ブルックナー 交響曲第9番
2016.06.26
燃えるような神秘
アントン・ブルックナーが交響曲第9番の作曲に着手したのは、第8番の第1稿を書き終えたすぐ後(1887年)のことである。本腰を入れて筆を進めたのは1889年からで、1894年11月30日に第3楽章のアダージョまで完成させた。ブルックナーは病気に悩まされながらも、終楽章の構想を練り、最後の力をふりしぼってこれを書き上げるつもりでいたが、その時間はもう残されていなかった。
第1楽章から第3楽章までの作曲に約5年かかったのは、同時期に過去の自作交響曲の改訂を行っていたからでもある。ブルックナーの改訂癖は有名だが、彼としては第9番を完成させる前に、過去の仕事をきちんと整理しておきたかったのかもしれない。それを済ませた上で、集中して最後の作品になるであろう交響曲に取り組もうとしていたのではないか。
この第9番はしばしばブルックナーの最高傑作と評されている。作曲者の思惑と異なり未完に終わったが、3つの楽章で十分音楽的に完成されているため、第3楽章の美しいアダージョの後に続く音楽はあり得ず、あったとしても蛇足になったのではないかと言う人もいる。何にしてもこの世に存在するのは完成された3つの楽章であり、第4楽章は存在しない。それでもわれわれ聴き手は満たされるのである。音楽と文学の違いはあるが、ドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』の第2部(続編)が実際に書かれていたらどうなっていたかという点について、小林秀雄が「完全な形式が、続編を拒絶している」と断言したことは、そのまま第9番にも当てはまるだろう。
第1楽章は「神秘的で荘重に」の言葉通り深いところから音楽が立ちのぼり、第1主題が炎のように広がって地平を覆う。終結部もブルックナーらしい覇気とスケール感に満ちている。第2楽章はブルックナーのスケルツォらしく勢いにあふれているが、トリスタン和音を用いた後、その不安定な響きを突き破るように野性味溢れるリズムを繰り出して雰囲気を一変させるところはショッキングだし、かと思えば、トリオの構成が絶妙でスケルツォときれいに調和しているし、発想と均衡の面で創作意欲の充実ぶりを感じさせる。第3楽章のアダージョは崇高でありながらも緊張感と高揚感に溢れている。アダージョといっても静かで枯れた感じではない。ヴァイオリンの32分音符の音型が強調されてからは、激情的な面が浮き上がってきて、金管の息の長い響きが幾重にも重なり、叫びのようなクライマックスを形成する。その叫びが終わると、平和な空気が流れ、第7番や第8番の主題が回想され、静かに終わる。
こうして書いていると、曲全体の構成に、創世から生の営み、そして死から神の世界へと続く道筋があるように思われそうだが、解釈はこれに限らないし、私自身いちいち「この楽章は何を意味しているのか」と考えたり、作曲者の死生観や宗教観を念頭に置きながら聴いているわけでもない。ただ、この9番が死を前にした老人にありがちな枯淡の境地から生まれたものではない、ということは言えそうである。神秘といっても、それは生命の炎に包まれた神秘である。
録音では、オイゲン・ヨッフム指揮、ミュンヘン・フィルによる演奏(1983年7月20日ライブ録音)が素晴らしく、第9番という大作にふさわしい音楽的密度を持っている。テンポも理想的だし、スケールも大きい。こういった音源はリリースを前提としたものではないと思うが、その点を考慮に入れても驚異であり、ヨッフムのブルックナーを当たり前のように生で聴くことのできた人たちへの羨望を禁じ得ない。
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、シュトゥットガルト放送響による演奏(1996年9月20日ライブ録音/別日の映像もある)も濃密で、じっくりと遅めのテンポで緊張感を保ちながら美しい演奏を繰り広げている。全く瑕がないと言ったら嘘になるが、ジュリーニならではの重量感、懐の深さ、誠実な歌心は、聴いていて癖になる。ウィーン・フィルとの演奏も良いけど、その唖然とするほどの粘り腰は好みの分かれるところ。私ならシュトゥットガルト放送響との演奏を選ぶ。
この半世紀以上の間、最も高く評価されてきたのは、カール・シューリヒト指揮、ウィーン・フィルの演奏(1961年11月録音)。第2楽章は「欠けたることもなし」と言いたくなるほどの完成度だ。アダージョは、密度の濃い演奏を聴き慣れた耳にはちょっと物足りないが、シューリヒトとしてはこの世に存在しない第4楽章につながるニュアンスをこめたのかもしれない。そもそも「ブルックナーの演奏=重量感たっぷり」でなければならないという決まりがあるわけでもないのだ。私自身はこの録音から第9番を聴きはじめ、後にカイルベルト、ヴァント、クーベリック、ヨッフム、ジュリーニの演奏に惹かれた。もしかすると、いつかまたシューリヒトに戻る日も来るかもしれない。
【関連サイト】
ANTON BRUCKNER Symphony No.9(CD)
アントン・ブルックナーが交響曲第9番の作曲に着手したのは、第8番の第1稿を書き終えたすぐ後(1887年)のことである。本腰を入れて筆を進めたのは1889年からで、1894年11月30日に第3楽章のアダージョまで完成させた。ブルックナーは病気に悩まされながらも、終楽章の構想を練り、最後の力をふりしぼってこれを書き上げるつもりでいたが、その時間はもう残されていなかった。
