音楽 CLASSIC

R.シュトラウス 交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』

2024.11.01
哲学書と音楽

strauss zarathustra j1
 交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』は1896年2月から8月にかけて作曲され、同年11月27日、作曲者自身の指揮により初演が行われた。『ツァラトゥストラはかく語りき』とはドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの代表作(1883年〜1885年)であり、ツァラトゥストラはゾロアスター教の開祖と言われる古代アーリア人である。ニーチェはこの人物を主人公にして、己の思想を語らせるという一風変わった形式をとり、物語のように話を進めている。もともと哲学に関心を持ち、ニーチェに惹かれていたリヒャルト・シュトラウスは、この本を早い段階で読んでいたようだ。

 作曲姿勢について、シュトラウスは次のように述べている。「私は哲学的な音楽を書こうとしたわけではなく、ニーチェの偉大な著作を音楽で描こうとしたわけでもない。音楽という手段を使い、人類の起源から、宗教や科学などの進化の様々な様相を経て、ニーチェの超人思想に到達するまでを伝えようとした」ーーとはいうものの、実際に本に出てくる言葉を標題にしているところから察するに、哲学を音楽で描こうとする気持ちはあったはずである。自信家だったシュトラウスのこと、哲学を音楽で表現しようという野心を抱いたとしても不思議はない。ただ、熱狂的なニーチェ信者から批判されることを想定し、哲学書を音楽に転化させたわけではないと牽制したのだろう。

 総譜の下には「フリードリヒ・ニーチェに自由に従った大オーケストラのための交響詩(Tondichtung "frei nach Friedrich Nietzsche" für grosses Orchester)」と記され、総譜の巻頭にはニーチェの原著の序文が掲げられている。作品は導入部と8つの部で構成され、自由に拡大したソナタ形式で書かれている。8つの部は「世界の背後を説く者について」「大いなる憧れについて」「喜びと情熱について」「墓場の歌」「科学について」「病より癒えゆく者」「舞踏の歌」「夜のさすらい人の歌」と題されているが、これらはニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』に出てくる題である。もしかするとシュトラウス自身が特に感銘を受けた部分なのかもしれない。

・序奏
 低いハ音で始まり、トランペットが「ド・ソ・ド」と奏で、管弦楽の壮大な和音の響きが放たれる。「ド・ソ・ド」の部分は「自然の主題」と呼ばれており、これは後にライトモチーフのように何度も登場する。この序奏はスタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』に使われたことがきっかけとなり、世界中の人に知られるようになった。

・世界の背後を説く者について
低弦が響く中、「憧憬の主題」が静かに提示され、ホルンがグレゴリオ聖歌「われは唯一の神を信ず」を奏で、弦とオルガンによって印象的に「信仰の主題」が歌われる。陶酔的な世界である。

・大いなる憧れについて
 まず「憧憬の主題」がはっきりと奏でられた後、「自然の主題」が現れ、さらに聖歌「マニフィカト」の断片が現れる。「自然の主題」と「マニフィカト」が繰り返されると、「憧憬の主題」が激しさを増し、そこに「自然の主題」と「信仰の主題」が絡んで熱気を帯びる。最後はハープのグリッサンドで弾みをつけ、「喜びと情熱について」へと移る。

・喜びと情熱について
 ハープのグリッサンドで始まり、燃え立つような「喜びと情熱の主題」が奏でられる。しかしクライマックスでトロンボーンが「嫌悪の主題」を力強く鳴らし、急速に静まる。

・墓場の歌
 ゆったりとしたテンポの中、「喜びと情熱の主題」「憧憬の主題」を主題が回顧される。徐々に力を失うように、暗い深みに落ちていくように進み、最後にクラリネットが「憧憬の主題」を奏でて終わる。

・科学について
 「自然の主題」を用いたフーガを低音域が展開し、厳かな雰囲気が漂う。その後、「憧憬の主題」の断片を挟んで、すぐに明るい旋律が歌い上げられる。それに続き、躍動的な「舞踏の主題」が朗らかに奏でられる。しかしその明るさは「自然の主題」で中断され、それに「嫌悪の主題」が続き、「病より癒えゆく者」が始まる。

