音楽 CLASSIC

シューベルト ピアノ・ソナタ第21番

2024.08.05
自由であり、孤独である

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 シューベルトは31年の短い生涯の間に多くの曲を書いた。断片や消失したものも含めると、その数は1000曲以上に及ぶ。晩年は創作意欲が衰えるどころかますます盛んになり、傑作を次々と生み出した。

 晩年のシューベルトをつき動かしたものが何かはわからないが、ベートーヴェンの死(1827年3月)は一つの契機となったかもしれない。かつて、「ベートーヴェンの後に生まれた者に、一体何ができるというのか」と語っていた少年は、いつしか独自の音楽語法を追求し、「さすらい人」幻想曲、「ザ・グレイト」、弦楽四重奏曲第15番のような作品を書くまでになっていた。しかし、次世代を担うには、シューベルトに与えられた時間はあまりに短かった。

 ピアノ・ソナタ第21番は、その最後の時間に作曲された傑作である。完成したのは1828年9月26日。同じ月にピアノ・ソナタ第19番と第20番、弦楽五重奏曲などが書かれている。いずれも小品ではない。規模の大きな作品ばかりである。亡くなる2ヶ月前の仕事とは思えない質と量だ。作曲家が死期を前にして作曲の量を減らしていくケースは珍しくないが、晩年に創作力を爆発させる例は珍しい。特に第21番に注がれた創作力は厖大である。人智を超えた力が働いていたとしか思えない。

 4楽章構成で、広大なスケールと深みを持つ。まともに演奏すれば大体40分はかかる。決して暗い曲ではない。死を前にした人間の孤独や諦観が感じられる一方で、生への憧れも感じられる。人生の深い淵のようなものが見える一方で、生命に宿る光、祈りがもたらす光も見える。繋がりそうにない旋律が繋がり、幾度となく転調し、変容し、雰囲気を変えていくさまは、ほとんど計算を超えている。驚くほど独創的で、不条理ですらあるが、美しい。

 第1楽章はモルト・モデラート。ソナタ形式。夢見るような第1主題が奏でられた後、立ち止まって沈思するように低音のトリルが響く。第1主題は確保されるが、徐々に変容し緊張度を増す。翳りのある美しい第2主題が現れると、自由に転調を繰り返し、表情の異なる旋律を連結させ、コデッタに至る。展開部は2つの主題を主軸にして進み、徐々に熱気を帯びて激しく燃焼する。再現部はほぼ型通りに進むが、第2主題の表情は暗い。終結部では何かを諦めたように恬淡とした境地を示し、静かに終わる。

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 第2楽章はアンダンテ・ソステヌート。三部形式。孤影悄然とした主題がゆっくりと奏でられるが、まもなく明るみを帯び、祈りの音楽のように響く。ここまで僅か18小節。魔法のように世界を変ずる筆運びに驚かされる。中間部は16分音符で低音が刻まれる中、歌謡的な旋律が駆け抜けていく。この旋律は冒頭の主題から派生したものだが暗さはなく、前進する決意を感じさせる。まもなく冒頭の主題が再現され、寂寥と祈りの音楽に覆われる。

 第3楽章はスケルツォ:アレグロ・ヴィヴァーチェ・コン・デリカッツァ。コン・デリカッツァは「繊細に、優美に」という意味である。明るい主題(歌曲「リュートに寄せて」に似ている)が軽やかに躍動し、装飾を加えたり転調したりしながら繰り返される。中間部では一転して暗がりに入り、緊張感を帯びる。fzp(強く弾いた後すぐに弱く)の指示が多く、演奏の際は繊細さが求められる。その後ダ・カーポとなり、最後は4小節分のコーダに飛んで終わる。

 第4楽章はアレグロ・マ・ノン・トロッポ。孤独感をたたえた第1主題が繰り返された後、明るい第2主題が現れ、軽快に進みながら何度も転調し、明暗どちらに転ぶかわからない危うさを漂わせる。すると突然、付点のリズムに切り替わり、第2主題が嵐のように響く。その後、第1主題を大胆に展開させてから再現部に入り、コーダへ。第1主題が繰り返されてからプレストで力強く駆け抜けて終わる。展開部がないソナタ形式ないし自由なロンドソナタ形式と言える。

 両端楽章の主題を支える8分音符や16分音符の刻みは、何となく切迫感のようなものを感じさせる。立ち止まりたいという気持ちはあるが止まれないという、やむにやまれぬものが音楽に現れている。また、この刻みがあることで、主題がより切実に響いているような印象がある。孤独の影を従えて、暗く重いものを意識しながらも、あくまでも前を向き、自由を志向し、進んでいく。そんなシューベルトの心境が伝わってくるようである。

 私はスヴャトスラフ・リヒテル盤(1972年録音)で初めてこの作品を聴き、音楽の巨大さに圧倒された。第1楽章のテンポは、いつ終わるか分からないほど遅い。人生の深淵をあらわにするような演奏で、暗く、重く、深い音楽がとめどなく広がっていく。先がどうなるのか全く読めず、どんどん引き込まれる。なんとなく恐ろしいが、美しい。スケールが大きすぎて、孤独な人に寄り添う感じではないし、一度聴くだけでも相当のエネルギーを消費するが、大胆に核心をついた演奏だと思う。

 個人的によく聴いたのは、アルトゥール・シュナーベル盤(1939年録音)、クララ・ハスキル(1957年ライヴ録音)、ヴィルヘルム・ケンプ盤(1967年録音)、エディト・ピヒト=アクセンフェルト盤(1983年録音)で、どれも素晴らしい演奏である。21世紀以降の録音では、レオン・フライシャー盤(2004年録音)、クリスチャン・ツィメルマン盤(2016年録音)に感銘を受けた。

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 シュナーベルはシューベルトを好み、演奏会でしばしば取り上げ、作品の普及に貢献したことで知られている。次々と入れ替わるフレーズをただ流すように弾かず、異なるニュアンスを与えて弾き分けているので、表情の変化が掴みやすい。それでいて音楽の自然な流れをなるべく壊さないよう配慮されている。音色が暖かく、落ち着いた風格があり、恣意的な感じがしない。フライシャーの演奏は師シュナーベルの衣鉢を継いだもので、フレーズを丁寧に紡ぎ、深みのある表現で魅了する。彼はデビュー盤(1956年録音)でもこの作品を取り上げていたが、病気を克服した老年期の演奏の方が胸にしみる。

 ケンプ盤は優しいタッチで、むやみに強調しない。第1楽章の第1主題を聴いてもわかるように、低音を強めに弾いていて、ピアノの響きに重みがある。ただ、人生の深淵を見せる演奏というよりは、その存在を感じながらも、表情は穏やかに、前を向いて進んでいるような印象がある。ハスキルも低音の響きが深いが、ケンプ盤とは趣が異なる。テンポが速く、陰影が濃い。激しく叫ぶことはないが、孤独感と切迫感がはっきり出ている。緩急強弱は明確だが、不思議と幻想的で美しい。特に弱音になったときに溢れてくる詩情は忘れ難い。
(阿部十三)


【関連サイト】
フランツ・シューベルト
[1797.1.31-1828.11.19]
ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D.960

【お薦めの録音】(掲載ジャケット:上から)
ヴィルヘルム・ケンプ(p)
録音:1967年

スヴャトスラフ・リヒテル(p)
録音:1972年

アルトゥール・シュナーベル(p)
録音:1939年

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