ダヴィッド・オイストラフ 〜ヴァイオリニストの王〜
2017.07.08
誰もが一度はダヴィッド・オイストラフの演奏に魅了される。緩急強弱の表現すべてが万全で、安定感があり、艶やかで美しい音色でも、鬼気迫る切れ味鋭い音色でも、翳りのあるメランコリーな音色でも、人をひきつける。どんなに一流と呼ばれる人でも、作品やその中にあるフレーズとの相性の良し悪しが出ることがしばしばあるが、オイストラフにかかると、そういうことはほとんど起こらない。ヴァイオリニストの王と讃える人が多いのも当然である。
それでもやはりお国ものを弾くときは、その美点が特に発揮されるようで、1950年代に録音されたチャイコフスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲の演奏は、作品の核へ向かう切り込み方も、のびやかな美音の歌わせ方も、自然かつ適切なフレージングも、理想的だ。これらについては模範的演奏と言われることもあるが、それは正しくない。模範の基準の方がオイストラフにすり寄ったと言うべきである。
オイストラフは1908年9月30日にオデッサに生まれ、ナタン・ミルシテインの先生でもあったピョートル・ストリヤルスキーに師事。音楽学校ではヴィオラとヴァイオリンの両方を学んだ。1924年に最初のリサイタルを開催。1935年に出場したヴィエニャフスキ・コンクールでは二位(一位はジネット・ヌヴー)に終わったが、1937年のイザイ・コンクールではリカルド・オドノポソフと優勝を争い、一位を獲得、これにより第一級の演奏家と認められた。戦後は西側でも活動できるようになり、各国で大成功を収め、その演奏のみならず人柄も愛されたという。
1960年代には、指揮者としても積極的に活動し、また、教育者としても尊敬を集め、才能ある弟子を抱えていた。無論、演奏家としてもレコーディングを数多く行った。ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮でベートーヴェンのトリプル・コンチェルトの録音が行われ、オイストラフとスヴャトスラフ・リヒテルがカラヤンと対立し、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチがカラヤンと友好的にやっていたという有名な「事件」が起こったのは、1969年のことである。リヒテルと組んでリサイタルを行い、濃密で緊張感あふれる演奏を披露していたのは1960年代後半からである。そんなハードワークがたたったのか、心臓発作に苦しめられることもあった。1974年10月24日、指揮者として招かれたアムステルダムで客死。66歳だった。
オイストラフは録音を多く遺しているが、戦争や冷戦があったために、凄まじい技術を誇っていた若い頃、思うように活動できなかったことが惜しまれる。アレクサンドル・ガウクが指揮したチャイコフスキーの協奏曲(1938年録音)や、作曲者のハチャトゥリアン自身が指揮した協奏曲(1947年録音)、キリル・コンドラシンが指揮したメンデルスゾーンの協奏曲(1949年録音)などを聴くにつけ、そう思う。これらの演奏は、鋭利で明晰なヴァイオリンの音色が暗い熱気を帯びていて何とも魅力的だ。メンコンの冒頭は火傷しそうなほど熱い。技巧を要する箇所で、容赦なく音符を刃で刈るように前進するところも凄みがある。心技体のバランスがとれた演奏とは異なるが、こういった怖いほどの鋭さや熱さもオイストラフの特徴である。
1950年代の録音は、それまでのヴァイオリンの響きに豊潤さ、深淵さが加わり、演奏家としての絶頂期を記録したものと言えるだろう。フランツ・コンヴィチュニーが指揮したチャイコフスキーの協奏曲(1954年録音)、キリル・コンドラシンが指揮したプロコフィエフの協奏曲第1番(1953年録音)、ウラディミール・ヤンポリスキーがピアノを弾いたプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第1番(1955年録音)は、オイストラフの遺産の中でも、トップクラスの出来である。ちなみに、プロコフィエフのソナタの初演を務めたのはオイストラフであり、献呈もされている。
同じく初演を務め、献呈もされたショスタコーヴィチの協奏曲第1番の音源は、ライブも含めて複数あるが、演奏の凄絶さで選ぶなら、なんといっても1956年1月の録音が最高だ。指揮者はディミトリ・ミトロプーロス。パッサカリアでは胸が重くなって苦しくなるが、そこが良い。全曲聴いたあと体を満たす充実感はほかとは替えられない。憂愁と呼ぶのも生やさしく思える音色の深い陰翳は、もはや闇と言い換えた方がいいかもしれない。その音には聴き手を足の裏から揺さぶるような強い力がある。ヴィオラやチェロでもこうはいくまいと思われるほど底の方から響いてくる。
そういう演奏をしていたにもかかわらず、オイストラフは円満で春風駘蕩たる演奏家のようにみられがちである。かつてはフリッツ・クライスラーも、「オイストラフはすべてのヴァイオリニストの中で、最も大切なものを持っている。彼が緩やかに演奏することだ」と評価していた。厳密に言えば、これは指揮者、伴奏者との相性ないし関係性に左右される問題だ。少なくとも年齢と共に丸くなったと考えるのは誤りで、そのことはリヒテルやフリーダ・バウアーと組んだ後期の録音が証明している。
