ハンス・リヒター=ハーザー 〜ドイツのピアニストの響き〜
2016.05.29
ハンス・リヒター=ハーザーはかつてヨーロッパでもアメリカでも称賛されたドイツのピアニストである。遺された音源が限られているせいか、今では地味な存在になっているが、実際の音楽性は地味と言われるようなものでは全くない。
生まれたのは1912年1月6日。13歳でドレスデン・アカデミーに入学し、ピアノだけでなくヴァイオリン、打楽器、指揮法も学んだ。1928年にデビューし、18歳でベヒシュタイン賞を受賞。各地でリサイタルを行うが、ドイツの防空兵として応召したことで、ピアノを弾くことができなくなり、キャリアが中断される。
戦後はデトモルト交響楽団の音楽監督を務めるかたわら、北西ドイツ音楽アカデミーでピアノ、伴奏法を教えていた。この時期について、本人は「テクニックは大分さびついているが、音楽への理解力は戦前の自分よりもずっと尖鋭になった」と語っているが、モーツァルトのピアノ・ソナタ第6番、第15(18)番を録音した1950年の時点では、テクニックを取り戻していたようである。
そして1953年、転機が訪れる。病気になったソリストの代役でバルトークのピアノ協奏曲第2番を演奏し(指揮はパウル・ファン・ケンペン)、注目を浴びたのだ。1959年には「皇帝」のソリストとしてセンセーショナルな成功を収め、満を持してアメリカ・デビュー。『ニューグローヴ世界音楽大事典』によると、1970年にベートーヴェン生誕200年記念を迎えるにあたり、聴衆の強い要望でピアノ・ソナタとピアノ協奏曲全曲を弾いていたという。それくらいドイツのベートーヴェン弾きとして定評があった。1980年12月13日死去。
私がリヒター=ハーザーの名前を知ったのは13歳の頃で、実家にあった『世界の大音楽』というLP集にモーツァルトのピアノ協奏曲第26番「戴冠式」やベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」が収録されていたのがきっかけだった。私にとっては初めて聴いた「皇帝」である。指揮はイシュトヴァン・ケルテス、オケはフィルハーモニア管で、1960年の録音。1年ほどの間、この演奏を何回聴いたか分からない。
やがて図書館のLPを借りたり、CDを買ったりして、ほかの「皇帝」も聴くようになり、そのつど名ピアニストの至芸に感銘を受けたが、リヒター=ハーザーの演奏を聴き直すと、「やっぱりこれだな」と思う。とくに第1楽章のコーダは華麗かつ感動的で胸が熱くなる。そのピアニズムは華やかで、時に眩いほど明瞭。それでいて音に芯があって、堅固さと骨太さを感じさせる。
入手できる録音の大半はベートーヴェンで、ほかにモーツァルト、シューベルト、ブラームスの作品などがある。ルドルフ・モラルトが指揮したシューマン、グリーグのピアノ協奏曲でも鮮やかな演奏を披露している。ヘルベルト・フォン・カラヤンと組んだブラームスの第2番も良い。華やかさの中に固い芯があり、アクセントの付け方が独特。そのピアニズムはカラヤン色に染まらない。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタでは、第1番、第3番、第21番「ワルトシュタイン」、第30番が魅力的だ。演奏にみなぎる苛烈なまでの集中力がこちらにまで伝わってくる。1951年に録音されたプフィッツナーのチェロ・ソナタも絶品。ルートヴィヒ・ヘルシャーの美音との相性も良く、聴き手を深い夢へと誘う。ただ、その7年後にヘルシャーと録音したベートーヴェンやヒンデミットのチェロ・ソナタはおすすめできない。演奏自体はともかく、リヒター=ハーザーのピアノが前面に出すぎて耳が痛くなる。もっとマイクの位置をどうにかしてほしかった。
リヒター=ハーザーのピアノは、巧言令色でもなく、変に奇をてらうこともない。厳格なわけでも、物々しいわけでもない。いわば気骨があり、風格も色気もある、身なりのよい大人の語り口。そこから熱い歌心がこぼれてくる。カメレオンのような芸ではないので、作品によってはまらないこともあるが、はまったときの「これしかない響き」の素晴らしさといったらない。例えばカール・ベームが指揮したベートーヴェンの「合唱幻想曲」。ドイツのピアニストならではと言いたくなるような堅固な構築力、深い陰翳を宿した夢幻性、曖昧に濁さない明確な直截性が、彼のピアノの中では調和している。だからその余韻も単に爽快なだけでは終わらない。こういう演奏を聴くと、私は心から幸福感に浸ることができるのである。
