ヴェルディ 歌劇『ナブッコ』
2016.05.12
絶望の淵で掘り当てた歌の泉
『ナブッコ』を書く前、20代半ばのジュゼッペ・ヴェルディは病気のために2人の子供と妻を失い、オペラ・ブッファ『一日だけの王様』の初演は失敗に終わり、作曲の筆を折ろうとしていた。そんなある日、スカラ座のバルトロメオ・メレッリから台本を渡される。しかしやる気が出ず、テーブルに台本を投げつける。と、ちょうど開かれたページに、次の詩句があるのが目にとまった。「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」ーーこの詩句に導かれるようにして作曲が始まった。
作曲にどれくらいの時間がかかったのか、はっきりとは分かっていない。確かなのは、「金色の翼」と呼ぶにふさわしい霊感の翼を得て、歌の泉を掘り当てたということである。どの部分を切り取っても名旋律があり、音楽の世界にすんなり入ってゆける、そんなオペラを完成させたのだ。最も有名なのは第三部の合唱「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」だが、第一部のアビガイッレ、フェネーナ、イズマエーレによる小三重唱も、第二部のザッカリーアの祈りも格別に美しい。1842年3月9日に行われた初演は文句なしの大成功を収め、この作曲家の名前は広く知られることになった。
ナブッコとはバビロニアの王ネブカドネザルのこと。主な登場人物はナブッコ、2人の娘アビガイッレとフェネーナ、エルサレム王の甥イズマエーレ、ヘブライの大祭司ザッカリーアである。
第一部、バビロニア軍がエルサレムに侵攻する。エルサレムではナブッコの娘フェネーナが人質としてとらわれている。といっても、ただの人質ではない。かつてエルサレム王の甥イズマエーレがバビロニアで投獄されたとき、フェネーナは彼に恋し、解放してやり、共にエルサレムに来たのである。そんな彼らの恋路を阻もうとするのがバビロニアの兵を率いるアビガイッレだ。彼女もまたイズマエーレに惹かれていた。しかし、その想いは報われそうにない。
間もなくバビロニアの王ナブッコが馬に乗ってやって来る。ここはヤハウェを祀るエルサレム神殿。その神殿を穢すナブッコの行為に憤慨したヘブライの大祭司ザッカリーアは、「貴様が神殿を穢す前に貴様の娘を殺す」と言い、フェネーナに短剣をつきつける。が、イズマエーレがその短剣を奪い、フェネーナを救う。これが裏切りとみなされ、イズマエーレはヘブライ人たちに非難される。娘を無事に取り戻したナブッコは、兵士たちに命じ、神殿を破壊させる。
第二部、アビガイッレが秘密の古文書をみつける。そこには、ナブッコの娘として育てられた彼女が、実は奴隷の娘であることが記されている。ナブッコが王位後継者として考えているのは、フェネーナである。アビガイッレには堪えられないことばかりだ。
フェネーナはというと、ナブッコが戦に出ている間、王冠を預かり、独断でヘブライ人に自由を与えている。そんなフェネーナに反感を抱くバビロニアの祭司長は、アビガイッレを支持することを表明。背中を押されたアビガイッレは、王位への野心を抱き、フェネーナに王冠を渡すよう迫る。と、そこへナブッコが帰還し、王冠を自らの頭にのせる。王の威厳を前に、手も足も出なくなるアビガイッレ。権勢に酔う王は「私は王ではない。神なのだ」と豪語する。その瞬間、雷鳴が轟き、ナブッコは錯乱状態に陥る。
第三部、王座にはアビガイッレがすわっている。彼女はフェネーナとヘブライ人たちを処刑するため、発狂したナブッコを騙して判決文に署名させる。署名した後、事の重大さに気付いたナブッコは怒り、アビガイッレのことを奴隷呼ばわりする。この展開を予期していたアビガイッレは、自分が奴隷の血をひくことを示す古文書を取り出して、ナブッコの前で引き裂く。一方、バビロニアの河畔では、とらわれの身にあるヘブライ人たちが祖国を思い、「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」を歌う。処刑の日はもうそこまで迫っている。
第四部、監禁されているナブッコが目を覚ます。窓から外を見ると、愛娘のフェネーナが刑場へとひかれている。正気を戻したナブッコは己の罪を悔やみ、神(ヤハウェ)に救いを求める。そこへ折よく忠臣たちがやってくる。彼らの協力を得たナブッコは、急いで刑場へと向かう。ナブッコはバビロニアの偶像を破壊するよう兵士たちに命じ、ヤハウェを讃える。まさかの急展開。野望が崩れ去ったことを知ったアビガイッレは、毒を呷り、許しを乞いながら息を引き取る。最後は、信仰に目覚めたナブッコに向かって、ザッカリーアが「王の中の王だ」と言い、幕が下りる。
