ジョージ・セル 〜完璧な音楽とは何か〜
2011.02.15
完璧という言葉は、どこかお堅く隙のない、冷厳なイメージを人に与えがちである。「完璧は面白味がない」とも言われる。しかし、そこで揶揄されているものは、真の「完璧」ではない。柔軟さや奥深さ、大胆なところさえも含めて申し分のない時に、この言葉の意味は満たされる。
セルは1897年6月7日ブダペストで生まれた。3歳の時にウィーンに移り、ルドルフ・ゼルキンの師でもあるリヒャルト・ローベルトにピアノを、マーラーの友人でウィーン新音楽院作曲科教授のJ・B・フェルステルに作曲を師事した。11歳でウィーン交響楽団と協演、自作の「ピアノと管弦楽のためのロンド」を披露したというから凄い。さらに、シューベルトとブラームス研究の権威エウセビウス・マンディチェフスキ、作曲家であり教育者としても著名なカール・プロハスカ、大作曲家マックス・レーガーにも師事、16歳でウィーン交響楽団の指揮台に立つ。
17歳の時にはベルリン・フィルのコンサートで自作の交響曲を振り、ベートーヴェンの「皇帝」の独奏も務めた。リヒャルト・シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」をピアノ版に編曲し、作曲者の前で演奏して才能を認められたのも同じ頃で、その招きでセルはベルリン国立歌劇場の副指揮者となる。
1917年、シュトラウスの斡旋によってストラスブール市立歌劇場の指揮者となり、「カルメン」で本格的にデビュー。19年から各地の歌劇場のポストをめまぐるしく歴任、29年、プラハ・ドイツ歌劇場の音楽総監督となった。しかし、ここにも落ち着くことはなく、37年にはスコティッシュ・ナショナル管弦楽団とハーグ・フィルの指揮者に就任。39年、演奏旅行先のオーストラリアからアメリカに立ち寄ったところで第二次世界大戦が勃発し、そのままアメリカにとどまる。しばらくは音楽院の教授をしていたが、41年、アルトゥーロ・トスカニーニに招かれNBC交響楽団を指揮、注目を浴び、翌年にはメトロポリタン歌劇場で成功を収め、同歌劇場の指揮者となる。それも長くはもたず、46年に支配人と喧嘩をして辞任、同年クリーヴランド管弦楽団の音楽監督に迎えられる。
クリーヴランドで全権を掌握したセルは、知名度がいまひとつだった同楽団を徹底的にトレーニングし、楽団員も次々と入れ替え(3分の2が入れ替わったと言われている)、短期間で世界有数のオーケストラへと変貌させる。それから四半世紀の間、時折ヨーロッパなどで客演しながらも、あくまでクリーヴランドを拠点に活動していた。70年5月にはクリーヴランド管弦楽団を率いて来日。亡くなったのはその2ケ月後、7月30日のことである。
プロフィールを辿るだけでも、彼が文字通り妥協を許さない芸術家で、理想の実現への激しい情熱とそのシビアな性格のために、次々と活動の場を変えざるを得なかった事情が見えてくるようである。そんな彼が50歳を前にして腰を据え、一から自分の美学を叩き込み、磨き上げ、「私の楽器」とまで呼んだクリーヴランド管弦楽団。この指揮者とオーケストラによる演奏が、どれほど高い完成度を誇っていたか。私たちに残されている多くの録音を聴けば、自ずと分かるだろう。中でもこのコンビによるハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの交響曲集、ブルックナーの交響曲第3番(1966年録音)、チャイコフスキーの交響曲第5番(1959年録音)、ドヴォルザークの交響曲第8番(1958年録音、1970年録音)、ドビュッシーの「海」(1963年録音)、R.シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」(1957年録音)は、超のつく名演として特記したい。音質も良好である。
とにかく名盤の多い人である(オペラの録音があまりないのは残念)。ほかのオーケストラとも、深い彫りで華麗な音模様を描くヘンデルの組曲「水上の音楽/王宮の花火の音楽」(ロンドン響)、なめらかな音の光沢と絶妙なフレージングに息を飲むチャイコフスキーの交響曲第4番(ロンドン響)、溶岩の奔流のようなフィナーレに胸を焼かれるベートーヴェンの劇音楽『エグモント』(ウィーン・フィル)、異常な高揚感に満ちた交響曲第5番(ウィーン・フィル)などを残しているし、モーツァルトのピアノ四重奏曲やヴァイオリン・ソナタでは余技を超えたピアノの腕前を披露、繊細なタッチと柔軟な表情づけで私たちを魅了する。
そして、クリーヴランド管弦楽団との来日コンサートの音源。極限まで自分の理想の音楽を追い求めた指揮者が最後の最後に得たもの。それがここに鳴り響いている。このライヴ盤を聴いた後、誰もが思うに違いない。真の完壁とは、完璧を超えたところにあるのだ、と。
【関連サイト】
THE CLEVELAND ORCHESTRA(英語)
