マイケル・レビン 〜正当な評価のために〜
2012.03.03
クラシックの世界には天才と呼ばれる子供が多く存在する。「天才少年」や「天才少女」は決して珍しいものではない。程度の差はあるにしても、若いうちに天才であることを示さない音楽家が大人になってから急に天才になる例は、むしろ稀だ。ただ、場合によっては、「天才少年」や「天才少女」という言葉が極めて消極的な意味合いを持つことがある。彼らはしばしばハリウッドの天才子役たちと同じような形で紹介される。すなわち、「子供時代に全盛期を迎え、大人になって壁に直面し、悲劇的な人生を送った」という類のものだ。マイケル・レビンはさしずめその筆頭格にあたる。ユーディ・メニューイン、ルッジェーロ・リッチらが乗り越えた大人の壁をレビンは乗り越えられず、苦悩の末に薬物中毒になって死んだーーこんな雑なプロフィールが一つの鋳型になっている。しかし、本当にレビンは「天才子役」のような人生を送ったのだろうか。私は疑問を呈したい。
1936年5月2日、マイケル・レビンはニューヨークに生まれた。父親はヴァイオリニスト、母親はピアニストである。最初は母親からピアノの手ほどきを受け、その後、ヴァイオリンにシフト。7歳の時から名教師イヴァン・ガラミアンのもとで学び、師をして「弱点が何ひとつ見当たらない」といわしめる。14歳でカーネギー・ホールの舞台に立ち、正式デビューを飾る。その天才少年ぶりは各地で話題を呼び、ディミトリ・ミトロプーロス、ジョージ・セルら巨匠からも激賞された。
「アナザー・パガニーニ」と称されるほどの超絶技巧と美しい音色で人気を博し、10代後半から20代前半にかけてコンサート、録音、演奏旅行に明け暮れていたが、1960年代半ばから消息が途絶えがちになる。その原因は、自分の演奏スタイルに行き詰まっていたためとも、薬物中毒のためともいわれている。本当のところはどうなのだろう。1960年代半ば以降のライヴ音源を聴く限り、出来不出来の差こそあれ、レビンの音楽性が劣化していたとは全く思えない。1972年1月19日、自宅で転倒し、頭部を強打して35歳で死去。自殺説、薬物過剰摂取説もあり、はっきりしたことはわかっていない。
レビンの絶頂期は1950年代後半といわれている。とくに、パガニーニのヴァイオリン協奏曲(1955年)、ブルッフの「スコットランド幻想曲」(1957年)、ヴィエニャフスキのヴァイオリン協奏曲第1番(1957年)、パガニーニの「24のカプリース」(1958年)、ディニークの「ホラ・スタッカート」(1959年)は、シミひとつない艶やかな音色と絢爛たるテクニックを堪能できる名盤である。ただ、ヨーアヒム・ハルトナックが『二十世紀の名ヴァイオリニスト』で指摘しているように、レビンの音のパレットには「ただひとつの色」しかない。「その色は人を酔わせるような美しさを持ち、そして彼は、そのスペクトルの範囲内で音に手を加えることも心得てはいる」が、結局、一色は一色である。解釈の面でも飛び抜けた個性があるわけではない。そのため、繰り返し聴くことによって得られる新たな発見や、同じ演奏家の同曲異盤を聴き比べる面白さといったものは、あまり期待できない。
偉大な先人であるヤッシャ・ハイフェッツの存在も、レビンにとっては大きな壁だった。「スコットランド幻想曲」の録音は、ハイフェッツ盤に勝るとも劣らぬ名演である。にもかかわらず、ハイフェッツ盤がリリースされると同時に引っ込められてしまった。「ホラ・スタッカート」も、レビンはハイフェッツが編曲したものを弾き、その神がかったテクニックと悠揚迫らぬフレージングで、ハイフェッツの演奏を凌駕している。しかし、これも有名なのはハイフェッツ盤の方である。プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番も同様。この作品の知名度を上げたのはハイフェッツだといわれているが、絶好調のレビンがアンドレ・クリュイタンスと組んだ1957年のライヴ録音などを聴いていると、ハイフェッツ盤をそこまで持ち上げる必要があるのか疑問を感じてしまう。それくらい絶品なのだ。
レビンがどういう葛藤を抱いていたのか、それは想像するほかない。彼が薬物中毒になるまで自分を追い込み、天才少年にありがちな不幸な人生を送ったと言うのは簡単だが、私はあまりそういうことは言いたくない。というのも、スランプ期とされる1964年10月のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のライヴ録音や、1969年6月のブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番を聴いて、芯の通った音色、切り込みの深い表現、肌にしみるほどの気迫に心を打たれたからである。そこには「自分は絶対にこのままでは終わらない」という強い意志がはっきりと表明されているのではないか。私はむしろ、天才少年の延長線上にいた1950年代の録音よりも、この時期の演奏の方が好きである。就中、ブルッフのヴァイオリン協奏曲の終楽章は、作曲家に全てを捧げ尽くしたような熱演で、胸の奥にまで響く。トマス・シッパースの鈍重なサポートはいただけないが、レビンには文句のつけようがない。
