モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」
2017.01.23
時空の概念を超える
モーツァルトの全作品で、私がこれまでに一番多く聴いたのは「ジュピター」である。それは「最後の交響曲」に対して特別な気持ちが働くからでも、何か深遠なメッセージを読み取っているからでもない。聴いていると体が軽くなり、すぐに音楽の世界に入り込み、旋律とハーモニーに浸る悦びを味わえるからである。病気のときも、この音楽を聴くと楽になる。端的に言えば、生理的に好きなのだ。なので、モーツァルトにはほかにもっとすぐれた作品があるにもかかわらず、そして、ほかに好きな作品がいくつかあるにもかかわらず、ひとつだけ選ぶなら「ジュピター」以外には考えられない。
モーツァルトは1788年6月から8月にかけて交響曲第39番、第40番、第41番を作曲した。これ以降、1791年に亡くなるまで交響曲を完成させていないので、結果的に、第41番が最後の交響曲となった。初演日は不明である。やや仰々しい「ジュピター」という呼称は、モーツァルト自身によるものではなく、J.P.ザロモンによって付けられたという。輝かしさ、スケールの大きさ、風格などを包括した表現として選ばれたのだろう。スケールといっても、この作品の場合、横に長く広がっているのではなく、奥に広がっていくような印象がある。
第1楽章は「アレグロ・ヴィヴァーチェ」。力強く堂々とした和音で始まり、それにヴァイオリンが優美に応じる。この第1主題が歩を進めた後、軽やかな第2主題が奏でられ、まもなくゲネラルパウゼを経て、勢いよく短調が放たれる。自然で曖昧なところのない筆運びだ。それでいて明朗なだけではなく、緊張、不安、劇的な性格も見え隠れしている。
第2楽章は「アンダンテ・カンタービレ」。冒頭の10小節で美の世界に引き込まれる。おそらくモーツァルトはさらさらと苦もなく書いたのだろうが、ここには神秘の光が宿っている。やがて音楽は翳りを帯びたり、穏やかになったりと不安定な色合いを見せるが、92小節以降のコーダでは楽章冒頭の雰囲気が再現され、静かに終わる。
第3楽章は「メヌエット アレグレット」。よどみのない下行音型と、それと相反する歯切れの良いスタッカートをぶつける組み合わせが面白い。この繰り返しにより、スムーズな流動感と高揚感を作り出している。トリオ部分は愛らしく始まるが、すぐにイ短調に転じて熱気を持つ。この旋律が第4楽章の主題として活躍することになる。
第4楽章は「モルト・アレグロ」。第1主題が生き生きとした表情で現れた後、フォルテで強調され、そこから疾駆するようにして35小節の小宇宙を形成する。隙なく構成されているが、窮屈さはない。それどころか、この音楽の奥に広がるスケールは、時空の概念を超えている。233小節からヴァイオリンの全音符が重みを持ち、254小節で軽やかに駆け出すところも素晴らしい。劇的なフーガに入る前、360小節からの一息つくようなパッセージも、「もうすぐ音楽が終わる」という寂しさを感じさせて心にしみる。
第4楽章の第1主題の一部分は、グレゴリオ聖歌の「アレルヤ」、J.S.バッハの平均律クラヴィア曲集第2巻のフーガなど、モーツァルト以前の音楽作品の旋律を連想させるが、その古風な装いが「ジュピター」を通じて新調された感がある、と評しても言い過ぎではない。
先に生理的に好きだと書いたが、むろんそれも演奏による。私が聴くのはカール・ベーム指揮、ウィーン・フィルによる1976年の録音。ベームだと、これ以前にベルリン・フィルを指揮したものもあり、そちらも有名だが、充実感が味わえるのはウィーン・フィル盤の方だ。鼻につく解釈とも、強引な加熱とも無縁の世界である。第2楽章の演奏も比類がない。この気品と清澄と深遠! シンプルな美しさだが、これ以上の表情付けは不要だ。
サー・エイドリアン・ボールトがロンドン・フィルを指揮した1974年の録音も、聴き手に至福の時間をもたらす名演奏。繰り返しを端折らないのは、この作品を心から慈しんでいるからだろう。そう言いたくなるほど心地よい温度感が、弦のバランスを配慮したアンサンブルから立ちのぼってくる。古い録音だが、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮、NBC響による1945年の演奏は、「ジュピター」の異名にふさわしい雄々しさがあり、しかも颯爽としている。サー・ジョン・バルビローリ(ハレ管)やラファエル・クーベリック(バイエルン放送響)が指揮したものは、第4楽章の演奏が理想的。強い光を放ちながら、生命を燃やし、高く舞い上がっていくかのようだ。
【関連サイト】
Mozart Symphonie 41 C dur K.551(CD)
モーツァルトの全作品で、私がこれまでに一番多く聴いたのは「ジュピター」である。それは「最後の交響曲」に対して特別な気持ちが働くからでも、何か深遠なメッセージを読み取っているからでもない。聴いていると体が軽くなり、すぐに音楽の世界に入り込み、旋律とハーモニーに浸る悦びを味わえるからである。病気のときも、この音楽を聴くと楽になる。端的に言えば、生理的に好きなのだ。なので、モーツァルトにはほかにもっとすぐれた作品があるにもかかわらず、そして、ほかに好きな作品がいくつかあるにもかかわらず、ひとつだけ選ぶなら「ジュピター」以外には考えられない。
