音楽 CLASSIC

モーツァルト 歌劇『フィガロの結婚』

2024.09.06
フィナーレまで驚異の連続

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 モーツァルトの『フィガロの結婚』は、1785年から1786年にかけて作曲され、1786年5月1日にウィーンのブルク劇場で初演された。その時は9回上演されただけで打ち切られたが、1787年にプラハで成功を収め、1789年にウィーンで再演された。それ以来、定番の演目として人々に親しまれるようになった。原作は1778年に書かれたボーマルシェの同名の戯曲『たわけた一日、あるいはフィガロの結婚』である。

 ボーマルシェの作品は貴族を痛烈に批判した内容であったため、検閲局で危険視され、ルイ16世の反感を買ったが、ようやく1784年になってコメディ・フランセーズで初演された。結果は大成功、上演は68回も続いた。しかし、ウィーンでは皇帝ヨーゼフ2世の命令により上演を禁じられていた。このままではオペラ化も難しい。そこでイタリア出身の台本作家のロレンツォ・ダ・ポンテは自ら皇帝を説得し、戯曲の内容を穏和にすることを条件に、オペラ上演の許可を得た。もっとも、これらの証言はダ・ポンテ自身によるものなので、どこまでが事実なのかは分からない。

 主な登場人物は、アルマヴィーア伯爵、伯爵夫人、伯爵の従僕フィガロ、伯爵夫人の侍女スザンナ、小姓ケルビーノ、女中頭のマルチェリーナ、医師のバルトロである。舞台はアルマヴィーア伯爵の城内。フィガロとスザンナは婚礼を控えているが、スザンナは気が気でない。伯爵が自分の貞操を狙い、一旦廃止した初夜権を復活させようと目論んでいるからだ。そのことを知ったフィガロは婚礼を急ごうとするが、当然伯爵のお許しは出ない。おまけにフィガロは、昔、年上の女中頭マルチェリーナに借金をした際、「返済できなければ結婚する」と約束させられた過去がある。マルチェリーナはその証文を盾に、フィガロとスザンナの結婚を阻もうとしていた。一方、小姓ケルビーノはというと、伯爵夫人に懸想し、その想いを隠そうともしていない。

 伯爵夫人は夫の愛を失ったことを嘆いている。どうにかして伯爵をやり込めたいフィガロは、伯爵夫人とスザンナに作戦を伝える。ひとつは、伯爵が伯爵夫人の浮気を疑い嫉妬するように仕向けること。もうひとつは、スザンナが伯爵との逢引を約束し、逢引の場所にスザンナではなく女装させたケルビーノを行かせ、伯爵夫人が浮気現場を取り押さえることである。一方、マルチェリーナの計略は思わぬ形で破綻する。フィガロの右腕の痣から、赤子の頃に誘拐されて行方知らずになった、マルチェリーナとバルトロの子と判明したのである。かくして親子は感動の再会を果たす。

 あとは伯爵をとっちめるだけである。伯爵夫人はフィガロにも内緒にして作戦を変更し、待ち合わせ場所を記した手紙をスザンナに書かせる。スザンナは誰にも気付かれないように伯爵に手紙を渡す。フィガロは伯爵が持っている手紙を見て、差出人はどこかの色女だろうと考える。

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 しかしフィガロは、庭師の娘バルバリーナの話から、手紙の差出人がスザンナであることを知り、裏切られたと早合点する。作戦変更のことを聞かされていないので、勘違いしても仕方ない。やがて伯爵夫人とスザンナが衣装を取り替えて庭園に現れ、配置につく。何も知らない伯爵は、スザンナの衣装を着た伯爵夫人を口説き始める。近くで見張っていたフィガロは怒りのあまり妨害しようとするが、伯爵夫人の衣装を着たスザンナに止められる。フィガロはそれが伯爵夫人でなくスザンナであることに気付き、作戦が変わったことを了解する。

 フィガロは伯爵に聞こえよがしに、伯爵夫人の衣装を着たスザンナを口説き始める。伯爵は「自分の妻がフィガロと逢引している」と思い込んで嫉妬し、フィガロを捕まえ、皆を呼ぶ。そして「裏切られた、辱められた」と怒るが、その時、スザンナに扮した伯爵夫人が顔をはっきりと見せる。一本取られた伯爵は許しを乞い、伯爵夫人はそれを受け入れ、大団円となる。

 ひとつのオペラに有名なアリアや合唱が2、3曲あれば十分人気作となり得るが、『フィガロの結婚』には魅力的な音楽が溢れんばかりに詰まっている。明るく華麗な序曲、フィガロの「もし踊りをなさりたければ」と「もう飛ぶまいぞこの蝶々」、ケルビーノの「自分で自分がわからない」と「恋とはどんなものかしら」、伯爵夫人の「愛の神よ、安らぎを与えたまえ」と「楽しい思い出はどこへ」、スザンナの「恋人よ、早くここへ」、フィガロとスザンナの「5, 10, 20, 30...」、伯爵夫人とスザンナの「手紙の二重唱」、どれも素晴らしい。いや、素晴らしいという言葉では足りない。驚異の連続である。

