J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲
2014.05.21
チェロの聖典
チェロの聖典といわれるJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲は、ケーテンの宮廷楽長として活躍していた1720年頃に完成したとみられている。つまり、無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータが書かれたのとほぼ同時期である。自筆譜は今日に至るまで見つかっていない。
「1720年頃の作曲説」は、無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータの自筆浄書譜に「通奏低音のないヴァイオリンのための6つの独奏曲 第1巻 ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲 1720年」の記載があること、妻アンナ・マグダレーナ・バッハが遺した写譜に「通奏低音のないヴァイオリン独奏曲」を「第1部」、「通奏低音のないチェロ独奏曲」を「第2部」とする記載があることなどを総合して得られた推論である。
ケーテン時代、バッハは数々の傑作を書いているが、その創造力の高まりから「無伴奏」の革新的な大作を生み出そうという意欲が生まれたのだろう。何のために書かれたのか、誰のために書かれたのかは分かっていないが、ケーテン宮廷楽団のクリスティアン・フェルディナンド・アーベルのために書かれたとする説がある。いずれにせよ、バッハはこの組曲を書くことで、「縁の下の力持ち」だったチェロという楽器に独立性と可能性を与えた。同時に、多くのチェリストの資質を問う試金石を発明したのである。
無伴奏チェロ組曲は第1番から第6番まである。第1番はト長調、第2番はニ短調、第3番はハ長調、第4番は変ホ長調、第5番はハ短調、第6番はニ長調。各作品はプレリュードではじまり、アルマンド〜クーラント〜サラバンドの順に進む。そして間奏舞曲が挿入される。第1番と第2番は2つのメヌエット、第3番と第4番は2つのブーレ、第5番と第6番は2つのガヴォットである。その後、ジーグによって締め括られる。こうしてみても分かるように、6つの作品は堅固な構成を持っているが、バッハはその中に玄妙なポリフォニーを織り込み、チェロを最大限歌わせている。
全曲中、最も有名なのは第1番の「プレリュード」だ。16分音符の音型が印象的な名曲だが、これは全体の一部にすぎない。組曲として演奏される機会が多いのは第3番だが、これも全体の6分の1である。6つの組曲を演奏しながら強い磁力を保つには、相当の表現力と技術を要する。親しみやすい第1番、内省的な第2番、暗色で劇的な第5番だけでも、求められるアプローチは異なるのだ。曲の変化に応じてニュアンスを深く汲むところは汲み、流れをもたせるところは流し、語りかけ、歌い、舞い、呼吸し、内省する、その表現の加減が大事である。ひたすら自分の解釈の鋭さや技術力の高さを誇示するかのように弾いたり、濃密な音色で塗りたくるように弾いたりしても、よほどの愛好家でなければ途中で食傷する。私見では、第4番のプレリュードを弾く時、バッハと向き合う奏者の姿勢やセンスが分かりやすい形で露呈するのではないかと思う。
無伴奏チェロ組曲を普及させる上で大きな役割を果たしたのは、スペイン出身のチェリスト、パブロ・カザルスである。彼が14歳の時にバルセロナの古本屋で楽譜を発見し、20世紀に入ってからその芸術的価値を世に認めさせたことが、今日の作品評価につながっている。
カザルスが遺した全曲録音は、今なお最高峰の演奏とされ、一種の道標のような存在となっている。質実さ、雄渾さといった男性的な面だけでなく、自由な表現の精神や創意も感じさせるチェロで、聴き手がどう感じるかを意識せず、一からバッハの音楽に生命を吹き込むことだけに集中しているかのようだ。
無伴奏チェロ組曲には魅力的な録音が多く、あとは個人の好き嫌いで愛聴盤になるかならないかの問題になる。カザルスよりも誰某の方が好きだという人がいても、何の不思議もない。この作品に関しては、唯一絶対の録音といいきれるものは存在しない。裏を返せば、それほどまでにバッハの器は大きいのである。
私はその時の気分に合わせて何を聴くか選んでいる。流麗さやのびやかさが欲しい時はモーリス・ジャンドロンの演奏(1964年録音)を聴くし、エンリコ・マイナルディの演奏(1954年〜1955年録音)やピエール・フルニエの演奏(1959年ライヴ)に時間を忘れて浸りたくなることもある。巧まざるバランス感覚が欲しい時はポール・トルトゥリエの演奏(1982年録音)を聴く。気分が高揚している時はアンドレ・ナヴァラの演奏(1977年録音)を聴きたくなるし、自由な語り口にふれたい時はダニール・シャフランの演奏(1969年〜1974年録音)を聴く。ヤーノシュ・シュタルケルの演奏(1963年〜1965年録音)は、完璧な技術を持ちながら音色にもフレージングにも嗜みがあり、濃密になりすぎたり色気を出しすぎたりしないように統御されている。これはかなり好みの演奏である。極端に変わった山あり谷ありの個性的表現に満ちているジャン=マックス・クレマンの演奏(1958年録音)もたまに聴きたくなる。ただ、聴く回数が圧倒的に多いのはカザルス、シュタルケル、トルトゥリエの3種類で、これらの録音があればさほど不足を感じない。
【関連サイト】
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲(CD)
チェロの聖典といわれるJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲は、ケーテンの宮廷楽長として活躍していた1720年頃に完成したとみられている。つまり、無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータが書かれたのとほぼ同時期である。自筆譜は今日に至るまで見つかっていない。
