セーナ・ユリナッチ 〜聖域の声〜
2013.02.23
ウィーンのプリマドンナ
セーナ・ユリナッチの歌声は、豊かで深みがあり、あたたかく、声域全体のトーンが安定している。そこには作品のエッセンスを聴き手の耳の奥、心の奥にまで確実に届ける恩寵のような力も備わっている。何度繰り返し聴いても飽きることのない声、安心してどっぷり浸ることが出来る声である。
1921年10月24日、ユリナッチは医師の娘としてトラヴニクに生まれた。本名はスレブレンカ・ユリナッチ。『ウィーン・オペラの名歌手』(音楽之友社)のインタビューによると、正確には「ユリナッチ」ではなく「ユリナッツ」らしいが、本人にはこだわりはなく、「名前なんて、いつもそんなものです」と述べている。
ザグレブ音楽アカデミーに学び、ミルカ・コストレンチッチに師事。1942年、ザグレブの歌劇場で『ラ・ボエーム』のミミを歌い、正式デビュー。1944年、カール・ベームの招きでウィーン国立歌劇場のオーディションを受け、合格(その前にミュンヘンでクレメンス・クラウスのオーディションを受けているが、そちらは不合格だった)。1945年5月1日に『フィガロの結婚』のケルビーノ役でウィーン・デビューを飾った。レパートリーを増やすのに苦労し、イルムガルト・ゼーフリート、リューバ・ヴェリッチュの長所を真似ながら役を会得していったという。
20代後半からはキャリアも安定してきて、ザルツブルク、エディンバラ、グラインドボーンなどにも客演し、大成功を収めた。ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮で、『蝶々夫人』、『ドン・カルロ』、『オテロ』を歌い、イタリア・オペラも開拓。一方で、メノッティやバーバーなどの現代音楽には慎重な態度を示した。そのキャリアは長く、50歳を過ぎても美声は衰えず、『ボリス・ゴドゥノフ』や『ばらの騎士』で賞賛を浴びていた。ウィーンの人々は敬意を込めて「ディ・セーナ」と呼んでいたという。
昔、実家にあった『世界の大音楽』という小学館のレコード全集の中に、名作オペラのハイライトが収録されていた。そのレコードで、私は初めて『フィガロの結婚』を聴いた。そこで伯爵夫人を歌っていたのがセーナ・ユリナッチだった。当時は好きとか嫌いとかいう感情もなかったが、徐々に、そして深く、好きになっていった。
ギューデン、テバルディ、デラ・カーザ、オリヴェロ、チェボターリなど夢中になった女性歌手はほかにもいたし、今でもいる。一番に持ち上げたくなる歌手は、作品によって、もっといえば、こちらの気分によっても変わる。ただ、ユリナッチ以上に好きな歌手はいない。ついでにいえば、誕生日が同じであることも誇りにしている(羨ましがる人が一人もいないことは分かっている)。
ソプラノでもメゾ・ソプラノでも成功
声域が広く、ソプラノからメゾ・ソプラノまで自在に歌っていたユリナッチのレパートリーはかなり広い。『コジ・ファン・トゥッテ』ではフィオルディリージ役、ドラベルラ役の両方で成功しているほどだ。
当たり役をしぼると、『ポッペアの戴冠』のポッペア、『イドメネオ』のイリア、『コジ・ファン・トゥッテ』のフィオルディリージとドラベルラ、『フィガロの結婚』のケルビーノと伯爵夫人、『フィデリオ』のレオノーレ、『ドン・カルロ』のエリザベッタ、『イェヌーファ』と『蝶々夫人』と『トスカ』のタイトルロール、『ばらの騎士』のオクタヴィアン、『ナクソス島のアリアドネ』の作曲家あたりになるだろうか。とにかく、どの役も甲乙つけがたく、水準が高いので、これさえ聴いておけば十分というものを数枚に限定するのは不可能である。
カラヤンがユリナッチと組んだ公演のいくつかは、オペラ愛好家の間では伝説として語り継がれている。センセーショナルな成功を収めたそれらの公演のうち、『ポッペアの戴冠』、『オルフェオとエウリディーチェ』、『ドン・カルロ』、『ばらの騎士』などは、幸いなことに音源がある。カラヤン、ベーム、クラウス、クリップスと共に彼女のキャリアに大きな影響を及ぼしたフリッツ・ブッシュと組んだ録音も、比較的多く遺されている。なんといっても、『コジ・ファン・トゥッテ』、『イドメネオ』、『4つの最後の歌』を聴くことが出来るのは嬉しい。『4つの最後の歌』は、声にも表現にもまだ若さが感じられるが、「夕映えの中で」は魅惑的である。ほかにもマルコム・サージェント、ミラン・ホルヴァートと組んだ録音があるので、聴き比べることをお薦めする(カール・ランクルが指揮した音源もあるようだが未聴である)。
【関連サイト】
セーナ・ユリナッチ 〜聖域の声〜 [続き]