第1楽章から第3楽章までの作曲に約5年かかったのは、同時期に過去の自作交響曲の改訂を行っていたからでもある。ブルックナーの改訂癖は有名だが、彼としては第9番を完成させる前に、過去の仕事をきちんと整理しておきたかったのかもしれない。それを済ませた上で、集中して最後の作品になるであろう交響曲に取り組もうとしていたのではないか。
この第9番はしばしばブルックナーの最高傑作と評されている。作曲者の思惑と異なり未完に終わったが、3つの楽章で十分音楽的に完成されているため、第3楽章の美しいアダージョの後に続く音楽はあり得ず、あったとしても蛇足になったのではないかと言う人もいる。何にしてもこの世に存在するのは完成された3つの楽章であり、第4楽章は存在しない。それでもわれわれ聴き手は満たされるのである。音楽と文学の違いはあるが、ドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』の第2部(続編)が実際に書かれていたらどうなっていたかという点について、小林秀雄が「完全な形式が、続編を拒絶している」と断言したことは、そのまま第9番にも当てはまるだろう。
第1楽章は「神秘的で荘重に」の言葉通り深いところから音楽が立ちのぼり、第1主題が炎のように広がって地平を覆う。終結部もブルックナーらしい覇気とスケール感に満ちている。第2楽章はブルックナーのスケルツォらしく勢いにあふれているが、トリスタン和音を用いた後、その不安定な響きを突き破るように野性味溢れるリズムを繰り出して雰囲気を一変させるところはショッキングだし、かと思えば、トリオの構成が絶妙でスケルツォときれいに調和しているし、発想と均衡の面で創作意欲の充実ぶりを感じさせる。第3楽章のアダージョは崇高でありながらも緊張感と高揚感に溢れている。アダージョといっても静かで枯れた感じではない。ヴァイオリンの32分音符の音型が強調されてからは、激情的な面が浮き上がってきて、金管の息の長い響きが幾重にも重なり、叫びのようなクライマックスを形成する。その叫びが終わると、平和な空気が流れ、第7番や第8番の主題が回想され、静かに終わる。
こうして書いていると、曲全体の構成に、創世から生の営み、そして死から神の世界へと続く道筋があるように思われそうだが、解釈はこれに限らないし、私自身いちいち「この楽章は何を意味しているのか」と考えたり、作曲者の死生観や宗教観を念頭に置きながら聴いているわけでもない。ただ、この9番が死を前にした老人にありがちな枯淡の境地から生まれたものではない、ということは言えそうである。神秘といっても、それは生命の炎に包まれた神秘である。
録音では、オイゲン・ヨッフム指揮、ミュンヘン・フィルによる演奏(1983年7月20日ライブ録音)が素晴らしく、第9番という大作にふさわしい音楽的密度を持っている。テンポも理想的だし、スケールも大きい。こういった音源はリリースを前提としたものではないと思うが、その点を考慮に入れても驚異であり、ヨッフムのブルックナーを当たり前のように生で聴くことのできた人たちへの羨望を禁じ得ない。
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、シュトゥットガルト放送響による演奏(1996年9月20日ライブ録音/別日の映像もある)も濃密で、じっくりと遅めのテンポで緊張感を保ちながら美しい演奏を繰り広げている。全く瑕がないと言ったら嘘になるが、ジュリーニならではの重量感、懐の深さ、誠実な歌心は、聴いていて癖になる。ウィーン・フィルとの演奏も良いけど、その唖然とするほどの粘り腰は好みの分かれるところ。私ならシュトゥットガルト放送響との演奏を選ぶ。
この半世紀以上の間、最も高く評価されてきたのは、カール・シューリヒト指揮、ウィーン・フィルの演奏(1961年11月録音)。第2楽章は「欠けたることもなし」と言いたくなるほどの完成度だ。アダージョは、密度の濃い演奏を聴き慣れた耳にはちょっと物足りないが、シューリヒトとしてはこの世に存在しない第4楽章につながるニュアンスをこめたのかもしれない。そもそも「ブルックナーの演奏=重量感たっぷり」でなければならないという決まりがあるわけでもないのだ。私自身はこの録音から第9番を聴きはじめ、後にカイルベルト、ヴァント、クーベリック、ヨッフム、ジュリーニの演奏に惹かれた。もしかすると、いつかまたシューリヒトに戻る日も来るかもしれない。
(阿部十三)
【関連サイト】
ANTON BRUCKNER Symphony No.9(CD)
アントン・ブルックナー
[1824.9.4-1896.10.11]
交響曲第9番 ニ短調
【お薦めの録音】(掲載ジャケット:上から)
オイゲン・ヨッフム指揮
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1983年7月20日(ライヴ)
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮
シュトゥットガルト放送交響楽団
録音:1996年9月20日(ライブ)
[1824.9.4-1896.10.11]
交響曲第9番 ニ短調
【お薦めの録音】(掲載ジャケット:上から)
オイゲン・ヨッフム指揮
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1983年7月20日(ライヴ)
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮
シュトゥットガルト放送交響楽団
録音:1996年9月20日(ライブ)
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