音楽 CLASSIC

アルトゥーロ・トスカニーニ 〜偉大な指揮者は英雄のように〜

2014.07.08
指揮者の中の王

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 アルトゥーロ・トスカニーニは19世紀後半から20世紀半ばにかけて君臨したイタリアの大指揮者である。彼の登場により指揮者の地位、オペラの上演スタイル、オーケストラの演奏表現の在り方は大きく変わった。かのオットー・クレンペラーが「指揮者の中の王」と呼ぶほどその影響力は絶大だった。トスカニーニは単に指揮棒を振るだけの人ではなく、音楽監督ないし芸術監督として采配を揮い、オーケストラの人事に対する発言権も持ち、オペラハウスの構造にも意見を出した。そして演奏面では主情主義を排し、作曲家の意を汲んだ客観的な演奏表現を心がけ、そのために綿密なリハーサルを行った。今では当たり前のことのように思われるだろうが、トスカニーニが指揮者になった頃は、そうではなかったのである。極度の近視のため、驚異的な記憶力を駆使して暗譜でオペラを指揮していたことも、当時としては異例だった。


反ファシズムの象徴

 1867年3月25日、トスカニーニはイタリアのパルマに生まれた。パルマ王立音楽院を卒業後、チェリストになるが、1886年6月30日、『アイーダ』南米公演の際に急遽指揮者としてデビュー。以後、トリノ王立歌劇場、ミラノ・スカラ座、メトロポリタン歌劇場、ニューヨーク・フィルでキャリアを重ね、1937年には彼のために創設されたNBC響の首席指揮者に就任、数多くのコンサート、録音を行った。1954年4月4日、カーネギー・ホールでのコンサートを以て引退。1957年1月16日にニューヨークで亡くなった。

 トスカニーニは反ファシズムの象徴でもあり、アドルフ・ヒトラーやベニート・ムッソリーニと関わることを断固拒否し続けた。1930年と1931年にはバイロイト音楽祭に非ドイツ系指揮者として初めて出演、大成功を収めたことは今や伝説的な出来事になっているが、ナチスが政権をとった1933年からは出演していない。ザルツブルク音楽祭への出演も、オーストリア併合(1938年)以後は固辞した。

「私の決定はどんなに苦しくとも翻らない。私の考え方、動き方はただ一つ。妥協は嫌いだ。私は人生で自ら刻したまっすぐな道を歩き、これからも常に歩み続ける」

 これは1938年、トスカニーニをザルツブルク音楽祭に出演させようとした友人ブルーノ・ワルターの電報に対する返事である。
 イタリアでは、1931年にボローニャでファシスト党歌の演奏を拒否したため、暴徒から殴打される事件が起こった。当時、この大指揮者の影響力を警戒したムッソリーニは、部下に命じて24時間監視させ、盗聴までさせていた。イタリアで指揮することを拒んだトスカニーニが再び母国の指揮台に立つのは、1946年になってからである。


過酷なリハーサル

 芸術家としても人格者としても敬われ、英雄のごとく讃えられるトスカニーニだが、一方では扱いにくい人物でもあった。仕事に関しても、お金に関しても、自分との付き合い方に関しても、彼は多くのことを要求した(ただし、無報酬で指揮をすることもあった)。また、プレイボーイでもあり、30歳の時に19歳のカルラと結婚したが、その後も艶聞が絶えず、老齢に達しても落ち着くことはなかった。彼と愛人関係を結んだ女性の中には、ロジーナ・ストルキオやジェラルディン・ファーラーといった人気歌手、チェリストのエンリコ・マイナルディの妻アーダ、メンデルスゾーン家の一員であるエレオノラ・フォン・メンデルスゾーンもいた。
 リハーサルが過酷なことでも有名だった。トスカニーニは妥協の二文字を知らない。そのため現場はしばしば修羅場と化した。怒鳴り散らすだけでなく、物を投げたり、譜面台を壊したり、指揮棒を折ったりすることもあった。すぐれた芸術は唯一の絶対的指導者によって創造されるものであり、民主的で和気藹々とした雰囲気からは何も生まれない。そんな風に考えている私でも、いくつかあるトスカニーニのリハーサル音源を聴いていると、地獄絵図を延々見せられているような気分になり、胸が苦しくなる。それでもオーケストラはトスカニーニに従い、彼に指揮されることを望んだ。なお、余談だが、義理の息子(次女ワンダ・トスカニーニの夫)であるウラディミール・ホロヴィッツがトスカニーニと初協演する際、ヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュから与えられた忠告は、絶対に遅刻しないこと、怒鳴り声が響いても驚かないこと、反論しないこと、の3つだったという。