「1720年頃の作曲説」は、無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータの自筆浄書譜に「通奏低音のないヴァイオリンのための6つの独奏曲 第1巻 ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲 1720年」の記載があること、妻アンナ・マグダレーナ・バッハが遺した写譜に「通奏低音のないヴァイオリン独奏曲」を「第1部」、「通奏低音のないチェロ独奏曲」を「第2部」とする記載があることなどを総合して得られた推論である。
ケーテン時代、バッハは数々の傑作を書いているが、その創造力の高まりから「無伴奏」の革新的な大作を生み出そうという意欲が生まれたのだろう。何のために書かれたのか、誰のために書かれたのかは分かっていないが、ケーテン宮廷楽団のクリスティアン・フェルディナンド・アーベルのために書かれたとする説がある。いずれにせよ、バッハはこの組曲を書くことで、「縁の下の力持ち」だったチェロという楽器に独立性と可能性を与えた。同時に、多くのチェリストの資質を問う試金石を発明したのである。
無伴奏チェロ組曲は第1番から第6番まである。第1番はト長調、第2番はニ短調、第3番はハ長調、第4番は変ホ長調、第5番はハ短調、第6番はニ長調。各作品はプレリュードではじまり、アルマンド〜クーラント〜サラバンドの順に進む。そして間奏舞曲が挿入される。第1番と第2番は2つのメヌエット、第3番と第4番は2つのブーレ、第5番と第6番は2つのガヴォットである。その後、ジーグによって締め括られる。こうしてみても分かるように、6つの作品は堅固な構成を持っているが、バッハはその中に玄妙なポリフォニーを織り込み、チェロを最大限歌わせている。
全曲中、最も有名なのは第1番の「プレリュード」だ。16分音符の音型が印象的な名曲だが、これは全体の一部にすぎない。組曲として演奏される機会が多いのは第3番だが、これも全体の6分の1である。6つの組曲を演奏しながら強い磁力を保つには、相当の表現力と技術を要する。親しみやすい第1番、内省的な第2番、暗色で劇的な第5番だけでも、求められるアプローチは異なるのだ。曲の変化に応じてニュアンスを深く汲むところは汲み、流れをもたせるところは流し、語りかけ、歌い、舞い、呼吸し、内省する、その表現の加減が大事である。ひたすら自分の解釈の鋭さや技術力の高さを誇示するかのように弾いたり、濃密な音色で塗りたくるように弾いたりしても、よほどの愛好家でなければ途中で食傷する。私見では、第4番のプレリュードを弾く時、バッハと向き合う奏者の姿勢やセンスが分かりやすい形で露呈するのではないかと思う。
無伴奏チェロ組曲を普及させる上で大きな役割を果たしたのは、スペイン出身のチェリスト、パブロ・カザルスである。彼が14歳の時にバルセロナの古本屋で楽譜を発見し、20世紀に入ってからその芸術的価値を世に認めさせたことが、今日の作品評価につながっている。
カザルスが遺した全曲録音は、今なお最高峰の演奏とされ、一種の道標のような存在となっている。質実さ、雄渾さといった男性的な面だけでなく、自由な表現の精神や創意も感じさせるチェロで、聴き手がどう感じるかを意識せず、一からバッハの音楽に生命を吹き込むことだけに集中しているかのようだ。
無伴奏チェロ組曲には魅力的な録音が多く、あとは個人の好き嫌いで愛聴盤になるかならないかの問題になる。カザルスよりも誰某の方が好きだという人がいても、何の不思議もない。この作品に関しては、唯一絶対の録音といいきれるものは存在しない。裏を返せば、それほどまでにバッハの器は大きいのである。
私はその時の気分に合わせて何を聴くか選んでいる。流麗さやのびやかさが欲しい時はモーリス・ジャンドロンの演奏(1964年録音)を聴くし、エンリコ・マイナルディの演奏(1954年〜1955年録音)やピエール・フルニエの演奏(1959年ライヴ)に時間を忘れて浸りたくなることもある。巧まざるバランス感覚が欲しい時はポール・トルトゥリエの演奏(1982年録音)を聴く。気分が高揚している時はアンドレ・ナヴァラの演奏(1977年録音)を聴きたくなるし、自由な語り口にふれたい時はダニール・シャフランの演奏(1969年〜1974年録音)を聴く。ヤーノシュ・シュタルケルの演奏(1963年〜1965年録音)は、完璧な技術を持ちながら音色にもフレージングにも嗜みがあり、濃密になりすぎたり色気を出しすぎたりしないように統御されている。これはかなり好みの演奏である。極端に変わった山あり谷ありの個性的表現に満ちているジャン=マックス・クレマンの演奏(1958年録音)もたまに聴きたくなる。ただ、聴く回数が圧倒的に多いのはカザルス、シュタルケル、トルトゥリエの3種類で、これらの録音があればさほど不足を感じない。
(阿部十三)
【関連サイト】
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲(CD)
ヨハン・セバスチャン・バッハ
[1685.3.31-1750.7.28]
無伴奏チェロ組曲 BWV.1007〜BWV.1012
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
パブロ・カザルス(vc)
録音:1936年〜1939年
ヤーノシュ・シュタルケル(vc)
録音:1963〜65年
ポール・トルトゥリエ(vc)
録音:1982年
[1685.3.31-1750.7.28]
無伴奏チェロ組曲 BWV.1007〜BWV.1012
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
パブロ・カザルス(vc)
録音:1936年〜1939年
ヤーノシュ・シュタルケル(vc)
録音:1963〜65年
ポール・トルトゥリエ(vc)
録音:1982年
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