カール・ベーム 〜強力な音楽的磁場〜
2011.03.29
カール・ベームの指揮法の秘密に迫り、独自の個性をいい当てるような表現を探し、「こういうタイプの指揮者だ」と定義することは難しい。あえてそれを行おうとしても、最終的には自ずから平凡な、ほかの巨匠たちにもあてはまる次のフレーズに頼らざるを得なくなる。すなわち、「カール・ベームは本当に素晴らしい指揮者であり、真の音楽家であった」。
1894年8月28日、カール・ベームはオーストリアのグラーツに生まれた。高名な弁護士だった父親は、ワグネリアンで、名指揮者フランツ・シャルクの友人でもあった。幼年よりピアノと作曲を学んでいたベームは、1913年にウィーンへ行き、シャルクの勧めで1年間マンディチェフスキーとアードラーの教えを受ける。大学で法律を専攻する傍ら、1916年にグラーツ歌劇場の練習指揮者となり、翌年指揮者としてデビュー。カール・ムックに認められ、その推薦で、1921年、バイエルン国立歌劇場の第4指揮者となる。当時の音楽監督はブルーノ・ワルター。ベームがこの大先輩から大きな影響を受けたことは有名な話である。
1927年、ダルムシュタット歌劇場の音楽監督に迎えられ、アルバン・ベルクをはじめとする同時代の優れた作曲家たちと親交を結ぶ。1931年、ハンブルク国立歌劇場に移り、1933年3月にはウィーン国立歌劇場に初登場、『トリスタンとイゾルデ』を振る。1934年、ドレスデン国立歌劇場の音楽監督に就任。R.シュトラウスとの緊密な交流が始まり、その信望を得て『無口な女』と『ダフネ』の初演を任される(後者はベームに献呈された)。1943年にはウィーン国立歌劇場の音楽監督となるが、1945年3月歌劇場は戦災に見舞われ、さらに終戦後、2年間指揮活動を禁止される。
1947年、キャリア再開。1954年には再びウィーン国立歌劇場の音楽監督となり、翌年、同歌劇場の再建記念公演で『フィデリオ』、『影のない女』、『ヴォツェック』を振る。1956年に辞任した後は特定のポストに就くことなく、世界を舞台に華々しく活躍した。来日は4回。ウィーン・フィルを指揮した1975年、1977年、1980年(ウィーン国立歌劇場)には熱狂的な喝采を博し、ベーム&ウィーン・フィルをひとつの理想とする志向が定着した。ベームはさらなる来日を希望していたが叶わず、1981年8月14日、ザルツブルクにてその生涯を閉じた。
ベームが録音に取り組んだのはドレスデン時代ーー1935年からである。当時吹き込まれたブルックナーの「ロマンティック」、J.シュトラウス2世の『こうもり』序曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番など、表現の幅には乏しいが、いかにも引き締まった演奏である。名匠として広く世に知られるようになった1950年代にはモーツァルトの『レクイエム』(1956年録音)、ベートーヴェンの「合唱」(1957年録音)をウィーン交響楽団と録音、これらは名盤として今も高く評価されている。
しかし、何度聴いてもそのたびに感服してしまうのは、やはり後年の録音だ。私の場合、ベームに惹かれたのは、1962年にベルリン・フィルと組んで録音したモーツァルトの「ジュピター」からである。熱気と覇気にあふれた演奏で、おそらくこれを聴いて「ベームって凄い」と感じた人は私以外にも沢山いると思う。
ベームは同じ作品を1976年にウィーン・フィルとも録音している。こちらはベルリン・フィル盤に比べると派手さはないが、聴くほどに胸にしみる美しい演奏である。私も今ではウィーン・フィル盤の方を愛聴している。
そして、忘れてはならないのがベートーヴェンの「田園」(1971年録音)とモーツァルトの『レクイエム』(1971年録音)のレコード。彼の誠実な指揮の下、スコアに書き込まれた美しい音楽は自ずから特権的な力を発揮し、聴き手の意識を包み、体の内側にまでたっぷりと入り込んでくる。こういう演奏を聴いてしまうと、やたら自分の個性をひけらかそうと悪戦苦闘している指揮者がなんだか哀れに思えてくる。
