セーナ・ユリナッチ 〜聖域の声〜 [続き]
2013.02.25
イリアとオクタヴィアン
『イドメネオ』のユリナッチは文句なしに素晴らしい。その声の美質を遺憾なく発揮している。役と声の間にここまで親和性を感じさせる例も珍しい。このイリアがいれば、ほかのイリアはいらない、といいたくなるほどだ。音質は1956年に録音されたものの方が良いが、ジョン・プリッチャードの指揮が緩いのが難点である。
ユリナッチの美質は、『蝶々夫人』(1961年ライヴ)、『トスカ』(1966年ライヴ)にもあらわれてはいる。ただ、彼女のベストを示す出来とはいえない。1950年代後半にセッション録音で遺してほしかった。
そして、『ばらの騎士』。録音はいろいろあるが、ユリナッチのオクタヴィアンには、ほとんどはずれがない。就中、1954年のエーリヒ・クライバー盤、1960年のカラヤン盤(映像作品)の評価が高いようだが、私個人は、リーザ・デラ・カーザがマルシャリン、ヒルデ・ギューデンがゾフィーを歌っているという点で、1960年7月26日のライヴ音源を好んでいる。カラヤンの指揮も絶好調だ。
当の本人はずっとマルシャリン役を歌いたいと思っていたようで、「私たちソプラノで元帥夫人を歌いたくない者なんているでしょうか。女性にとって、あれはちょっとした夢の役なのです」と語っている。後年、その願いが叶い、マルシャリン役で成功した。音源としては、クリスタ・ルートヴィヒがオクタヴィアンを歌った1972年6月21日のライヴを聴くことが出来る。
ちなみに、初めてマルシャリンを歌った際のオクタヴィアンは、ブリギッテ・ファスベンダー。2人の相性は良かったようだが(ファスベンダーはユリナッチのことを「偉大な歌手の鑑」と呼んでいる)、私はその音源を聴いたことがない。どうにかして聴きたいものである。
プッチーニの『修道女アンジェリカ』(ドイツ語)も絶品。指揮はヴィルヘルム・ロイブナーで、録音は1951年。ユリナッチの清潔で膨らみのある声が、この役には非常によく合っている。彼女が歌い出すと空気が変わるというか、聖域にふれているような心地にさせられる。これぞ美声中の美声である。
至高の宗教音楽とリート
アルバン・ベルクの『ヴォツェック』ではマリーを歌っている。マニアの間ではよく知られた映像作品で、指揮はブルーノ・マデルナ。一度観たら忘れられなくなるほど殺伐とした質感の映像の連続に、視覚がヒリヒリしてくる。もはやヴォツェックそのものにしか見えないトニ・ブランケンハイムの風采に目を奪われがちだが、ユリナッチの熱演も見どころである。
私がユリナッチを知るきっかけとなった『フィガロの結婚』は、1955年に録音されたもの。指揮はヴィットリオ・グイである。夫の心変わりを嘆きながらも、清楚さと軽やかさを残している伯爵夫人だ。フィガロを歌っているのは、ユリナッチと結婚していたセスト・ブルスカンティーニである。そのブルスカンティーニと離婚した1956年には、カール・ベームの指揮で伯爵夫人を歌っている。グイ盤に比べると品格もスケール感も増し、伯爵夫人役を内面から掴んでいることがわかる(個人的には、グイ盤の方が聴きやすい)。
余談だが、グイ盤が国内でCD化された際、オビに「大歌手なしだからこその楽しいアンサンブル!」と記されていたことを思い出す。当時は、書き手の無神経さに激昂し、無知蒙昧の徒がこの音源を扱っている状況に対して情けない気持ちになったものだ。この人は、いったい誰を「大歌手」と想定して、こんな風に書いたのだろうか。
ユリナッチがレオノーレを歌った『フィデリオ』には、名高い音源が2種類ある。どちらも1961年の録音で、指揮者はオットー・クレンペラーとハンス・クナッパーツブッシュである。ユリナッチの深みのある表現力と美声はさすがとしかいいようがなく、聴き手の集中力を少しも緩ませない。レオノーレの一つの理想型といっていいだろう。
テレマンの『マタイ受難曲』、バッハの『マニフィカト』、モーツァルトの『レクイエム』の音源もある。こういう聖域の声にふれていると、もっと宗教音楽の音源を遺してほしかった、と思わずにいられない。宗教音楽ではないが、レスピーギの「夕暮れ」もファンにはおなじみの美演。その声と音楽に浸っているだけで、鼓膜がとけそうになる。
ユリナッチは2011年11月22日、90歳で亡くなったが、その活動を総括する音源集はまだ出ていないようである。2007年にORFEOから出たオペラ・アリア集も、たったの2枚組で、満足出来る内容ではなかった。
名声のわりに、セッション録音に恵まれていたとはいいがたい。彼女がその才能と持ち味を存分に発揮したリートに関しても、入手できる音源は、2013年現在ほとんどない。例えばシューマンの『リーダークライス』や『女の愛と生涯』は、鳥肌が立つほど一途で美しい歌心の結晶だが、今どれくらいの人に聴かれているのだろう。こういう歌が世にあることを知らないまま、大歌手の何たるかを語るのは噴飯ものである。真に「偉大な歌手の鑑」の記憶を永久にとどめる音源の開拓を望みたい。
【関連サイト】
セーナ・ユリナッチ 〜聖域の声〜
Sena Jurinac(CD)
