン・レーヴィからも敬遠された。レーヴィの反応に打ちのめされたブルックナーは、初稿の改訂を行い、1890年3月10日に作業を完了。レーヴィは改訂版を世に出すために出版社を探したようだが、結果は失敗。また、病気のため自分で指揮することは出来ない、とブルックナーに報告している。その代わり、第8番に興味を示したのが当時まだ20代だった指揮者、フェリックス・ワインガルトナーだった。しかし、ワインガルトナーはさんざん気をもたせたあげく、最終的には転任するために指揮出来ないといいわけし、老作曲家を大いに失望させている。
創作意欲は衰えずとも、ブルックナーの体力は衰える一方だった。この時期、彼は肝硬変や糖尿病を患い、足の痛みに悩まされ、あちこち出歩くことも出来なかったようである。また、過去の作品の改訂に時間をとられ、第8番の初演が決まらないまま、交響曲第9番の作曲も進める、というちぐはぐな状況下に身を置いていた。
風向きが変わったのは1892年。弟子のシャルクが手を加えた改訂版が出版され、同年12月18日、巨匠ハンス・リヒターの手によってウィーンで初演されたのである。アンチ・ブルックナーの批評家エドゥアルト・ハンスリックが終楽章の前に会場を去る、という一幕はあったものの、聴衆は好意的で、盛んな拍手が送られた。ちなみに、アンチ・ブラームスのフーゴー・ヴォルフはブル8を「巨人の創造物」と絶賛している。
「巨人の創造物」とはいい得て妙である。その名声にかかわらず、初稿が完成してから演奏にこぎつけるまで5年という時間を要したのも、第8番が巨大すぎたからといってしまえば、それらしくきこえる。今ではブルックナーの交響曲第8番といえばクラシック愛好家にとって「知らない」では済まされない有名作品であり、人気作品でもある。ただ、最初に受容されるまでにはそれなりに時間がかかったのである。
現在、シャルク版は改竄版とみなされ、滅多に演奏されることはない。ハース版、ノヴァーク版を使うのが主流である。中には1887年の初稿を推す人もいる。一口に「ブル8が好き」といっても、同じ「ブル8」を聴いているとは限らない。そういう意味では、まず何を「決定版」とすべきか、という根本的な問題をはらんだ作品ともいえる。
作品の魅力については、すでに多くのことが語られている。スケールの大きさ、圧倒的な偉容、底知れない奥深さ、霊妙な響きは、聴く者を陶酔させ、胸を熱くさせずにはおかない。このような次元の音楽を生み出した人間の不思議な力にひれ伏したくなるばかりである。ここには技能や思惑など存在しない、ただ深くて巨大な音楽があるだけだ、といいたくなるような境地へと連れて行かれる。曲全体のクライマックスが第3楽章のアダージョに置かれている点も大きな特徴である。聴く行為を身も心もゆだねる行為に変換させる、比類なき美しさ。第3楽章の大空間を通り抜けた後、その人の音楽観は、たとえわずかでも、通り抜ける前とは確実に変わっているはずだ。
「名盤」と評されている録音は、全部が全部とはいわないまでも、作品の魅力を知らしめる上で、その使命をある程度まで果たしているものばかりである。私自身はカール・シューリヒト指揮、ウィーン・フィルの1963年盤で初めてブル8を聴き、その後、数年おきに「自分が求めているブル8はこれだ」という録音が変わっていった。そんなわけでCDもレコードも増える一方である。
2013年に入ってからは、オットー・クレンペラー指揮、ケルン放送響による1957年のライヴ盤を主に聴いている。これは知と情のバランスの面でも、アゴーギクやデュナーミクの面でも、格調の面でも、今の私を満たしてくれる演奏だ。昔からよく聴くのはヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、ベルリン・フィルの1949年盤、ルドルフ・ケンペ指揮、チューリヒ・トーンハレ管の1971年盤あたりである。ジョン・バルビローリ指揮、ハレ管による1970年の凄絶なライヴも、たまに無性に聴きたくなる。
これまで聴いてきた中で最も驚愕したブル8は、セルジウ・チェリビダッケ、ミュンヘン・フィルの1994年盤である。チェリビダッケ・ファンには有名な「リスボン・ライヴ」の音源だ。冒頭から強いオーラが漂い、あっという間に無限の宇宙とつながっているような雰囲気に包まれてしまう。「何かとんでもないことが起こっている」という状態で始まり、一寸の隙もなく、その状態のまま終わる、といってもいいすぎではない。私は先に「ここには技能や思惑など存在しない」と書いたが、チェリビダッケは気の遠くなるような神経を費やしてその全てを検証し、一音一音の意味を把握し、細部を徹底的に突き詰め、その成果を全体の中に還元させている。チェリビダッケも凄いが、その指揮についていくオーケストラも凄い。一回しか聴けないライヴとして、これを会場で堪能した人たちが羨ましくて仕方ない。
【関連サイト】
Anton Bruckner(www.abruckner.com)
ブルックナー:交響曲第8番(CD)
交響曲第8番は1884年7月から1887年8月10日の間に作曲された。1884年といえば、ブルックナーが交響曲第7番で大成功をおさめ、キャリアの絶頂期を迎えた年である。彼は60歳になっていたが、その創作意欲は衰えることを知らず、ますます横溢していた。それは同年に完成した『テ・デウム』を聴いてもはっきりと分かるだろう。そして3年後、彼は生涯最大規模のスケールを誇るシンフォニーを書き上げたのである。
この長大な第8番は容易に人に理解されず、信頼していた指揮者、ヘルマン・レーヴィからも敬遠された。レーヴィの反応に打ちのめされたブルックナーは、初稿の改訂を行い、1890年3月10日に作業を完了。レーヴィは改訂版を世に出すために出版社を探したようだが、結果は失敗。また、病気のため自分で指揮することは出来ない、とブルックナーに報告している。その代わり、第8番に興味を示したのが当時まだ20代だった指揮者、フェリックス・ワインガルトナーだった。しかし、ワインガルトナーはさんざん気をもたせたあげく、最終的には転任するために指揮出来ないといいわけし、老作曲家を大いに失望させている。
