音楽 CLASSIC

ブラームス 交響曲第3番

2024.10.05
型にとらわれず、自由に

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 ブラームスの交響曲第3番は1883年に作曲され、同年12月2日に初演された。作曲当時、ブラームスは50歳。5月頃からヴィースバーデンで本腰を入れて筆を進め、10月にほぼ完成させた。ブラームスにしては速筆である。ちょうど作曲期間中、若い歌手ヘルミーネ・シュピースに恋慕の情を抱いていたらしく、その気分が作品に反映されていると見る向きもある(結局2人の関係は進展しなかった)。3回にわたるイタリア旅行(1778年、1881年、1882年)の影響を指摘する研究者もいる。

 ハンス・リヒター指揮、ウィーン・フィルによる初演は成功裡に終わり、ブラームスは何度もカーテンコールに応えたという。評判は上々で、例えばエドゥアルト・ハンスリックは「健康的で、生気溢れるベートーヴェンの第2期を思わせ、ところどころにシューマンやメンデルスゾーンのあのロマン派的な光もほのかに見える」と評している。楽譜は1884年にジムロックから出版された。

 第1楽章はアレグロ・コン・ブリオ。ヘ長調。ソナタ形式。管弦楽が基本動機を示し、第1主題が明るく躍動する。経過句は美しく、第2主題はのどかで優しい。第49小節以降、基本動機を発展させる手腕が鮮やかで、限られた要素で音楽の表情を大きく変化させている。展開部では第2主題を情熱的に繰り返し、徐々に穏やかになって、ホルンがゆったりと基本動機を奏で、第1主題の出現を暗示する。その暗示を繰り返し、ようやく第1主題がはっきりと姿を現し、再現部へ。再現部はほぼ型通りだが、コーダでは基本動機を大胆に変形させて第1主題を導き、第1主題と基本動機を絡ませて興奮状態に陥る。しかし、まもなく鎮まり、最後は第1主題を穏やかに奏でて終わる。

 第2楽章はアンダンテ。ハ長調。3部形式。クラリネットとファゴットが穏やかな主題(冒頭主題)を奏で、弦楽器が低音でそれに応える。主題は木管によって変奏され、ヴァイオリンが加わることで明るさが増すが、すぐに暗く静かになる。中間部ではまず第40小節で木管が寂寥感のある旋律(中間部主題)を奏で、経過句に入る。ここで(第62小節で)冒頭主題をさらに変奏させた旋律があらわれ、情熱的に歌われる。その後、冒頭主題の原型が再現され、平穏な雰囲気が戻り、やがて静寂に向かう。最後に中間部主題の一部が回帰し、安穏のうちに曲を閉じる。

 第3楽章はポーコ・アレグレット。ハ短調。3部形式。チェロが感傷的な主題を奏で、ヴァイオリンが引き継ぎ、さらにフルート、オーボエ、ホルンが引き継ぐ。中間部は変イ長調で、木管とチェロがのどかな旋律を奏でるが、どこか寂しげでもある。そこにヴァイオリンの優美な旋律が広がり、微妙な陰影が生まれる。その後、冒頭の主題がホルンによって再現され、オーボエがそれを引き継ぐ。最後はヴァイオリンが最後に高らかに歌い上げ、切ない余韻を残して静かに終わる。この主題は映画に使われたり、ポップスにアレンジされたりして有名になった。

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 第4楽章はアレグロ。ヘ短調ーヘ長調。自由なソナタ形式。暗い情念を思わせる第1主題が繰り返され、第3楽章の中間部主題が回想される。その後、音楽が熱気を帯びて猛進。ホルンが明るく第2主題を響かせて盛り上がる。展開部はなく、そのまま再現部となり、第1主題が静かに再現される。しかしすぐに力を増し、第3楽章の中間部主題や第2主題を挟んで、闘争心と激情を迸らせる。やがて木管に第1主題があらわれ、それをきっかけに音楽が鎮まる。コーダでは木管がヘ長調で高らかに第1主題を歌い、金管がコラール風の経過句を響かせる。最後は第1楽章の第1主題が回想され、静かに終わる。

 4つの楽章は全て静かに終わる。変わった趣向だが、何を意図したのだろう。第1楽章の展開部やコーダに工夫を凝らしたり、第4楽章で展開部を省いたりしているところもユニークと言えばユニークである。ブラームスなりに、ありきたりな交響曲のフォーマットから抜け出そうとしていたのだろうか。一説によると、第1楽章の基本動機は、ブラームスがモットーとしていた「Frei aber froh(自由に、しかし楽しく)」の頭文字をとり、「F-A♭-F」(ドイツ語だとF-As-F)の3音にしたらしい。先人が作った型にとらわれず、自由に交響曲を書きたいというのが本音だったのかもしれない。

