音楽 CLASSIC

序曲『ロシアの復活祭』

2024.12.28
聖歌から生まれた音響の宴

RIMSKY KORSAKOV EASTER j1
 リムスキー=コルサコフの序曲『ロシアの復活祭』は1888年に作曲され、同年11月3日に初演された。この時期は作曲者の創作意欲が高まっていたようで、『2つのロシアの主題による幻想曲』(1887年)、『スペイン奇想曲』(1887年)、『シェヘラザード』(1888年)も書かれている。

 リムスキー=コルサコフといえば華麗で色彩感あふれるオーケストレーションを極めた人だが、その才能は『ロシアの復活祭』でも発揮されている。原題は祝典序曲『輝く祝日』、復活祭の意味である。この曲にはロシア正教会の聖歌集『オビホッド』の旋律がいくつか用いられているが、それはリムスキー=コルサコフが1883年から1894年まで在籍していた帝室礼拝堂での経験の賜物である。礼拝堂合唱団の副指揮者(バラキレフの助手)として働きながら、ロシア正教の典礼音楽を研究していたのだ。

 楽譜には「詩篇68」や「マルコ伝福音書第16章第1〜6節」などから引用された文章が記されているが、曲自体は、それらを物語的につなげて交響詩のように表現したものではない。ただ、『オビホッド』の美しい旋律によって宗教的な気分を醸し出し、キリストの復活を喜び祝う感情を表現している。作曲者自身はこの曲について、「受難の土曜日の陰鬱で神秘的な宵から、復活祭が始まる日曜日の朝の異教徒的な歓楽への移り変わり。私は、こうした気分をこの序曲で再現したかったのだ」と述べている。

 実際に曲を聴いてみよう。まずは序奏。冒頭に聖歌「願わくは神おきたまえ」の旋律が現れ、暗い受難の雰囲気が醸される。これは全体を通して強い印象を残す主題〈受難の主題〉である。その後、チェロが聖歌「天使は嘆く」の旋律〈嘆きの主題〉を奏で、最初の主題がカノン風に展開する。

 主部はアレグロ・アジタート。聖歌「神を憎む者は御前より逃げ去れ」の旋律が勢いよく登場する。さらに冒頭の主題が絡み、俄然熱気を帯びて力強いフレーズが猛進を始める。盛り上がりが頂点に達するところは、グリンカの『ルスランとリュドミラ』の序曲を思わせるフレーズ〈合唱風の主題〉となっている。この華麗なクライマックスを経て、復活の歌「キリストは起てり」の旋律〈復活の主題〉がヴァイオリンとオーボエによって優美に奏でられるが、トランペットとホルンが鳴り響き、全休止となる。

 静けさの中から〈合唱風の主題〉の動機が軽快に現れ、すぐにフォルテへと達し、トランペットがファンファーレを吹く。いよいよ復活祭である。これが短3度下の音程で再現され、〈復活の主題〉が流れると、僧侶の祈り(トロンボーンの独奏)が始まる。その後は〈合唱風の主題〉が繰り返され、主部が色彩豊かに再現される。その後、ヴァイオリンのソロを経て、再びファンファーレが起こり、コーダへ。明るい響きに包まれて〈復活の主題〉が奏でられ、ファンファーレを経て〈合唱風の主題〉が繰り返される。最後はやはり〈復活の主題〉が登場し、賑やかな鐘の音と共に限界まで高揚し、情熱的に曲を閉じる。

 ここでは説明の便宜上、〈受難の主題〉、〈嘆きの主題〉、〈合唱風の主題〉、〈復活の主題〉と名称を与えた。なお、〈受難の主題〉と〈嘆きの主題〉と〈復活の主題〉は音型に通底するところがあり、全体に統一性を持たせる上で大きな意味を持っている。普通はここまで繰り返しが多いと中だるみしそうなものだが、巧みな構成と鮮やかなオーケストレーションのおかげで、その危険を脱している。その気になれば、主題を何度でも並べ直して、もっと長い曲にすることも出来ただろう。

 昔は、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管の演奏(1956年録音)、イーゴリ・マルケヴィッチ指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管の演奏(1964年録音)、シャルル・ミュンシュ指揮、フランス国立放送管の演奏(1967年録音)、レオポルド・ストコフスキー、シカゴ響との演奏(1968年録音)でこの曲に馴染んだ人が多いのではないかと思う。ストコフスキーは少なくとも3回以上録音している。どれも自由闊達で、テンポも揺らし放題だが、とにかく明るくて楽しく聴ける。

RIMSKY KORSAKOV EASTER j2
 私が気にするポイントは、「僧侶の祈り」のトロンボーンの音である。ここがうるさく響く演奏は、たとえ他の部分が良くても、全く評価できない。序奏の段階で金管が無闇に炸裂しているのもナンセンスだ。昔のロシア的な雰囲気や神秘性もほしい。少なくとも序奏部にはある程度の暗さがないと、中身のない音楽に聴こえてしまう。この手の作品は、管弦楽の華やかさと雄弁な技術にばかり注意が行きがちだが、オーケストラの機能性が前面に出すぎていてファンタジーの入り込む余地がない演奏、堅苦しい演奏も御免被りたい。

 キリル・コンドラシン指揮、バイエルン放送響の演奏(1980年ライヴ録音)には、何度聴いても唸らされる。憂愁の気配を感じさせる一方で、クライマックスの輝かしさも申し分ない。ダイナミックな指揮に応えるオーケストラの表現意欲も素晴らしく、弱音も繊細。いにしえの絵巻物の世界に連れて行かれたような心地になる。こんなライヴを生で聴けた人たちが羨ましい。

 ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮、フィルハーモニア管の演奏(1958年録音)も、楽器の鳴らし方に豊かな表情がある。歌うべきところはテンポを落として本当によく歌う。強音の迫力も十分だ。アンドレ・クリュイタンス指揮、パリ音楽院管の演奏(1959年録音)は、ファンタジックな感じではないが、聖歌のフレーズを丁寧に奏でていて好感が持てる。

 変わったところでは、ヘルマン・シェルヘン指揮、ロンドン響の演奏(1952年録音)もおすすめだ。序奏の遅さに唖然とさせられるが、主部に入ると驚くほど速くなる。キワモノ演奏かと思いきやアンサンブルはしっかり統制されている。「僧侶の祈り」もテンポをぐっと落とし、抑制のきいた表現で聴かせる。しかし、その後の「復活祭」は狂熱的で、カタルシス効果がある。


【関連サイト】
Rimsky-Korsakov Russian Easter Festival Overture Op.36(CD)
ニコライ・リムスキー=コルサコフ
[1844.3.18-1908.6.21]
序曲『ロシアの復活祭』作品36

【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
キリル・コンドラシン指揮
バイエルン放送交響楽団
録音:1980年(ライヴ)

ヘルマン・シェルヘン指揮
ロンドン交響楽団
録音:1952年

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