ルクー ヴァイオリン・ソナタ
2014.06.27
陶酔の様式
ワンフレーズだけで聴き手を陶酔させる音楽がある。ギョーム・ルクーのヴァイオリン・ソナタはその最たる例で、冒頭の旋律が流れると心がとけそうになる。ゆるやかに下降して上昇するこのフレーズだけでルクーは音楽史に名を残したといっても過言ではない。それほどまでに美しい。
ギョーム・ルクーは24歳の若さで亡くなったベルギー出身の作曲家。1870年1月20日に生まれ、フランスのポワティエで教育を受け、15歳で作曲を始めた。1888年にパリに出てセザール・フランクに師事、1890年にフランクが亡くなった後はヴァンサン・ダンディに師事する。1891年にはローマ賞に応募し、カンタータ『アンドロメダ』で2位を獲得したが、この結果に納得せず受賞を辞退した。
『アンドロメダ』を聴いて感銘を受けたのが同国の大ヴァイオリニスト、ウジェーヌ・イザイで、彼はまだ無名に等しい青年に作曲を委嘱。ルクーはその期待に応え、1892年にヴァイオリン・ソナタを完成させる。その後、『アンジュー地方の民謡による幻想曲』などを手がけたが、1894年1月21日に腸チフスにより急逝した。チェロ・ソナタやピアノ四重奏曲はダンディによって補筆出版されている。
「私は自分の音楽の中に己の魂のすべてを投入すべく苦心した」とルクー自身も述べているように、彼は大変な情熱家で、フランクのように献身的な性質を持ち、全身全霊を傾けて音楽にのめり込んだ。とくに偏愛したのは後期ベートーヴェンとワーグナーで、その作品を研究し、多大な影響を受けたようである。1889年にバイロイト詣でをし、『トリスタンとイゾルデ』を観て興奮のあまり気絶、担架で運ばれたというエピソードも有名だ。
ルクーの作品には円熟味がないと評する人もいるが、ヴァイオリン・ソナタを聴いた上でそういう感想が出てくるとすれば、それは偏見におかされているといわざるを得ない。モーツァルトやシューベルトが22歳の時に書いた作品を円熟していないと批判するのと同じである。このヴァイオリン・ソナタはあくまでも完成された芸術であり、天才にとって年齢が無意味であることを示す証である。
第1楽章はソナタ形式。陶酔的な序奏が作品の雰囲気を決定する。ヴァイオリンに負けないくらいピアノの活躍が目立ち、お互いに情熱の高まりを見せながら、長い展開部を経て再現部にいたる。序奏の旋律が要所に織り込まれ、全体の均整もとれている。
第2楽章は三部形式。「ごく穏やかに」という指示で、八分の七拍子で始まるが、曲が進むにつれてリズムが複雑に変化する。翳りのある民謡風のメロディーが美しく、静かに不安定に揺れながらも、調和が崩れることはない。瞑想的な雰囲気もある。
「極めて活発に」と指示された第3楽章はソナタ形式で、情熱的な主題を提示する。緊張と弛緩を繰り返した後、第1楽章の序奏部が現れ、一時的に美の中で逡巡するが、再びエネルギーを取り戻し、ヴァイオリンが高らかに歌い出す。そしてピアノと共に劇的なコーダを形成する。
フランクの循環形式を採り入れた構成で、なおかつワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の雰囲気をまるごと持ち込んだような陶酔感、恍惚感が強い印象を残す。ヴァイオリンとピアノの双方を存分に活躍させ、伝統的な形式を持ちながらも古さを微塵も感じさせない。冒頭の一小節をとってみても、「ヴァイオリンはこのように歌うのが最も美しいのだ」という信念が伝わってくるかのようだ。多くの名ヴァイオリニストたちがレパートリーに加えていたのも納得である。
ベルギーで活動していたヴァイオリニスト、アンリ・コックが弾いた1932年の録音は、外面的な派手さはないが、楚々とした美しさを持つ高潔な演奏で、音質の古さが気になるよりも先に、邪気のない音色、作為のない歌心に引き込まれる。語りかけるように顫動する第2楽章のヴァイオリンの美しさは特に忘れがたい。
同じくベルギー出身のアルテュール・グリュミオーの2種類の録音(1955年、1973年)も良い。どちらも気品のある歌い回しで魅力的だが、私は1973年の演奏の方に親しんでいる。1965年に録音されたクリスチャン・フェラスの演奏は非常に耽美的で、第1楽章冒頭はまるで天使の溜息のような美しさ。フェラスと同等の存在感を示すピエール・バルビゼの卓越した伴奏も聴きどころだ。1981年に日本で録音されたローラ・ボベスコの演奏も大事な遺産のひとつ。ジャック・ジャンティのピアノがやや出過ぎている部分もあるが、ボベスコのヴァイオリンは音楽と一体化して無限に上昇するかのよう。彼女がこの作品を愛していたことがよく分かる。
【関連サイト】
ルクー:ヴァイオリン・ソナタ(CD)
ワンフレーズだけで聴き手を陶酔させる音楽がある。ギョーム・ルクーのヴァイオリン・ソナタはその最たる例で、冒頭の旋律が流れると心がとけそうになる。ゆるやかに下降して上昇するこのフレーズだけでルクーは音楽史に名を残したといっても過言ではない。それほどまでに美しい。
