音楽 CLASSIC

ベートーヴェン 合唱幻想曲

2021.12.05
ピアノ独奏から合唱へ

beethoven choral fantasy j1
 ベートーヴェンの「ピアノ、合唱と管弦楽のための幻想曲」、通称「合唱幻想曲」は、1808年12月に数日間で作曲され、1808年12月22日にアン・デア・ウィーン劇場で初演された。ピアノ独奏による導入部は、ベートーヴェンが初演で即興演奏し、その後改訂されたものである。1808年12月22日といえば、交響曲第5番「運命」や第6番「田園」が初演された日で、「合唱幻想曲」はこの記念すべき大規模なコンサートの大トリを飾る曲だった。しかし、準備不足のため演奏の方は失敗に終わったという。

 「合唱幻想曲」は、ピアノ独奏と管弦楽と声楽を合わせた異色の作品である。管弦楽と声楽という(当時としては)斬新な組み合わせから我々がまず連想するのは、1824年に完成を見た交響曲第9番「合唱」だろう。その16年も前に、既成の価値観にとらわれないベートーヴェンらしい傑作が書かれていたのである。「合唱幻想曲」の作曲経験があったから第九が生まれたのだと言っても差し支えあるまい。第九の存在を神聖視するあまり、「合唱幻想曲」との影響関係を否定する人もいるが、それは無理があると思う。

 作曲した動機は不明。おそらく突然湧いてきた壮大なアイディアに身を委ねるようにして筆を進めたのではないだろうか。演奏時間は20分かからない程度だが、大きなスケール感があり、高揚感もあり、フィナーレは目を見張るほど輝かしい。主題は1795年頃に作曲された歌曲「愛されない男のため息と応えてくれる愛」の旋律に基づいている。歌曲の詩はゴットフリート・アウグスト・ビュルガーによるもの。自分を愛してくれる人がいることを知る喜び、自分が捧げる愛に相手が応えてくれることの喜びを歌っている。

 ベートーヴェンはその旋律を「合唱幻想曲」に転用するにあたり、詩を入れ替えた。新たに詩を書いたのはクリストフ・クフナーともゲオルグ・フリードリヒ・トライチュケとも言われているが、はっきりしない。内容は美しい音楽、美しい芸術への賛美であり、また、それらと共にある人の喜びを歌ったもので、「美しき魂たちよ、崇高な芸術がもたらす喜びを受け入れよ。愛と力が手をとるとき、人々は神の恩寵を授かるのだ」と締め括られる。

 構成は大きく2部に分かれていて、第1部はピアノによる「アダージョ」、第2部はピアノ、合唱、管弦楽による「フィナーレ」となる。ただ、一般的には次のように3部に分けられる。
第1部 アダージョ〜ピアノ独奏(第1小節〜第26小節)
第2部 フィナーレ〜ピアノ独奏、管弦楽(第27小節〜第397小節)
第3部 フィナーレ〜ピアノ独奏、管弦楽、合唱(第398小節〜第612小節)

 第1部のピアノ独奏はハ短調の荘重な響きで始まり、すぐに躍動感を増して劇的な起伏を描き、華麗な分散和音を響かせる。第2部では管弦楽が入ってきて、第58小節からピアノが「愛されない男のため息と応えてくれる愛」の主題を奏で、それが管弦楽とピアノによって変奏される。各楽器が主題を引き継ぎ、140小節からトゥッティで高らかに演奏される流れは第九を髣髴させる。第185小節からピアノがアレグロ・モルトで疾走し、烈しい展開を見せるが、間もなく穏やかになり、緊張感を保ったまま進行する。

 第322小節からのマルチャ・アッサイ・ヴィヴァーチェは、多くの人に第九のテノールを思い起こさせるだろう。その後、第365小節から夢想的で複雑な表情を見せ始めるが、やがて雲を払うようにして第3部が始まり、ハ長調の合唱の調べが美しく、心地よく響き、壮麗なクライマックスへと達する。最後に高らかに響く合唱は、「運命」の第4楽章冒頭を意識したものだろう。

 「合唱幻想曲」に対する評価は高いとは言えない。第九の子分扱いである。ただ、私はこの作品を偏愛し、よく聴いている。ピアノ独奏で始まり、やがて管弦楽が加わり、最後は合唱と共に渾然一体となる。ーー普通の作曲家なら思いついてもすぐに閑却しそうな、奇妙とも滑稽とも言えるアイディアだ。しかし、ベートーヴェンはそれと大真面目に向き合い、ここまで美しく、情熱的で、力強い音楽に仕上げてみせた。私はこの作品に耳を傾けるたびに、音楽以上のものを得たような気持ちになる。

 演奏機会が少ないのは仕方ないだろう。合唱が登場するのは409小節からで、演奏時間で言うと最後の4分間ほどである。そのために合唱団を呼んでコンサートを開くのは割が悪そうだ。録音の種類も、ベートーヴェンの作品にしては多くない。ピアノ協奏曲全集に収録されていることがあるが、大半は割愛されている。

