J.S.バッハ 『マタイ受難曲』
2017.01.07
問いかける音楽
人が一生をかけて一つでも完成させることができたら満足しそうな作品を、バッハは65年の生涯のうちにいくつも書いた。傑作を書くのに時間は関係ないと言う人もいるかもしれないが、バッハの場合は限度を超えている。4大宗教曲を書いただけでも、音楽史に名を残すのに十分なのに、さらに、多くのカンタータがあり、平均律クラヴィーア曲集やゴルトベルク変奏曲があり、無伴奏ヴァイオリンや無伴奏チェロのための作品があり、ブランデンブルク協奏曲や管弦楽組曲がある。
その偉業の頂にあると言っても過言ではない『マタイ受難曲』はしばしば音楽史上の最高傑作とまで評される。クリスチャンであるかないかに関係なく、音楽の素晴らしさに難癖をつけるのは無駄な抵抗だ。
作曲時期については諸説あるが、20世紀後半の研究では1727年頃とみられている。当時バッハは42歳、ライプツィヒの聖トーマス教会のカントルだった。その後、1727年の初演を経て改訂を施し、最終稿を上げたのは1736年頃。内容は言うまでもなく『マタイによる福音書』を題材にしたもの。自由詩の部分の作者は「ピカンダー」というペンネームを持つ詩人クリスティアン・フリードリヒ・ヘンリーツィである。作品全体の構成には細かな工夫があり、時に革新的であり、その新しさは、開始早々、通常の受難曲には見られないほどボリュームのある合唱曲が放たれるところにもあらわれている。
神聖視されている作品なので、近寄り難いと思う人もいるだろうが、対訳を読みながら聴き進めてゆけば、自然と感動の波に包まれるはずだ。第15(旧全集では21)曲、第17(23)曲、第44(53)曲、第54(63)曲、第62(72)曲に置かれた美しいコラールは、讃美歌の作詞で知られるパウル・ゲルハルト作のもので、旋律はハンス・レーオ・ハスラーの「わが心は千々に乱れ」から取られている。このコラールが『マタイ』を聴き進める上で一種の道標のようになり、イエスが処刑された後に流れる第62(72)曲で静かな祈りと願いの泉と化す。
第39(47)曲の有名な「憐れみ給え、わが神よ」をはじめとするアリアも魅力的。イエスを返せと訴えながらも悲痛にならず、若者の血気を表しているような第42(51)曲の「私のイエスを返せ」も、聴き手の中にさまざまな感情を喚び起こさせるだろう。ピラトと群衆のやりとりが沸き立ち、イエスへの憎悪が渦巻く中、ソプラノがイエスの善行を述べて歌う「愛よりしてわが救い主は死にたまわんとす」の美しさも、悲哀を浮かび上がらせる。
イエスが捕縛される場面や、群衆がイエスを十字架につけろ!と喚く場面、そして処刑後に地震が起こる場面など、劇的な表現にもゾッとするような迫力があり、当時の聴き手はショックを受けたのではないかと推測される。そして、地震の後、合唱によって歌われる「まことにこの人は神であった」ーーここで聴き手は合唱と同化し、呆然とした状態、身動きできないほどの畏怖、もはやどうにもならない遣る瀬なさの中に投げ込まれるのだ。
『マタイ』の話の内容は普遍的である。それがバッハの音楽の力によって強く私たちの心に働きかけてくる。その締め括りとなるのが、第68(78)曲の合唱だ。「私たちは涙を流しながらひざまずき、墓の中のあなたに呼びかけます」と歌われ、「憩いたまえ安らかに」が繰り返される。終曲にふさわしいこのドラマティックな合唱の波を総身に受けながら、私たちは物思いに沈み、そこから高揚していく。これはただの大団円でもなければ、浄化のための音楽でもない。人類愛とかそういうことよりも、人間のどうしようもなさ、哀れさ、尊さをあらわにし、それとどう向き合うべきかを問う音楽である。
『マタイ受難曲』は長年忘れられた状態にあり、1829年にメンデルスゾーンにより蘇演された。これほどの大作でも「忘れられる」とか「埋もれる」ということがあるのだ。しかし、20世紀に素晴らしい演奏が録音され、この傑作の真価があまねく知られるようになった後では、そういうことは起こらないだろう。
1950年代に録音されたカール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ管による演奏(1958年録音)を聴けば、『マタイ』の魅力は味わえる。正攻法とか楷書風と言われるが、リヒター自身のほかの音源も含めて、ここまで明瞭かつ深く、そして真摯に響く『マタイ』はなかなか見当たらない。私自身、一時期、来日時の演奏(1969年ライブ録音)の雄大な雰囲気に魅了されながらも、結局、1958年の録音に戻った。
