ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」
2016.11.01
変化と創造への意思
ベートーヴェンの交響曲第3番は1803年5月から1804年にかけて作曲された。公開初演日は1805年4月7日。作曲のきっかけは定かでないが、ベートーヴェンが完成した作品をナポレオン・ボナパルトに献呈するつもりでいたところ、皇帝に即位したニュースを聞いて失望したという逸話は有名だ。
第2番を作曲したのは1802年のことなので、この第3番の完成まで2年しか経っていない。にもかかわらず、ここでベートーヴェンは独自の音楽世界を切り開いたとされる。言うまでもなく構成や技法における目新しさは第1番にも第2番にもあるのだが、その段階では、まだ粋とかギャラントといったものが重んじられた既成のフォーマット上で革新的な作曲を行っていた。それが、第3番を書くにあたり、真の意味で新しいシンフォニーを創造する意欲に燃え、作曲がより意思的になり、深遠さと雄々しさとスケールの大きさを持つまでになったというわけである。
もっとも、ベートーヴェンは苦悩を経て人が変わったのだ、とみなすのは短絡的であり、その深遠さが評者によって誇張されているきらいもある。忌憚なく言うと、後年の円熟期の作品と比べて肩肘を張ったところがあるし、第2楽章の深刻な「葬送行進曲」にも物々しさがあり、「人が変わった」というよりも、「変わろうとする意思」や「創造しようとする意思」を強く感じるのである。ベートーヴェンとしては、英雄のイメージを借り、自分の自画像を描くような姿勢で、気合いを込めて作曲に臨んだのではないだろうか。
第1楽章はアレグロ・コン・ブリオ。和音が2回鳴り、モーツァルトの『バスティアンとバスティエンヌ』の開幕の音楽に似た第1主題が颯爽と流れ、柔らかな第2主題が楽想に深みを加える。展開部では対位法的な手法で劇的高揚感を生み出している。第2楽章はアダージョ・アッサイ。「葬送行進曲」らしく荘重に始まり、中間部では明るく軽やかになるが、それから再び重々しくなることで暗さや悲しみが際立つような構成となっている。第3楽章はアレグロ・ヴィヴァーチェ。第2交響曲にもあった「スケルツォ」がここでも採用されている。強弱の起伏があるリズミカルな旋律が印象的だが、中間部ではホルンが活躍、絶妙なアクセントを形成している。第4楽章はアレグロ・モルト。変奏曲の楽章で、主題は自作『プロメテウスの創造物』の終曲からとられている。対位法の技巧が駆使され、華々しいクライマックスを築いた後、静かな緊張をはらんだブリッジを経て、怒濤のコーダで締め括られる。
規格外の「葬送行進曲」の存在は、若い頃の私にとって謎でしかなかったが、ナポレオン云々の話から離れて、一種の自画像としてこの作品をみるならば、1802年に遺書を書いたときのベートーヴェン自身の心情の投影ではないかという推論が導き出される。だとすれば、第3楽章と第4楽章が示すのは、その後の獅子奮迅するベートーヴェンだろう。とはいえ、これは私小説ではないので、不特定の英雄の物語の中に、亡くなった兵士たちの葬送の場面が挿入されている、という風に受けとっても解釈上の支障はないし、純粋に絶対音楽として聴いても十分楽しめる。
「英雄」のCDやレコードについて語るなら、これだけは挙げなければならないという名演奏は沢山あり、個人的に感銘を受けたものだけでも十指に余る。録音年順に指揮者名を挙げておくと、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1944年12月録音)、アルトゥーロ・トスカニーニ(1949年11月、12月録音)、フルトヴェングラー(1952年11月録音)、フランツ・コンヴィチュニー(1955年録音)、イーゴリ・マルケヴィチ(1956年12月、1957年1月録音)、ジョージ・セル(1957年2月録音)、ブルーノ・ワルター(1958年1月録音)、オットー・クレンペラー(1959年10月録音)、フェレンツ・フリッチャイ(1961年2月ライヴ録音)、ピエール・モントゥー(1962年11月、12月録音)、パウル・クレツキ(1967年2月録音)、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1982年4月30日収録/映像)、クラウス・テンシュテット(1991年9月、10月ライヴ録音)、ジョルディ・サヴァール(1994年1月録音)、カルロ・マリア・ジュリーニ(1994年5月ライヴ録音)だ。