 音楽的に圧巻なのは、第2幕の終わりだろう。早く結婚式を挙げたいフィガロは「みなさん、外に楽士たちが来ております」と言って、スザンナを連れて行こうとするが、伯爵に止められ、さらにマルチェリーナに結婚を迫られ、幕が閉じる。その間、時間にして約15分、緩急が忙しく入れ替わり、多彩な旋律が次々と飛び出し、最終的には怒涛の勢いで畳み掛ける。しかも、計算して作っているような努力の痕跡は皆無である。第3幕でフィガロがマルチェリーナの子供と判明してからの六重唱もコミカルで活気に富み、ワクワクさせられる。私が最も好きなのは第4幕のフィナーレで、喜びに溢れ、燦々と輝かしく、賑やかに締めくくられる。私はこれを聴くたびに、いろいろあっても人生は素晴らしいものだ、という気持ちにさせられる。

 エーリヒ・クライバー指揮、ウィーン・フィルの演奏(1955年録音)は古いステレオ録音だが、音楽が生き生きと躍動している。まず歌手陣が魅力的。セッション録音とは思えないほど活気に満ち、茶目っ気があり、慣れた舞台で演じているかのように楽しげである。中でもスザンナ役のヒルデ・ギューデン、伯爵夫人役のリーザ・デラ・カーザは理想的な配役で、「手紙の二重唱」も美しい。クライバーの指揮には軽みと余裕があり、フレージングが優美で、せせこましいところがない。そして、ここぞという時に歌手とオーケストラをうまく乗せ、アンサンブルが多少乱れても構わずに押し切り、渾然とした迫力を生み出す。合唱部分のダイナミックな盛り上がりも爽快だ。

 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、フィルハーモニア管の演奏(1959年録音)、カール・ベーム指揮、ベルリン・ドイツ・オペラの演奏(1968年録音)も、昔から多くのファンに愛されている名盤だ。ジュリーニ盤のテンポは速めで、オーケストラの響きは明るい。歌手陣が声色を変えたりしてコミカルに演じているところも面白い。ただ、それより何よりケルビーノ役のフィオレンツァ・コッソットの美声が衝撃的である。初めて聴いた時は唖然として、思わずもう一度聴き直したものだ。ベーム盤はオーケストラと歌手がしっかりとコントロールされ、音楽の流れ方も落ち着いていて、安心感がある。全体的に歌手陣のバランスも良く、ヘルマン・プライ、エディト・マティス、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、グンドゥラ・ヤノヴィッツが気品のある歌を聴かせている。ちなみに、ベーム盤はライヴを含めると10種類以上あり、オペラ映画(1976年収録)や来日公演時の映像(1980年収録)も残っている。

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 ヴィットリオ・グイ盤(1955年録音)は、グラインドボーン音楽祭での上演後、同じメンバーで録音したもの。オーケストラは比較的小編成で、きびきびとして心地よい。楽器の音に暖かい色彩感があり、歌心にも溢れている。歌手陣の掛け合いも闊達で、舞台で演じられているような雰囲気がある。歌唱面では、伯爵夫人役のセーナ・ユリナッチが情感をこめて歌うカヴァティーナとアリアが清らかで感動的だ。「最高のスザンナ」との呼び声も高いグラツィエラ・シュッティも、可憐な歌声で花を添えている。21世紀の録音では、テオドール・クルレンツィス指揮、ムジカ・エテルナの演奏(2012年録音)が面白い。ピリオド奏法でテンポは速く、フォルテピアノがレチタティーヴォで(それ以外の箇所でも)悪戯っぽく駆け回る。強弱のニュアンスを大事にしながらも行き過ぎず、音楽が自然に流れていくところも良い。白眉はフィナーレで伯爵が謝罪する場面だろう。思いきりテンポを落とし、宗教的な美しさで満たし、懺悔と祈りの音楽のように聴かせている。
(阿部十三)


【関連サイト】
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
[1756.1.27-1791.12.5]
歌劇『フィガロの結婚』K.492

【お薦めの録音】(掲載ジャケット:上から)
アルフレート・ペル、リーザ・デラ・カーザ、
ヒルデ・ギューデン、チェーザレ・シエピ他
エーリヒ・クライバー指揮
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1955年6月

フランコ・カラブレーゼ、セーナ・ユリナッチ、
セスト・ブルスカンティーニ、グラツィエラ・シュッティ他
ヴィットリオ・グイ指揮
グラインドボーン音楽祭管弦楽団&合唱団
録音:1955年7月

アンドレイ・ボンダレンコ、ジモーネ・ケルメス、
クリスティアン・ヴァン・ホルン、ファニー・アントネルー他
テオドール・クルレンツィス指揮
ムジカ・エテルナ&合唱団
録音:2012年9月〜10月

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