ソ連ないし東側の音楽家と組むときは、たいてい遠慮なく自分の音を出している。ソリストの音をマイクが過度に拾っている点を差し引いても、そのように言えるだろう。そういう演奏のすべてが必ずしも良いとは限らないが、牽引力は相当なものだ。コンドラシンが指揮を務めたヴィオッティの協奏曲第22番(録音年不詳)は、音色の明暗がはっきりしていて、濃厚な味わいがある。ロマンティックな旋律を躊躇なく強調する大胆さや速いパッセージでの鋭い切り込み方も癖になる。コンチェルトだけでなく、オイストラフ・トリオでのシューベルトや、ヤンポリスキーと組んだプロコフィエフなどを聴いても、思いきりやっていることが分かる。
一方、西側で行われた録音は、豊麗な音色や安定感のあるフレージングが際立っているものが少なくない。先に挙げたショスタコーヴィチの協奏曲第1番の録音では、世界初演後間もないこともあって、ミトロプーロス&ニューヨーク・フィルを相手に寒気がするほど容赦なく弾きまくっているが、ほかの録音を聴くと、もう少し繊細で調和的というか、指揮者と協調し、お互いを立て合う演奏をしている。そんな美しい調和の成功例が、オットー・クレンペラーやジョージ・セルの指揮でソリストを務めたブラームスの録音だ。オイストラフのことがあまり好きではないという人も、彼の弾くブラームスだけは悪く言わない。2種の録音は、たしかにスケールが大きく、知と情のバランスがとれており、技術面でも不足がない。そして、この演奏が絶賛されたことにより、情熱を迸らせながらも基本的には穏健というオイストラフのイメージが確立されたようにみえる。が、これはオイストラフの力量のみならず指揮者の統率力の賜物でもあることを忘れてはならない。
ブラームスよりも興味深いのはモーツァルト作品の録音だ。オイストラフは、モーツァルトの協奏曲やソナタの演奏を通じて、己の音楽性を素直に出し、ほかの誰にも表現できない音楽を聴かせていた。エフゲニー・ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルと協演したコンチェルトの第5番(1956年6月ライヴ録音)は、とくに胸を打つ内容だ。ここでは鼻につくもったいぶったことは何もしていない。音色に微妙な陰翳があり、陽気でありながらどことなく物思わしげで、メランコリーが拭われることのない心の世界を、押し付けがましくなく、聴き手に伝える。1970年代にベルリン・フィルを弾き振りした録音は、おおらかさが増しているが、根本は変わっていない。モーツァルト作品への絶大な信頼と深いシンパシーを基盤にして生まれた演奏だ。オイストラフが弾くモーツァルトは、このヴァイオリニストの王の音楽性に迫る上で、最も聴くべきものとして記憶しておきたい。
それでもやはりお国ものを弾くときは、その美点が特に発揮されるようで、1950年代に録音されたチャイコフスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲の演奏は、作品の核へ向かう切り込み方も、のびやかな美音の歌わせ方も、自然かつ適切なフレージングも、理想的だ。これらについては模範的演奏と言われることもあるが、それは正しくない。模範の基準の方がオイストラフにすり寄ったと言うべきである。
オイストラフは1908年9月30日にオデッサに生まれ、ナタン・ミルシテインの先生でもあったピョートル・ストリヤルスキーに師事。音楽学校ではヴィオラとヴァイオリンの両方を学んだ。1924年に最初のリサイタルを開催。1935年に出場したヴィエニャフスキ・コンクールでは二位(一位はジネット・ヌヴー)に終わったが、1937年のイザイ・コンクールではリカルド・オドノポソフと優勝を争い、一位を獲得、これにより第一級の演奏家と認められた。戦後は西側でも活動できるようになり、各国で大成功を収め、その演奏のみならず人柄も愛されたという。
1960年代には、指揮者としても積極的に活動し、また、教育者としても尊敬を集め、才能ある弟子を抱えていた。無論、演奏家としてもレコーディングを数多く行った。ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮でベートーヴェンのトリプル・コンチェルトの録音が行われ、オイストラフとスヴャトスラフ・リヒテルがカラヤンと対立し、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチがカラヤンと友好的にやっていたという有名な「事件」が起こったのは、1969年のことである。リヒテルと組んでリサイタルを行い、濃密で緊張感あふれる演奏を披露していたのは1960年代後半からである。そんなハードワークがたたったのか、心臓発作に苦しめられることもあった。1974年10月24日、指揮者として招かれたアムステルダムで客死。66歳だった。