さんざん絶賛されてきた録音だが、フルトヴェングラーが1944年にウィーン・フィルを指揮した、いわゆる「ウラニアのエロイカ」は、やはり素晴らしい。歌心に溢れていて、なおかつスケールが大きい名演奏だ。トスカニーニとNBC響による1949年の録音は、颯爽たる英雄像。きらめくアンサンブルと飛翔するようなフレージングに魅せられる。セルとクリーヴランド管による1957年の録音は、精緻さの中に熱っぽさがあり、第4楽章のコーダも感動的。造形美の点でも群を抜いている。ただ、彼の場合、1970年の来日公演時の「英雄」が神がかっていたと言われており、その音源が出て来たら、評価が変わるかもしれない。
クレツキとチェコ・フィルの組み合わせによる録音は、知る人ぞ知る超名演。各パートの細かな表現に多様な色合いが感じられて、しかも高潔な雰囲気があり、何度聴いても、目のさめるような思いをさせられる。サヴァールの録音は、いかにも古の英雄物語の背景に流れるにふさわしい爽快な音楽という印象。「葬送行進曲」をずるずると引きずるように演奏しないところも良い。ありきたりな「英雄」に食傷している人にお薦めである。
【関連サイト】
BEETHOVEN SYMPHONY No.3(CD)
ベートーヴェンの交響曲第3番は1803年5月から1804年にかけて作曲された。公開初演日は1805年4月7日。作曲のきっかけは定かでないが、ベートーヴェンが完成した作品をナポレオン・ボナパルトに献呈するつもりでいたところ、皇帝に即位したニュースを聞いて失望したという逸話は有名だ。
第2番を作曲したのは1802年のことなので、この第3番の完成まで2年しか経っていない。にもかかわらず、ここでベートーヴェンは独自の音楽世界を切り開いたとされる。言うまでもなく構成や技法における目新しさは第1番にも第2番にもあるのだが、その段階では、まだ粋とかギャラントといったものが重んじられた既成のフォーマット上で革新的な作曲を行っていた。それが、第3番を書くにあたり、真の意味で新しいシンフォニーを創造する意欲に燃え、作曲がより意思的になり、深遠さと雄々しさとスケールの大きさを持つまでになったというわけである。
もっとも、ベートーヴェンは苦悩を経て人が変わったのだ、とみなすのは短絡的であり、その深遠さが評者によって誇張されているきらいもある。忌憚なく言うと、後年の円熟期の作品と比べて肩肘を張ったところがあるし、第2楽章の深刻な「葬送行進曲」にも物々しさがあり、「人が変わった」というよりも、「変わろうとする意思」や「創造しようとする意思」を強く感じるのである。ベートーヴェンとしては、英雄のイメージを借り、自分の自画像を描くような姿勢で、気合いを込めて作曲に臨んだのではないだろうか。
第1楽章はアレグロ・コン・ブリオ。和音が2回鳴り、モーツァルトの『バスティアンとバスティエンヌ』の開幕の音楽に似た第1主題が颯爽と流れ、柔らかな第2主題が楽想に深みを加える。展開部では対位法的な手法で劇的高揚感を生み出している。第2楽章はアダージョ・アッサイ。「葬送行進曲」らしく荘重に始まり、中間部では明るく軽やかになるが、それから再び重々しくなることで暗さや悲しみが際立つような構成となっている。第3楽章はアレグロ・ヴィヴァーチェ。第2交響曲にもあった「スケルツォ」がここでも採用されている。強弱の起伏があるリズミカルな旋律が印象的だが、中間部ではホルンが活躍、絶妙なアクセントを形成している。第4楽章はアレグロ・モルト。変奏曲の楽章で、主題は自作『プロメテウスの創造物』の終曲からとられている。対位法の技巧が駆使され、華々しいクライマックスを築いた後、静かな緊張をはらんだブリッジを経て、怒濤のコーダで締め括られる。