アニア・ドルフマン(p)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮
NBC交響楽団
(1939年ライヴ録音)

ドルフマンを有名にした歴史的録音。冒頭の和音から崩れているが、超快速テンポで熱気にあふれている。演奏時間は16分半に満たない。私にとっては「合唱幻想曲」との初対面となった演奏。音質は良くない。

マリア・ユーディナ(p)
セルゲイ・ゴルチャコフ指揮
USSR全同盟放送交響楽団
(1947年録音)

冒頭の1小節目から独特のルバートがかかっている。第2部からは総じて速めのテンポで進む。緩急強弱がはっきりとしていて、女傑らしい颯爽たるピアニズムを楽しめる。ロシア語の合唱はハキハキしているがインパクトは弱い。音質は貧弱だが当時のソ連の音源の中では良い方だ。

ハンス・リヒター=ハーザー(p)
カール・ベーム指揮
ウィーン交響楽団
(1957年録音)

速めのテンポだが、骨格はがっしりとしている。マルチャ・アッサイ・ヴィヴァーチェでのウィーン風の木管の歌い回しが美しい。リヒター=ハーザーのピアノの響きは明朗だし、合唱も力強くて爽快だ。

ルドルフ・ゼルキン(p)
シャルル・ミュンシュ指揮
ボストン交響楽団
(1959年ライヴ録音)

「合唱幻想曲」の録音数(音源数)が最も多いピアニストはゼルキンである。これは古いライヴ音源だが、ピアノによる導入部には「熱情」でも弾いているような趣があり、耳を奪われる。メリハリのきいた緩急強弱の付け方はミュンシュらしい。185小節からのアレグロ・モルトは獅子奮迅という印象。

ギュンター・クーツ(p)
フランツ・コンヴィチュニー指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
(1960年録音)

残響のきいた録音。第1部のピアノが勿体ぶっていて、私の好みには合わない。第2部からはオーケストラの明るい響きのおかげで、風通しが良くなる。第3部の歌詞は社会主義体制を賛美するような内容に差し替えられている。

ルドルフ・ゼルキン(p)
レナード・バーンスタイン指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
(1962年録音)

セッション録音とは思えないほど燃焼している。特に冒頭のピアノ独奏と、アレグロ・モルトでの管弦楽とピアノの掛け合いがエキサイティングだ。管弦楽の演奏は楷書体で明快そのものだが、アダージョ・マ・ノン・トロッポで強調される低弦は耽美的。第3部では管弦楽、合唱共に派手に押し出されているが、それに反するようにピアノが無垢な響きになるのが面白い。

アルフレート・ブレンデル(p)
ヴィルフリード・ベッチャー指揮
シュトゥットガルト・フィルハーモニー管弦楽団
(1966年録音)

頑なに、と言いたくなるほど、ゆったりとしたテンポで慎重に進めている。合唱は美しいのだが、高揚感はあまり得られない。

ダニエル・バレンボイム(p)
オットー・クレンペラー指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
(1967年録音)

オーケストラの演奏には威容があり、引き込まれる。しかしピアノの技術的な面がどうも引っかかる。クレンペラーのスケールの大きな指揮にも合っているとは思えない。

イェルク・デムス(p)
フェルディナント・ライトナー指揮
ウィーン交響楽団
(1969年録音)

ピアノはやや硬質なくっきりとした音色。第2部で主題を変奏する各楽器のフレージング、第3部で合唱と絡むピアノがやけに愛らしい。合唱は壮麗ではないが明朗で、速めのテンポで爽やかに響く。

ルドルフ・ゼルキン(p)
ラファエル・クーベリック指揮
バイエルン放送交響楽団
(1977年ライヴ録音)

ゼルキンによる「合唱幻想曲」はどれも素晴らしいが、この演奏には心底圧倒された。ピアノの音は冒頭から美しい。管弦楽との呼吸も合っている。全体的に優しい雰囲気が漂うが、140小節からトゥッティで主題を奏でる時、凄まじいほどの生気を帯びる。その後の変奏でも、ピアノと管弦楽が共に生き生きしている。第3部では、大合唱が始まる444小節から異次元の美しさを放つ。合唱も高揚感に溢れていて素晴らしい。531小節などでテノールがやや興奮しすぎているが、オーケストラと合唱の大いなる響きが完全にカバーしている。最後を締めるピアノも厚みがあってダイナミック。これを生で聴けた人が羨ましい。

アルフレート・ブレンデル(p)
ベルナルト・ハイティンク指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
(1977年録音)

ゆったりとしたというか、まったりとした演奏。落ち着きのある「合唱幻想曲」があってもいいと思うが、この演奏にそれを良しとさせるだけの説得力があるとは思えない(私自身がもっと年齢を重ねれば、感じ方も多少変わるかもしれない)。

