カルロ・マリア・ジュリーニ 〜枯れることを知らない音楽〜
2020.08.02
若い頃のカルロ・マリア・ジュリーニについて、プロデューサーのウォルター・レッグは、「彼が最も必要としたものはレパートリーだった」と書いている。しかし、ジュリーニは限られたレパートリーでも特に不自由することなく、自分がきちんと理解している作品しか指揮せず、やがて誰もが認める巨匠となった。
人柄は誠実で、権力欲もなかった。ジュリーニが誰かとポストを争って蹴落としたという話は聞いたことがない。その一方で、音楽以外の雑事を拒む気持ちは人一倍強く、それを頑固なまでに押し通した。ロサンジェルス・フィルハーモニックの音楽監督に就任する時も、運営のことは考えず、音楽だけに専念するという条件で引き受けたという。
ジュリーニは1914年5月9日にイタリアのブッリャ州バルレッタに生まれ、ボルツァーノで育った。ローマの聖チェチーリア国立音楽院を卒業した後、ヴィオラ奏者として活動していたが、1944年に指揮者としてデビュー。1946年から1950年までローマRAI響の首席指揮者、1950年から1953年までミラノRAI響の音楽監督を務めた。この頃ヴィクトル・デ・サバタに認められ、1953年にミラノ・スカラ座の音楽監督に就任。マリア・カラスやレナータ・テバルディの全盛期を支え、1958年に辞任した。
1969年にはシカゴ響の首席客演指揮者に就任。この辺りから、歌手や演出家とのゴタゴタが絶えないオペラ界と距離を置き、コンサート指揮者にシフトしている。1973年から1976年までウィーン交響楽団の首席指揮者、1978年から1984年までロス・フィルの音楽監督を務めたが、病気を患っている妻のそばにいたいという理由で辞任。それからは主にウィーン・フィル、コンセルトヘボウ管、ベルリン・フィル、バイエルン放送響の指揮台に立っていた。1998年には引退を表明。2005年6月14日、91歳で亡くなった。
クラシック音楽の世界には「偉大な指揮者」と呼ばれる人が少なからずいるが、ジュリーニのように音楽家としても人としても尊敬され、敬愛された人は珍しいのではないだろうか。オーケストラ団員からも最大限の敬意を払われていたことは、録音を聴いても分かる。シカゴ響も、ウィーン響も、ロス・フィルも、ジュリーニが指揮した時の演奏は格別だ。
1950年代の録音では、ハイドンの「驚愕」(1956年録音)が抜群に良い。覇気があり、品格もある演奏だが、個性的な表現も光っている。のびやかなフレージングを駆使して旋律を豊かに歌わせたり、第2楽章の例の強音を引きのばしたりするところなど、いかにもジュリーニらしいと言える。
オペラの録音もある。マリア・カラスを主役に据えた『ラ・トラヴィアータ(椿姫)』(1955年ライヴ録音)は、ライヴらしい熱気が漂い、歌手を巧みにサポートしながら情熱的な演奏を繰り広げている。モーツァルトの『フィガロの結婚』(1959年録音)は主要な役に名歌手たちを配した贅沢な布陣だが、演奏の方は生真面目で、面白味に欠ける。聴きどころはフィオレンツァ・コッソットが歌うケルビーノのアリアくらいか。
シカゴ響と録音したムソルグスキー(ラヴェル編)の『展覧会の絵』(1976年録音)、シューベルトの「ザ・グレイト」(1977年録音)は、オーケストラの巧さが際立つ名演で一分の隙もない。アクセントの付け方が独特で、ズシンと来る重みを生んでいる。「ザ・グレイト」は、「ここでレガート?」と意表をつかれるところもあるが、そのカンタービレ表現には妙味があり、一度聴いたら忘れられない。
ブルックナーの交響曲第2番(1974年録音)は、ジュリーニだからこそなし得た、信じがたいほどの美演だ。オーケストラはウィーン響。最初から最後まで全てが美しい。木管と弦の響きに耳がとけそうになる。繰り返すが、ウィーン・フィルではなく、ウィーン響の演奏である。
ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」(1978年録音)の第2楽章と第4楽章、交響曲第6番「田園」(1979年録音)の第1楽章、シューマンの交響曲第3番「ライン」(1980年録音)の第3楽章は、テンポを落とした時にデモーニッシュと形容したくなるほど異様な雰囲気になり、低弦が歌い、うごめき、我々を音楽の底の方へと引き込んでいく。生真面目な優等生が歌い出したら、とんでもなく妖しい色気を含んだ美声だったというような意外性がある。ロス・フィルの対応力も素晴らしく、団員全員が「ジュリーニの楽器」と化している。