Sena Jurinac(CD)
セーナ・ユリナッチの歌声は、豊かで深みがあり、あたたかく、声域全体のトーンが安定している。そこには作品のエッセンスを聴き手の耳の奥、心の奥にまで確実に届ける恩寵のような力も備わっている。何度繰り返し聴いても飽きることのない声、安心してどっぷり浸ることが出来る声である。
1921年10月24日、ユリナッチは医師の娘としてトラヴニクに生まれた。本名はスレブレンカ・ユリナッチ。『ウィーン・オペラの名歌手』(音楽之友社)のインタビューによると、正確には「ユリナッチ」ではなく「ユリナッツ」らしいが、本人にはこだわりはなく、「名前なんて、いつもそんなものです」と述べている。
ザグレブ音楽アカデミーに学び、ミルカ・コストレンチッチに師事。1942年、ザグレブの歌劇場で『ラ・ボエーム』のミミを歌い、正式デビュー。1944年、カール・ベームの招きでウィーン国立歌劇場のオーディションを受け、合格(その前にミュンヘンでクレメンス・クラウスのオーディションを受けているが、そちらは不合格だった)。1945年5月1日に『フィガロの結婚』のケルビーノ役でウィーン・デビューを飾った。レパートリーを増やすのに苦労し、イルムガルト・ゼーフリート、リューバ・ヴェリッチュの長所を真似ながら役を会得していったという。
20代後半からはキャリアも安定してきて、ザルツブルク、エディンバラ、グラインドボーンなどにも客演し、大成功を収めた。ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮で、『蝶々夫人』、『ドン・カルロ』、『オテロ』を歌い、イタリア・オペラも開拓。一方で、メノッティやバーバーなどの現代音楽には慎重な態度を示した。そのキャリアは長く、50歳を過ぎても美声は衰えず、『ボリス・ゴドゥノフ』や『ばらの騎士』で賞賛を浴びていた。ウィーンの人々は敬意を込めて「ディ・セーナ」と呼んでいたという。
昔、実家にあった『世界の大音楽』という小学館のレコード全集の中に、名作オペラのハイライトが収録されていた。そのレコードで、私は初めて『フィガロの結婚』を聴いた。そこで伯爵夫人を歌っていたのがセーナ・ユリナッチだった。当時は好きとか嫌いとかいう感情もなかったが、徐々に、そして深く、好きになっていった。
ギューデン、テバルディ、デラ・カーザ、オリヴェロ、チェボターリなど夢中になった女性歌手はほかにもいたし、今でもいる。一番に持ち上げたくなる歌手は、作品によって、もっといえば、こちらの気分によっても変わる。ただ、ユリナッチ以上に好きな歌手はいない。ついでにいえば、誕生日が同じであることも誇りにしている(羨ましがる人が一人もいないことは分かっている)。
ソプラノでもメゾ・ソプラノでも成功
声域が広く、ソプラノからメゾ・ソプラノまで自在に歌っていたユリナッチのレパートリーはかなり広い。『コジ・ファン・トゥッテ』ではフィオルディリージ役、ドラベルラ役の両方で成功しているほどだ。
当たり役をしぼると、『ポッペアの戴冠』のポッペア、『イドメネオ』のイリア、『コジ・ファン・トゥッテ』のフィオルディリージとドラベルラ、『フィガロの結婚』のケルビーノと伯爵夫人、『フィデリオ』のレオノーレ、『ドン・カルロ』のエリザベッタ、『イェヌーファ』と『蝶々夫人』と『トスカ』のタイトルロール、『ばらの騎士』のオクタヴィアン、『ナクソス島のアリアドネ』の作曲家あたりになるだろうか。とにかく、どの役も甲乙つけがたく、水準が高いので、これさえ聴いておけば十分というものを数枚に限定するのは不可能である。
カラヤンがユリナッチと組んだ公演のいくつかは、オペラ愛好家の間では伝説として語り継がれている。センセーショナルな成功を収めたそれらの公演のうち、『ポッペアの戴冠』、『オルフェオとエウリディーチェ』、『ドン・カルロ』、『ばらの騎士』などは、幸いなことに音源がある。カラヤン、ベーム、クラウス、クリップスと共に彼女のキャリアに大きな影響を及ぼしたフリッツ・ブッシュと組んだ録音も、比較的多く遺されている。なんといっても、『コジ・ファン・トゥッテ』、『イドメネオ』、『4つの最後の歌』を聴くことが出来るのは嬉しい。『4つの最後の歌』は、声にも表現にもまだ若さが感じられるが、「夕映えの中で」は魅惑的である。ほかにもマルコム・サージェント、ミラン・ホルヴァートと組んだ録音があるので、聴き比べることをお薦めする(カール・ランクルが指揮した音源もあるようだが未聴である)。
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