モーツァルト 交響曲第39番
2017.10.01
モーツァルト像をどう描くか
モーツァルトの交響曲第39番は1788年6月26日に完成された。創作動機は明らかになっていないが、予約演奏会のために作曲され、実際に演奏もされたのではないかと言われている。はっきりしているのは、この時期、わずか2ヶ月の間に第39番、第40番、第41番「ジュピター」という三大交響曲が立て続けに生み出されたこと、つまりモーツァルトの創作意欲が驚異的に高まっていたことである。
美しくも哀しい響きを持つ第40番、スケールの大きな第41番と比べると、第39番は「明るいモーツァルト像」に近いイメージがある。無論、吉田秀和が「二十世紀はモーツァルトの中に《デモーニッシュなもの》を見た世紀である」と書いているように、この交響曲にもデモーニッシュなものを見る人はいるだろう。ただ、暗部を強調するような演奏が真実を語っているとは限らない。モーツァルトが見せないようにしているものまで無理やり見ようとする行為は、少なくとも第39番には合っていないと私は思う。
第一楽章は『魔笛』の序曲を彷彿させる和音で始まり、アダージョの序奏を経てアレグロに変わる。下降音階や不協和音が印象的なこの序奏は、ゆったりとしていながら緊張感をはらんでいる。非常に重要な意味を持つ部分だが同時に曲者でもあり、演奏の際、木管と弦楽器がかみ合わないことが多い。ここで音楽の流れを損なうと、その時点でがっかりしてしまう。主部は快活で、堅苦しさはないが緻密な構成である。
第二楽章は二部形式。第一主題は安らかな雰囲気のイ長調だが、やがてヘ短調に切りかわって情熱的な声を上げる。その後第一主題が現れて穏やかさを取り戻し、静かな木管のパッセージを経て溜息のように深い弦の旋律へと安着する。第二部では第一部が再現されるが短調の響きがより強さを増している。
第三楽章は変ホ長調のメヌエット。三拍子の力強いリズムが刻まれる一方で優美なたしなみも感じさせる。トリオでは2本のクラリネットが活躍。このデュオにフルートが軽やかに呼応する展開が魅力的だ。いかにもモーツァルトのイメージに合ったメヌエットで、後年アルカンによってピアノ曲に編曲されている。
第四楽章はアレグロ。快活な第一主題で始まり、明るくのびやかなモーツァルトの歌がかけめぐる。この主題を有機的な素材として随所に組み込むことにより、全体の構成に統制感が生まれている点も見逃せない。第一主題を奏でるように思わせて、それと類似した第二主題を呈示するところも面白い。
交響曲第39番は、私の体の奥に染み付いている作品である。モーツァルトの世界に足を踏み入れて間もない頃、こればかり聴いて過ごしていた時期があり、まだ当時の感覚が残っているらしい。20歳を過ぎたあたりから第41番「ジュピター」の方を好むようになったが、たまに第39番を聴くと、「やっぱりこっちの方が好きかもしれない」と心が揺れる。まあ、順位をつける必要は全くないのだが。
モーツァルトはしばしば絶美な緩徐楽章の中に陰翳を施す。とはいえ、先にも述べたように、暗い部分や激情的な部分だけが本音というわけではないだろう。第二楽章の短調の響きを悲痛なまでに誇張するならば、この上なく穏やかで、身も心も委ねたくなるような深さと柔らかさを持つ長調の響きも強調すべきである。私はいつもそう思いながら、第二楽章に耳を傾けている。
これまでに多くの名指揮者がこの作品を録音している。昔から名高いのはブルーノ・ワルター、カール・ベーム、ピエール・モントゥー、オトマール・スウィトナー、エフゲニー・ムラヴィンスキーが指揮したもの。ワルター、ベーム、ムラヴィンスキーは録音が複数ある。
ワルター&コロンビア響の演奏は私もよく聴く。第一楽章の序奏は堂々たるもので、なおかつ厳粛であり、思わず襟を正したくなる。ただ、曲全体を通して聴くと、オーケストラの響きがもっさりしているのが気になる。もう少しばかり引き締まった快活さがほしいところだ。であればニューヨーク・フィルを指揮したものを聴けばよい、という話になるのだが、こちらはどうも序奏の演奏がしっくりこない。
