ジャック・ティボー 〜幸福の音色〜
2020.03.13
ジャック・ティボーのヴァイオリンは甘い音がする。
でもフレージングや強弱の付け方が洗練されているので、べたつかず、すっきりとした後味を残す。古臭いと言われがちなポルタメントやヴィブラートの奏法も上品で優雅、時に官能的な艶を帯び、聴き手を魅了する。
協奏曲を弾く時も、小品を弾く時も、ティボーの解釈には理屈っぽさがない。作曲家に対する大げさな構えも感じられない。迷いなく作品を愛し、作曲家の懐に抱かれ、音楽に浸りながらヴァイオリンを奏でているかのようだ。アーティキュレーションには強い癖があるが、それだけを模倣しても同じ演奏にはならないだろう。
1880年にフランスのボルドーで生まれたティボーは、13歳でパリ音楽院に入学し、1896年に首席で音楽院を卒業した。その後、エドゥアール・コロンヌに見出されてそのオーケストラで働き、やがてソリストとして活躍。1905年にはアルフレッド・コルトー、パブロ・カザルスと三重奏団を結成し、コンサートとレコーディングに勤しんだ。
1928年と1936年に来日。第二次世界大戦中は占領中のパリに留まり、ドイツでの演奏を断っていた。1943年にはマルグリット・ロンと「ロン=ティボー国際コンクール」を創設し、サンソン・フランソワやミシェル・オークレールを世に送り出した。戦後も演奏活動を続けていたが、1953年9月1日、飛行機事故により死去。ティボーの教えを受けたヴァイオリニストは多く、ジノ・フランチェスカッティ、ヘンリク・シェリングもそこに含まれる。
ティボーの演奏には人を幸福にする成分がある。19世紀末、パリに来たばかりのティボー少年は、日曜日ごとに叔父が住んでいる煤けたアパルトマンの6階で演奏していた。そこで弾いていたのは、J.S.バッハの「G線上のアリア」やベートーヴェンの「ヘ長調のロマンス」である。すると、煤けたアパルトマンに変化が起こった。口やかましい門番の女性は驚くほど優しくなり、喧嘩していた夫婦は仲直りし、自殺を考えていた中年男は生きる気力を取り戻したのだ。ティボーのファンなら誰もが知るエピソードである。
最初に「ヘ長調のロマンス」を弾いた時の話も印象的だ。ティボーがまだ幼かった時のこと、国語の教師の臨終に立ち会うことになった。その際、教師は人生最後のお願いとして、少年に「ヴァイオリンを弾いてほしい」と頼んだ。当時ピアニストを目指していたティボーは、兄のヴァイオリンを少し弾いたことがあるだけで、まともに演奏をしたことがなかった。にもかかわらず、教師に言われるままヴァイオリンを手に持ち、いきなり「ヘ長調のロマンス」を弾き始めた。
こういった不思議な話は確認しようがないし、眉唾と言ってしまえばそれまでだが、いくつかの録音を聴くと、なるほど、この人には特別な力が備わっていたのだろうと思わされる。それくらい魅惑的で心をくすぐる音楽が、古い音質の壁の向こうから迫ってくるのだ。
例えば、十八番だったサン=サーンスの「ハバネラ」(1933年録音)。語り口は親しげなトーンだが、その表情は繊細で、気品と色気に満ちている。粋で、ストイックすぎず、変に懐疑的にならない。しかし浅くはない。深さを誇示しないのである。
そういうところは、ほぼ同世代のフリッツ・クライスラーとも似ている。クライスラーはオーストリア出身、ティボーはフランス出身として、母国の粋を体現していた。美しい音楽を奏でることができても性格に難がある天才の例もあるので、一概には言えないが、この2人に関しては「音は人なり」という言葉がぴたりと当てはまりそうだ。
協奏曲の録音で素晴らしいのは、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番から第6番である(第6番は偽作とされている)。特にシャルル・ミュンシュ指揮による第5番「トルコ風」(1941年録音)は、なめらかな音色、しなやかなフレージング、巧まざるアーティキュレーションのすべてに説得力があり、今もこれに並ぶ演奏は少ない。モーツァルトがティボーの手を借りて魔法をかけているかのようだ。
協奏曲ではないが、ヴァイオリンと管弦楽のための作品として、ウジェーヌ・ビゴーが指揮したショーソンの「詩曲」(1947年録音)も代表的名演で、オーラと呼びたくなるような芸術的香気と、しっとりとした情感に引き込まれる。音程をあえてずらすことで、音に表情や色をつけるティボーお得意の奏法も確認することができる。
比較的早い時期の協奏曲録音だと、コルトーがピアノと指揮を務めたJ.S.バッハのブランデンブルク協奏曲第5番(1932年録音)が忘れがたい。ティボーが奏でるヴァイオリンはどこまでも高雅かつロマンティックで、これを聴いて硬派なドイツ音楽と思う人は少ないだろう。
室内楽ではカザルス・トリオの録音があり、コルトーと組んだソナタの録音がある。前者はベートーヴェンのピアノ三重奏曲第7番「大公」(1926年録音)、シューベルトのピアノ三重奏曲第1番(1926年録音)、後者はフランクのヴァイオリン・ソナタ(1923年録音)、フォーレのヴァイオリン・ソナタ第1番(1927年録音)が絶品で、録音年代から想像できないほどみずみずしい音楽が聴こえてくる。
でもフレージングや強弱の付け方が洗練されているので、べたつかず、すっきりとした後味を残す。古臭いと言われがちなポルタメントやヴィブラートの奏法も上品で優雅、時に官能的な艶を帯び、聴き手を魅了する。