・病より癒えゆく者
 「科学について」と同じようにフーガが繰り広げられ、「自然の主題」と「嫌悪の主題」が力強く結びつき、科学を否定するように進み、「自然の主題」が爆発的な強さで放たれる。そこから「憧憬の主題」と「嫌悪の主題」が低音域で蠢き、やがて顕在化すると同時に諧謔味を帯びる。2つの主題がもつれ、「憧憬の主題」が主導的になりそうなところで、「舞踏の主題」が華やかに奏でられる。

・舞踏の歌
 「舞踏の主題」が静まり、「自然の主題」が繰り返されると、独奏ヴァイオリンが突然ワルツを奏で始める。ハープの心地よい響きに支えられてワルツが進行する中、「舞踏の主題」が現れる。やがて「自然の主題」「憧憬の主題」「喜びと情熱の主題」も現れ、狂騒的になる。それが落ち着くと、ホルンが「夜の歌」を表情豊かに奏でる。その後、「憧憬の主題」が熱烈に演奏され、ワルツの旋律と絶妙に融合する。他の主題も絡み、さらに「夜の歌」も登場。壮麗なクライマックスを築き、「夜のさすらい人の歌」へ。

・夜のさすらい人の歌
 鐘が鳴り響き、力強く華やかな旋律が躍動する。それに巻き込まれるように「嫌悪の主題」が現れ、弱体化する。次いで「科学について」の明るい旋律が印象的に回顧されるが、これも力尽きる。そして最後には高音と低音が残り、交互に音を出す。高音はロ長調で人間を表し、低音はハ長調で自然を表すが、最後は低音が残る。

 変化に富みながらもまばらな感じがなく、同じ主題を何度も繰り返しながらもくどい印象を与えない。華麗なオーケストレーションにばかり注意が行きがちだが、驚くほど巧みに構成された作品である。内容が濃く、それなりに長い作品(演奏時間は35分前後)だが、聴き始めるとあっという間である。

 最も有名な録音は、ヘルベルト・フォン・カラヤン&ウィーン・フィル盤(1959年録音)だろう。これは『2001年宇宙の旅』を観た人全員が聴いた演奏である(映画のクレジットではカール・ベーム指揮となっているが誤り)。ただ、全体の出来としては、1973年にベルリン・フィルを指揮したものの方が勢いがあり、パワフルだ。前半が魅力的で、特に「序奏」と「世界の背後を説く者について」が素晴らしい。序奏はスケール感たっぷりで、オルガンの響きも荘厳。いかにもカラヤンが得意そうな「世界の背後を説く者について」では、期待通りに濃厚な官能美で聴き手を酔わせる。

strauss zarathustra j2
 ルドルフ・ケンぺ盤(1971年録音)、ヘルベルト・ブロムシュテット盤(1987年録音)も、世評の高い名盤。オーケストラはどちらもシュターツカペレ・ドレスデン。ケンペ盤は覇気に満ち、楽器の音も生々しい。「喜びと情熱の主題」や「病より癒えゆく者」などは実に激しく、気合い十分。無機質な表現というものが一切ない熱演だ。ブロムシュテット盤はみずみずしい美演。無理なく、柔らかく美しい音をオケから引き出し、耳ざわりな要素を排除している。インパクトがあるわけではないが、最初から最後まで丁寧に演奏されている。前半に比べるとおざなりに扱われがちな後半も精彩があり、魅力的だ。

 ほかに私が好んでいるのは、ズービン・メータ指揮、ロス・フィルの演奏(1968年録音)、ユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィア管の演奏(1981年録音)、フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮、バーデン=バーデン&フライブルクSWR響の演奏(2013年録音)などである。新しい録音で聴きたい人にはロト盤がおすすめである。
(阿部十三)


【関連サイト】
R.シュトラウス
[1864.6.11-1949.9.8]
交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』op.30

【お薦めの演奏】(掲載ジャケット:上から)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1973年

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮
シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1987年

月別インデックス