規格外の「葬送行進曲」の存在は、若い頃の私にとって謎でしかなかったが、ナポレオン云々の話から離れて、一種の自画像としてこの作品をみるならば、1802年に遺書を書いたときのベートーヴェン自身の心情の投影ではないかという推論が導き出される。だとすれば、第3楽章と第4楽章が示すのは、その後の獅子奮迅するベートーヴェンだろう。とはいえ、これは私小説ではないので、不特定の英雄の物語の中に、亡くなった兵士たちの葬送の場面が挿入されている、という風に受けとっても解釈上の支障はないし、純粋に絶対音楽として聴いても十分楽しめる。
「英雄」のCDやレコードについて語るなら、これだけは挙げなければならないという名演奏は沢山あり、個人的に感銘を受けたものだけでも十指に余る。録音年順に指揮者名を挙げておくと、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1944年12月録音)、アルトゥーロ・トスカニーニ(1949年11月、12月録音)、フルトヴェングラー(1952年11月録音)、フランツ・コンヴィチュニー(1955年録音)、イーゴリ・マルケヴィチ(1956年12月、1957年1月録音)、ジョージ・セル(1957年2月録音)、ブルーノ・ワルター(1958年1月録音)、オットー・クレンペラー(1959年10月録音)、フェレンツ・フリッチャイ(1961年2月ライヴ録音)、ピエール・モントゥー(1962年11月、12月録音)、パウル・クレツキ(1967年2月録音)、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1982年4月30日収録/映像)、クラウス・テンシュテット(1991年9月、10月ライヴ録音)、ジョルディ・サヴァール(1994年1月録音)、カルロ・マリア・ジュリーニ(1994年5月ライヴ録音)だ。
さんざん絶賛されてきた録音だが、フルトヴェングラーが1944年にウィーン・フィルを指揮した、いわゆる「ウラニアのエロイカ」は、やはり素晴らしい。歌心に溢れていて、なおかつスケールが大きい名演奏だ。トスカニーニとNBC響による1949年の録音は、颯爽たる英雄像。きらめくアンサンブルと飛翔するようなフレージングに魅せられる。セルとクリーヴランド管による1957年の録音は、精緻さの中に熱っぽさがあり、第4楽章のコーダも感動的。造形美の点でも群を抜いている。ただ、彼の場合、1970年の来日公演時の「英雄」が神がかっていたと言われており、その音源が出て来たら、評価が変わるかもしれない。
クレツキとチェコ・フィルの組み合わせによる録音は、知る人ぞ知る超名演。各パートの細かな表現に多様な色合いが感じられて、しかも高潔な雰囲気があり、何度聴いても、目のさめるような思いをさせられる。サヴァールの録音は、いかにも古の英雄物語の背景に流れるにふさわしい爽快な音楽という印象。「葬送行進曲」をずるずると引きずるように演奏しないところも良い。ありきたりな「英雄」に食傷している人にお薦めである。
(阿部十三)
【関連サイト】
BEETHOVEN SYMPHONY No.3(CD)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
[1770.12.16-1827.3.26]
交響曲第3番 変ホ長調 作品55 「英雄」
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1944年12月
ジョージ・セル指揮
クリーヴランド管弦楽団
録音:1957年2月
パウル・クレツキ指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1967年2月
[1770.12.16-1827.3.26]
交響曲第3番 変ホ長調 作品55 「英雄」
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1944年12月
ジョージ・セル指揮
クリーヴランド管弦楽団
録音:1957年2月
パウル・クレツキ指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1967年2月
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