オイストラフは録音を多く遺しているが、戦争や冷戦があったために、凄まじい技術を誇っていた若い頃、思うように活動できなかったことが惜しまれる。アレクサンドル・ガウクが指揮したチャイコフスキーの協奏曲(1938年録音)や、作曲者のハチャトゥリアン自身が指揮した協奏曲(1947年録音)、キリル・コンドラシンが指揮したメンデルスゾーンの協奏曲(1949年録音)などを聴くにつけ、そう思う。これらの演奏は、鋭利で明晰なヴァイオリンの音色が暗い熱気を帯びていて何とも魅力的だ。メンコンの冒頭は火傷しそうなほど熱い。技巧を要する箇所で、容赦なく音符を刃で刈るように前進するところも凄みがある。心技体のバランスがとれた演奏とは異なるが、こういった怖いほどの鋭さや熱さもオイストラフの特徴である。
1950年代の録音は、それまでのヴァイオリンの響きに豊潤さ、深淵さが加わり、演奏家としての絶頂期を記録したものと言えるだろう。フランツ・コンヴィチュニーが指揮したチャイコフスキーの協奏曲(1954年録音)、キリル・コンドラシンが指揮したプロコフィエフの協奏曲第1番(1953年録音)、ウラディミール・ヤンポリスキーがピアノを弾いたプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第1番(1955年録音)は、オイストラフの遺産の中でも、トップクラスの出来である。ちなみに、プロコフィエフのソナタの初演を務めたのはオイストラフであり、献呈もされている。
同じく初演を務め、献呈もされたショスタコーヴィチの協奏曲第1番の音源は、ライブも含めて複数あるが、演奏の凄絶さで選ぶなら、なんといっても1956年1月の録音が最高だ。指揮者はディミトリ・ミトロプーロス。パッサカリアでは胸が重くなって苦しくなるが、そこが良い。全曲聴いたあと体を満たす充実感はほかとは替えられない。憂愁と呼ぶのも生やさしく思える音色の深い陰翳は、もはや闇と言い換えた方がいいかもしれない。その音には聴き手を足の裏から揺さぶるような強い力がある。ヴィオラやチェロでもこうはいくまいと思われるほど底の方から響いてくる。
そういう演奏をしていたにもかかわらず、オイストラフは円満で春風駘蕩たる演奏家のようにみられがちである。かつてはフリッツ・クライスラーも、「オイストラフはすべてのヴァイオリニストの中で、最も大切なものを持っている。彼が緩やかに演奏することだ」と評価していた。厳密に言えば、これは指揮者、伴奏者との相性ないし関係性に左右される問題だ。少なくとも年齢と共に丸くなったと考えるのは誤りで、そのことはリヒテルやフリーダ・バウアーと組んだ後期の録音が証明している。
ソ連ないし東側の音楽家と組むときは、たいてい遠慮なく自分の音を出している。ソリストの音をマイクが過度に拾っている点を差し引いても、そのように言えるだろう。そういう演奏のすべてが必ずしも良いとは限らないが、牽引力は相当なものだ。コンドラシンが指揮を務めたヴィオッティの協奏曲第22番(録音年不詳)は、音色の明暗がはっきりしていて、濃厚な味わいがある。ロマンティックな旋律を躊躇なく強調する大胆さや速いパッセージでの鋭い切り込み方も癖になる。コンチェルトだけでなく、オイストラフ・トリオでのシューベルトや、ヤンポリスキーと組んだプロコフィエフなどを聴いても、思いきりやっていることが分かる。
一方、西側で行われた録音は、豊麗な音色や安定感のあるフレージングが際立っているものが少なくない。先に挙げたショスタコーヴィチの協奏曲第1番の録音では、世界初演後間もないこともあって、ミトロプーロス&ニューヨーク・フィルを相手に寒気がするほど容赦なく弾きまくっているが、ほかの録音を聴くと、もう少し繊細で調和的というか、指揮者と協調し、お互いを立て合う演奏をしている。そんな美しい調和の成功例が、オットー・クレンペラーやジョージ・セルの指揮でソリストを務めたブラームスの録音だ。オイストラフのことがあまり好きではないという人も、彼の弾くブラームスだけは悪く言わない。2種の録音は、たしかにスケールが大きく、知と情のバランスがとれており、技術面でも不足がない。そして、この演奏が絶賛されたことにより、情熱を迸らせながらも基本的には穏健というオイストラフのイメージが確立されたようにみえる。が、これはオイストラフの力量のみならず指揮者の統率力の賜物でもあることを忘れてはならない。
ブラームスよりも興味深いのはモーツァルト作品の録音だ。オイストラフは、モーツァルトの協奏曲やソナタの演奏を通じて、己の音楽性を素直に出し、ほかの誰にも表現できない音楽を聴かせていた。エフゲニー・ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルと協演したコンチェルトの第5番(1956年6月ライヴ録音)は、とくに胸を打つ内容だ。ここでは鼻につくもったいぶったことは何もしていない。音色に微妙な陰翳があり、陽気でありながらどことなく物思わしげで、メランコリーが拭われることのない心の世界を、押し付けがましくなく、聴き手に伝える。1970年代にベルリン・フィルを弾き振りした録音は、おおらかさが増しているが、根本は変わっていない。モーツァルト作品への絶大な信頼と深いシンパシーを基盤にして生まれた演奏だ。オイストラフが弾くモーツァルトは、このヴァイオリニストの王の音楽性に迫る上で、最も聴くべきものとして記憶しておきたい。
(阿部十三)
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