シューマン ピアノ協奏曲
2015.05.02
天才の自信と閃き
ロベルト・シューマンのピアノ協奏曲は、1841年に書かれた「ピアノと管弦楽のための幻想曲」に手を加え、2つの楽章を追加したものである。完成したのは1845年のこと。初演日は1846年1月1日、独奏は妻のクララ・シューマンが務めた。
管弦楽の扱いに関しては、ピアノ曲や歌曲にみられる精度が足りないと言われることが多いシューマンだが、すでに交響曲第1番「春」やオラトリオ『楽園とペリ』を書いた後だけあって、その筆運びは自信に満ちており、天才の閃きにも溢れている。ピアノの独奏は、相当の技術を要するが、名人芸本位ではなく、あくまでもロマンティックな情感を重んじたもので、詩人の魂に迫る表現力が要求される。どれだけ技術が達者で綺麗に音が鳴っていても、柔軟な感性から押し出されてくる大胆さと内省的で繊細なタッチなしには理想的な演奏は成立しない。むろん、同じようなことは聴き手に対しても言える。集中力と感性を傾けて聴くことなしに、作曲者や演奏者を評価するのは暴挙である。これはシューマンの協奏曲に限った話ではないが、この作品を聴くとそういうことを痛感させられる。
思えば中学・高校を通じて、私はこの協奏曲の世界に精神的に依存していたような気がする。単に好きだったというより、感覚的に一体化できる音楽として手放せなかったのだ。高い人気を誇る作品なので、映画やドラマで使われることもあり、個人的には『マダム・スザーツカ』や『僕のピアノコンチェルト』の演奏シーンが印象に残っている。周知の通り、『ウルトラセブン』の最終回で使われた音楽でもある。
第1楽章はアレグロ・アフェットゥオーソ。トゥッティで始まり、オーボエが翳りのある第1主題を奏でる。それをピアノが繰り返した後、空気が沈潜し、暗く情熱的なパッセージに入る。そして徐々に盛り上がりを見せ、ピアノがマルカートで起伏を作り、オーケストラのトゥッティを導く。ここまでの僅か40小節余りで完全に聴き手を作品世界に引き込む。展開部の美しさも特筆もので、156小節からピアノと低弦が醸し出すアンダンテ・エスプレッシーヴォの幻想的な雰囲気に酔い心地にさせられる。ピアノのカデンツァから華々しい結尾に至る流れも素晴らしい。
第2楽章はアンダンテ・グラツィオーソ。3部形式の短い間奏曲で、穏やかな美しさを持ち、中間部でチェロが奏でるのびやかな旋律が奥行きを作っている。大胆な発想がこれ以上ないほどの必然に達しているのは第1楽章の第1主題が回想されるところで、これが効果的に繰り返された後、切れ目なしに第3楽章に突入する。
第3楽章はアレグロ・ヴィヴァーチェ。第1楽章の第1主題の楽想に基づく主題が高らかに歌われる。第2主題はそれまでの3拍子ではなく2拍子風に奏されるのが特徴で、この主題がピアノのアルペジオによって劇的な形でほぐされる。コーダの構成はドラマの締めくくりとしては完璧で、雰囲気を切り替えるピアノの旋律が絶妙なタイミングで入り、勢いをつけてから、流れるように圧巻のクライマックスを築く。この構成は、多くの後進たちに影響を与えたのではないかと推察される。
大半の名ピアニストがレパートリーにしているので、録音の数は非常に多く、名盤とされる音源も多い。その筆頭と言えるのはディヌ・リパッティの演奏で、音源は2種類あり、ヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮した1948年の録音、エルネスト・アンセルメが指揮した1950年のライヴ録音のどちらにもファンがついている。私が好んでいるのは内省的な後者だが、前者の方が(音質はともかく)明快さと勢いがあるので、人気があるのも頷ける。
リパッティのことを高く評価していたアルフレッド・コルトーの演奏は、唖然とするほど個性的。録音の種類はいくつかあるが、有名なのはランドン・ロナルドが指揮した1934年の録音と、フェレンツ・フリッチャイが指揮した1951年のライヴ録音である。最初に聴いた時は、第3楽章冒頭の解釈に思わず仰け反ったものだが、これはシューマンの世界を咀嚼した人ならではの炯眼と評するべきだろう。聴くほどに癖になる。サンソン・フランソワが1958年に録音したものも模倣不可能な演奏で、特にインスピレーションに突き動かされたような第3楽章のコーダが忘れがたい。今まさに音楽が生まれ、楽譜が書かれたばかりという印象を受ける。