トスカニーニの音楽

 指揮者としてのトスカニーニがどれほど素晴らしいか、伝記的要素を抜きにして、遺された音源のみを頼りに語ることは容易ではない。今日、トスカニーニの録音に接した人々が抱く最初の印象は、おそらく硬直した音が痛快なテンポで威勢よく鳴っている、というものだろう。トスカニーニを嫌っていたサー・トーマス・ビーチャムは、お得意の辛辣な調子で「美化された楽隊長」と揶揄したが、別に嫌っていなくても、そういうイメージを抱く人はいるはずだ。サウンドの輝かしさ、美しさ、明晰さが、貧弱な音質のせいで、ほとんど剥落しているのである。
 同じように古い音源でヴィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮に接した人が、悪条件の音質までも含むその怒濤の演奏世界にのみこまれていくのとは異なり、トスカニーニの指揮は聴き手を酩酊させるよりも覚醒させる。作品の明確な表現や造形感といったものに対し、意識的になるよう促す。だからよけい音質がハンデに思える。しかし、トスカニーニの音源にどんな瑕があるにせよ、そこから圧倒的な統制力や解釈の妙味やこぼれ出る歌心を感じ取ることが全く出来ないとしたら、それは聴き手の理解不足によるものである。

 既述したように、トスカニーニの客観的な作品アプローチは後世に多大な影響を及ぼしたが、彼のように指揮出来た人間は一人もいない。この事実は特筆に値する。つまるところ、トスカニーニが重視したのは「客観的な作品アプローチ」そのものではなく、テオドール・W・アドルノが難じた「鉄の規律」や「完全無欠な演奏」でもなく、音楽に対する誠実な態度であった。彼はイン・テンポで押し通すタイプではなかったし、単なる即物主義者でもなかった。必要があれば楽譜に手を加えることもあった。その作品が取り得る最高の表現形態を獲得するために、まず正確な演奏を入り口にしていたにすぎない。
 トスカニーニが作り出す音楽は、迷いがなく、清潔で、決然としている。時に夢幻的になり、時にポルタメントで甘い香りを出し、時にカンタービレで魅了するが、切れ味はシャープで、打楽器の響かせ方も独特。腹の底にのめり込むほどの重みがある。その表現は曖昧さや混沌によりかかるのを良しとしない。聴いていると、襟を正したくなる。


その至芸を伝える録音

 私はここでトスカニーニを神格化するつもりはないし、遺された音源を手放しで絶賛することも出来ない。中にはギスギスした演奏、せわしない演奏、乱れた演奏もある。しかし、モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」(1929年録音)と第41番「ジュピター」(1945年〜1946年録音)と歌劇『魔笛』序曲(1941年ライヴ)、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」(1949年録音)、ベルリオーズの劇的交響曲『ロメオとジュリエット』(1947年ライヴ)、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」(1954年録音)、ワーグナーの歌劇『ローエングリン』の第1幕への前奏曲(1951年録音)、ヴェルディの『レクイエム』(1951年ライヴ)、スメタナの歌劇『売られた花嫁』序曲(1938年ライヴ)、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界」(1953年録音)は、偉大な指揮者の至芸を伝えるすこぶるつきの名演奏である。
 率直にいうと、「この作品はトスカニーニが指揮したものでなければ聴きたくない」と思わせるほどの録音は決して多くないのだが、この10点は別格だ。時代を超越した演奏であり、何人も模倣し得ぬ高次の規範といえる。「英雄」のアンサンブルの輝かしさ、フレージングのしなやかさに接してもまだ「美化された楽隊長」扱いする人がいるとしたら、救いがない。ここにいるのはナポレオンではない。「アレグロ・コン・ブリオ」のマントを羽織ったトスカニーニ自身である。


私の宝物

 ハイドン、ロッシーニ、シューベルト、ブラームス、チャイコフスキー、エルガー、ドビュッシー、レスピーギの録音も、トスカニーニの多彩な音楽性を知る上で外せない。ただ、その魅力が単純なものでないことは、彼が指揮するベートーヴェンとワーグナーを聴くだけでも十分に分かるはずだ。なお、トスカニーニのベートーヴェンを聴く場合は、既述した「英雄」と共に、1936年の交響曲第7番の録音、1939年の『ミサ・ソレムニス』のライヴ、1941年の交響曲第9番「合唱」のライヴもおさえておきたい。特に、ブエノスアイレスで演奏された第九は、実演で燃え上がり大爆発するトスカニーニを体験したい人におすすめである。ここには「客観的な演奏表現」は存在しない。

 オペラ録音では、ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(1937年ライヴ)、ヴェルディの『ファルスタッフ』(1950年ライヴ)、世界初演を務めたプッチーニの『ラ・ボエーム』(1946年録音)が聴きものである。『ファルスタッフ』は本当に凄い。これがライヴとは思えない合奏力と推進力、それでいて各パートの響きが美しく、歌手の能力もしっかり引き出している。感嘆措く能わざる音楽の遺産とよぶに相応しい。

 私がトスカニーニに惹かれたのは、イギリスのフィルハーモニア管のコンサートで演奏されたブラームスの交響曲第1番(1952年ライヴ)を聴いてからである。ブラ1の録音は、映像も含めて何種類かあり、いずれも鬼気迫る壮絶な演奏だが、トスカニーニがその剛直な手綱をやや緩めて旋律を大いに歌わせている点で、フィルハーモニア管とのライヴが最高だと思う。その後、ヤッシャ・ハイフェッツと協演したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(1940年録音)やアルトゥール・ルービンシュタインと協演したベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(1944年録音)を聴き、鮮やかなバトンテクニックに魅了された。これらの音源は、クラシック音楽を聴きはじめて間もない頃、私の感性を養ってくれた宝物である。
(阿部十三)