私が愛聴しているのは、ヨーゼフ・クリップス指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管による演奏(1972年録音)。これは「欠けたることもなし」と言いたくなるような素晴らしさ。ほどよく軽やかで、こせこせしたところがなく、指揮者の懐の深さを感じさせる。序奏からフィナーレまでオケのアンサンブルも美しい。重心はしっかりしているが、気になるような重たさはなく、明るさ、清澄さ、のびやかさが全く損なわれていない。
ジョージ・セル指揮、クリーヴランド管の演奏(1960年録音)は、期待に違わず清潔で歯切れの良い音楽を聴かせてくれる。一番のポイントは第二楽章で、短調と長調の印象的なフレーズをしっかりと強調している。透明感があるのにそこから聴こえてくる歌はとても熱い。終楽章で勢いを重視し、変に神経質になっていないところも良い。
オイゲン・ヨッフム指揮、バンベルク響による演奏(1982年録音)は、序奏から感動的で、これ以上完璧なデュナーミクは望めない。味わいのあるアンサンブルも、快活なテンポも、老練なアゴーギクも、私が求める理想に近い。第二楽章の溜息も、鳥肌が立つほど胸にしみる。ヨッフムは1957年にバイエルン放送響を指揮し、古き良きドイツの響きを堪能させる録音を残しているが、解釈はそこから大きくは変わらない。ただ、バンベルク響の方は、音の切れ目を繊細に処理するフレージングにより、美しい旋律が、まるでこちらの手をすり抜けるようにして流れ去ってゆく印象を強く抱かせる。「時よ止まれ」と願っても止まってはくれないのだ。軽快なのに、目頭を熱くさせる演奏である。
【関連サイト】
モーツァルト 交響曲第39番 変ホ長調 K.543(CD)
モーツァルトの交響曲第39番は1788年6月26日に完成された。創作動機は明らかになっていないが、予約演奏会のために作曲され、実際に演奏もされたのではないかと言われている。はっきりしているのは、この時期、わずか2ヶ月の間に第39番、第40番、第41番「ジュピター」という三大交響曲が立て続けに生み出されたこと、つまりモーツァルトの創作意欲が驚異的に高まっていたことである。
美しくも哀しい響きを持つ第40番、スケールの大きな第41番と比べると、第39番は「明るいモーツァルト像」に近いイメージがある。無論、吉田秀和が「二十世紀はモーツァルトの中に《デモーニッシュなもの》を見た世紀である」と書いているように、この交響曲にもデモーニッシュなものを見る人はいるだろう。ただ、暗部を強調するような演奏が真実を語っているとは限らない。モーツァルトが見せないようにしているものまで無理やり見ようとする行為は、少なくとも第39番には合っていないと私は思う。
第一楽章は『魔笛』の序曲を彷彿させる和音で始まり、アダージョの序奏を経てアレグロに変わる。下降音階や不協和音が印象的なこの序奏は、ゆったりとしていながら緊張感をはらんでいる。非常に重要な意味を持つ部分だが同時に曲者でもあり、演奏の際、木管と弦楽器がかみ合わないことが多い。ここで音楽の流れを損なうと、その時点でがっかりしてしまう。主部は快活で、堅苦しさはないが緻密な構成である。
第二楽章は二部形式。第一主題は安らかな雰囲気のイ長調だが、やがてヘ短調に切りかわって情熱的な声を上げる。その後第一主題が現れて穏やかさを取り戻し、静かな木管のパッセージを経て溜息のように深い弦の旋律へと安着する。第二部では第一部が再現されるが短調の響きがより強さを増している。
第三楽章は変ホ長調のメヌエット。三拍子の力強いリズムが刻まれる一方で優美なたしなみも感じさせる。トリオでは2本のクラリネットが活躍。このデュオにフルートが軽やかに呼応する展開が魅力的だ。いかにもモーツァルトのイメージに合ったメヌエットで、後年アルカンによってピアノ曲に編曲されている。
第四楽章はアレグロ。快活な第一主題で始まり、明るくのびやかなモーツァルトの歌がかけめぐる。この主題を有機的な素材として随所に組み込むことにより、全体の構成に統制感が生まれている点も見逃せない。第一主題を奏でるように思わせて、それと類似した第二主題を呈示するところも面白い。
交響曲第39番は、私の体の奥に染み付いている作品である。モーツァルトの世界に足を踏み入れて間もない頃、こればかり聴いて過ごしていた時期があり、まだ当時の感覚が残っているらしい。20歳を過ぎたあたりから第41番「ジュピター」の方を好むようになったが、たまに第39番を聴くと、「やっぱりこっちの方が好きかもしれない」と心が揺れる。まあ、順位をつける必要は全くないのだが。
