音楽 CLASSIC

ナタン・ミルシテイン 〜20世紀最高のヴィルトゥオーゾ〜

2015.03.20
衰えることを知らぬ人

Nathan Milstein j3
 演奏技術について語るとき、昔より今の方が格段に進歩しているとか、水準が上がっているという言い方をする人をよく見かける。しかし、全体の平均値が上がっても、突出した存在が現れるとは限らない。その証拠に、ナタン・ミルシテインやウラディミール・ホロヴィッツに匹敵するようなヴィルトゥオーゾは、ほとんど現代に存在しない。才能は平等なものではなく、分配される器が時代の流れと共に急増することはないのだ。彼らは例外的な存在である。と同時に、20世紀という時代と深く結びついたアイコンである。「昔より今の方が」といった言い回しを用いる以上、「昔もミルシテインやホロヴィッツがいた」と言われることは避けられない。進歩を謳うのであれば、彼らを超えた上でなされるべきである。

 ナタン・ミルシテインは1903年12月31日、オデッサのユダヤ人家庭に生まれた。母親に言われるままヴァイオリンを手にし、ピョートル・ストリヤルスキー(ダヴィッド・オイストラフの師でもある)の指導を受け、10歳の時、グラズノフのヴァイオリン協奏曲を作曲家自身の指揮で演奏。1916年、ストリヤルスキーの紹介でレオポルド・アウアーの前で演奏し、1917年春までペテルブルク音楽院に通い、アウアーのレッスンを受けた。回想録によると、当時ラスプーチンが殺害された現場で血痕を見たそうである。不穏な時代であった。2月革命の後、オデッサに戻り、1920年5月16日から演奏活動を開始。1921年にウラディミール・ホロヴィッツと出会って意気投合、キエフでジョイント・コンサートを行い、徐々に活動範囲を広げ、やがて「ソヴィエト革命下の子供たち」と呼ばれるようになって注目を浴びた。

 1925年12月、ソ連を出てヨーロッパへ。1926年に巨匠ウジェーヌ・イザイのもとを訪ねるが、ほとんど何も得るものがなかったという。同じ頃、フリッツ・クライスラーのコンサートにホロヴィッツと共に行き、席から立てなくなるほどの感動を味わい、ソ連に帰国せず、ヨーロッパに留まって活動することに決めた、と回想録に記されている。彼らの興行主はアレクサンドル・メロヴィッチで、ミルシテイン、ホロヴィッツ、グレゴール・ピアティゴルスキーの3人を「三銃士」として売り出したが、ミルシテインはメロヴィッチの無計画性に何度も失望させられたようである。

 アメリカ・デビューを果たしたのは1929年。レオポルド・ストコフスキー指揮、フィラデルフィア管のコンサートで、グラズノフの協奏曲のソリストを務めて成功を収めた。1942年、アメリカ市民権を獲得。その後ロンドンに住み、ヨーロッパを中心に演奏活動を行った。

 若い頃は、ヤッシャ・ハイフェッツの後塵を拝し、「技巧は完璧。深みや精神性が足りない」と言われていたが、50歳を過ぎてからはそのような評も少なくなり、極めて高度な技巧と豊かな音楽性を備えたヴィルトゥオーゾとして讃えられた。高齢になってもそのテクニックは衰えることなく、1972年にはクラウディオ・アバド指揮、ウィーン・フィルとメンデルスゾーン、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を録音、1973年にはバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」の全曲を録音し(2度目)、絶賛されている。最後のリサイタルは1986年6月、ストックホルムで行われた。左手に痛みを抱えた状態での演奏だったが、その音源(ベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」、バッハの「シャコンヌ」など)を聴いても、技術、気迫、音楽的な充実感は圧倒的である。第一線を退いてからは、回想録『ロシアから西欧へ』をソロモン・ヴォルコフの協力を得て執筆(出版されたのは1990年)。1992年12月21日に88歳で亡くなった。

 私が「演奏家」のファンになったのは、ナタン・ミルシテインからである。中学2年の頃、彼が演奏するブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴いて、音色の美しさと技巧の完璧さに魅了された。その時まで演奏家によって作品の印象が変わるという考えを持ったことがなかったので、ほかのヴァイオリニストの演奏で同じ作品を聴いた時は、あまりの違いに驚いた。そんなこともあってナタン・ミルシテインには格別の思い入れがある。日本での名前の表記も、「ミルシティン」「ミルシテイン」「ミルスタイン」という具合に定まっておらず、本当なら最初に知ったときの「ミルシティン」にしたかった。が、今は「ミルシテイン」「ミルスタイン」のどちらかで表記されることが多く、「ミルスタイン」はどうにも抵抗があるので、「ミルシテイン」を選んだまでである。

ミルシテインが弾くモーツァルト、ゴルトマルク

 当時私が夢中になって聴いたブラームスの協奏曲は、アナトール・フィストゥラーリ指揮、フィルハーモニア管の演奏によるもの(1960年録音)である。ウィリアム・スタインバーグ指揮、ピッツバーグ響との演奏(1953年録音)を聴いたときは、迫力の面でも、構成力の面でも1960年の録音を上回っていると感じたが、フィストゥラーリとの耽美的な演奏にも愛着がある。次に、サン=サーンスの協奏曲第3番(1963年録音)を聴いて、そのフレージングのカッコ良さに惹かれ、ベートーヴェンの「ロマンス」第2番(1960年録音)にうっとりし、ヴィターリの「シャコンヌ」(1955年録音)に身震いした。理想的な解釈とされるグラズノフの協奏曲(1957年録音)も何度も聴いた。バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」(1973年録音)に辿り着く前に、私はミルシテインの演奏に絶対的な信頼を寄せるようになっていた。

 このバッハの無伴奏と、スタインバーグとのブラームス、フィストゥラーリとのサン=サーンス、ハリー・ブレック指揮、フィルハーモニア管とのゴルトマルクの協奏曲第1番(1957年録音)、1986年のラストリサイタルは、いつ聴いても、何度聴いても、畏怖と歓びと感動で私を満たす。ゴルトマルクの協奏曲など、聴覚が混乱するほどのテクニックと、各フレーズをしっかり音楽的に響かせるアプローチで間然するところがない。ブルーノ・ワルター指揮、ニューヨーク・フィルとの協演盤(1942年ライヴ録音)も白熱の演奏で聴きごたえがあるが、完成度は1957年に録音されたものの方が高い。協奏曲のライヴ録音の中で抜きん出て素晴らしいのは、カール・ベーム指揮、シュターツカペレ・ドレスデンとのモーツァルトの協奏曲第5番(1961年ライヴ録音)の第3楽章。エモーショナルで、技巧も冴えており、とにかく一音一音の密度が濃い。この作品の演奏にありがちな格式ばった表現を超越する規格外の名演奏だ。


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