ヘルマン・シェルヘン指揮による演奏(1953年録音)は、劇的表現を思いきり大胆にデフォルメしたもので、イエスの捕縛の場面や群衆がイエスの処刑を求める場面には、今聴いてもドキドキさせられる。演出の利いた『マタイ』といったところか。バッハの演奏はこうあらねばならぬ、という固定観念のない人は楽しめるはずだ。
シェルヘン盤とは対照的な存在として、ルドルフ・マウエルスベルガー指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管による演奏(1970年録音)も挙げておく。こちらはソリスト、合唱(バッハと縁の深い聖トーマス教会合唱団も参加)、オケのバランス感が絶妙で、誰が突出して目立つわけでもなく、一つにまとまった美しさがある。名歌手を揃えたヴォルフガング・ゲンネンヴァイン指揮による演奏(1968年録音)は、ユリア・ハマリが歌っているところが高ポイントだ。古楽器系だとグスタフ・レオンハルト指揮、ラ・プティット・バンドによる演奏(1989年録音)がすぐれている。計算されたフレージングとアーティキュレーションで巧緻に仕上げているものの、自然な流れを失っていない。
[参考文献]
東川清一ほか『作曲家別名曲解説ライブラリー12 J.S.バッハ』(1993年10月 音楽之友社)
礒山雅『マタイ受難曲』(1994年10月 東京書籍)
礒山雅ほか『バッハ事典 全作品解説事典』(1996年10月 東京書籍)
【関連サイト】
J.S.BACH Matthäus Passion BWV.244
人が一生をかけて一つでも完成させることができたら満足しそうな作品を、バッハは65年の生涯のうちにいくつも書いた。傑作を書くのに時間は関係ないと言う人もいるかもしれないが、バッハの場合は限度を超えている。4大宗教曲を書いただけでも、音楽史に名を残すのに十分なのに、さらに、多くのカンタータがあり、平均律クラヴィーア曲集やゴルトベルク変奏曲があり、無伴奏ヴァイオリンや無伴奏チェロのための作品があり、ブランデンブルク協奏曲や管弦楽組曲がある。
その偉業の頂にあると言っても過言ではない『マタイ受難曲』はしばしば音楽史上の最高傑作とまで評される。クリスチャンであるかないかに関係なく、音楽の素晴らしさに難癖をつけるのは無駄な抵抗だ。
作曲時期については諸説あるが、20世紀後半の研究では1727年頃とみられている。当時バッハは42歳、ライプツィヒの聖トーマス教会のカントルだった。その後、1727年の初演を経て改訂を施し、最終稿を上げたのは1736年頃。内容は言うまでもなく『マタイによる福音書』を題材にしたもの。自由詩の部分の作者は「ピカンダー」というペンネームを持つ詩人クリスティアン・フリードリヒ・ヘンリーツィである。作品全体の構成には細かな工夫があり、時に革新的であり、その新しさは、開始早々、通常の受難曲には見られないほどボリュームのある合唱曲が放たれるところにもあらわれている。
神聖視されている作品なので、近寄り難いと思う人もいるだろうが、対訳を読みながら聴き進めてゆけば、自然と感動の波に包まれるはずだ。第15(旧全集では21)曲、第17(23)曲、第44(53)曲、第54(63)曲、第62(72)曲に置かれた美しいコラールは、讃美歌の作詞で知られるパウル・ゲルハルト作のもので、旋律はハンス・レーオ・ハスラーの「わが心は千々に乱れ」から取られている。このコラールが『マタイ』を聴き進める上で一種の道標のようになり、イエスが処刑された後に流れる第62(72)曲で静かな祈りと願いの泉と化す。
第39(47)曲の有名な「憐れみ給え、わが神よ」をはじめとするアリアも魅力的。イエスを返せと訴えながらも悲痛にならず、若者の血気を表しているような第42(51)曲の「私のイエスを返せ」も、聴き手の中にさまざまな感情を喚び起こさせるだろう。ピラトと群衆のやりとりが沸き立ち、イエスへの憎悪が渦巻く中、ソプラノがイエスの善行を述べて歌う「愛よりしてわが救い主は死にたまわんとす」の美しさも、悲哀を浮かび上がらせる。
イエスが捕縛される場面や、群衆がイエスを十字架につけろ!と喚く場面、そして処刑後に地震が起こる場面など、劇的な表現にもゾッとするような迫力があり、当時の聴き手はショックを受けたのではないかと推測される。そして、地震の後、合唱によって歌われる「まことにこの人は神であった」ーーここで聴き手は合唱と同化し、呆然とした状態、身動きできないほどの畏怖、もはやどうにもならない遣る瀬なさの中に投げ込まれるのだ。
『マタイ』の話の内容は普遍的である。それがバッハの音楽の力によって強く私たちの心に働きかけてくる。その締め括りとなるのが、第68(78)曲の合唱だ。「私たちは涙を流しながらひざまずき、墓の中のあなたに呼びかけます」と歌われ、「憩いたまえ安らかに」が繰り返される。終曲にふさわしいこのドラマティックな合唱の波を総身に受けながら、私たちは物思いに沈み、そこから高揚していく。これはただの大団円でもなければ、浄化のための音楽でもない。人類愛とかそういうことよりも、人間のどうしようもなさ、哀れさ、尊さをあらわにし、それとどう向き合うべきかを問う音楽である。
