マグダ・オリヴェロ 〜本物のアドリアーナ〜
2014.12.08
マグダ・オリヴェロの歌は、その一回一回が絶唱である。全身全霊を注いだ彼女の歌声に耳を傾けていると、私は時折興奮のあまり髪の毛に火がつくような感覚にとらわれる。それくらい歌に対するオリヴェロの没入ぶりは徹底していて、しかも強い伝播力を含有している。世にも稀な美声の持ち主であり、卓越した技術も備えているが、単なる美声の人、技術の人ではない。アドリアーナ・ルクヴルール同様、「創造の神の僕」として、我が身を顧みない芸術家である。その没我的で熱い歌声に、胸が破裂しそうなほど満たされる幸福な充溢感は、ほかの歌手に求めてもなかなか得られるものではない。
オリヴェロは1910年3月25日にイタリアのサルッツォで生まれた。トリノで声楽、ピアノを学び、1933年に『ジャンニ・スキッキ』のラウレッタ役でデビュー。当たり役はフランチェスコ・チレアの『アドリアーナ・ルクヴルール』のタイトルロールで、チレアから「やっとまた本物のアドリアーナを見つけた」と絶賛された(「また」というのは、ジュゼッピーナ・コベッリ以降、理想のアドリアーナが見つからないままだったことを指す)。1938年には『トゥーランドット』の録音にリュー役で参加。魅惑的な歌唱を披露したが、1941年、結婚を機に惜しまれつつ引退した。
第二のキャリアは戦後から始まる。きっかけを与えたのは、チレアである。彼の懇願により、オリヴェロは再び『アドリアーナ・ルクヴルール』に出演することを決意。1951年、大成功を収めて見事復活を遂げた(チレアは1950年に急逝したため、舞台を目にすることはできなかった)。それから30年間、華々しい活躍を続け、年齢を重ねても声が衰えることはなかった。メトロポリタン歌劇場で『トスカ』を歌い、賞賛されたのは1975年のことである。1981年、歌劇場から引退。その後も断続的に公の場で歌い、2014年9月8日、104歳で亡くなった。生年に関しては1912年説もあるが、いずれにしても100 歳を超える長寿であった。
繊細で消え入りそうな声を持続させ、そこから一気に突き上げるようにして感情の爆発へと持っていく。その思わず仰ぎ見たくなるような突破力は、オリヴェロの歌唱の特徴を示すものと言えるだろう。舞台姿も美しく、『アドリアーナ・ルクヴルール』はもちろん、『トスカ』や『フランチェスカ・ダ・リミニ』でも聴衆を魅了した。ただ、あり余る才能と表現力、そして美貌を備えた歌手でありながら、正規録音は少ない。まとまった形で遺されている正規のオペラ音源は、1938年録音の『トゥーランドット』、1969年録音の『フェドーラ』と『フランチェスカ・ダ・リミニ』(抜粋)くらいである。このことについて、オリヴェロ自身は次のように語っている。
「私はだれとでも協調してやっていますが、ただ正直言って、レコード会社と契約を結ぶために必要な諸々のことがらについては、どうしても理解できません。そうしたレコード会社にどうやって割り込むのか、私には今もって謎なのです。私自身はこれまで宣伝担当やPR業者を頼んだことがなく、自分のキャリアはそういう手助けなしに、自分で築いてきました。だから比較的レコードが少ないのです。でもアメリカでは、ライヴで歌ったものがほとんど全部出回っているので、私は『海賊版の女王』と見なされているそうです。これには、我ながら満足してるんですよ」
その「海賊版」の代表が、1959年11月28日にナポリのテアトロ・ディ・サン・カルロで上演された『アドリアーナ・ルクヴルール』である。共演はフランコ・コレッリ、ジュリエッタ・シミオナート、エットーレ・バスティアニーニで、指揮はマリオ・ロッシ。当時オリヴェロは肝臓の手術後で、医者からは舞台に立つのを止められていた。それでもレナータ・テバルディの代役として急遽出演し、憑かれたような歌いぶりで観客を熱狂させた。ライヴ音源からは、興奮のるつぼと化した劇場の様子が伝わってくる。アリア「私は創造の神の僕」を聴くだけでも、畏れに近い感情に包まれるはずだ。オリヴェロに触発されてか、オーケストラも異常なテンションで嵐のような演奏を繰り広げている。
ほかに、『マゼッパ』(1954年6月6日ライヴ)の第3幕での狂気、『フェドーラ』の第2幕での愛と葛藤(相手役はマリオ・デル・モナコ)など、強烈なインパクトを残す音源もある。『フランチェスカ・ダ・リミニ』(1959年6月4日ライヴ)では感情の表出が激しすぎるように感じられる部分もあるが、安全運転をしないオリヴェロらしさを示す表現とも言える。役に対するこのような没我的な献身を一切の手抜きなく繰り返し、ほとんど無謀とも思えるようなドラマティックな歌い方を続けながら、一向に美声が衰えなかったのは、創造の神のご加護によるものとしか思えない。
