ロット 交響曲第1番
2018.10.13
新しい交響曲の創始者
ハンス・ロットの交響曲第1番は、完成から100年以上演奏の機会に恵まれず、1989年にようやく初演された。ロットの名前はマーラーの伝記等にも載っているし、ブルックナーやマーラーがその才能を讃えた言葉も記録されている。誰も知らない作曲家だったわけではない。にもかかわらず、その代表作である交響曲第1番が人々の耳に届くまでにはあまりにも長い時間がかかった。
ロットはブルックナーの弟子であり、マーラーの学友であった。ロットが亡くなってから16年後の1900年に、マーラーは次のように回想している。
「彼を失ったことで音楽がこうむった損失は計り知れない。彼の創造力は、20歳の頃に書き、彼のことをーー決して誇張ではなくーー新しい交響曲の創始者たらしめた最初の交響曲で、こんなにも高く羽ばたいている。もちろん彼が表現しようとしたものはすべて達成されてはいない。あたかも物を投げようとして大きく振りかぶり、まだ不器用なために、目標にうまく当たらなかったようなものだ。しかし私は、彼がどこを目指していたのか分かる。彼は私と心情的に非常に近いのだ。私たちは同じ土から生まれ、同じ空気に育てられた同じ木の二つの果実のようなものである」
1878年にウィーン音楽院で行われた作曲コンクールでは、マーラーが受賞し、ロットは何の賞も貰えなかった。このコンクールに出品されたのが、交響曲第1番の第1楽章である。これが審査員の前で演奏された時、会場に嘲笑が響いた。その時、ロットの師であるブルックナーが立ち上がり、審査員たちにこう言い放ったという。
「諸君、笑うのはやめたまえ。君たちは、今後、この人物が書く素晴らしい音楽を聴くことになるのだから」
ロットがブルックナーに教わっていたのは作曲ではなくオルガンであったが、作曲面でも多くのものを師から吸収していた。そんな弟子が教会のオルガニストの職を解かれ、職探しをしなければならなくなった時も、ブルックナーは推薦状を書いている。これはロットの作品を聴いた上での憶測だが、ブルックナーは自分の作風を受け継ぎ発展させる才能の器として、出来る限りロットを保護しようとしていたのかもしれない。
しかし、この若き作曲家は希望する職に就けず、生活苦の中で作曲を続けながら、徐々に精神を衰弱させてゆく。1880年夏に交響曲第1番を完成させたロットは、国家奨学金を受給すべく、その評議会のメンバーだったブラームスに会いに行き(1880年9月17日頃)、出来たばかりの大作を聴かせた。ブルックナーの愛弟子がブラームスに認められるわけがないのだが、奨学金を得るにはほかに道がないと考えたのだろう。
無論、自分の交響曲の出来栄えに自信を持っていたからこそ、ブラームスに見せたのだとも考えられる。この作品は明らかにワーグナーとブルックナーの影響下で書かれているが、終楽章にはブラームスの交響曲第1番の終楽章を彷彿させる旋律が堂々と登場する。派閥など関係なく、良いものは良いと認めてもらえると楽観視していたのかもしれない。が、そこでロットがブラームスに浴びせられたのは、「この作品には美しい部分もあるが、それ以外はナンセンスだ。だから美しい部分も君が書いたとは思えない」という辛辣な言葉だった。ロットは深く傷ついた。失望はさらに重なり、『指環』の初演者としても知られるハンス・リヒターに交響曲の初演を持ちかけたが、ウィーン・フィルのコンサートで取り上げてほしいという希望が叶えられることはなかった。
1880年10月、ミュルーズ(ミュールハウゼン)の合唱協会に職を得たロットは、そこへ向かう列車の中で発狂した。ブラームスが列車にダイナマイトを積んだという妄想に襲われ、煙草に火をつけようとした同乗者にピストルを突きつけたのである。精神病院に収容されたロットはその後回復することはなかったが、翌年、1881年に奨学金の授与が認められた。時すでに遅し。ロットは精神病院で結核を患い、1884年に25歳で亡くなった。
悲運の作曲家としか言いようがないが、周囲の人たちは彼の図抜けた才能を認めていた。そのうちの一人がマーラーである。すでに多くの人が指摘しているように、マーラーの幾つかの交響曲にはロット的な要素が持ち込まれている。特に、ロットが亡くなってから10年後(1894年)に完成した交響曲第2番「復活」は、第3楽章の主題や第5楽章の一部で、ロットの音楽がマーラーの血肉と化していることをはっきりと感じさせる。ここで私たちは、マーラーがロットの交響曲第1番を「新しい交響曲の創始者たらしめた最初の交響曲」と評し、ロットと自分のことを「同じ木の二つの果実」とみなしていたことを思い出す必要がある。これは作曲者が意図した類似と考えていいだろう。もしかすると、マーラーはこの「復活」で、道半ばにして逝った友人の衣鉢を継ぐような思いを抱いていたのかもしれない。
