音楽 CLASSIC

フランク 「前奏曲、コラールとフーガ」

2022.12.04
啓示的に響くコラール

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 セザール・フランクの「前奏曲、コラールとフーガ」は1884年に作曲され、1885年1月24日もしくは25日にマリー・ポアトヴァンによって初演された。フランクは若い頃ピアニストとして才能を開花させ、ピアノ曲も書いていたが、25歳の時(1847年)にオルガニストに転向した。それからは他の楽器のために書いた作品をピアノ用に編曲することはあったが、あくまでも編曲であり、純粋なピアノ曲は作曲していなかった。

 ピアノ回帰の契機となったのは、57歳の時に完成させたピアノ五重奏曲(1879年)である。この作品を書かせる原動力となったのは、作曲家を志望していた女生徒オーギュスタ・オルメスへの想いだったという。そして、1884年から憑かれたようにピアノ曲を書き出す。「前奏曲、コラールとフーガ」(1884年)、「緩やかな舞曲」(1885年)、「前奏曲、アリアと終曲」(1887年)である。ピアノと管弦楽のための交響詩「霊魔」(1884年)、交響的変奏曲(1885年)、ピアノの活躍が目立つヴァイオリン・ソナタ(1886年)もこの時期の作品だ。

 フランクのピアノ曲の中で、演奏される機会が最も多いのは「前奏曲、コラールとフーガ」だろう。この作品を愛したアルフレッド・コルトーは、「これは全く天才の産物であって、もともと厳格な形式を柔軟にし、人間的なものにし、元来の威厳を損わずに、感動的な力と内省的な感情を付与している」と絶賛した。「前奏曲とフーガ」という確固たる形式の中に「コラール」を配した発想は天才的としか言いようがない。そこから想像力をかき立てるような音楽がとめどなく溢れ出てくる。その喚起力があまりに強いため、耳を傾けているだけで遠い世界へ連れて行かれる感じがする。

 前奏曲(1)、コラール(2)、フーガ(3)は続けて演奏される。(1)はアルペジオで始まり、BACH主題に似た主題が提示され、暗く美しい幻想的な雰囲気に覆われる。(2)はゆっくりと始まり、まもなくコラール旋律が3回調性を変えて現れる。経過句は閃きに満ちていて自由である。その後、移行部で速度を上げ、フーガへ。(3)は最初は型通りに進むが、やがて半音階の多用により安定感を失い、変奏曲的な様相を呈する。これに批判的だったサン=サーンスは「際限のない脱線」と評したが、フーガが複雑化したところで天啓のようにアルペジオが起こり、美しいコラール旋律がよみがえる。最後は、この旋律が長調で輝かしく鳴り響いて終わる。

 コラール旋律は、人の運命を啓示するかのように響く。劇的に高潮しても、静けさが感じられる。原型となっているのは「怒りの日」だろう。ベルリオーズの幻想交響曲、リストの「死の舞踏」などにも使われているグレゴリオ聖歌である。フランクの弟子ヴァンサン・ダンディは、ワーグナーの『パルジファル』に出てくる「鐘の動機」との類似性を指摘している。

 この音楽を聴くと、子供の頃に見た風景を思い出す。1970年代か、1980年代前半かは覚えていない。夜、私は親と電車に乗り、車窓を見るともなく見ていた。どこを走っているのかは分からない。車窓の向こうで、小さな家の灯りが次々と現れては消えていく。視界を覆う暗さと、移りゆく光の粒。その風景を見ているうちに、私は一人ぼっちになったような感覚にとらわれる。とらえようのない寂しさとむなしさ。と、不意に暗さの中に引きずり込まれそうになる。私は怖くなり、車窓から目を離し、灯りのまぶしい電車内に目を向ける。そこには親がいて、ほっとする。

 録音はいろいろ聴いてきたが、聴いているうちに自分の好みがはっきりしてきた。強弱の表現が劇的すぎる演奏は好きではない。名演奏と呼びたいのは5種類だけだ。スヴャトスラフ・リヒテルの演奏(1994年ライヴ録音)、アルフレッド・コルトーの演奏(1929年録音)、サンソン・フランソワの演奏(1969年ライヴ録音)、ディノラ・ヴァルシの演奏(1995年録音)、セルジオ・フィオレンティーノの演奏(1995年頃録音)である。

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 リヒテル盤には夢幻的な美しさがあり、淀みがない。フーガを慎重に扱い、音にさりげなくメリハリを付けているところも魅力的だ。コルトー盤は、音質は古いが、前奏曲は神秘的な空気に包まれていて、高揚感がある。フーガは速めに駆け抜けるように弾かれ、「際限のない脱線」と思わせない。フランソワの来日ライヴ盤は、若い頃に録音した演奏とは違い、音の響きに独特の暗さがある。しかし暗いだけでなく、自由な息遣いも感じられる。ディノラ・ヴァルシは抑制のきいた表現で丁寧に演奏し、重みのある低音で陰影をつけている。フーガ部でコラール旋律を回帰させる際、まず静かに弾き出すところも良い。

 セルジオ・フィオレンティーノ盤(1995年頃録音)はテンポの緩急の付け方が絶妙。音の響きは内省的で、詩的な味わいがある。明確なフレージングで紡がれるコラール旋律には敬虔な雰囲気が漂い、フーガ前の移行部にも派手さがなく、落ち着いている。余分な力みは一切ない。フィオレンティーノが弾くフランクといえば、「前奏曲、フーガと変奏曲」の録音が素晴らしく、これ以上望めないほどの名演奏だったが、こちらも理想的な演奏の一つと言えるだろう。

 ちなみに、この曲はルキノ・ヴィスコンティ監督の『熊座の淡き星影』で使われている。姉弟の暗い宿命を描いた映画で、音楽と調和していた。ヴィスコンティの選曲センスには脱帽するほかない。
(阿部十三)


【関連サイト】
セザール・フランク
[1822.12.10-1890.11.8]
前奏曲、コラールとフーガ ロ短調

【お薦めの演奏】(掲載ジャケット:上から)
セルジオ・フィオレンティーノ(p)
録音:1995年10月8日

スヴャトスラフ・リヒテル(p)
録音:1994年6月5日(ライヴ)

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