クララ・ハスキルがウィレム・ファン・オッテルローと組んだ1951年の録音は詩情あふれる名演奏で、力み返ることなくふわっと飛翔している感じがする。第1楽章の展開部など、聴き手を瞬時に陶酔の中へ誘うポエジーに溢れている。オッテルローのサポートも良い。タイプは異なるが、ルドルフ・ゼルキンが録音した1964年の演奏も美しい。音色の表情の付け方が実に細やかで、力強さもある。ゼルキンに対する固定イメージから、堅いという風に評する人がいるが、理解に苦しむ。少なくとも第1楽章の演奏でこれに比肩するのはハスキルの録音くらいだ。
アルトゥール・シュナーベルによる1943年のライヴは、端正ながら音色にこの人独特の品があり、第2楽章では何色にも染まらないピュアなピアノの音が楚々たる花を咲かせている。ピエール・モントゥーのサポートも理想的だ。シュナーベルの弟子レオン・フライシャーがジョージ・セルと組んだ1960年の録音は、快速テンポで、技術の冴えに耳がいく。全体的に端正な仕上がりだが、第1楽章のカデンツァ以降には濃厚な情熱が詰まっていて、ここは何度聴いてもゾクゾクさせられる。ゆったりとした第2楽章の美しさも師譲りと言える。20世紀半ばの録音が多くなったが、21世紀に入ってからも、エレーナ・グリモーによる2005年の録音など、名演奏が生まれていることを付言しておく。
【関連サイト】
Robert Schumann
ロベルト・シューマンのピアノ協奏曲は、1841年に書かれた「ピアノと管弦楽のための幻想曲」に手を加え、2つの楽章を追加したものである。完成したのは1845年のこと。初演日は1846年1月1日、独奏は妻のクララ・シューマンが務めた。
管弦楽の扱いに関しては、ピアノ曲や歌曲にみられる精度が足りないと言われることが多いシューマンだが、すでに交響曲第1番「春」やオラトリオ『楽園とペリ』を書いた後だけあって、その筆運びは自信に満ちており、天才の閃きにも溢れている。ピアノの独奏は、相当の技術を要するが、名人芸本位ではなく、あくまでもロマンティックな情感を重んじたもので、詩人の魂に迫る表現力が要求される。どれだけ技術が達者で綺麗に音が鳴っていても、柔軟な感性から押し出されてくる大胆さと内省的で繊細なタッチなしには理想的な演奏は成立しない。むろん、同じようなことは聴き手に対しても言える。集中力と感性を傾けて聴くことなしに、作曲者や演奏者を評価するのは暴挙である。これはシューマンの協奏曲に限った話ではないが、この作品を聴くとそういうことを痛感させられる。
思えば中学・高校を通じて、私はこの協奏曲の世界に精神的に依存していたような気がする。単に好きだったというより、感覚的に一体化できる音楽として手放せなかったのだ。高い人気を誇る作品なので、映画やドラマで使われることもあり、個人的には『マダム・スザーツカ』や『僕のピアノコンチェルト』の演奏シーンが印象に残っている。周知の通り、『ウルトラセブン』の最終回で使われた音楽でもある。
第1楽章はアレグロ・アフェットゥオーソ。トゥッティで始まり、オーボエが翳りのある第1主題を奏でる。それをピアノが繰り返した後、空気が沈潜し、暗く情熱的なパッセージに入る。そして徐々に盛り上がりを見せ、ピアノがマルカートで起伏を作り、オーケストラのトゥッティを導く。ここまでの僅か40小節余りで完全に聴き手を作品世界に引き込む。展開部の美しさも特筆もので、156小節からピアノと低弦が醸し出すアンダンテ・エスプレッシーヴォの幻想的な雰囲気に酔い心地にさせられる。ピアノのカデンツァから華々しい結尾に至る流れも素晴らしい。
第2楽章はアンダンテ・グラツィオーソ。3部形式の短い間奏曲で、穏やかな美しさを持ち、中間部でチェロが奏でるのびやかな旋律が奥行きを作っている。大胆な発想がこれ以上ないほどの必然に達しているのは第1楽章の第1主題が回想されるところで、これが効果的に繰り返された後、切れ目なしに第3楽章に突入する。