協奏曲を弾く時も、小品を弾く時も、ティボーの解釈には理屈っぽさがない。作曲家に対する大げさな構えも感じられない。迷いなく作品を愛し、作曲家の懐に抱かれ、音楽に浸りながらヴァイオリンを奏でているかのようだ。アーティキュレーションには強い癖があるが、それだけを模倣しても同じ演奏にはならないだろう。
1880年にフランスのボルドーで生まれたティボーは、13歳でパリ音楽院に入学し、1896年に首席で音楽院を卒業した。その後、エドゥアール・コロンヌに見出されてそのオーケストラで働き、やがてソリストとして活躍。1905年にはアルフレッド・コルトー、パブロ・カザルスと三重奏団を結成し、コンサートとレコーディングに勤しんだ。
1928年と1936年に来日。第二次世界大戦中は占領中のパリに留まり、ドイツでの演奏を断っていた。1943年にはマルグリット・ロンと「ロン=ティボー国際コンクール」を創設し、サンソン・フランソワやミシェル・オークレールを世に送り出した。戦後も演奏活動を続けていたが、1953年9月1日、飛行機事故により死去。ティボーの教えを受けたヴァイオリニストは多く、ジノ・フランチェスカッティ、ヘンリク・シェリングもそこに含まれる。
ティボーの演奏には人を幸福にする成分がある。19世紀末、パリに来たばかりのティボー少年は、日曜日ごとに叔父が住んでいる煤けたアパルトマンの6階で演奏していた。そこで弾いていたのは、J.S.バッハの「G線上のアリア」やベートーヴェンの「ヘ長調のロマンス」である。すると、煤けたアパルトマンに変化が起こった。口やかましい門番の女性は驚くほど優しくなり、喧嘩していた夫婦は仲直りし、自殺を考えていた中年男は生きる気力を取り戻したのだ。ティボーのファンなら誰もが知るエピソードである。
最初に「ヘ長調のロマンス」を弾いた時の話も印象的だ。ティボーがまだ幼かった時のこと、国語の教師の臨終に立ち会うことになった。その際、教師は人生最後のお願いとして、少年に「ヴァイオリンを弾いてほしい」と頼んだ。当時ピアニストを目指していたティボーは、兄のヴァイオリンを少し弾いたことがあるだけで、まともに演奏をしたことがなかった。にもかかわらず、教師に言われるままヴァイオリンを手に持ち、いきなり「ヘ長調のロマンス」を弾き始めた。
こういった不思議な話は確認しようがないし、眉唾と言ってしまえばそれまでだが、いくつかの録音を聴くと、なるほど、この人には特別な力が備わっていたのだろうと思わされる。それくらい魅惑的で心をくすぐる音楽が、古い音質の壁の向こうから迫ってくるのだ。
例えば、十八番だったサン=サーンスの「ハバネラ」(1933年録音)。語り口は親しげなトーンだが、その表情は繊細で、気品と色気に満ちている。粋で、ストイックすぎず、変に懐疑的にならない。しかし浅くはない。深さを誇示しないのである。
そういうところは、ほぼ同世代のフリッツ・クライスラーとも似ている。クライスラーはオーストリア出身、ティボーはフランス出身として、母国の粋を体現していた。美しい音楽を奏でることができても性格に難がある天才の例もあるので、一概には言えないが、この2人に関しては「音は人なり」という言葉がぴたりと当てはまりそうだ。
協奏曲の録音で素晴らしいのは、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番から第6番である(第6番は偽作とされている)。特にシャルル・ミュンシュ指揮による第5番「トルコ風」(1941年録音)は、なめらかな音色、しなやかなフレージング、巧まざるアーティキュレーションのすべてに説得力があり、今もこれに並ぶ演奏は少ない。モーツァルトがティボーの手を借りて魔法をかけているかのようだ。
協奏曲ではないが、ヴァイオリンと管弦楽のための作品として、ウジェーヌ・ビゴーが指揮したショーソンの「詩曲」(1947年録音)も代表的名演で、オーラと呼びたくなるような芸術的香気と、しっとりとした情感に引き込まれる。音程をあえてずらすことで、音に表情や色をつけるティボーお得意の奏法も確認することができる。
比較的早い時期の協奏曲録音だと、コルトーがピアノと指揮を務めたJ.S.バッハのブランデンブルク協奏曲第5番(1932年録音)が忘れがたい。ティボーが奏でるヴァイオリンはどこまでも高雅かつロマンティックで、これを聴いて硬派なドイツ音楽と思う人は少ないだろう。
室内楽ではカザルス・トリオの録音があり、コルトーと組んだソナタの録音がある。前者はベートーヴェンのピアノ三重奏曲第7番「大公」(1926年録音)、シューベルトのピアノ三重奏曲第1番(1926年録音)、後者はフランクのヴァイオリン・ソナタ(1923年録音)、フォーレのヴァイオリン・ソナタ第1番(1927年録音)が絶品で、録音年代から想像できないほどみずみずしい音楽が聴こえてくる。
小品はどれも珠玉の演奏だが、特に聴いておきたいのは、ヴィターリの「シャコンヌ」(1936年録音)、パラディスの「シシリエンヌ」(1930年録音)だ。「シャコンヌ」のメロディーは情熱的で切ないが、ティボーの音は聴き手を緊張させることなく心に入り込んでくる。そうしておいて、最後の方では焼け付くような音を響かせる。「シシリエンヌ」は優しく繊細な表情を持ち、静かに寄り添う友のような親しみを抱かせる。ティボーの甘美な音色を味わう上でも理想的な音源だ。
(阿部十三)
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