オペラの分野でもベームは大きな足跡を残している。その業績にきちんと言及するなら一冊の本が出来上がるだろう。R.シュトラウスやベルクの「現代音楽」が受容されるまでに果たした役割、というだけでも相当重要なテーマである。オペラ録音については各人好みがあるだろうが、モーツァルトの『後宮からの逃走』(1973年録音)が頭抜けて素晴らしい。作品の魅力を(オーケストラ、歌手の魅力も)あますところなく引き出しためざましい快演である。その演奏のなんとも若々しいこと。また、『影のない女』(1955年録音)、『コシ・ファン・トゥッテ』(1962年録音)、『フィデリオ』(1969年録音)、『エレクトラ』(1981年映像収録)も、ベームの指揮力が劇的絶頂をみせた瞬間の輝かしいモニュメントとして忘れられない。『影のない女』や『エレクトラ』など、逞しい造形感の中で情熱と官能の波が澎湃として渦巻き、逆巻いている。
協奏曲の録音にもすぐれた演奏が少なからずある。その中でも上位にくるものを挙げるなら、バックハウスとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(1967年映像収録)、アルフレート・プリンツとのモーツァルトのクラリネット協奏曲(1972年録音)、エミール・ギレリスとのモーツァルトのピアノ協奏曲第27番(1974年録音)、ポリーニとのモーツァルトのピアノ協奏曲第23番(1976年録音)あたりになるだろう。以上は「絶品」と呼んでも何の誇張もない、というか、作品の魅力を堪能する上で「ベストチョイス」と断じても差し支えない遺産である。
最後に、ライヴ盤についてふれておく。ベームの遺産を紹介する上で、これを外すことはできない。実演でのベームはスタジオ録音の時とはまるで別人のような鬼気迫るエネルギーを放っていた。そのただならぬ気迫は、1975年、1977年の来日コンサート音源(映像もある)からも感じとることができる。80歳を超えながら、こんなに強い音楽的磁場を作ってしまう人は超人以外何者でもない。
【関連サイト】
カール・ベーム(CD)
1894年8月28日、カール・ベームはオーストリアのグラーツに生まれた。高名な弁護士だった父親は、ワグネリアンで、名指揮者フランツ・シャルクの友人でもあった。幼年よりピアノと作曲を学んでいたベームは、1913年にウィーンへ行き、シャルクの勧めで1年間マンディチェフスキーとアードラーの教えを受ける。大学で法律を専攻する傍ら、1916年にグラーツ歌劇場の練習指揮者となり、翌年指揮者としてデビュー。カール・ムックに認められ、その推薦で、1921年、バイエルン国立歌劇場の第4指揮者となる。当時の音楽監督はブルーノ・ワルター。ベームがこの大先輩から大きな影響を受けたことは有名な話である。
1927年、ダルムシュタット歌劇場の音楽監督に迎えられ、アルバン・ベルクをはじめとする同時代の優れた作曲家たちと親交を結ぶ。1931年、ハンブルク国立歌劇場に移り、1933年3月にはウィーン国立歌劇場に初登場、『トリスタンとイゾルデ』を振る。1934年、ドレスデン国立歌劇場の音楽監督に就任。R.シュトラウスとの緊密な交流が始まり、その信望を得て『無口な女』と『ダフネ』の初演を任される(後者はベームに献呈された)。1943年にはウィーン国立歌劇場の音楽監督となるが、1945年3月歌劇場は戦災に見舞われ、さらに終戦後、2年間指揮活動を禁止される。
1947年、キャリア再開。1954年には再びウィーン国立歌劇場の音楽監督となり、翌年、同歌劇場の再建記念公演で『フィデリオ』、『影のない女』、『ヴォツェック』を振る。1956年に辞任した後は特定のポストに就くことなく、世界を舞台に華々しく活躍した。来日は4回。ウィーン・フィルを指揮した1975年、1977年、1980年(ウィーン国立歌劇場)には熱狂的な喝采を博し、ベーム&ウィーン・フィルをひとつの理想とする志向が定着した。ベームはさらなる来日を希望していたが叶わず、1981年8月14日、ザルツブルクにてその生涯を閉じた。
