ラインホルト・バルヒェット 〜バロックの復興〜
2015.06.04
戦後に始まったバロック音楽ブームの火付け役といえばカール・ミュンヒンガーだが、その彼が創設したシュトゥットガルト室内管弦楽団でコンサートマスターを務めていたのがラインホルト・バルヒェットである。一部のクラシック愛好家にとっては、名前を聞くだけで胸が熱くなるような存在だ。
ラインホルト・バルヒェットは1920年8月3日、ドイツのシュトゥットガルトに生まれた。ヴュルツブルク音楽院で学んだ後、リンツ・ブルックナー管弦楽団に加わり、1946年にフランツ・ホフナー、ハインツ・キルヒナー、ジークフリート・バルヒェットと共にバルヒェット四重奏団を結成。同年、シュトゥットガルト室内管弦楽団のコンサートマスターに就任した。その後、1952年にシュトゥットガルト・フィルハーモニー管弦楽団、1956年にフリードリヒ・ティーレガントが創設した南西ドイツ室内管弦楽団に移り、コンサートマスターとして活躍。演奏活動の傍ら、ダルムシュタット音楽院で教鞭を執り、後進の育成に力を注いだ。1962年3月、ドイツ・バッハ・ゾリスデンの第一回公演に伴い来日。バッハのヴァイオリン協奏曲第2番を演奏して聴衆に感銘を与えたが、同年6月5日に亡くなった。解説書によっては「病気」とあったり「交通事故」とあったりで、どちらが正しいのか分からない。いずれにしても、その生涯は42年足らずで幕を下ろした。しかし、バロック音楽の復興に貢献した名演奏家として、室内楽の名手として、宝物のような録音と共に忘れられることはないだろう。
私がバルヒェットのことを知ったのは、モーツァルトのクラリネット五重奏曲(1959年録音)を聴いてからである。ジャック・ランスロのクラリネットと絡み合うヴァイオリンの音色がしっとりとして美しく、深い慈しみがこもっているように感じられ、「この演奏家は何者だろう」と興味を抱いた。レコードを探すのは難しいのではないかと思っていたが、CD化されていないものも含めると、それなりにある。その演奏スタイルは、音の輪郭のはっきりとした、いわば楷書の風格を持ち、のびやかな起伏を描くことはあっても、自己流のフレージングでメロディーを変に崩したりはしない。これはミュンヒンガー指揮による「四季」(1951年録音)から一貫している。
しかし、私が惹かれたのは何よりもそのヴァイオリンから立ちのぼってくるような木の薫香である。ヴァイオリンがただの機材にしか思えないような演奏も少なくない中、バルヒェットのヴァイオリンの音はいかにも木の風合いにあふれている。それは南ドイツのローカルな持ち味と言い換えてもよいかもしれない。時折厳粛な表情を見せても、音の核には懐かしい甘みと余計な湿気を含まない清潔感があり、樹液のような光沢と陰翳があり、あたたかみもある。流麗な演奏も、知的なアプローチで魅せる演奏も、それはそれで良いのだが、バルヒェットの演奏からは、技術や解釈だけではどうにもならない古の楽人の資質が感じられる。同時代の人だと、ほかにズザーネ・ラウテンバッヒャーがこの系統に属する。
ナルディーニやモーツァルトのヴァイオリン協奏曲、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲、シューベルトの「死と乙女」、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲の録音もある。旋律を曖昧に処理しない、構成感のしっかりした演奏で、どれを聴いても奏者のひたむきさが伝わってくる。とりわけベートーヴェンの第15番の第3楽章は、その素直な歌心を明確に反映したものと言えるだろう。
私自身が最も好んでいるバルヒェットの録音は、やはりバロック。具体的に言うと、コレルリの「クリスマス協奏曲」、ヴィヴァルディの『調和の霊感』の第8番、バッハのヴァイオリン協奏曲第1番、第2番、ヴァイオリン・ソナタ集だ。録音年はおそらく1960年頃と思われる。
協奏曲に関しては、ティーレガントと組んだものが良い。ワルター・デイヴィソンが指揮したバッハの協奏曲(1954年録音)は遅めのテンポと律儀にすら思えるフレージングで安定感も盤石だが、後年のティーレガント盤には潤いとみずみずしさがあり、清らかな霊気が漂っているように感じられる。自然の中でおいしい空気を吸い、神に祈りを捧げているような気持ちになる、と言っても決して誇張ではない。ヴィヴァルディの2つのヴァイオリンのための協奏曲は、この作品の最高の名演奏(第2ヴァイオリンはグイド・ヴァン・デア・ミューレン)。このバルヒェットは世に耽美的と言われるどの演奏家よりも確実に美の世界とつながっている。私が偏愛している作品でもあるので、最初に聴いた時は、理想的な形で一つ一つの音に生命を与えられたことに感謝の念すら抱いたものだ。ロベール・ヴェイロン=ラクロワの伴奏によるバッハのヴァイオリン・ソナタ集も絶品。深い祈りと愛情のこめられた響きで、それでいて情緒過多になったり冗漫になったりせず、端正な造型を保っている。時代的には古典派になるが、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハの六重奏曲も、幸福な気分へと誘う演奏。オーボエのヘルムート・ヴィンシャーマン、チェンバロのイルムガルト・レヒナーたちと共に、楽しげにヴァイオリンを弾くバルヒェットの様子が目に浮かぶ。
