ウィレム・ファン・オッテルロー 〜大いなる遺産〜
2013.01.17
オッテルローが遺した録音で最も有名なのは、ベルリオーズの「幻想交響曲」だろう。名盤といわれるレコードやCDがたくさんある作品だが、その中にあって1951年6月に録音されたオッテルロー盤は、ほかの指揮者と比べて遜色ないどころか、もう60年以上、ひときわ眩しく光っている。「幻想」を聴き込んでいる人ほど、オッテルローの聴かせ方のうまさに唸らされているようである。
デフォルメするところは大胆にしているが、アーティキュレーションが絶妙で、表現がくどくならない。細かいことを気にせず指揮しているようで、かなり細部に神経がいっている。第3楽章など、ここまでニュアンスをたっぷり含ませて、しかも雄弁に、聴き手の耳を楽しませながら指揮できる人はあまりいないだろう。ベルリン・フィルの響きも魅力的だ。熱い芯を持ち、それでいて端正さとしなやかさを失っていない。当時のベルリン・フィルの録音群の中でも、これは会心の出来といえるのではないか。
この演奏を掌中に収めたオッテルローとは、どんな指揮者なのだろうか。
1907年12月27日、ウィレム・ファン・オッテルローは、オランダのヴィンテルスヴェイクに生まれた。ユトレヒトで医学を学んだ後、アムステルダム音楽院でチェリストのオロビオ・デ・カストロに師事。セム・ドレスデンに作曲を学んだ。ユトレヒト市立管弦楽団のチェロ奏者を務めるかたわら作曲も行い、「組曲第3番」でコンセルトヘボウ管弦楽団の作曲賞を獲得。1932年に同オケのコンサートで指揮者としてデビューを飾る。1933年、ユトレヒト市立管弦楽団の副指揮者に就任し、1937年に常任指揮者に昇格。1949年にはハーグ・レジデンティ管弦楽団の常任指揮者に就任。1973年に辞任するまでこのオーケストラの技術向上、および、知名度向上に貢献した。1971年にはシドニー響の指揮者、1974年にはデュッセルドルフ響の指揮者のポストに就いている。来日回数も多い。作曲もコンスタントに続けており、「シンフォニエッタ」や「セレナード」などを書いている。1978年7月27日、メルボルンで事故により亡くなった。
先に挙げた「幻想」以外では、ベートーヴェンの交響曲の録音もファンに愛されている代表盤である。自身がチェリストであったことも影響しているのだろうが、低弦の扱いに独特の美的感覚とセンスが滲み出ている。あれこれ変わったことをしなくても、低弦のニュアンスを調整するだけで、いかにドラマティックな世界が生まれるか、という良いお手本だ。「田園」の第2楽章、第7番の第1楽章のコーダは、オッテルローの指揮が小さな奇跡を起こした瞬間として記憶しておきたい。ちなみに、「田園」のオーケストラはウィーン響、第7番はウィーン音楽祭管弦楽団である。ハーグ・レジデンティとは第4番、第8番、第9番「合唱」を録音しているが、これらも立派な演奏である。
ただし、アンサンブルに綻びがないわけではない。「ここはもっとテンポに厳格であってほしい」といいたくなる箇所も少なからずある。オッテルローの解釈自体はしっくりくるし、気力がみなぎっているのも十分に伝わってくるのだが、オケのコンディションが万全とはいいがたいのである。
オッテルローの絶頂期を示す掛け値なしの名演奏として、マーラーの交響曲第1番「巨人」も挙げておきたい。「オッテルロー=マーラー指揮者」とみなしている人はいないかもしれないが、第1番と第4番の録音はマーラー演奏史に残る偉大なモニュメントである。エネルギーがひたすら膨張していく第1番の終楽章など、仰ぎ見たくなるような巨大な音楽が宙を覆う。ウィーン音楽祭管弦楽団の団員も、オッテルローの指揮に最後まで食らいついている。弦が美しいことはもちろん、燃えるように熱い管楽器の響きには首筋からゾクゾクさせられる。
ハイドンの交響曲第45番「告別」も、オッテルローの真価を知る上でぜひ聴いておきたい演奏だ。オケはハーグ・レジデンティ。団員の集中力がそのまま音になったような情熱的な響きと、安定したアンサンブルを愉しむことが出来る。むろん、ヴェルディの「レクイエム」、フランクの交響曲、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」、ブルックナーの交響曲第7番の録音も一聴に値するが、まずはハイドン、ベートーヴェン、ベルリオーズ、マーラーを聴けば、この指揮者の実力のほどは分かるだろう。
協奏曲の録音にも良いのがあるが、その中でも、ニキタ・マガロフとのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、クララ・ハスキルとのシューマンのピアノ協奏曲は、上位にくる名盤といえる。きれいに作り込まれた「完璧」な録音では感じることの出来ない本物の品格、人工的なものを含まない強い生命力が、演奏者の細かな指の動きや息づかいから伝わってくる。オッテルローの名サポートぶりにも脱帽だ。
何か地味なものを評する時に、そのまま地味とはいいづらいために、渋いという言葉を遣うことがある。自分に知識がないことを棚に上げて、知名度がそこまで高くないとか、通好みである、という理由で「地味」にしてしまう。オッテルローを評する際、しばしば「渋い指揮者」という言葉が遣われているのを目にしたり、耳にしたりするが、これも「地味な指揮者」といっているのと同じである。そういう風に評する人は、おそらくオッテルローの録音を真面目に聴いたことがないのだろう。その演奏を聴けば、「地味」とも「渋い」とも無縁な指揮者だったことは分かるはずである。