モーツァルトは1788年6月から8月にかけて交響曲第39番、第40番、第41番を作曲した。これ以降、1791年に亡くなるまで交響曲を完成させていないので、結果的に、第41番が最後の交響曲となった。初演日は不明である。やや仰々しい「ジュピター」という呼称は、モーツァルト自身によるものではなく、J.P.ザロモンによって付けられたという。輝かしさ、スケールの大きさ、風格などを包括した表現として選ばれたのだろう。スケールといっても、この作品の場合、横に長く広がっているのではなく、奥に広がっていくような印象がある。
第1楽章は「アレグロ・ヴィヴァーチェ」。力強く堂々とした和音で始まり、それにヴァイオリンが優美に応じる。この第1主題が歩を進めた後、軽やかな第2主題が奏でられ、まもなくゲネラルパウゼを経て、勢いよく短調が放たれる。自然で曖昧なところのない筆運びだ。それでいて明朗なだけではなく、緊張、不安、劇的な性格も見え隠れしている。
第2楽章は「アンダンテ・カンタービレ」。冒頭の10小節で美の世界に引き込まれる。おそらくモーツァルトはさらさらと苦もなく書いたのだろうが、ここには神秘の光が宿っている。やがて音楽は翳りを帯びたり、穏やかになったりと不安定な色合いを見せるが、92小節以降のコーダでは楽章冒頭の雰囲気が再現され、静かに終わる。
第3楽章は「メヌエット アレグレット」。よどみのない下行音型と、それと相反する歯切れの良いスタッカートをぶつける組み合わせが面白い。この繰り返しにより、スムーズな流動感と高揚感を作り出している。トリオ部分は愛らしく始まるが、すぐにイ短調に転じて熱気を持つ。この旋律が第4楽章の主題として活躍することになる。
第4楽章は「モルト・アレグロ」。第1主題が生き生きとした表情で現れた後、フォルテで強調され、そこから疾駆するようにして35小節の小宇宙を形成する。隙なく構成されているが、窮屈さはない。それどころか、この音楽の奥に広がるスケールは、時空の概念を超えている。233小節からヴァイオリンの全音符が重みを持ち、254小節で軽やかに駆け出すところも素晴らしい。劇的なフーガに入る前、360小節からの一息つくようなパッセージも、「もうすぐ音楽が終わる」という寂しさを感じさせて心にしみる。
第4楽章の第1主題の一部分は、グレゴリオ聖歌の「アレルヤ」、J.S.バッハの平均律クラヴィア曲集第2巻のフーガなど、モーツァルト以前の音楽作品の旋律を連想させるが、その古風な装いが「ジュピター」を通じて新調された感がある、と評しても言い過ぎではない。
先に生理的に好きだと書いたが、むろんそれも演奏による。私が聴くのはカール・ベーム指揮、ウィーン・フィルによる1976年の録音。ベームだと、これ以前にベルリン・フィルを指揮したものもあり、そちらも有名だが、充実感が味わえるのはウィーン・フィル盤の方だ。鼻につく解釈とも、強引な加熱とも無縁の世界である。第2楽章の演奏も比類がない。この気品と清澄と深遠! シンプルな美しさだが、これ以上の表情付けは不要だ。
サー・エイドリアン・ボールトがロンドン・フィルを指揮した1974年の録音も、聴き手に至福の時間をもたらす名演奏。繰り返しを端折らないのは、この作品を心から慈しんでいるからだろう。そう言いたくなるほど心地よい温度感が、弦のバランスを配慮したアンサンブルから立ちのぼってくる。古い録音だが、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮、NBC響による1945年の演奏は、「ジュピター」の異名にふさわしい雄々しさがあり、しかも颯爽としている。サー・ジョン・バルビローリ(ハレ管)やラファエル・クーベリック(バイエルン放送響)が指揮したものは、第4楽章の演奏が理想的。強い光を放ちながら、生命を燃やし、高く舞い上がっていくかのようだ。
(阿部十三)
【関連サイト】
Mozart Symphonie 41 C dur K.551(CD)
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
[1756.1.27-1791.12.5]
交響曲第41番 ハ長調 K.551 「ジュピター」
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
カール・ベーム指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1976年4月
サー・エイドリアン・ボールト指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1974年9月、10月
[1756.1.27-1791.12.5]
交響曲第41番 ハ長調 K.551 「ジュピター」
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
カール・ベーム指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1976年4月
サー・エイドリアン・ボールト指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1974年9月、10月
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