【関連サイト】
Reinhold Barchet(CD)
ラインホルト・バルヒェットは1920年8月3日、ドイツのシュトゥットガルトに生まれた。ヴュルツブルク音楽院で学んだ後、リンツ・ブルックナー管弦楽団に加わり、1946年にフランツ・ホフナー、ハインツ・キルヒナー、ジークフリート・バルヒェットと共にバルヒェット四重奏団を結成。同年、シュトゥットガルト室内管弦楽団のコンサートマスターに就任した。その後、1952年にシュトゥットガルト・フィルハーモニー管弦楽団、1956年にフリードリヒ・ティーレガントが創設した南西ドイツ室内管弦楽団に移り、コンサートマスターとして活躍。演奏活動の傍ら、ダルムシュタット音楽院で教鞭を執り、後進の育成に力を注いだ。1962年3月、ドイツ・バッハ・ゾリスデンの第一回公演に伴い来日。バッハのヴァイオリン協奏曲第2番を演奏して聴衆に感銘を与えたが、同年6月5日に亡くなった。解説書によっては「病気」とあったり「交通事故」とあったりで、どちらが正しいのか分からない。いずれにしても、その生涯は42年足らずで幕を下ろした。しかし、バロック音楽の復興に貢献した名演奏家として、室内楽の名手として、宝物のような録音と共に忘れられることはないだろう。
私がバルヒェットのことを知ったのは、モーツァルトのクラリネット五重奏曲(1959年録音)を聴いてからである。ジャック・ランスロのクラリネットと絡み合うヴァイオリンの音色がしっとりとして美しく、深い慈しみがこもっているように感じられ、「この演奏家は何者だろう」と興味を抱いた。レコードを探すのは難しいのではないかと思っていたが、CD化されていないものも含めると、それなりにある。その演奏スタイルは、音の輪郭のはっきりとした、いわば楷書の風格を持ち、のびやかな起伏を描くことはあっても、自己流のフレージングでメロディーを変に崩したりはしない。これはミュンヒンガー指揮による「四季」(1951年録音)から一貫している。
しかし、私が惹かれたのは何よりもそのヴァイオリンから立ちのぼってくるような木の薫香である。ヴァイオリンがただの機材にしか思えないような演奏も少なくない中、バルヒェットのヴァイオリンの音はいかにも木の風合いにあふれている。それは南ドイツのローカルな持ち味と言い換えてもよいかもしれない。時折厳粛な表情を見せても、音の核には懐かしい甘みと余計な湿気を含まない清潔感があり、樹液のような光沢と陰翳があり、あたたかみもある。流麗な演奏も、知的なアプローチで魅せる演奏も、それはそれで良いのだが、バルヒェットの演奏からは、技術や解釈だけではどうにもならない古の楽人の資質が感じられる。同時代の人だと、ほかにズザーネ・ラウテンバッヒャーがこの系統に属する。
ナルディーニやモーツァルトのヴァイオリン協奏曲、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲、シューベルトの「死と乙女」、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲の録音もある。旋律を曖昧に処理しない、構成感のしっかりした演奏で、どれを聴いても奏者のひたむきさが伝わってくる。とりわけベートーヴェンの第15番の第3楽章は、その素直な歌心を明確に反映したものと言えるだろう。
私自身が最も好んでいるバルヒェットの録音は、やはりバロック。具体的に言うと、コレルリの「クリスマス協奏曲」、ヴィヴァルディの『調和の霊感』の第8番、バッハのヴァイオリン協奏曲第1番、第2番、ヴァイオリン・ソナタ集だ。録音年はおそらく1960年頃と思われる。
協奏曲に関しては、ティーレガントと組んだものが良い。ワルター・デイヴィソンが指揮したバッハの協奏曲(1954年録音)は遅めのテンポと律儀にすら思えるフレージングで安定感も盤石だが、後年のティーレガント盤には潤いとみずみずしさがあり、清らかな霊気が漂っているように感じられる。自然の中でおいしい空気を吸い、神に祈りを捧げているような気持ちになる、と言っても決して誇張ではない。ヴィヴァルディの2つのヴァイオリンのための協奏曲は、この作品の最高の名演奏(第2ヴァイオリンはグイド・ヴァン・デア・ミューレン)。このバルヒェットは世に耽美的と言われるどの演奏家よりも確実に美の世界とつながっている。私が偏愛している作品でもあるので、最初に聴いた時は、理想的な形で一つ一つの音に生命を与えられたことに感謝の念すら抱いたものだ。ロベール・ヴェイロン=ラクロワの伴奏によるバッハのヴァイオリン・ソナタ集も絶品。深い祈りと愛情のこめられた響きで、それでいて情緒過多になったり冗漫になったりせず、端正な造型を保っている。時代的には古典派になるが、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハの六重奏曲も、幸福な気分へと誘う演奏。オーボエのヘルムート・ヴィンシャーマン、チェンバロのイルムガルト・レヒナーたちと共に、楽しげにヴァイオリンを弾くバルヒェットの様子が目に浮かぶ。
(阿部十三)
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