話の展開が急だとか、アビガイッレの死に方が呆気ないとか、言いたいことはあるが、音楽はどこをとっても素晴らしい。アビガイッレの人物造型も魅力的だ。愛に恵まれず、王に尽くしても奴隷の血ゆえに報われず、さもしい野心に燃えるほかない彼女が第二部で歌う「ああ、宿命の古文書だわ」からのシェーナとアリアは、第三部の「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」と並ぶハイライトと言っても過言ではない。
『ナブッコ』の全曲録音で有名なのは、ランベルト・ガルデッリがウィーン国立歌劇場管を指揮したもの(1965年録音)、リッカルド・ムーティがフィルハーモニア管を指揮したもの(1977〜78年録音)、ジュゼッペ・シノーポリがベルリン・ドイツ・オペラ管を指揮したもの(1982年録音)だ。いずれも歌手陣はほぼ鉄壁で、不足を感じさせない。さらにもうひとつ、1986年12月にムーティがスカラ座で指揮したときの映像版も高い評価を得ている。勢い溢れるエネルギッシュな演奏で、初めて『ナブッコ』に接する人におすすめだ。
【関連サイト】
Giuseppe Verdi 『Nabucco』(CD)
『ナブッコ』を書く前、20代半ばのジュゼッペ・ヴェルディは病気のために2人の子供と妻を失い、オペラ・ブッファ『一日だけの王様』の初演は失敗に終わり、作曲の筆を折ろうとしていた。そんなある日、スカラ座のバルトロメオ・メレッリから台本を渡される。しかしやる気が出ず、テーブルに台本を投げつける。と、ちょうど開かれたページに、次の詩句があるのが目にとまった。「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」ーーこの詩句に導かれるようにして作曲が始まった。
作曲にどれくらいの時間がかかったのか、はっきりとは分かっていない。確かなのは、「金色の翼」と呼ぶにふさわしい霊感の翼を得て、歌の泉を掘り当てたということである。どの部分を切り取っても名旋律があり、音楽の世界にすんなり入ってゆける、そんなオペラを完成させたのだ。最も有名なのは第三部の合唱「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」だが、第一部のアビガイッレ、フェネーナ、イズマエーレによる小三重唱も、第二部のザッカリーアの祈りも格別に美しい。1842年3月9日に行われた初演は文句なしの大成功を収め、この作曲家の名前は広く知られることになった。
ナブッコとはバビロニアの王ネブカドネザルのこと。主な登場人物はナブッコ、2人の娘アビガイッレとフェネーナ、エルサレム王の甥イズマエーレ、ヘブライの大祭司ザッカリーアである。
第一部、バビロニア軍がエルサレムに侵攻する。エルサレムではナブッコの娘フェネーナが人質としてとらわれている。といっても、ただの人質ではない。かつてエルサレム王の甥イズマエーレがバビロニアで投獄されたとき、フェネーナは彼に恋し、解放してやり、共にエルサレムに来たのである。そんな彼らの恋路を阻もうとするのがバビロニアの兵を率いるアビガイッレだ。彼女もまたイズマエーレに惹かれていた。しかし、その想いは報われそうにない。
間もなくバビロニアの王ナブッコが馬に乗ってやって来る。ここはヤハウェを祀るエルサレム神殿。その神殿を穢すナブッコの行為に憤慨したヘブライの大祭司ザッカリーアは、「貴様が神殿を穢す前に貴様の娘を殺す」と言い、フェネーナに短剣をつきつける。が、イズマエーレがその短剣を奪い、フェネーナを救う。これが裏切りとみなされ、イズマエーレはヘブライ人たちに非難される。娘を無事に取り戻したナブッコは、兵士たちに命じ、神殿を破壊させる。
第二部、アビガイッレが秘密の古文書をみつける。そこには、ナブッコの娘として育てられた彼女が、実は奴隷の娘であることが記されている。ナブッコが王位後継者として考えているのは、フェネーナである。アビガイッレには堪えられないことばかりだ。
