アーノンクールのバッハ『ミサ曲ロ短調』 〜自分の力で咀嚼すること〜
2011.06.17
1年以上前のこと、あるコンサートの告知に目が釘付けになった。ニコラウス・アーノンクール指揮、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスによるJ.S.バッハの『ミサ曲ロ短調』。会場はNHKホール。公演は2010年10月に行われるという。私はチケットの発売日を確認し、発売初日に購入した。
キャッチコピーは「アーノンクール最後の来日公演!」ーーこういう類の宣伝文句は(本人が「最後」と言ったにしても)、なんとなく死を売り物にしているようで好きになれない。が、2011年6月の今日、しみじみ振り返ってみると、この「最後」という言葉はやけに重く響く。コンサートの日からまだ1年経っていないのに、もう2、3年も前のことのように思えて仕方がない。あれから本当にいろいろなことがありすぎた。おそらくアーノンクールはもう来日しないだろう。こちらとしては「最後」という言葉を撤回して何度でも来日してほしいが、今日本が置かれている状況下で、ただでさえ飛行機嫌いの81歳の御老体に来日して下さいとはとても言えない。
雨の日曜日、NHKホール。ステージ上に現れたアーノンクールの顔は物凄く紅潮していた。高血圧なのか、極度の興奮状態にあるのか。2006年に来日した時はそこまで感じなかったが、この日は文字通りゆでダコのようで、途中で倒れたらどうしよう、と本気で心配になった。しかし、「キリエ」が始まった途端、そんな心配はどこかへ吹っ飛んでしまった。こちらの吐息がかかるだけで汚れてしまいそうなほど繊細な「キリエ」だ。軽やかで、清らか。思わず息を止めて聴き入ってしまう。
合唱は、アーノルト・シェーンベルク合唱団。スウェーデン放送合唱団と並ぶ、世界でトップクラスの団体である。生で聴くのは3回目。前の2回(マーラー「復活」、ハイドン『スターバト・マーテル』)も素晴らしかったが、今回のバッハでも鳥肌が立つほど美しいアンサンブルを聴かせていた。手兵ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス(CMW)の演奏もガラス細工のように精巧で、はかなげな美感をたたえている。もうこの「キリエ」だけで涙がこみ上げてきた。
ただし、そこはアーノンクール、唯美的な世界にも末梢的快感にも興味を示さない。その音響は寒色と暖色、単色と複色の間を激しく行き来する。音楽に浸らせてくれない。聴いているだけで無条件に快感を得られるタイプの音楽ではないのだ。モダン楽器でロマンティックに味付けされたものとはまるで別物である。
色彩にも表情にも乏しく、無味乾燥と言っても差し支えないような演奏が続いた後、突然合唱とオーケストラが熱を帯び、感動的な響きがふわっと浮き上がってくる。こういうコントラストは全部アーノンクールの頭の中で計算されている。途中で単調だと思って眠くなった人もいるだろうが(実際、寝ている客や落ち着きのない客は多かったようだ)、そこで根気を失った人は本当に残念だ。
今の世の中、芸術をいかに多くの人にとって消化しやすいものにするか、ということばかり重視されがちである。しかしアーノンクールは消化しやすい流動食を与えてはくれない。あくまでも聴き手が自分の力で音楽に込められた意味を咀嚼し、味わうことを要求する。ミサ曲でそんなことを要求してどうするのか、と疑問を抱くリスナーもいるだろうが、これがアーノンクールという人のやり方なのだ。昔尖っていた音楽家が年を取ってから丸くなる例はたくさんあるが、この人は(昔ほどではないけど)まだ鋭く尖っている。
【関連サイト】
Nikolaus Harnoncourt.info
Nikolaus Harnoncourt.de
J.S.バッハ『ミサ曲ロ短調』(CD)
キャッチコピーは「アーノンクール最後の来日公演!」ーーこういう類の宣伝文句は(本人が「最後」と言ったにしても)、なんとなく死を売り物にしているようで好きになれない。が、2011年6月の今日、しみじみ振り返ってみると、この「最後」という言葉はやけに重く響く。コンサートの日からまだ1年経っていないのに、もう2、3年も前のことのように思えて仕方がない。あれから本当にいろいろなことがありすぎた。おそらくアーノンクールはもう来日しないだろう。こちらとしては「最後」という言葉を撤回して何度でも来日してほしいが、今日本が置かれている状況下で、ただでさえ飛行機嫌いの81歳の御老体に来日して下さいとはとても言えない。
雨の日曜日、NHKホール。ステージ上に現れたアーノンクールの顔は物凄く紅潮していた。高血圧なのか、極度の興奮状態にあるのか。2006年に来日した時はそこまで感じなかったが、この日は文字通りゆでダコのようで、途中で倒れたらどうしよう、と本気で心配になった。しかし、「キリエ」が始まった途端、そんな心配はどこかへ吹っ飛んでしまった。こちらの吐息がかかるだけで汚れてしまいそうなほど繊細な「キリエ」だ。軽やかで、清らか。思わず息を止めて聴き入ってしまう。
合唱は、アーノルト・シェーンベルク合唱団。スウェーデン放送合唱団と並ぶ、世界でトップクラスの団体である。生で聴くのは3回目。前の2回(マーラー「復活」、ハイドン『スターバト・マーテル』)も素晴らしかったが、今回のバッハでも鳥肌が立つほど美しいアンサンブルを聴かせていた。手兵ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス(CMW)の演奏もガラス細工のように精巧で、はかなげな美感をたたえている。もうこの「キリエ」だけで涙がこみ上げてきた。
ただし、そこはアーノンクール、唯美的な世界にも末梢的快感にも興味を示さない。その音響は寒色と暖色、単色と複色の間を激しく行き来する。音楽に浸らせてくれない。聴いているだけで無条件に快感を得られるタイプの音楽ではないのだ。モダン楽器でロマンティックに味付けされたものとはまるで別物である。
色彩にも表情にも乏しく、無味乾燥と言っても差し支えないような演奏が続いた後、突然合唱とオーケストラが熱を帯び、感動的な響きがふわっと浮き上がってくる。こういうコントラストは全部アーノンクールの頭の中で計算されている。途中で単調だと思って眠くなった人もいるだろうが(実際、寝ている客や落ち着きのない客は多かったようだ)、そこで根気を失った人は本当に残念だ。
今の世の中、芸術をいかに多くの人にとって消化しやすいものにするか、ということばかり重視されがちである。しかしアーノンクールは消化しやすい流動食を与えてはくれない。あくまでも聴き手が自分の力で音楽に込められた意味を咀嚼し、味わうことを要求する。ミサ曲でそんなことを要求してどうするのか、と疑問を抱くリスナーもいるだろうが、これがアーノンクールという人のやり方なのだ。昔尖っていた音楽家が年を取ってから丸くなる例はたくさんあるが、この人は(昔ほどではないけど)まだ鋭く尖っている。
続く
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Nikolaus Harnoncourt.info
Nikolaus Harnoncourt.de
J.S.バッハ『ミサ曲ロ短調』(CD)
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