ルートヴィヒ・ヘルシャー 〜馥郁たる響き〜
2012.10.01
どんな音楽作品でも、それを演奏する者によって、傑作に聞こえることもあれば、凡作に聞こえることもある。そこまで好きになれなかった作品が、特定の演奏家の手にかかるとえもいわれぬ魅力を帯び、また聴きたくなる、というケースもある。ひとつの作品との幸福な出会いとは、同時に演奏家との幸福な出会いを意味する。世に「傑作」とか「名盤」といわれているものが、必ずしも個人にとって幸福な出会いをもたらすとは限らない。
例えば、ドヴォルザークのチェロ協奏曲。誰もが知るポピュラーな作品だが、個人的には苦手な曲だった。CDやレコードで名盤といわれているものをいくら聴いても、感動を覚えたことがなかった。ところが、ルートヴィヒ・ヘルシャーの演奏を聴いて、たちまち虜になってしまった。その時味わった不思議な感覚は、今でも鮮明に記憶している。チェロの音に吸い込まれ、いつもこの曲を聴く時に感じる「くどい時間の流れ」があっという間に過ぎていったのである。
ルートヴィヒ・ヘルシャーはドイツのチェリスト。1907年8月23日にゾーリンゲンで生まれ、ヴィルヘルム・ランピングらに学んだ後、1932年にエリー・ナイ・トリオに加入した(ヴァイオリンはヴィルヘルム・シュトロース)。1936年にはベルリン・フィルと協演、ベルリン音楽大学の教授に就任している。戦後、ギーゼキング、タシュナーともトリオを組み、名録音を残した。プフィッツナー、ヘラー、トラップ、ゲンツマー、ヘンツェなど、ヘルシャーが初演を手がけた作品は30以上ある。初来日は1953年。後進の育成に力を注ぎ、すぐれた教師としても知られた。1996年5月8日、トゥッツィングにて死去。
好きなチェリストは誰かと問われて、ヘルシャーの名前を挙げる人は相当のクラシック通だろう。音源自体は決して少なくないが、国内盤はほとんどない。日本でどれだけの人が「ヘルシャー」という名前に反応するのか、見当もつかない。ただ、既述したように、一度聴いたら忘れられないチェロの音である。パワーやインパクトで驚かせるタイプではない。その美しい響きは、深々としていながら、アクを出さず、清潔で、くどくない。美しいといっても、それは聴き手の耳を麻痺させ、飽和させるタイプではない。透明感とも少し違う。香気を含んだ音である。さまざまなチェリストを聴き比べている耳の肥えた人なら、その音に惹かれずにはいられなくなるだろう。
ドヴォルザークのチェロ協奏曲の録音は、ヘルマン・アーベントロートが指揮したものと、ヨーゼフ・カイルベルトが指揮したものがある。前者はオーケストラの押し出しが強く、チェロのフレージングにもややケレン味が感じられる。後者は高揚感の中にも静けさとみずみずしさが感じられ、品格の賜物としかいいようのない演奏で聴く者を魅了する。「音」を出すだけで、すでにそれが「歌」になっているような、ほれぼれするほど美しいチェロである。
J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲の音源もいくつか残されているが、1965年1月に録音された第5番が素晴らしい。前奏曲の冒頭が耳に入ってくるだけで力が抜けてしまう。伴奏付きのフォーレの「夢のあとに」、フレスコバルディの「トッカータ」なども良いが、伴奏は必要ないのではないかと思えるほど、チェロの音が必要なことを過不足なく表現しているように感じられる。レスピーギの傑作「アダージョと変奏」も同様。静かな情感の高まり、清潔でじっとりしない響きを心ゆくまで味わいたいのに、ピアノの存在が妨げになっている。
若きプフィッツナーが書いたチェロ・ソナタの録音は、文句なしの名盤。お世辞にも有名とはいえないこの作品が、尽きせぬ魅力を持った奥深い傑作として私たちの前に立ちのぼってくる。旋律を際立たせる力加減がとにかく絶妙なのだ。ベートーヴェン、ブラームスを弾く時以上に、ヒンデミット、プフィッツナー、レーガーの作品を演奏する際のヘルシャーには、表現意欲がほどよく脈打ち、音色にも特別な精彩が感じられる。フルトヴェングラーの指揮下で弾いたケラーのチェロ協奏曲なんかも、その好例といえるだろう。作曲家というよりはピアニストとして有名なギーゼキングが書いた「チェロとピアノのための演奏会用ソナチネ」も、ピアノとの相性が良く、過度な表現に走らない技巧と愛嬌のある美音を楽しむことができる名録音だ。