ルドルフ・ゼルキン(p)
ピーター・ゼルキン指揮
マールボロ祝祭管弦楽団
(1981年ライヴ録音)

記念すべき親子協演。ピアノの音が澄んでいる。テンポは中庸、管弦楽のフレージングは細かく変化する。弱音の時はかなり長めに間を取っている印象。第3部での低弦の強調は効果的だが、ティンパニの音が強すぎる。ピアノはひたすら澄んでいるが、管弦楽と合唱の方で無理やり熱演にしようと力んでいるように聞こえる。

ルドルフ・ゼルキン(p)
小澤征爾指揮
ボストン交響楽団
(1982年録音)

巨匠ゼルキンが弾いた「合唱幻想曲」の最後のセッション録音。第3部で声楽が加わってからのピアノの繊細な響きがとにかく美しい。この作品を知り尽くしたピアニストが旋律を慈しんで弾いているのが分かる。老いても枯れていない。熱気の方も申し分なし。

ペーター・レーゼル(p)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
(1985年録音)

冒頭のピアノは分厚い音でしっかりと響く。主題の提示からテンポが上がり始め、端正な美しさを纏う。難解な表情を見せる365小節からのパッセージも綺麗にまとめている。合唱が入ると華やいだ雰囲気になるが、歌詞はコンヴィチュニー盤と同様、差し替えられている。

マウリツィオ・ポリーニ(p)
クラウディオ・アバド指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1986年録音)

ウィーン・フィルの美音と名技を堪能させる格調高い名演奏。185小節からのアレグロ・モルトの箇所も燃焼している。合唱が入ってからの第3部はアンサンブルが整頓されすぎているというか、私がこの作品に求めている天をつくような高揚感が足りない。

オメロ・フランセッシュ(p)
レナード・バーンスタイン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1986年ライヴ収録)

ユニテルの映像。第1部のピアノは雰囲気たっぷりに始まる。第2部でのピアノとオーケストラとの掛け合いも熱気がこもっていて良い。ただ、第3部ではピアノ、オーケストラ、合唱が噛み合っていないところが散見される。

ウラディーミル・アシュケナージ指揮・独奏
クリーヴランド管弦楽団
(1987年録音)

弾き振りによる演奏。遅めのテンポで、フレーズを噛んで含めるように聴かせている。アンサンブルも整っている。ピアノと管弦楽の音色に耳を傾けていると、感情などが入り混じらない純粋美を志向しているように感じられる。しかし、いかんせん表情が不足していて、同じような調子が延々続くため耳が疲れる。

ピエール=ロラン・エマール(p)
ニコラウス・アーノンクール指揮
ヨーロッパ室内管弦楽団
(2003年録音)

ベートーヴェンの定跡とも言える苦悩から勝利へという構成を活かした演奏で、第3部での爽快な盛り上がりがカタルシスをもたらす。アルノルト・シェーンベルク合唱団が巧い。

エレーヌ・グリモー(p)
エサ=ペッカ・サロネン指揮
スウェーデン放送交響楽団
(2003年ライヴ録音)

ソリストの才能がきらめく内容で、颯爽とした演奏だ。ライヴらしくピアノの強音に気合いがこもっていて深く胸に響く。スウェーデン放送合唱団による合唱も美しい。私はこの演奏を聴いたことで「合唱幻想曲」に惹かれた。

イェフィム・ブロンフマン(p)
デイヴィッド・ジンマン指揮
チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
(2005年録音)

ジンマンらしい明快なダイナミズムが心地よい。決して軽い演奏ではない。ピアノとオーケストラが築くアンサンブルに厚みがあり、低弦が生き生きとしている。テンポは速めだが速すぎない。

レイフ・オヴェ・アンスネス指揮・独奏
マーラー・チェンバー・オーケストラ
(2014年録音)

このピアニストらしく端正にまとめるのかと思いきや、勢いと迫力のあるフィナーレを築いている。

(阿部十三)


【関連サイト】
Ludwig van Beethoven "Choral Fantasy"(NAXOS MUSIC LIBRARY)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
[1770.12.16?-1827.3.26]
ピアノ、合唱と管弦楽のための幻想曲(合唱幻想曲) ハ短調 Op.80

【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
ルドルフ・ゼルキン(p)
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バイエルン放送合唱団
バイエルン放送交響楽団
録音:1977年10月

ルドルフ・ゼルキン(p)
小澤征爾指揮
タングルウッド祝祭合唱団
ボストン交響楽団
録音:1982年10月

エレーヌ・グリモー(p)
エサ=ペッカ・サロネン指揮
スウェーデン放送合唱団
スウェーデン放送交響楽団
録音:2003年(ライヴ)

ピエール=ロラン・エマール(p)
ニコラウス・アーノンクール指揮
アルノルト・シェーンベルク合唱団
ヨーロッパ室内管弦楽団
録音:2003年

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