【関連サイト】
WILLEM VAN OTTERLOO(CD)
デフォルメするところは大胆にしているが、アーティキュレーションが絶妙で、表現がくどくならない。細かいことを気にせず指揮しているようで、かなり細部に神経がいっている。第3楽章など、ここまでニュアンスをたっぷり含ませて、しかも雄弁に、聴き手の耳を楽しませながら指揮できる人はあまりいないだろう。ベルリン・フィルの響きも魅力的だ。熱い芯を持ち、それでいて端正さとしなやかさを失っていない。当時のベルリン・フィルの録音群の中でも、これは会心の出来といえるのではないか。
この演奏を掌中に収めたオッテルローとは、どんな指揮者なのだろうか。
1907年12月27日、ウィレム・ファン・オッテルローは、オランダのヴィンテルスヴェイクに生まれた。ユトレヒトで医学を学んだ後、アムステルダム音楽院でチェリストのオロビオ・デ・カストロに師事。セム・ドレスデンに作曲を学んだ。ユトレヒト市立管弦楽団のチェロ奏者を務めるかたわら作曲も行い、「組曲第3番」でコンセルトヘボウ管弦楽団の作曲賞を獲得。1932年に同オケのコンサートで指揮者としてデビューを飾る。1933年、ユトレヒト市立管弦楽団の副指揮者に就任し、1937年に常任指揮者に昇格。1949年にはハーグ・レジデンティ管弦楽団の常任指揮者に就任。1973年に辞任するまでこのオーケストラの技術向上、および、知名度向上に貢献した。1971年にはシドニー響の指揮者、1974年にはデュッセルドルフ響の指揮者のポストに就いている。来日回数も多い。作曲もコンスタントに続けており、「シンフォニエッタ」や「セレナード」などを書いている。1978年7月27日、メルボルンで事故により亡くなった。
先に挙げた「幻想」以外では、ベートーヴェンの交響曲の録音もファンに愛されている代表盤である。自身がチェリストであったことも影響しているのだろうが、低弦の扱いに独特の美的感覚とセンスが滲み出ている。あれこれ変わったことをしなくても、低弦のニュアンスを調整するだけで、いかにドラマティックな世界が生まれるか、という良いお手本だ。「田園」の第2楽章、第7番の第1楽章のコーダは、オッテルローの指揮が小さな奇跡を起こした瞬間として記憶しておきたい。ちなみに、「田園」のオーケストラはウィーン響、第7番はウィーン音楽祭管弦楽団である。ハーグ・レジデンティとは第4番、第8番、第9番「合唱」を録音しているが、これらも立派な演奏である。
ただし、アンサンブルに綻びがないわけではない。「ここはもっとテンポに厳格であってほしい」といいたくなる箇所も少なからずある。オッテルローの解釈自体はしっくりくるし、気力がみなぎっているのも十分に伝わってくるのだが、オケのコンディションが万全とはいいがたいのである。
オッテルローの絶頂期を示す掛け値なしの名演奏として、マーラーの交響曲第1番「巨人」も挙げておきたい。「オッテルロー=マーラー指揮者」とみなしている人はいないかもしれないが、第1番と第4番の録音はマーラー演奏史に残る偉大なモニュメントである。エネルギーがひたすら膨張していく第1番の終楽章など、仰ぎ見たくなるような巨大な音楽が宙を覆う。ウィーン音楽祭管弦楽団の団員も、オッテルローの指揮に最後まで食らいついている。弦が美しいことはもちろん、燃えるように熱い管楽器の響きには首筋からゾクゾクさせられる。
ハイドンの交響曲第45番「告別」も、オッテルローの真価を知る上でぜひ聴いておきたい演奏だ。オケはハーグ・レジデンティ。団員の集中力がそのまま音になったような情熱的な響きと、安定したアンサンブルを愉しむことが出来る。むろん、ヴェルディの「レクイエム」、フランクの交響曲、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」、ブルックナーの交響曲第7番の録音も一聴に値するが、まずはハイドン、ベートーヴェン、ベルリオーズ、マーラーを聴けば、この指揮者の実力のほどは分かるだろう。
協奏曲の録音にも良いのがあるが、その中でも、ニキタ・マガロフとのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、クララ・ハスキルとのシューマンのピアノ協奏曲は、上位にくる名盤といえる。きれいに作り込まれた「完璧」な録音では感じることの出来ない本物の品格、人工的なものを含まない強い生命力が、演奏者の細かな指の動きや息づかいから伝わってくる。オッテルローの名サポートぶりにも脱帽だ。
何か地味なものを評する時に、そのまま地味とはいいづらいために、渋いという言葉を遣うことがある。自分に知識がないことを棚に上げて、知名度がそこまで高くないとか、通好みである、という理由で「地味」にしてしまう。オッテルローを評する際、しばしば「渋い指揮者」という言葉が遣われているのを目にしたり、耳にしたりするが、これも「地味な指揮者」といっているのと同じである。そういう風に評する人は、おそらくオッテルローの録音を真面目に聴いたことがないのだろう。その演奏を聴けば、「地味」とも「渋い」とも無縁な指揮者だったことは分かるはずである。
(阿部十三)
【関連サイト】
WILLEM VAN OTTERLOO(CD)
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