『イドメネオ』のユリナッチは文句なしに素晴らしい。その声の美質を遺憾なく発揮している。役と声の間にここまで親和性を感じさせる例も珍しい。このイリアがいれば、ほかのイリアはいらない、といいたくなるほどだ。音質は1956年に録音されたものの方が良いが、ジョン・プリッチャードの指揮が緩いのが難点である。
ユリナッチの美質は、『蝶々夫人』(1961年ライヴ)、『トスカ』(1966年ライヴ)にもあらわれてはいる。ただ、彼女のベストを示す出来とはいえない。1950年代後半にセッション録音で遺してほしかった。
そして、『ばらの騎士』。録音はいろいろあるが、ユリナッチのオクタヴィアンには、ほとんどはずれがない。就中、1954年のエーリヒ・クライバー盤、1960年のカラヤン盤(映像作品)の評価が高いようだが、私個人は、リーザ・デラ・カーザがマルシャリン、ヒルデ・ギューデンがゾフィーを歌っているという点で、1960年7月26日のライヴ音源を好んでいる。カラヤンの指揮も絶好調だ。
当の本人はずっとマルシャリン役を歌いたいと思っていたようで、「私たちソプラノで元帥夫人を歌いたくない者なんているでしょうか。女性にとって、あれはちょっとした夢の役なのです」と語っている。後年、その願いが叶い、マルシャリン役で成功した。音源としては、クリスタ・ルートヴィヒがオクタヴィアンを歌った1972年6月21日のライヴを聴くことが出来る。
ちなみに、初めてマルシャリンを歌った際のオクタヴィアンは、ブリギッテ・ファスベンダー。2人の相性は良かったようだが(ファスベンダーはユリナッチのことを「偉大な歌手の鑑」と呼んでいる)、私はその音源を聴いたことがない。どうにかして聴きたいものである。
プッチーニの『修道女アンジェリカ』(ドイツ語)も絶品。指揮はヴィルヘルム・ロイブナーで、録音は1951年。ユリナッチの清潔で膨らみのある声が、この役には非常によく合っている。彼女が歌い出すと空気が変わるというか、聖域にふれているような心地にさせられる。これぞ美声中の美声である。
至高の宗教音楽とリート
アルバン・ベルクの『ヴォツェック』ではマリーを歌っている。マニアの間ではよく知られた映像作品で、指揮はブルーノ・マデルナ。一度観たら忘れられなくなるほど殺伐とした質感の映像の連続に、視覚がヒリヒリしてくる。もはやヴォツェックそのものにしか見えないトニ・ブランケンハイムの風采に目を奪われがちだが、ユリナッチの熱演も見どころである。
私がユリナッチを知るきっかけとなった『フィガロの結婚』は、1955年に録音されたもの。指揮はヴィットリオ・グイである。夫の心変わりを嘆きながらも、清楚さと軽やかさを残している伯爵夫人だ。フィガロを歌っているのは、ユリナッチと結婚していたセスト・ブルスカンティーニである。そのブルスカンティーニと離婚した1956年には、カール・ベームの指揮で伯爵夫人を歌っている。グイ盤に比べると品格もスケール感も増し、伯爵夫人役を内面から掴んでいることがわかる(個人的には、グイ盤の方が聴きやすい)。
余談だが、グイ盤が国内でCD化された際、オビに「大歌手なしだからこその楽しいアンサンブル!」と記されていたことを思い出す。当時は、書き手の無神経さに激昂し、無知蒙昧の徒がこの音源を扱っている状況に対して情けない気持ちになったものだ。この人は、いったい誰を「大歌手」と想定して、こんな風に書いたのだろうか。
ユリナッチがレオノーレを歌った『フィデリオ』には、名高い音源が2種類ある。どちらも1961年の録音で、指揮者はオットー・クレンペラーとハンス・クナッパーツブッシュである。ユリナッチの深みのある表現力と美声はさすがとしかいいようがなく、聴き手の集中力を少しも緩ませない。レオノーレの一つの理想型といっていいだろう。
テレマンの『マタイ受難曲』、バッハの『マニフィカト』、モーツァルトの『レクイエム』の音源もある。こういう聖域の声にふれていると、もっと宗教音楽の音源を遺してほしかった、と思わずにいられない。宗教音楽ではないが、レスピーギの「夕暮れ」もファンにはおなじみの美演。その声と音楽に浸っているだけで、鼓膜がとけそうになる。
ユリナッチは2011年11月22日、90歳で亡くなったが、その活動を総括する音源集はまだ出ていないようである。2007年にORFEOから出たオペラ・アリア集も、たったの2枚組で、満足出来る内容ではなかった。
名声のわりに、セッション録音に恵まれていたとはいいがたい。彼女がその才能と持ち味を存分に発揮したリートに関しても、入手できる音源は、2013年現在ほとんどない。例えばシューマンの『リーダークライス』や『女の愛と生涯』は、鳥肌が立つほど一途で美しい歌心の結晶だが、今どれくらいの人に聴かれているのだろう。こういう歌が世にあることを知らないまま、大歌手の何たるかを語るのは噴飯ものである。真に「偉大な歌手の鑑」の記憶を永久にとどめる音源の開拓を望みたい。
(阿部十三)
【関連サイト】
セーナ・ユリナッチ 〜聖域の声〜
Sena Jurinac(CD)
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