ギョーム・ルクーは24歳の若さで亡くなったベルギー出身の作曲家。1870年1月20日に生まれ、フランスのポワティエで教育を受け、15歳で作曲を始めた。1888年にパリに出てセザール・フランクに師事、1890年にフランクが亡くなった後はヴァンサン・ダンディに師事する。1891年にはローマ賞に応募し、カンタータ『アンドロメダ』で2位を獲得したが、この結果に納得せず受賞を辞退した。
『アンドロメダ』を聴いて感銘を受けたのが同国の大ヴァイオリニスト、ウジェーヌ・イザイで、彼はまだ無名に等しい青年に作曲を委嘱。ルクーはその期待に応え、1892年にヴァイオリン・ソナタを完成させる。その後、『アンジュー地方の民謡による幻想曲』などを手がけたが、1894年1月21日に腸チフスにより急逝した。チェロ・ソナタやピアノ四重奏曲はダンディによって補筆出版されている。
「私は自分の音楽の中に己の魂のすべてを投入すべく苦心した」とルクー自身も述べているように、彼は大変な情熱家で、フランクのように献身的な性質を持ち、全身全霊を傾けて音楽にのめり込んだ。とくに偏愛したのは後期ベートーヴェンとワーグナーで、その作品を研究し、多大な影響を受けたようである。1889年にバイロイト詣でをし、『トリスタンとイゾルデ』を観て興奮のあまり気絶、担架で運ばれたというエピソードも有名だ。
ルクーの作品には円熟味がないと評する人もいるが、ヴァイオリン・ソナタを聴いた上でそういう感想が出てくるとすれば、それは偏見におかされているといわざるを得ない。モーツァルトやシューベルトが22歳の時に書いた作品を円熟していないと批判するのと同じである。このヴァイオリン・ソナタはあくまでも完成された芸術であり、天才にとって年齢が無意味であることを示す証である。
第1楽章はソナタ形式。陶酔的な序奏が作品の雰囲気を決定する。ヴァイオリンに負けないくらいピアノの活躍が目立ち、お互いに情熱の高まりを見せながら、長い展開部を経て再現部にいたる。序奏の旋律が要所に織り込まれ、全体の均整もとれている。
第2楽章は三部形式。「ごく穏やかに」という指示で、八分の七拍子で始まるが、曲が進むにつれてリズムが複雑に変化する。翳りのある民謡風のメロディーが美しく、静かに不安定に揺れながらも、調和が崩れることはない。瞑想的な雰囲気もある。
「極めて活発に」と指示された第3楽章はソナタ形式で、情熱的な主題を提示する。緊張と弛緩を繰り返した後、第1楽章の序奏部が現れ、一時的に美の中で逡巡するが、再びエネルギーを取り戻し、ヴァイオリンが高らかに歌い出す。そしてピアノと共に劇的なコーダを形成する。
フランクの循環形式を採り入れた構成で、なおかつワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の雰囲気をまるごと持ち込んだような陶酔感、恍惚感が強い印象を残す。ヴァイオリンとピアノの双方を存分に活躍させ、伝統的な形式を持ちながらも古さを微塵も感じさせない。冒頭の一小節をとってみても、「ヴァイオリンはこのように歌うのが最も美しいのだ」という信念が伝わってくるかのようだ。多くの名ヴァイオリニストたちがレパートリーに加えていたのも納得である。
ベルギーで活動していたヴァイオリニスト、アンリ・コックが弾いた1932年の録音は、外面的な派手さはないが、楚々とした美しさを持つ高潔な演奏で、音質の古さが気になるよりも先に、邪気のない音色、作為のない歌心に引き込まれる。語りかけるように顫動する第2楽章のヴァイオリンの美しさは特に忘れがたい。
同じくベルギー出身のアルテュール・グリュミオーの2種類の録音(1955年、1973年)も良い。どちらも気品のある歌い回しで魅力的だが、私は1973年の演奏の方に親しんでいる。1965年に録音されたクリスチャン・フェラスの演奏は非常に耽美的で、第1楽章冒頭はまるで天使の溜息のような美しさ。フェラスと同等の存在感を示すピエール・バルビゼの卓越した伴奏も聴きどころだ。1981年に日本で録音されたローラ・ボベスコの演奏も大事な遺産のひとつ。ジャック・ジャンティのピアノがやや出過ぎている部分もあるが、ボベスコのヴァイオリンは音楽と一体化して無限に上昇するかのよう。彼女がこの作品を愛していたことがよく分かる。
(阿部十三)
ルクー:ヴァイオリン・ソナタ(CD)
ギョーム・ルクー
[1870.1.20-1894.1.21]
ヴァイオリン・ソナタ ト長調
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
アンリ・コック(vn)
シャルル・ヴァン・ランケル(p)
録音:1932年
アルテュール・グリュミオー(vn)
ディノラ・ヴァルシ(p)
録音:1973年12月
[1870.1.20-1894.1.21]
ヴァイオリン・ソナタ ト長調
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
アンリ・コック(vn)
シャルル・ヴァン・ランケル(p)
録音:1932年
アルテュール・グリュミオー(vn)
ディノラ・ヴァルシ(p)
録音:1973年12月
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