例えば、ドヴォルザークのチェロ協奏曲。誰もが知るポピュラーな作品だが、個人的には苦手な曲だった。CDやレコードで名盤といわれているものをいくら聴いても、感動を覚えたことがなかった。ところが、ルートヴィヒ・ヘルシャーの演奏を聴いて、たちまち虜になってしまった。その時味わった不思議な感覚は、今でも鮮明に記憶している。チェロの音に吸い込まれ、いつもこの曲を聴く時に感じる「くどい時間の流れ」があっという間に過ぎていったのである。
ルートヴィヒ・ヘルシャーはドイツのチェリスト。1907年8月23日にゾーリンゲンで生まれ、ヴィルヘルム・ランピングらに学んだ後、1932年にエリー・ナイ・トリオに加入した(ヴァイオリンはヴィルヘルム・シュトロース)。1936年にはベルリン・フィルと協演、ベルリン音楽大学の教授に就任している。戦後、ギーゼキング、タシュナーともトリオを組み、名録音を残した。プフィッツナー、ヘラー、トラップ、ゲンツマー、ヘンツェなど、ヘルシャーが初演を手がけた作品は30以上ある。初来日は1953年。後進の育成に力を注ぎ、すぐれた教師としても知られた。1996年5月8日、トゥッツィングにて死去。
好きなチェリストは誰かと問われて、ヘルシャーの名前を挙げる人は相当のクラシック通だろう。音源自体は決して少なくないが、国内盤はほとんどない。日本でどれだけの人が「ヘルシャー」という名前に反応するのか、見当もつかない。ただ、既述したように、一度聴いたら忘れられないチェロの音である。パワーやインパクトで驚かせるタイプではない。その美しい響きは、深々としていながら、アクを出さず、清潔で、くどくない。美しいといっても、それは聴き手の耳を麻痺させ、飽和させるタイプではない。透明感とも少し違う。香気を含んだ音である。さまざまなチェリストを聴き比べている耳の肥えた人なら、その音に惹かれずにはいられなくなるだろう。
ドヴォルザークのチェロ協奏曲の録音は、ヘルマン・アーベントロートが指揮したものと、ヨーゼフ・カイルベルトが指揮したものがある。前者はオーケストラの押し出しが強く、チェロのフレージングにもややケレン味が感じられる。後者は高揚感の中にも静けさとみずみずしさが感じられ、品格の賜物としかいいようのない演奏で聴く者を魅了する。「音」を出すだけで、すでにそれが「歌」になっているような、ほれぼれするほど美しいチェロである。
J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲の音源もいくつか残されているが、1965年1月に録音された第5番が素晴らしい。前奏曲の冒頭が耳に入ってくるだけで力が抜けてしまう。伴奏付きのフォーレの「夢のあとに」、フレスコバルディの「トッカータ」なども良いが、伴奏は必要ないのではないかと思えるほど、チェロの音が必要なことを過不足なく表現しているように感じられる。レスピーギの傑作「アダージョと変奏」も同様。静かな情感の高まり、清潔でじっとりしない響きを心ゆくまで味わいたいのに、ピアノの存在が妨げになっている。
ベートーヴェンのチェロ・ソナタはエリー・ナイと組んだ全曲盤が有名。ナイの主情的な表現に触発されて、ヘルシャーのチェロが熱い迸りをみせるが、音の芯は相変わらず美しい。ハンス・リヒター=ハーザーと組んだ第2番も良いが、第1番の方はーーマイクの位置のせいかーーリヒター=ハーザーの伴奏が主張しすぎてヘルシャーの繊細な美音を損なっている。同じ意味で、ヒンデミットのチェロ・ソナタももったいない録音になっていると思う。
ボッケリーニのチェロ協奏曲第9番は、心地よい薫風のような演奏。指揮はオットー・マツェラート。第2楽章の冒頭など、ベルリン・フィルの音が光の膜と化して降りてくるのが目に見えるようだ。ヘルシャーのチェロは翳りの部分を掘り下げすぎず、鼓膜をなでるようにして聴き手を陶酔させる。このチェリストの美質を知る上で、欠かすことのできないレコードである。
(阿部十三)
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