音楽 CLASSIC

ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」

2014.03.28
絵画的描写ではなく感情の表出

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 ベートーヴェンの交響曲の中で最も有名な作品のひとつである第6番は、1808年に書き上げられた。作曲時期は第5番とほぼ同じだが、第5番の大部分の作曲は1807年に行われ、第6番の方は1808年の初春〜夏にかけて集中的に書かれたとみられている。
 構想自体はそれ以前から抱いていたようで、1803年から1804年にかけて使用していた「ランツベルク6」と呼ばれるスケッチ帳、1807年に使用していた「ハ短調ミサ曲スケッチ帳」には主題のアイディアが断片的に書き込まれている。初演は、第5番と共に1808年12月22日にアン・デア・ヴィーン劇場で行われた。

 第5番の通称「運命」はベートーヴェンが付けたものではないが、「田園」は彼自身が命名したものである。全5楽章で、それぞれの楽章には「田舎に到着したときの愉快な感情の目ざめ」(第1楽章)、「小川のほとりの情景」(第2楽章)、「田舎の人々の楽しい集い」(第3楽章)、「雷雨、嵐」(第4楽章)、「牧歌。嵐の後の喜びと感謝」(第5楽章)という標題が添えられている。ただし、ベートーヴェンはこれを単なる描写音楽として受け取られることを警戒し、「絵画的描写ではなく感情の表出」であるとことわっている。スケッチ帳にも「性格交響曲あるいは田舎での生活の思い出」と記されている。自然を模倣しただけの音楽ではないのだ。

 一般的に、「運命」は聴き手に緊張を強いる情熱的な音楽とされ、「田園」は平和的な憩いをもたらす穏やかな音楽とされている。ベートーヴェンは性格の異なる2つの作品をほぼ同時期に仕上げることで、精神的にバランスをとっていたのではないか、という見方をする人も少なくない。
 が、両者には見逃せない共通点もある。第1楽章で同じ主題を執拗に繰り返す手法、伝統にとらわれない革新的な様式などである。また私見では、「運命」よりもむしろ「田園」を聴く時の方が、緊張感や集中力の持続を強いられることが多い。「運命」は音楽に身を委ねていればフィナーレに向かって突き進んでいく。よほど酷い演奏でなければ一気に聴き通せる。「田園」は演奏次第で音楽が驚くほどだれてしまい、聴いていて疲労することがままある。

 「田園」の難所は第2楽章にあると思う。ここは小川のせせらぎ、ナイチンゲールやカッコウの鳴き声など描写的要素の濃い楽章である。これをベルリオーズは「瞑想のひととき」と表現し、「なんと麗しい音楽だろう」と称賛したが、楽譜は完璧でも、オーケストラが完璧に演奏するのは難しい。どうしても細部が合わなかったり、急ぎすぎたり、もたついたりする。そうすると瞑想が破られてしまう。かといって、きっちり演奏されても堅苦しくなるし、あまり凝ったことをされても白けてしまう。これを巧みにさばき、「瞑想のひととき」に昇華するには、指揮者にもオーケストラにも相当の力量がなければならない。うまく演奏されれば天国、下手に演奏されれば苦痛である。

 1808年12月22日の演奏会で「運命」や「合唱幻想曲」と一緒に披露された時は、練習が不十分であったこと、オーケストラの団員がベートーヴェンの作品に理解を示さなかったこと、プログラムが長大すぎたこと、聴衆に偏見があったことにより失敗に終わった。これが伝記上の記述である。しかし、「田園」に関していえば、作品の理想的な表現が難しい、という点も影響していたのではないかと思われる。

 クラシックを聴きはじめた当初、私は「田園」を聴いて心満たされることがなく、自分には合わない音楽なのだろうと諦めていた。それが変わったのは、学生時代に友人が持っていたCDを聴いてからである。エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮、レニングラード・フィルによる1982年10月のライヴだ。
 この演奏に接した時は、目がさめるような思いを味わったものである。ひと言でいえば、清冽な「田園」。身も心も清めるような音楽がここにある。ただし、マイクの位置のせいか、木管の音が前に出過ぎていて、録音状態にはかなり不満が残る。ムラヴィンスキーでいえば、1979年5月の来日ライヴ音源も素晴らしい演奏内容。こちらの録音状態も良くないが、聴けないよりは聴ける方が良いだろう。

 ブルーノ・ワルター指揮、コロンビア響による1958年録音の「田園」は、至高の演奏として今なお崇拝されている。私がこれを聴くたびに感心するのは、神聖不可侵の演奏だからとか、人間味あふれる演奏だからとか、そういう理由ではなく、ワルターの創意あふれるフレージングやアーティキュレーションゆえである。大胆ともいえるような匠の技でオケの弱さをほぼ完全に補っている。第2楽章も低弦の歌わせ方が非常に魅力的で、全く飽きさせない。

 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、ベルリン・フィルによる1954年5月のライヴ音源は、遅めのテンポをとり、緊張を途切らせることなく、美しい旋律をはわせるようにして、徐々に渦を形成してゆく。そして第5楽章、激しく波打つ旋律が聴き手を感動へと誘う。「運命」と同じ文脈でとらえることが出来る「田園」ともいえそうだ。フルトヴェングラーの数種類ある「田園」はいずれもファンに高く評価されているが、えもいわれぬ深みをたたえたこの晩年の演奏が私の好みである。

 悠揚迫らぬ美の世界を表出したカール・ベーム指揮、ウィーン・フィルの録音(1971年)、端正でありながら歌心がこぼれてくるジョージ・セル指揮、クリーヴランド管の録音(1962年)、第1楽章の150小節からのクレッシェンドの高揚感と第2楽章のファゴットの素朴な音色が忘れ難いエルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管の録音(1959年)、第2楽章で「瞑想のひととき」を味わわせてくれるウィレム・ファン・オッテルロー指揮、ウィーン響の録音(1953年)も、「田園」ファンにはおなじみの名演である。

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 だいぶ前のことだが、ウィーンに行った時、郊外のハイリゲンシュタットまで足をのばしてみた。そして、「ベートーヴェンの散歩道」を歩きながら、スコアを読み、頭の中に「田園」の旋律を流していた。運良く、周囲には誰一人いなかった。今思えば幸せな時間だった。
 その時の思い出をよみがえらせてくれるのは、ラファエル・クーベリック指揮、バイエルン放送響によるライヴ音源である。これは2005年にリリースされ、一部で話題になったが、知る人ぞ知る演奏にしておくのはもったいない。みずみずしさ、清らかさ、生気をたっぷり感じさせる珠玉の「田園」である。クーベリックの指揮もこれみよがしにオケを煽ることなく、喜怒哀楽の深みにはまるわけでもなく、何も特別なことはしていないようで、オケから鮮やかな歌を紡ぎ出し、豊潤な響きで聴き手を満たす。音質も良好である。
(阿部十三)


【関連サイト】
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」(CD)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
[1770.12.17-1827.3.26]
交響曲第6番 ヘ長調 作品68「田園」

【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団
録音:1958年1月

ラファエル・クーベリック指揮
バイエルン放送交響楽団
録音:1967年2月1日(ライヴ)

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