キャリア全盛期の録音だけでなく、晩年のライヴ録音にも注意を払わなければ、レビンを正当に評価しているとはいえない。今はそういう録音がある程度まとまった形で出ているので、「スランプ期」という偏見に惑わされず、虚心坦懐に耳を傾けてもらいたい。
【関連サイト】
マイケル・レビン(CD)
1936年5月2日、マイケル・レビンはニューヨークに生まれた。父親はヴァイオリニスト、母親はピアニストである。最初は母親からピアノの手ほどきを受け、その後、ヴァイオリンにシフト。7歳の時から名教師イヴァン・ガラミアンのもとで学び、師をして「弱点が何ひとつ見当たらない」といわしめる。14歳でカーネギー・ホールの舞台に立ち、正式デビューを飾る。その天才少年ぶりは各地で話題を呼び、ディミトリ・ミトロプーロス、ジョージ・セルら巨匠からも激賞された。
「アナザー・パガニーニ」と称されるほどの超絶技巧と美しい音色で人気を博し、10代後半から20代前半にかけてコンサート、録音、演奏旅行に明け暮れていたが、1960年代半ばから消息が途絶えがちになる。その原因は、自分の演奏スタイルに行き詰まっていたためとも、薬物中毒のためともいわれている。本当のところはどうなのだろう。1960年代半ば以降のライヴ音源を聴く限り、出来不出来の差こそあれ、レビンの音楽性が劣化していたとは全く思えない。1972年1月19日、自宅で転倒し、頭部を強打して35歳で死去。自殺説、薬物過剰摂取説もあり、はっきりしたことはわかっていない。
レビンの絶頂期は1950年代後半といわれている。とくに、パガニーニのヴァイオリン協奏曲(1955年)、ブルッフの「スコットランド幻想曲」(1957年)、ヴィエニャフスキのヴァイオリン協奏曲第1番(1957年)、パガニーニの「24のカプリース」(1958年)、ディニークの「ホラ・スタッカート」(1959年)は、シミひとつない艶やかな音色と絢爛たるテクニックを堪能できる名盤である。ただ、ヨーアヒム・ハルトナックが『二十世紀の名ヴァイオリニスト』で指摘しているように、レビンの音のパレットには「ただひとつの色」しかない。「その色は人を酔わせるような美しさを持ち、そして彼は、そのスペクトルの範囲内で音に手を加えることも心得てはいる」が、結局、一色は一色である。解釈の面でも飛び抜けた個性があるわけではない。そのため、繰り返し聴くことによって得られる新たな発見や、同じ演奏家の同曲異盤を聴き比べる面白さといったものは、あまり期待できない。
偉大な先人であるヤッシャ・ハイフェッツの存在も、レビンにとっては大きな壁だった。「スコットランド幻想曲」の録音は、ハイフェッツ盤に勝るとも劣らぬ名演である。にもかかわらず、ハイフェッツ盤がリリースされると同時に引っ込められてしまった。「ホラ・スタッカート」も、レビンはハイフェッツが編曲したものを弾き、その神がかったテクニックと悠揚迫らぬフレージングで、ハイフェッツの演奏を凌駕している。しかし、これも有名なのはハイフェッツ盤の方である。プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番も同様。この作品の知名度を上げたのはハイフェッツだといわれているが、絶好調のレビンがアンドレ・クリュイタンスと組んだ1957年のライヴ録音などを聴いていると、ハイフェッツ盤をそこまで持ち上げる必要があるのか疑問を感じてしまう。それくらい絶品なのだ。
レビンがどういう葛藤を抱いていたのか、それは想像するほかない。彼が薬物中毒になるまで自分を追い込み、天才少年にありがちな不幸な人生を送ったと言うのは簡単だが、私はあまりそういうことは言いたくない。というのも、スランプ期とされる1964年10月のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のライヴ録音や、1969年6月のブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番を聴いて、芯の通った音色、切り込みの深い表現、肌にしみるほどの気迫に心を打たれたからである。そこには「自分は絶対にこのままでは終わらない」という強い意志がはっきりと表明されているのではないか。私はむしろ、天才少年の延長線上にいた1950年代の録音よりも、この時期の演奏の方が好きである。就中、ブルッフのヴァイオリン協奏曲の終楽章は、作曲家に全てを捧げ尽くしたような熱演で、胸の奥にまで響く。トマス・シッパースの鈍重なサポートはいただけないが、レビンには文句のつけようがない。
キャリア全盛期の録音だけでなく、晩年のライヴ録音にも注意を払わなければ、レビンを正当に評価しているとはいえない。今はそういう録音がある程度まとまった形で出ているので、「スランプ期」という偏見に惑わされず、虚心坦懐に耳を傾けてもらいたい。
(阿部十三)
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