ジョージ・セルとは、まさにそういう音楽を手にした指揮者だった。彼は楽器間の音の配合に異常なまでに神経質である反面、細部の徹底にとらわれて全体の流れや勢いを損なうようなことはしない。緊密な整合感をたたえながら、なおも上に突き抜けようとする。そこには歌がある。
セルは1897年6月7日ブダペストで生まれた。3歳の時にウィーンに移り、ルドルフ・ゼルキンの師でもあるリヒャルト・ローベルトにピアノを、マーラーの友人でウィーン新音楽院作曲科教授のJ・B・フェルステルに作曲を師事した。11歳でウィーン交響楽団と協演、自作の「ピアノと管弦楽のためのロンド」を披露したというから凄い。さらに、シューベルトとブラームス研究の権威エウセビウス・マンディチェフスキ、作曲家であり教育者としても著名なカール・プロハスカ、大作曲家マックス・レーガーにも師事、16歳でウィーン交響楽団の指揮台に立つ。
17歳の時にはベルリン・フィルのコンサートで自作の交響曲を振り、ベートーヴェンの「皇帝」の独奏も務めた。リヒャルト・シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」をピアノ版に編曲し、作曲者の前で演奏して才能を認められたのも同じ頃で、その招きでセルはベルリン国立歌劇場の副指揮者となる。
1917年、シュトラウスの斡旋によってストラスブール市立歌劇場の指揮者となり、「カルメン」で本格的にデビュー。19年から各地の歌劇場のポストをめまぐるしく歴任、29年、プラハ・ドイツ歌劇場の音楽総監督となった。しかし、ここにも落ち着くことはなく、37年にはスコティッシュ・ナショナル管弦楽団とハーグ・フィルの指揮者に就任。39年、演奏旅行先のオーストラリアからアメリカに立ち寄ったところで第二次世界大戦が勃発し、そのままアメリカにとどまる。しばらくは音楽院の教授をしていたが、41年、アルトゥーロ・トスカニーニに招かれNBC交響楽団を指揮、注目を浴び、翌年にはメトロポリタン歌劇場で成功を収め、同歌劇場の指揮者となる。それも長くはもたず、46年に支配人と喧嘩をして辞任、同年クリーヴランド管弦楽団の音楽監督に迎えられる。
クリーヴランドで全権を掌握したセルは、知名度がいまひとつだった同楽団を徹底的にトレーニングし、楽団員も次々と入れ替え(3分の2が入れ替わったと言われている)、短期間で世界有数のオーケストラへと変貌させる。それから四半世紀の間、時折ヨーロッパなどで客演しながらも、あくまでクリーヴランドを拠点に活動していた。70年5月にはクリーヴランド管弦楽団を率いて来日。亡くなったのはその2ケ月後、7月30日のことである。
プロフィールを辿るだけでも、彼が文字通り妥協を許さない芸術家で、理想の実現への激しい情熱とそのシビアな性格のために、次々と活動の場を変えざるを得なかった事情が見えてくるようである。そんな彼が50歳を前にして腰を据え、一から自分の美学を叩き込み、磨き上げ、「私の楽器」とまで呼んだクリーヴランド管弦楽団。この指揮者とオーケストラによる演奏が、どれほど高い完成度を誇っていたか。私たちに残されている多くの録音を聴けば、自ずと分かるだろう。中でもこのコンビによるハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの交響曲集、ブルックナーの交響曲第3番(1966年録音)、チャイコフスキーの交響曲第5番(1959年録音)、ドヴォルザークの交響曲第8番(1958年録音、1970年録音)、ドビュッシーの「海」(1963年録音)、R.シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」(1957年録音)は、超のつく名演として特記したい。音質も良好である。
とにかく名盤の多い人である(オペラの録音があまりないのは残念)。ほかのオーケストラとも、深い彫りで華麗な音模様を描くヘンデルの組曲「水上の音楽/王宮の花火の音楽」(ロンドン響)、なめらかな音の光沢と絶妙なフレージングに息を飲むチャイコフスキーの交響曲第4番(ロンドン響)、溶岩の奔流のようなフィナーレに胸を焼かれるベートーヴェンの劇音楽『エグモント』(ウィーン・フィル)、異常な高揚感に満ちた交響曲第5番(ウィーン・フィル)などを残しているし、モーツァルトのピアノ四重奏曲やヴァイオリン・ソナタでは余技を超えたピアノの腕前を披露、繊細なタッチと柔軟な表情づけで私たちを魅了する。
そして、クリーヴランド管弦楽団との来日コンサートの音源。極限まで自分の理想の音楽を追い求めた指揮者が最後の最後に得たもの。それがここに鳴り響いている。このライヴ盤を聴いた後、誰もが思うに違いない。真の完壁とは、完璧を超えたところにあるのだ、と。
(阿部十三)
THE CLEVELAND ORCHESTRA(英語)
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