第1楽章冒頭で金管が奏する主題は、循環主題的にほかの楽章にあらわれる。ワーグナーのライトモチーフを意識したのだろう。映画『エデンの東』のテーマ音楽に似たロマンティックな旋律である。インスパイアの源は、ブルックナーの交響曲第3番ではないだろうか。ロットはこの美しい主題を印象づけるために、早々と金管の響きを重ね、ブルックナーの交響曲のコーダのような壮麗さにまで到達させる。早い段階でこれだけ圧倒的なクライマックスを持ってくるところは、恐れを知らぬ若者らしい筆運びと言えそうである。
第2楽章の主題の旋律は内省的な美しさを持っているが、まもなく金管やティンパニが鳴り響き、劇的な性格を帯びる。第3楽章はエレガンスと諧謔と暗い切迫感が同居したスケルツォ。先にも述べたように、この主題と類似したものが、マーラーの「復活」の第3楽章のトリオに認められる。
第4楽章は静かに始まり、ホルン(次にオーボエ)が陰翳の濃いモチーフを奏でてから音楽がうねり出す。このモチーフの幻影は、やはりマーラーの「復活」の終楽章や第7番の第2楽章に発現している。しかしこれよりも耳に残るのは、主要主題だろう。ブラームスの交響曲第1番の終楽章を否応なしに想起させるこの主題は、後に対位法的に扱われ、金管の輝かしい響きにのせて、ブルックナー的な音楽語法で展開する。そして遂に、この主要主題を第1楽章冒頭に出てきた循環主題と融合させ、巨大なクライマックスを形成する。その壮麗さは、オルガン的な響きをイメージしたものかもしれない。最後は静けさを取り戻すが、余韻を残すこの弦の美しさはどことなくワーグナー的である。まさに野心的大作と呼ぶにふさわしく、スケールも壮大だ。
ロットはこの交響曲の中でブルックナーとブラームスを融合させ、新しい世代の交響曲作曲家として名乗りを上げようとしたのだろう。その若い情熱と心意気が音楽と化し、大いなる風となって吹き抜けてゆく。無名だった21歳の天才にしか書けない音楽である。全休止はブルックナー的、対位法的書法はワーグナー的とあれこれ指摘することはできるが、彼らの影響を自分のものにする器がなければ、このような作品は仕上がらない。
録音はまだ多くないが、初演者であるゲルハルト・サミュエル指揮、シンシナティ・フィルの演奏(1989年録音)、レイフ・セーゲルスタム指揮、ノールショピング響の演奏(1992年録音)、セバスティアン・ヴァイグレ指揮、ミュンヘン放送管の演奏(2003年録音)、パーヴォ・ヤルヴィ指揮、フランクフルト放送響の演奏(2010年録音)と、各年代にこの作品の魅力を伝える音源がリリースされている。
ちなみにロットは1880年にもう一作、交響曲を書いていたが、その「第2番」のスケッチは作曲者自身によって大部分が破棄されてしまったらしい。現在確認できる作品で、比較的知られているのは、交響曲第1番、管弦楽のための組曲、管弦楽のための前奏曲、「ジュリアス・シーザー」への前奏曲。一部でロットの研究が進んでいることもあり、知名度は徐々に上がりつつある。
ハンス・ロットは、かつてはマーラーの先を行く早すぎた作曲家、今の時点ではもう普通に知られるべき作曲家である。
(阿部十三)
イェンス・マルコフスキー「ハンス・ロットの生涯と交響曲第1番」(『ハンス・ロット:交響曲第1番』ライナーノーツ 2004年9月 BMGファンハウス)
ベアト・ハーゲルス「ハンス・ロットの交響曲第1番の成立について」(『ハンス・ロット:交響曲第1番』ライナーノーツ 2004年9月 BMGファンハウス)
アダム・ゲレン「ハンス・ロット:交響曲第1番 ホ長調 曲目解説」(『ハンス・ロット:交響曲第1番』ライナーノーツ 2012年5月 Sony Music Japan International)
吉村渓「ブルックナーとマーラーをつなぐミッシング・リンク」(『ハンス・ロット:交響曲第1番』ライナーノーツ 2012年5月 Sony Music Japan International)
ナターリエ・バウアー=レヒナー(ヘルベルト・キリアーン編)『グスタフ・マーラーの思い出』(1988年12月 音楽之友社)
【関連サイト】
ハンス・ロット
[1858.8.1-1884.6.25]
交響曲第1番 ホ長調
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
パーヴォ・ヤルヴィ指揮
フランクフルト放送交響楽団
2010年4月録音
セバスティアン・ヴァイグレ指揮
ミュンヘン放送管弦楽団
2003年12月録音
[1858.8.1-1884.6.25]
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