ジョスカン・デ・プレ 「神をはぐくむ汚れなき乙女」
2019.03.02
署名入りのモテット
ジョスカン・デ・プレは1440年頃おそらく北フランスに生まれ、1521年8月27日にコンデ=シュル=レスコーで亡くなったルネッサンス期を代表する作曲家である。1440年といえば、ジャンヌ・ダルクが火刑に処せられてまだ9年しか経っていない。ずいぶん昔の人のように思えるが、ジョスカンの作品はそれから何世紀もの間、多くの作曲家のように一度埋もれて再発見されるというプロセスを経ることなく、多くの人々に歌い継がれ、一定して高く評価されてきた。
ジョスカンに関して現時点で信頼できる最古の記録は、1459年にミラノ大聖堂に歌手として奉職していたことを示す資料である。この資料に記された「ビスカントール」が成人歌手を意味すると考えられることから、生年は1440年頃ではないかと推定された。ジョスカンはミラノ、ローマで歌手として奉職した後、1501年からはフランス国王ルイ12世の宮廷に音楽家として仕えていたとみられている(正式な宮廷音楽家であったかどうかは定かでない)。1503年4月にはフェラーラに移り、200ドゥカートの高給で礼拝堂楽長に就いたが、ペストの流行によりフェラーラを逃れ、1504年から神聖ローマ帝国領エノーのコンデ=シュル=レスコーに落ち着き、ノートルダム教会の首席司祭となった。
その地で亡くなる4日前、1521年8月23日にジョスカンは財産保全のため外国人登録をした。ジョスカンをエノー生まれとする説もあるが、国境を越えたところで生まれたから外国人登録をしたのだろう。彼がフランス人とされる所以である。世俗曲の大半がフランス語の歌詞であることも、それを裏付けていると言えそうだ。
ジョスカンは生前から作曲家として評価されていた。宮廷礼拝堂の音楽家を探していたフェラーラ公エルコレの廷臣2人が、ジョスカンについてエルコレに報告した手紙が残っているのだが、1人はジョスカンを迎えるべきだと勧め、もう一人はジョスカンではなく別の作曲家を迎えるべきだと勧めている。そのもう一人の理由が面白い。要約すると、「ジョスカンは作曲が上手だが、気が向いた時にしか作曲しない。別の作曲家は120ドゥカートで来てくれるのに、ジョスカンは200ドゥカートを要求している」というのだ。ジョスカンは己の才能を自覚し、安売りする気は微塵もなかったのだろう。それでもエルコレはジョスカンを望んだのである。
その作曲の才がどのようにして開花したのかは分かっていない。ただ、ヨハネス・オケゲムに影響を受け、この先人に敬意を払っていたことは、作風からも明らかである。後年、彼は偉大な先人の死(1497年)を悼み、ジャン・モリネの詩「オケゲムの死を悼む挽歌(森のニンフ)」に曲をつけた。全ての声部を黒符で記譜し、死の悲しみを表現した歌である。その詩には「ジョスカン」の名が、アントワーヌ・ブリュメル、ピエール・ド・ラ・リュー、ロイゼ・コンペールと共に併記されている。そんなことから、ジョスカンをオケゲムの弟子だったとする説もある。無論、これは仮説であり、直接教えは受けず、私淑していただけかもしれない。
ジョスカンの生涯は謎に包まれているが、それは名前の綴りに関しても言える。今では「JOSQUIN DES PREZ」とされているが、かつては定まっていなかった。この綴りが定着したのは、「神をはぐくむ汚れなき乙女」の題を持つ5声のモテットがあったからである。どういうことかというと、前半の12行の歌詞の1行目から7行目までの頭文字を並べると「IOSQVIN(JOSQUIN)」、8行目の冒頭に「Des」があり、9行目から12行目までの頭文字を並べて「PREZ」、これらをあわせたのが現在知られている綴りというわけである。いわゆる「縦読み」だが、正式にはこれをアクロスティックと呼ぶ。
ちなみに、後半の頭文字は、「ACAVVESCAVGAA」である。ここには、謎とされる生地の名が織り込まれているのかもしれない。というわけで、「ESCAV(ESCAU)」すなわちエスコー川ではないかと推理する人が多いようだ。たしかに、前半が名前ならば後半は出身地だろうと考えるのは道理だが、これについては定説にいたっていない。
ジョスカンといえば、「アヴェ・マリア」、「こおろぎは良い歌い手」、「はかりしれぬ悲しさ」などが有名だが、私がここで取り上げるのは、「神をはぐくむ汚れなき乙女」である。これは自らの署名を入れた曲というばかりでなく、完成度の高さでも特筆に値する。そのデリケートな和声と、2声部と全声部の鮮やかな対比と、そこからもたらされる豊かで温雅な響きは、ジョスカンの才能の最良の結晶と言える。精妙な均衡の上に、無限のやさしさが広がってゆくような音楽だ。
5声はスーペリウス、コントラテノール(2人)、テノール、バッススで、テノールが定旋律を歌う。定旋律にあたるのが、「ラーミーラ」である。「Maria」の母音「aーiーa」をソルミゼーションに合わせて転位したこの音列は、前半では間をあけて長く、後半では間をあけずに短くオスティナート的に歌われる。
ジョスカンは前半を2声主体とし、テノールが定旋律を歌うときに全声部が泉のごとく湧き上がるようにした。この方法に従えば、「ラーミーラ」が頻繁にあらわれる後半は、必然的に5声主体となり、前半とは対照的に継続して豊かな響きが形作られることになる。「唯一の母であり、御言葉を生みし人」「御身はエヴァの償い」「天の扉、弱き者の花、ユリの花のめでたき、美の乙女」といった歌詞だけでなく、音楽的構造の面からも、聖母マリアを讃える曲になっているのだ。
音楽は華美な装いもなく、度を越した感情にのまれることもなく、自然に高まり、静かに先へ先へと広がってゆく。精妙な書法であるばかりでなく、署名まで入れられているのだが、同時に、変わったことをしようという思惑じみたものからかけ離れた純粋な音楽でもある。これはもともと巧緻を極めたまま、そして、作曲家の名前を刻んだまま、ジョスカンの頭上に降りてきたのではないかと思いたくなるほどだ。
アンドリュー・パロットが指揮したタヴァナー・コンソートの録音(1992年録音)は、ゆったりとしたテンポでこの曲の真髄を伝える名唱。マンフレード・コルデスが指揮したブレーメン・ヴェーザー=ルネサンスの録音(2010年録音)は、テンポが比較的速く、歌声が放つ光彩は眩いほどだが、過剰すぎる残響が気になる。
(阿部十三)
【関連サイト】
ジョスカン・デ・プレ
[1440頃-1521.8.27]
モテット「神をはぐくむ汚れなき乙女」
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
アンドリュー・パロット指揮
タヴァナー・コンソート
録音:1992年
マンフレード・コルデス指揮
ブレーメン・ヴェーザー=ルネサンス
録音:2010年
[1440頃-1521.8.27]
モテット「神をはぐくむ汚れなき乙女」
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
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録音:1992年
マンフレード・コルデス指揮
ブレーメン・ヴェーザー=ルネサンス
録音:2010年
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