【関連サイト】
Magda Olivero(CD)
オリヴェロは1910年3月25日にイタリアのサルッツォで生まれた。トリノで声楽、ピアノを学び、1933年に『ジャンニ・スキッキ』のラウレッタ役でデビュー。当たり役はフランチェスコ・チレアの『アドリアーナ・ルクヴルール』のタイトルロールで、チレアから「やっとまた本物のアドリアーナを見つけた」と絶賛された(「また」というのは、ジュゼッピーナ・コベッリ以降、理想のアドリアーナが見つからないままだったことを指す)。1938年には『トゥーランドット』の録音にリュー役で参加。魅惑的な歌唱を披露したが、1941年、結婚を機に惜しまれつつ引退した。
第二のキャリアは戦後から始まる。きっかけを与えたのは、チレアである。彼の懇願により、オリヴェロは再び『アドリアーナ・ルクヴルール』に出演することを決意。1951年、大成功を収めて見事復活を遂げた(チレアは1950年に急逝したため、舞台を目にすることはできなかった)。それから30年間、華々しい活躍を続け、年齢を重ねても声が衰えることはなかった。メトロポリタン歌劇場で『トスカ』を歌い、賞賛されたのは1975年のことである。1981年、歌劇場から引退。その後も断続的に公の場で歌い、2014年9月8日、104歳で亡くなった。生年に関しては1912年説もあるが、いずれにしても100 歳を超える長寿であった。
繊細で消え入りそうな声を持続させ、そこから一気に突き上げるようにして感情の爆発へと持っていく。その思わず仰ぎ見たくなるような突破力は、オリヴェロの歌唱の特徴を示すものと言えるだろう。舞台姿も美しく、『アドリアーナ・ルクヴルール』はもちろん、『トスカ』や『フランチェスカ・ダ・リミニ』でも聴衆を魅了した。ただ、あり余る才能と表現力、そして美貌を備えた歌手でありながら、正規録音は少ない。まとまった形で遺されている正規のオペラ音源は、1938年録音の『トゥーランドット』、1969年録音の『フェドーラ』と『フランチェスカ・ダ・リミニ』(抜粋)くらいである。このことについて、オリヴェロ自身は次のように語っている。
「私はだれとでも協調してやっていますが、ただ正直言って、レコード会社と契約を結ぶために必要な諸々のことがらについては、どうしても理解できません。そうしたレコード会社にどうやって割り込むのか、私には今もって謎なのです。私自身はこれまで宣伝担当やPR業者を頼んだことがなく、自分のキャリアはそういう手助けなしに、自分で築いてきました。だから比較的レコードが少ないのです。でもアメリカでは、ライヴで歌ったものがほとんど全部出回っているので、私は『海賊版の女王』と見なされているそうです。これには、我ながら満足してるんですよ」
(『ウィーン・オペラの名歌手 I』香川檀訳)
その「海賊版」の代表が、1959年11月28日にナポリのテアトロ・ディ・サン・カルロで上演された『アドリアーナ・ルクヴルール』である。共演はフランコ・コレッリ、ジュリエッタ・シミオナート、エットーレ・バスティアニーニで、指揮はマリオ・ロッシ。当時オリヴェロは肝臓の手術後で、医者からは舞台に立つのを止められていた。それでもレナータ・テバルディの代役として急遽出演し、憑かれたような歌いぶりで観客を熱狂させた。ライヴ音源からは、興奮のるつぼと化した劇場の様子が伝わってくる。アリア「私は創造の神の僕」を聴くだけでも、畏れに近い感情に包まれるはずだ。オリヴェロに触発されてか、オーケストラも異常なテンションで嵐のような演奏を繰り広げている。
ほかに、『マゼッパ』(1954年6月6日ライヴ)の第3幕での狂気、『フェドーラ』の第2幕での愛と葛藤(相手役はマリオ・デル・モナコ)など、強烈なインパクトを残す音源もある。『フランチェスカ・ダ・リミニ』(1959年6月4日ライヴ)では感情の表出が激しすぎるように感じられる部分もあるが、安全運転をしないオリヴェロらしさを示す表現とも言える。役に対するこのような没我的な献身を一切の手抜きなく繰り返し、ほとんど無謀とも思えるようなドラマティックな歌い方を続けながら、一向に美声が衰えなかったのは、創造の神のご加護によるものとしか思えない。
(阿部十三)
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Magda Olivero(CD)
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