第3楽章はアレグロ・ヴィヴァーチェ。第1楽章の第1主題の楽想に基づく主題が高らかに歌われる。第2主題はそれまでの3拍子ではなく2拍子風に奏されるのが特徴で、この主題がピアノのアルペジオによって劇的な形でほぐされる。コーダの構成はドラマの締めくくりとしては完璧で、雰囲気を切り替えるピアノの旋律が絶妙なタイミングで入り、勢いをつけてから、流れるように圧巻のクライマックスを築く。この構成は、多くの後進たちに影響を与えたのではないかと推察される。
大半の名ピアニストがレパートリーにしているので、録音の数は非常に多く、名盤とされる音源も多い。その筆頭と言えるのはディヌ・リパッティの演奏で、音源は2種類あり、ヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮した1948年の録音、エルネスト・アンセルメが指揮した1950年のライヴ録音のどちらにもファンがついている。私が好んでいるのは内省的な後者だが、前者の方が(音質はともかく)明快さと勢いがあるので、人気があるのも頷ける。
リパッティのことを高く評価していたアルフレッド・コルトーの演奏は、唖然とするほど個性的。録音の種類はいくつかあるが、有名なのはランドン・ロナルドが指揮した1934年の録音と、フェレンツ・フリッチャイが指揮した1951年のライヴ録音である。最初に聴いた時は、第3楽章冒頭の解釈に思わず仰け反ったものだが、これはシューマンの世界を咀嚼した人ならではの炯眼と評するべきだろう。聴くほどに癖になる。サンソン・フランソワが1958年に録音したものも模倣不可能な演奏で、特にインスピレーションに突き動かされたような第3楽章のコーダが忘れがたい。今まさに音楽が生まれ、楽譜が書かれたばかりという印象を受ける。
クララ・ハスキルがウィレム・ファン・オッテルローと組んだ1951年の録音は詩情あふれる名演奏で、力み返ることなくふわっと飛翔している感じがする。第1楽章の展開部など、聴き手を瞬時に陶酔の中へ誘うポエジーに溢れている。オッテルローのサポートも良い。タイプは異なるが、ルドルフ・ゼルキンが録音した1964年の演奏も美しい。音色の表情の付け方が実に細やかで、力強さもある。ゼルキンに対する固定イメージから、堅いという風に評する人がいるが、理解に苦しむ。少なくとも第1楽章の演奏でこれに比肩するのはハスキルの録音くらいだ。
アルトゥール・シュナーベルによる1943年のライヴは、端正ながら音色にこの人独特の品があり、第2楽章では何色にも染まらないピュアなピアノの音が楚々たる花を咲かせている。ピエール・モントゥーのサポートも理想的だ。シュナーベルの弟子レオン・フライシャーがジョージ・セルと組んだ1960年の録音は、快速テンポで、技術の冴えに耳がいく。全体的に端正な仕上がりだが、第1楽章のカデンツァ以降には濃厚な情熱が詰まっていて、ここは何度聴いてもゾクゾクさせられる。ゆったりとした第2楽章の美しさも師譲りと言える。20世紀半ばの録音が多くなったが、21世紀に入ってからも、エレーナ・グリモーによる2005年の録音など、名演奏が生まれていることを付言しておく。
(阿部十三)
【関連サイト】
Robert Schumann
ロベルト・シューマン
[1810.6.8-1856.7.29]
ピアノ協奏曲 イ短調 作品54
【お薦めの録音】(掲載ジャケット:上から)
クララ・ハスキル(p)
ウィレム・ファン・オッテルロー指揮
ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1951年5月
ルドルフ・ゼルキン(p)
ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団
録音:1964年3月
[1810.6.8-1856.7.29]
ピアノ協奏曲 イ短調 作品54
【お薦めの録音】(掲載ジャケット:上から)
クララ・ハスキル(p)
ウィレム・ファン・オッテルロー指揮
ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1951年5月
ルドルフ・ゼルキン(p)
ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団
録音:1964年3月
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