フェネーナはというと、ナブッコが戦に出ている間、王冠を預かり、独断でヘブライ人に自由を与えている。そんなフェネーナに反感を抱くバビロニアの祭司長は、アビガイッレを支持することを表明。背中を押されたアビガイッレは、王位への野心を抱き、フェネーナに王冠を渡すよう迫る。と、そこへナブッコが帰還し、王冠を自らの頭にのせる。王の威厳を前に、手も足も出なくなるアビガイッレ。権勢に酔う王は「私は王ではない。神なのだ」と豪語する。その瞬間、雷鳴が轟き、ナブッコは錯乱状態に陥る。
第三部、王座にはアビガイッレがすわっている。彼女はフェネーナとヘブライ人たちを処刑するため、発狂したナブッコを騙して判決文に署名させる。署名した後、事の重大さに気付いたナブッコは怒り、アビガイッレのことを奴隷呼ばわりする。この展開を予期していたアビガイッレは、自分が奴隷の血をひくことを示す古文書を取り出して、ナブッコの前で引き裂く。一方、バビロニアの河畔では、とらわれの身にあるヘブライ人たちが祖国を思い、「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」を歌う。処刑の日はもうそこまで迫っている。
第四部、監禁されているナブッコが目を覚ます。窓から外を見ると、愛娘のフェネーナが刑場へとひかれている。正気を戻したナブッコは己の罪を悔やみ、神(ヤハウェ)に救いを求める。そこへ折よく忠臣たちがやってくる。彼らの協力を得たナブッコは、急いで刑場へと向かう。ナブッコはバビロニアの偶像を破壊するよう兵士たちに命じ、ヤハウェを讃える。まさかの急展開。野望が崩れ去ったことを知ったアビガイッレは、毒を呷り、許しを乞いながら息を引き取る。最後は、信仰に目覚めたナブッコに向かって、ザッカリーアが「王の中の王だ」と言い、幕が下りる。
話の展開が急だとか、アビガイッレの死に方が呆気ないとか、言いたいことはあるが、音楽はどこをとっても素晴らしい。アビガイッレの人物造型も魅力的だ。愛に恵まれず、王に尽くしても奴隷の血ゆえに報われず、さもしい野心に燃えるほかない彼女が第二部で歌う「ああ、宿命の古文書だわ」からのシェーナとアリアは、第三部の「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」と並ぶハイライトと言っても過言ではない。
『ナブッコ』の全曲録音で有名なのは、ランベルト・ガルデッリがウィーン国立歌劇場管を指揮したもの(1965年録音)、リッカルド・ムーティがフィルハーモニア管を指揮したもの(1977〜78年録音)、ジュゼッペ・シノーポリがベルリン・ドイツ・オペラ管を指揮したもの(1982年録音)だ。いずれも歌手陣はほぼ鉄壁で、不足を感じさせない。さらにもうひとつ、1986年12月にムーティがスカラ座で指揮したときの映像版も高い評価を得ている。勢い溢れるエネルギッシュな演奏で、初めて『ナブッコ』に接する人におすすめだ。
(阿部十三)
【関連サイト】
Giuseppe Verdi 『Nabucco』(CD)
ジュゼッペ・ヴェルディ
[1813.10.10-1901.1.27]
歌劇『ナブッコ』
【お薦めのディスク】(掲載ジャケット:上から)
ピエロ・カプチッリ、ゲーナ・ディミトローヴァ、
エフゲニー・ネステレンコ、プラシド・ドミンゴ
ジュゼッペ・シノーポリ指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団・合唱団
録音:1982年5月
レナート・ブルゾン、ゲーナ・ディミトローヴァ、
パータ・ブルチュラーゼ、ブルーノ・ベッカーリア
リッカルド・ムーティ指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団
収録:1986年12月
[1813.10.10-1901.1.27]
歌劇『ナブッコ』
【お薦めのディスク】(掲載ジャケット:上から)
ピエロ・カプチッリ、ゲーナ・ディミトローヴァ、
エフゲニー・ネステレンコ、プラシド・ドミンゴ
ジュゼッペ・シノーポリ指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団・合唱団
録音:1982年5月
レナート・ブルゾン、ゲーナ・ディミトローヴァ、
パータ・ブルチュラーゼ、ブルーノ・ベッカーリア
リッカルド・ムーティ指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団
収録:1986年12月
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