創作意欲は衰えずとも、ブルックナーの体力は衰える一方だった。この時期、彼は肝硬変や糖尿病を患い、足の痛みに悩まされ、あちこち出歩くことも出来なかったようである。また、過去の作品の改訂に時間をとられ、第8番の初演が決まらないまま、交響曲第9番の作曲も進める、というちぐはぐな状況下に身を置いていた。
風向きが変わったのは1892年。弟子のシャルクが手を加えた改訂版が出版され、同年12月18日、巨匠ハンス・リヒターの手によってウィーンで初演されたのである。アンチ・ブルックナーの批評家エドゥアルト・ハンスリックが終楽章の前に会場を去る、という一幕はあったものの、聴衆は好意的で、盛んな拍手が送られた。ちなみに、アンチ・ブラームスのフーゴー・ヴォルフはブル8を「巨人の創造物」と絶賛している。
「巨人の創造物」とはいい得て妙である。その名声にかかわらず、初稿が完成してから演奏にこぎつけるまで5年という時間を要したのも、第8番が巨大すぎたからといってしまえば、それらしくきこえる。今ではブルックナーの交響曲第8番といえばクラシック愛好家にとって「知らない」では済まされない有名作品であり、人気作品でもある。ただ、最初に受容されるまでにはそれなりに時間がかかったのである。
現在、シャルク版は改竄版とみなされ、滅多に演奏されることはない。ハース版、ノヴァーク版を使うのが主流である。中には1887年の初稿を推す人もいる。一口に「ブル8が好き」といっても、同じ「ブル8」を聴いているとは限らない。そういう意味では、まず何を「決定版」とすべきか、という根本的な問題をはらんだ作品ともいえる。
作品の魅力については、すでに多くのことが語られている。スケールの大きさ、圧倒的な偉容、底知れない奥深さ、霊妙な響きは、聴く者を陶酔させ、胸を熱くさせずにはおかない。このような次元の音楽を生み出した人間の不思議な力にひれ伏したくなるばかりである。ここには技能や思惑など存在しない、ただ深くて巨大な音楽があるだけだ、といいたくなるような境地へと連れて行かれる。曲全体のクライマックスが第3楽章のアダージョに置かれている点も大きな特徴である。聴く行為を身も心もゆだねる行為に変換させる、比類なき美しさ。第3楽章の大空間を通り抜けた後、その人の音楽観は、たとえわずかでも、通り抜ける前とは確実に変わっているはずだ。
「名盤」と評されている録音は、全部が全部とはいわないまでも、作品の魅力を知らしめる上で、その使命をある程度まで果たしているものばかりである。私自身はカール・シューリヒト指揮、ウィーン・フィルの1963年盤で初めてブル8を聴き、その後、数年おきに「自分が求めているブル8はこれだ」という録音が変わっていった。そんなわけでCDもレコードも増える一方である。
2013年に入ってからは、オットー・クレンペラー指揮、ケルン放送響による1957年のライヴ盤を主に聴いている。これは知と情のバランスの面でも、アゴーギクやデュナーミクの面でも、格調の面でも、今の私を満たしてくれる演奏だ。昔からよく聴くのはヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、ベルリン・フィルの1949年盤、ルドルフ・ケンペ指揮、チューリヒ・トーンハレ管の1971年盤あたりである。ジョン・バルビローリ指揮、ハレ管による1970年の凄絶なライヴも、たまに無性に聴きたくなる。
これまで聴いてきた中で最も驚愕したブル8は、セルジウ・チェリビダッケ、ミュンヘン・フィルの1994年盤である。チェリビダッケ・ファンには有名な「リスボン・ライヴ」の音源だ。冒頭から強いオーラが漂い、あっという間に無限の宇宙とつながっているような雰囲気に包まれてしまう。「何かとんでもないことが起こっている」という状態で始まり、一寸の隙もなく、その状態のまま終わる、といってもいいすぎではない。私は先に「ここには技能や思惑など存在しない」と書いたが、チェリビダッケは気の遠くなるような神経を費やしてその全てを検証し、一音一音の意味を把握し、細部を徹底的に突き詰め、その成果を全体の中に還元させている。チェリビダッケも凄いが、その指揮についていくオーケストラも凄い。一回しか聴けないライヴとして、これを会場で堪能した人たちが羨ましくて仕方ない。
(阿部十三)
【関連サイト】
Anton Bruckner(www.abruckner.com)
ブルックナー:交響曲第8番(CD)
アントン・ブルックナー
[1824.9.4-1896.10.11]
交響曲第8番 ハ短調
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
オットー・クレンペラー指揮
ケルン放送交響楽団
録音:1957年6月7日(ライヴ)
セルジウ・チェリビダッケ指揮
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1994年4月23日(ライヴ)
[1824.9.4-1896.10.11]
交響曲第8番 ハ短調
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
オットー・クレンペラー指揮
ケルン放送交響楽団
録音:1957年6月7日(ライヴ)
セルジウ・チェリビダッケ指揮
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1994年4月23日(ライヴ)
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