ベームが録音に取り組んだのはドレスデン時代ーー1935年からである。当時吹き込まれたブルックナーの「ロマンティック」、J.シュトラウス2世の『こうもり』序曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番など、表現の幅には乏しいが、いかにも引き締まった演奏である。名匠として広く世に知られるようになった1950年代にはモーツァルトの『レクイエム』(1956年録音)、ベートーヴェンの「合唱」(1957年録音)をウィーン交響楽団と録音、これらは名盤として今も高く評価されている。
しかし、何度聴いてもそのたびに感服してしまうのは、やはり後年の録音だ。私の場合、ベームに惹かれたのは、1962年にベルリン・フィルと組んで録音したモーツァルトの「ジュピター」からである。熱気と覇気にあふれた演奏で、おそらくこれを聴いて「ベームって凄い」と感じた人は私以外にも沢山いると思う。
ベームは同じ作品を1976年にウィーン・フィルとも録音している。こちらはベルリン・フィル盤に比べると派手さはないが、聴くほどに胸にしみる美しい演奏である。私も今ではウィーン・フィル盤の方を愛聴している。
そして、忘れてはならないのがベートーヴェンの「田園」(1971年録音)とモーツァルトの『レクイエム』(1971年録音)のレコード。彼の誠実な指揮の下、スコアに書き込まれた美しい音楽は自ずから特権的な力を発揮し、聴き手の意識を包み、体の内側にまでたっぷりと入り込んでくる。こういう演奏を聴いてしまうと、やたら自分の個性をひけらかそうと悪戦苦闘している指揮者がなんだか哀れに思えてくる。
オペラの分野でもベームは大きな足跡を残している。その業績にきちんと言及するなら一冊の本が出来上がるだろう。R.シュトラウスやベルクの「現代音楽」が受容されるまでに果たした役割、というだけでも相当重要なテーマである。オペラ録音については各人好みがあるだろうが、モーツァルトの『後宮からの逃走』(1973年録音)が頭抜けて素晴らしい。作品の魅力を(オーケストラ、歌手の魅力も)あますところなく引き出しためざましい快演である。その演奏のなんとも若々しいこと。また、『影のない女』(1955年録音)、『コシ・ファン・トゥッテ』(1962年録音)、『フィデリオ』(1969年録音)、『エレクトラ』(1981年映像収録)も、ベームの指揮力が劇的絶頂をみせた瞬間の輝かしいモニュメントとして忘れられない。『影のない女』や『エレクトラ』など、逞しい造形感の中で情熱と官能の波が澎湃として渦巻き、逆巻いている。
協奏曲の録音にもすぐれた演奏が少なからずある。その中でも上位にくるものを挙げるなら、バックハウスとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(1967年映像収録)、アルフレート・プリンツとのモーツァルトのクラリネット協奏曲(1972年録音)、エミール・ギレリスとのモーツァルトのピアノ協奏曲第27番(1974年録音)、ポリーニとのモーツァルトのピアノ協奏曲第23番(1976年録音)あたりになるだろう。以上は「絶品」と呼んでも何の誇張もない、というか、作品の魅力を堪能する上で「ベストチョイス」と断じても差し支えない遺産である。
最後に、ライヴ盤についてふれておく。ベームの遺産を紹介する上で、これを外すことはできない。実演でのベームはスタジオ録音の時とはまるで別人のような鬼気迫るエネルギーを放っていた。そのただならぬ気迫は、1975年、1977年の来日コンサート音源(映像もある)からも感じとることができる。80歳を超えながら、こんなに強い音楽的磁場を作ってしまう人は超人以外何者でもない。
(阿部十三)
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