 第3番に関する同時代評は、先人ベートーヴェンを引き合いに出したものが目立つ。先に紹介したハンスリックもそうだが、ハンス・リヒターもベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」を念頭に置いた上で、「(第3番は)ブラームスの『英雄』である」と評した。ついでに言うと、ブラームスのことを敵視していたワーグナー派の作曲家フーゴ・ヴォルフも、ベートーヴェンの交響曲第2番と比べて「出来損ない」「独創性がない」と酷評している。

 ワーグナー派に限らず、この作品を好まない人はいただろう。私自身も昔はブラームスの4つの交響曲の中で、第3番が最も苦手だった。両端楽章はいびつな大言壮語、第3楽章は通俗的に思えて仕方なかった。全体を通して聴いても、何を表現しようとしているのかよくわからなかった。それが今では何の抵抗もなく、むしろ好んで聴くようになっている。我ながら変われば変わるものだ。きっかけとなったのは、第2楽章の第62小節から始まる冒頭主題を変形させた旋律である。その歌心あふれるフレーズに魅了され、苦手意識が雲散霧消した。

 また、これはHMVにいた頃お世話になった金井清隆さんの受け売りだが、第3番は指揮者にとって難易度が高く、バトンテクニックを測る上で非常に参考になる。いわば試金石みたいなものだ。注意して聴いてみると、名指揮者と言われている人でも(主に第1楽章で)苦労していることがわかる。そうした聴き方をしているうちに、だんだんこの音楽の表現の難しさ、面白さがわかってきて、親しみがわいてきた。ちなみに、金井さんはこのことをウィーンでクルト・ヴェスに教わったらしい。ヴェスは最も上手い指揮者としてハンス・クナッパーツブッシュの名を挙げていたという。

 クナッパーツブッシュはこの作品を得意としていたようで、ライヴ音源が10種類ほどある。名演の誉れ高い1950年の演奏(オケはベルリン・フィル)は、第1楽章の冒頭から天変地異でも起こったかと思うくらい壮大な音が鳴り響く。テンポは遅く、アクセントの付け方は独特。フレーズを歌わせるときに低音を強調したり、彫りの深いアクセントをつけたりして、濃厚な陰影を出している。ただでさえ高度なバトンテクニックを要するこの作品で、ここまで自分の思うままに指揮している人もいないだろう。何が起こるかわからないスリリングな演奏である。ただし音質は良くない。

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 グイド・カンテッリ指揮、フィルハーモニア管の演奏(1955年録音)も名演。明快だが整然としすぎず、アンサンブルが筋肉質にならず、旋律をのびやかに歌わせ、流れるような美しさを保っている。楷書体のようで草書体の味わいがある。特に第4楽章は秀逸で、翼を広げて飛びたつような高揚感がある。ヨーゼフ・カイルベルト指揮、バンベルク響の演奏(1963年録音)はしばしば無骨と言われるが、そんなことはない。骨格はしっかりしていても、弱音はやわらかく、内声部の繊細な動きがよく聴き取れる。ホルンもよく歌っていて、全体的に楽器の響きがみずみずしい。

 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、ベルリン・フィル(1954年録音)、フリッツ・ライナー指揮、シカゴ交響楽団(1957年録音)、エイドリアン・ボールト指揮 ロンドン・フィル(1970年録音)、マリス・ヤンソンス指揮、バイエルン放送響(2005年ライブ録音)の演奏も素晴らしい。私が最も惹かれた第2楽章の第62小節で旋律に関しては、ブルーノ・ワルター指揮、コロンビア響の演奏(1960年録音)とオイゲン・ヨッフム指揮、ロンドン・フィルの演奏(1977年録音)が双璧で、あふれんばかりの情感が伝わってくる。何度聴いても感動的だ。
(阿部十三)

【関連サイト】
Brahms:Symphony No.3(CD)
ヨハネス・ブラームス
[1833.5.7-1897.4.3]
交響曲第3番 ヘ長調 作品90

【お薦めの演奏】(掲載ジャケット:上から)
グイド・カンテルリ指揮
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1955年

ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1950年(ライヴ)

ヨーゼフ・カイルベルト指揮
バンベルク交響楽団
録音:1963年

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