モーツァルトはしばしば絶美な緩徐楽章の中に陰翳を施す。とはいえ、先にも述べたように、暗い部分や激情的な部分だけが本音というわけではないだろう。第二楽章の短調の響きを悲痛なまでに誇張するならば、この上なく穏やかで、身も心も委ねたくなるような深さと柔らかさを持つ長調の響きも強調すべきである。私はいつもそう思いながら、第二楽章に耳を傾けている。
これまでに多くの名指揮者がこの作品を録音している。昔から名高いのはブルーノ・ワルター、カール・ベーム、ピエール・モントゥー、オトマール・スウィトナー、エフゲニー・ムラヴィンスキーが指揮したもの。ワルター、ベーム、ムラヴィンスキーは録音が複数ある。
ワルター&コロンビア響の演奏は私もよく聴く。第一楽章の序奏は堂々たるもので、なおかつ厳粛であり、思わず襟を正したくなる。ただ、曲全体を通して聴くと、オーケストラの響きがもっさりしているのが気になる。もう少しばかり引き締まった快活さがほしいところだ。であればニューヨーク・フィルを指揮したものを聴けばよい、という話になるのだが、こちらはどうも序奏の演奏がしっくりこない。
私が愛聴しているのは、ヨーゼフ・クリップス指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管による演奏(1972年録音)。これは「欠けたることもなし」と言いたくなるような素晴らしさ。ほどよく軽やかで、こせこせしたところがなく、指揮者の懐の深さを感じさせる。序奏からフィナーレまでオケのアンサンブルも美しい。重心はしっかりしているが、気になるような重たさはなく、明るさ、清澄さ、のびやかさが全く損なわれていない。
ジョージ・セル指揮、クリーヴランド管の演奏(1960年録音)は、期待に違わず清潔で歯切れの良い音楽を聴かせてくれる。一番のポイントは第二楽章で、短調と長調の印象的なフレーズをしっかりと強調している。透明感があるのにそこから聴こえてくる歌はとても熱い。終楽章で勢いを重視し、変に神経質になっていないところも良い。
オイゲン・ヨッフム指揮、バンベルク響による演奏(1982年録音)は、序奏から感動的で、これ以上完璧なデュナーミクは望めない。味わいのあるアンサンブルも、快活なテンポも、老練なアゴーギクも、私が求める理想に近い。第二楽章の溜息も、鳥肌が立つほど胸にしみる。ヨッフムは1957年にバイエルン放送響を指揮し、古き良きドイツの響きを堪能させる録音を残しているが、解釈はそこから大きくは変わらない。ただ、バンベルク響の方は、音の切れ目を繊細に処理するフレージングにより、美しい旋律が、まるでこちらの手をすり抜けるようにして流れ去ってゆく印象を強く抱かせる。「時よ止まれ」と願っても止まってはくれないのだ。軽快なのに、目頭を熱くさせる演奏である。
(阿部十三)
【関連サイト】
モーツァルト 交響曲第39番 変ホ長調 K.543(CD)
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
[1756.1.27-1791.12.5]
交響曲第39番 変ホ長調 K.543
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
ヨーゼフ・クリップス指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1972年
オイゲン・ヨッフム指揮
バンベルク交響楽団
録音:1982年
[1756.1.27-1791.12.5]
交響曲第39番 変ホ長調 K.543
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
ヨーゼフ・クリップス指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1972年
オイゲン・ヨッフム指揮
バンベルク交響楽団
録音:1982年
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