音楽 CLASSIC

ショパン ピアノ・ソナタ第2番

2025.03.08
葬送行進曲と疾風

chopin piano sonata2 j1
 ピアノ・ソナタ第2番は1839年の夏に作曲された。当時ショパンは29歳で、ノアン(フランス中部ベリー地方)にある恋人ジョルジュ・サンドの館に滞在していた。田舎暮らしは退屈だったようだが、穏やかな生活は体調にも創作にも良い影響をもたらし、ピアノ・ソナタのほかに、ノクターン、スケルツォ、即興曲、マズルカなどを完成させた。この後、ショパンとサンドは夏をノアンで、冬をパリで過ごすという生活を1846年まで送ることになる。

 ピアノ・ソナタ第2番は4楽章構成。ショパンが書いた最も有名な旋律の一つ、「葬送行進曲」は第3楽章に配されている。なぜ「葬送行進曲」を書いたのか。苦境に陥った祖国ポーランドへの思いが込められているのではないかと言う人もいるが、定かでない。また、この楽章だけ1837年に作曲されていたとする説があるが、それについてもはっきりしたことは分かっていない。

 ピアノ・ソナタの中に葬送行進曲を組み込む構成には前例がある。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第12番だ。おそらくショパンはこの偉大な先人の作品を意識していたのだろう。4つの楽章から成り、第3楽章が葬送行進曲である点も共通している。

 第1楽章はグラーヴェ-ドッピオ・モヴィメント、ソナタ形式。まず荘重(グラーヴェ)に序奏が始まり、それに次いで切迫感のある第1主題が倍の速さ(ドッピオ・モヴィメント)で現れる。そのままピアノは勢いよく突進し、やがて静まると、穏やかな表情の第2楽章が現れる。しかし、またすぐに熱気を帯びる。展開部は第1主題の様々なバリエーションで、再現部は第2主題で始まり、ほぼ型通りに進むが、コーダでは第1主題が印象的に引用され、情熱的に終わる。

 第2楽章はスケルツォ、三部形式。主部はいかめしい旋律で始まり、強音が繰り返し連打される。その響きは不安や苦悩を吐露したようでもあり、勇壮な戦闘のようでもある。トリオは一転して美しく、ショパンらしい甘美で温かみのある旋律に酔わされる。その後、主部に戻り、強音が連打され、猛風が押し寄せる。ただ、それも長くは続かない。まもなく力を失い、トリオの旋律が回想され、ロマンティックな雰囲気を残して終わる。

 第3楽章はレント、三部形式。主部は行進曲で始まり、弔いの鐘のように響き、クレッシェンドで迫る。重く厳かなフレーズと上昇する力強いフレーズとで構成された行進曲である。重く厳かな部分は第1楽章の第1主題に類似している。トリオは第2楽章と同様に美しく穏やかな旋律で編まれているが、低音部で翳りを出している。主部に戻ると再び厳かな響きに支配されるが、やがて行進が視界から消えるかのように静かに閉じられる。

 第4楽章はプレスト。わずか75小節で、演奏時間は1分半に満たない不思議な音楽だ。ショパンは友人宛の手紙の中で、「行進曲の後で左手と右手がユニゾンでおしゃべりをする」と書いているが、解釈の難しい楽章である。シューマンはこのフィナーレについて、「始まったときと同じように、謎めいたまま、まるで嘲笑的な笑みを浮かべたスフィンクスのように終わる」と評している。要するに、よく分からないけど魅力的だというのである。

 思うに、最終楽章はここまでに至る3つの重たい楽章を虚空へと消し去る疾風である。ショパンはどんなに人生が重くても、死が重くても、最後は無に帰するということを表現したかったのではないか。最終楽章のなかに第1楽章の第1主題を思わせる音形を潜ませながら、それをあえて強調せず、分散させていることからも、そのような意図を感じるのである。そういうわけで、私には「秋の風が新しい墓の上に枯葉をまき散らす」というテオドール・クーラックの詩的な言葉が最もしっくりくる。

 有名曲だけに録音の種類も豊富である。今日まであれこれ聴いてきたが、スピード感のある演奏、整然とした演奏、アクセントが個性的な演奏、技巧の際立つ演奏、憂いに満ちた演奏、情熱に溢れた力強い演奏、落ち着きのある演奏、と様々なタイプがあった。昔から名盤の誉れ高いのは、アルトゥール・ルービンシュタイン盤(1961年録音)、ウラディミール・ホロヴィッツ盤(1962年録音)、サンソン・フランソワ盤(1964年録音)で、他にマルタ・アルゲリッチ盤(1974年録音)、マウリツィオ・ポリーニ盤(1984年録音)が人気を集めていた。個人的には、アダム・ハラシェヴィチ盤(1958年録音)も推したい。憂愁の色濃い誠実な演奏だと思う。

 古いものだと、レオポルド・ゴドフスキー盤(1930年録音)もある。ロマン派的で、楽譜通りではないが、独創的なアイディアがあちこちにあり、細かい表現が音楽的で、説得力がある。楽譜に隠されたショパンの思いを代弁するかのような意欲も伝わってくる。ギオマール・ノヴァエス盤(1950年代録音)は詩的表現に秀でた名演。技巧面で優れた演奏はほかにたくさんあるが、とにかくフレージングが絶妙で、旋律が生き生きしている。第3楽章でも天国と地上と地獄を楽々と行き来している感じがあり、その自由な息遣いに魅了される。

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 ラファウ・ブレハッチ盤(2021年録音)は素晴らしい。フレージングもアゴーギクも繊細で、端的に言うとエレガントだが、小さくまとまっていない。整然としすぎてもいない。スケール感があり、情熱があり、無理のない勢いもある。第3楽章で耳が痛くなるような強音を出さないところも好感が持てる。カティア・スカナヴィ盤(1998年録音)も魅力的だ。第1楽章と第2楽章は超絶技巧で圧倒するが、ゆったりしたフレーズは詩的に響かせている。第3楽章も良い。主部は真摯な響きに満ち、トリオでは美しく旋律を歌わせている。なお、実演で聴いて最も感動したのは、クリスティアン・ツィメルマンの演奏(2023年12月)である。あんなに厳かで清らかな第3楽章は後にも先にも聴いたことがない。正規録音がないのが惜しまれる。
(阿部十三)


【関連サイト】
フレデリック・ショパン
[1810.3.1-1849.10.17]
ピアノ・ソナタ第2番 変ロ長調 作品35

【お薦めの録音】(掲載ジャケット:上から)
ラファウ・ブレハッチ(p)
録音:2021年

カティア・スカナヴィ(p)
録音:1998年

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