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HANS RICHTER-HAASER(CD)
生まれたのは1912年1月6日。13歳でドレスデン・アカデミーに入学し、ピアノだけでなくヴァイオリン、打楽器、指揮法も学んだ。1928年にデビューし、18歳でベヒシュタイン賞を受賞。各地でリサイタルを行うが、ドイツの防空兵として応召したことで、ピアノを弾くことができなくなり、キャリアが中断される。
戦後はデトモルト交響楽団の音楽監督を務めるかたわら、北西ドイツ音楽アカデミーでピアノ、伴奏法を教えていた。この時期について、本人は「テクニックは大分さびついているが、音楽への理解力は戦前の自分よりもずっと尖鋭になった」と語っているが、モーツァルトのピアノ・ソナタ第6番、第15(18)番を録音した1950年の時点では、テクニックを取り戻していたようである。
そして1953年、転機が訪れる。病気になったソリストの代役でバルトークのピアノ協奏曲第2番を演奏し(指揮はパウル・ファン・ケンペン)、注目を浴びたのだ。1959年には「皇帝」のソリストとしてセンセーショナルな成功を収め、満を持してアメリカ・デビュー。『ニューグローヴ世界音楽大事典』によると、1970年にベートーヴェン生誕200年記念を迎えるにあたり、聴衆の強い要望でピアノ・ソナタとピアノ協奏曲全曲を弾いていたという。それくらいドイツのベートーヴェン弾きとして定評があった。1980年12月13日死去。
私がリヒター=ハーザーの名前を知ったのは13歳の頃で、実家にあった『世界の大音楽』というLP集にモーツァルトのピアノ協奏曲第26番「戴冠式」やベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」が収録されていたのがきっかけだった。私にとっては初めて聴いた「皇帝」である。指揮はイシュトヴァン・ケルテス、オケはフィルハーモニア管で、1960年の録音。1年ほどの間、この演奏を何回聴いたか分からない。
やがて図書館のLPを借りたり、CDを買ったりして、ほかの「皇帝」も聴くようになり、そのつど名ピアニストの至芸に感銘を受けたが、リヒター=ハーザーの演奏を聴き直すと、「やっぱりこれだな」と思う。とくに第1楽章のコーダは華麗かつ感動的で胸が熱くなる。そのピアニズムは華やかで、時に眩いほど明瞭。それでいて音に芯があって、堅固さと骨太さを感じさせる。
入手できる録音の大半はベートーヴェンで、ほかにモーツァルト、シューベルト、ブラームスの作品などがある。ルドルフ・モラルトが指揮したシューマン、グリーグのピアノ協奏曲でも鮮やかな演奏を披露している。ヘルベルト・フォン・カラヤンと組んだブラームスの第2番も良い。華やかさの中に固い芯があり、アクセントの付け方が独特。そのピアニズムはカラヤン色に染まらない。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタでは、第1番、第3番、第21番「ワルトシュタイン」、第30番が魅力的だ。演奏にみなぎる苛烈なまでの集中力がこちらにまで伝わってくる。1951年に録音されたプフィッツナーのチェロ・ソナタも絶品。ルートヴィヒ・ヘルシャーの美音との相性も良く、聴き手を深い夢へと誘う。ただ、その7年後にヘルシャーと録音したベートーヴェンやヒンデミットのチェロ・ソナタはおすすめできない。演奏自体はともかく、リヒター=ハーザーのピアノが前面に出すぎて耳が痛くなる。もっとマイクの位置をどうにかしてほしかった。
リヒター=ハーザーのピアノは、巧言令色でもなく、変に奇をてらうこともない。厳格なわけでも、物々しいわけでもない。いわば気骨があり、風格も色気もある、身なりのよい大人の語り口。そこから熱い歌心がこぼれてくる。カメレオンのような芸ではないので、作品によってはまらないこともあるが、はまったときの「これしかない響き」の素晴らしさといったらない。例えばカール・ベームが指揮したベートーヴェンの「合唱幻想曲」。ドイツのピアニストならではと言いたくなるような堅固な構築力、深い陰翳を宿した夢幻性、曖昧に濁さない明確な直截性が、彼のピアノの中では調和している。だからその余韻も単に爽快なだけでは終わらない。こういう演奏を聴くと、私は心から幸福感に浸ることができるのである。
(阿部十三)
HANS RICHTER-HAASER(CD)
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