『マタイ受難曲』は長年忘れられた状態にあり、1829年にメンデルスゾーンにより蘇演された。これほどの大作でも「忘れられる」とか「埋もれる」ということがあるのだ。しかし、20世紀に素晴らしい演奏が録音され、この傑作の真価があまねく知られるようになった後では、そういうことは起こらないだろう。
1950年代に録音されたカール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ管による演奏(1958年録音)を聴けば、『マタイ』の魅力は味わえる。正攻法とか楷書風と言われるが、リヒター自身のほかの音源も含めて、ここまで明瞭かつ深く、そして真摯に響く『マタイ』はなかなか見当たらない。私自身、一時期、来日時の演奏(1969年ライブ録音)の雄大な雰囲気に魅了されながらも、結局、1958年の録音に戻った。
ヘルマン・シェルヘン指揮による演奏(1953年録音)は、劇的表現を思いきり大胆にデフォルメしたもので、イエスの捕縛の場面や群衆がイエスの処刑を求める場面には、今聴いてもドキドキさせられる。演出の利いた『マタイ』といったところか。バッハの演奏はこうあらねばならぬ、という固定観念のない人は楽しめるはずだ。
シェルヘン盤とは対照的な存在として、ルドルフ・マウエルスベルガー指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管による演奏(1970年録音)も挙げておく。こちらはソリスト、合唱(バッハと縁の深い聖トーマス教会合唱団も参加)、オケのバランス感が絶妙で、誰が突出して目立つわけでもなく、一つにまとまった美しさがある。名歌手を揃えたヴォルフガング・ゲンネンヴァイン指揮による演奏(1968年録音)は、ユリア・ハマリが歌っているところが高ポイントだ。古楽器系だとグスタフ・レオンハルト指揮、ラ・プティット・バンドによる演奏(1989年録音)がすぐれている。計算されたフレージングとアーティキュレーションで巧緻に仕上げているものの、自然な流れを失っていない。
(阿部十三)
[参考文献]
東川清一ほか『作曲家別名曲解説ライブラリー12 J.S.バッハ』(1993年10月 音楽之友社)
礒山雅『マタイ受難曲』(1994年10月 東京書籍)
礒山雅ほか『バッハ事典 全作品解説事典』(1996年10月 東京書籍)
【関連サイト】
J.S.BACH Matthäus Passion BWV.244
ヨハン・セバスチャン・バッハ
[1685.3.31-1750.7.28]
マタイ受難曲 BWV.244
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
エルンスト・ヘフリガー、イルムガルト・ゼーフリート
ヘルタ・テッパー、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
カール・リヒター指揮
ミュンヘン少年合唱団、ミュンヘン・バッハ合唱団
ミュンヘン・バッハ管弦楽団
録音:1958年6〜8月
ユーグ・クエノー、マグダ・ラースロー
ヒルデ・レッセル・マイダン、リヒャルト・シュタンデン
ヘルマン・シェルヘン指揮
ウィーン・アカデミー室内合唱団
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
録音:1953年6月
[1685.3.31-1750.7.28]
マタイ受難曲 BWV.244
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
エルンスト・ヘフリガー、イルムガルト・ゼーフリート
ヘルタ・テッパー、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
カール・リヒター指揮
ミュンヘン少年合唱団、ミュンヘン・バッハ合唱団
ミュンヘン・バッハ管弦楽団
録音:1958年6〜8月
ユーグ・クエノー、マグダ・ラースロー
ヒルデ・レッセル・マイダン、リヒャルト・シュタンデン
ヘルマン・シェルヘン指揮
ウィーン・アカデミー室内合唱団
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
録音:1953年6月
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