ロス・フィルを去った後は、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、バイエルン放送響、コンセルトヘボウ管が「ジュリーニの楽器」となる。この時期は、総じてテンポが遅めになり、息の長いフレージングによって旋律の美しさを浮かび上がらせるスタイルが徹底化された。1980年代半ばから1990年代にかけて行われた録音の中には、音の響きに角がなくなり、まろやかな美の飽和状態になっているものや、遅すぎて間延びしているものもあるが、緩徐楽章の深みは以前より増している。遅めのテンポを持つ宗教曲の演奏も、絶美と言うべき域に達している。
ジュリーニは声楽を扱うのが驚くほど上手かった。歌心があると言うだけでは足りない。そこには人を無力にするほどの美がある。美しすぎて体に震えが起こるほどだ。そんな合唱を堪能させる録音が、フォーレの『レクイエム』(1986年録音)、ヴェルディの『レクイエム』(1989年録音)、ヴェルティの『聖歌四篇』(1990年ライヴ録音)、シューベルトのミサ曲第6番(1995年録音)、J.S.バッハのミサ曲ロ短調(1994年ライヴ録音)である。
晩年の録音を聴くと、緩やかだなと感じることしきりだが、その音は枯れておらず、みずみずしい。フレーズを伸ばして持続させ、豊かな響きを広げようとするのも、昔から保持してきた自身の指揮スタイルーーのびやかでなめらかなフレージングを深化させた結果である。私はそれを枯淡とは無縁な「ジュリーニ節」と呼んでいる。「〜節」という言葉はいささか野暮ったいが、そうとしか言いようがない。
「ジュリーニ節」によって、聴き慣れたベートーヴェンやブルックナーやドビュッシーなどの作品が表情を変えることがある。彼の指揮でしか聴くことのできない音楽がそこに生まれているのだ。その音楽の豊かさにはまると、抜けられなくなる。むろん、楽譜通りの正確な演奏や、刺激的でインパクトのある演奏も悪くない。しかし、その手の表現はむしろ世に溢れているのだから、ジュリーニに求める必要はないだろう。
【関連サイト】
Carlo Maria Giulini(UNIVERSAL MUSIC JAPAN)
人柄は誠実で、権力欲もなかった。ジュリーニが誰かとポストを争って蹴落としたという話は聞いたことがない。その一方で、音楽以外の雑事を拒む気持ちは人一倍強く、それを頑固なまでに押し通した。ロサンジェルス・フィルハーモニックの音楽監督に就任する時も、運営のことは考えず、音楽だけに専念するという条件で引き受けたという。
ジュリーニは1914年5月9日にイタリアのブッリャ州バルレッタに生まれ、ボルツァーノで育った。ローマの聖チェチーリア国立音楽院を卒業した後、ヴィオラ奏者として活動していたが、1944年に指揮者としてデビュー。1946年から1950年までローマRAI響の首席指揮者、1950年から1953年までミラノRAI響の音楽監督を務めた。この頃ヴィクトル・デ・サバタに認められ、1953年にミラノ・スカラ座の音楽監督に就任。マリア・カラスやレナータ・テバルディの全盛期を支え、1958年に辞任した。
1969年にはシカゴ響の首席客演指揮者に就任。この辺りから、歌手や演出家とのゴタゴタが絶えないオペラ界と距離を置き、コンサート指揮者にシフトしている。1973年から1976年までウィーン交響楽団の首席指揮者、1978年から1984年までロス・フィルの音楽監督を務めたが、病気を患っている妻のそばにいたいという理由で辞任。それからは主にウィーン・フィル、コンセルトヘボウ管、ベルリン・フィル、バイエルン放送響の指揮台に立っていた。1998年には引退を表明。2005年6月14日、91歳で亡くなった。
クラシック音楽の世界には「偉大な指揮者」と呼ばれる人が少なからずいるが、ジュリーニのように音楽家としても人としても尊敬され、敬愛された人は珍しいのではないだろうか。オーケストラ団員からも最大限の敬意を払われていたことは、録音を聴いても分かる。シカゴ響も、ウィーン響も、ロス・フィルも、ジュリーニが指揮した時の演奏は格別だ。
1950年代の録音では、ハイドンの「驚愕」(1956年録音)が抜群に良い。覇気があり、品格もある演奏だが、個性的な表現も光っている。のびやかなフレージングを駆使して旋律を豊かに歌わせたり、第2楽章の例の強音を引きのばしたりするところなど、いかにもジュリーニらしいと言える。
オペラの録音もある。マリア・カラスを主役に据えた『ラ・トラヴィアータ(椿姫)』(1955年ライヴ録音)は、ライヴらしい熱気が漂い、歌手を巧みにサポートしながら情熱的な演奏を繰り広げている。モーツァルトの『フィガロの結婚』(1959年録音)は主要な役に名歌手たちを配した贅沢な布陣だが、演奏の方は生真面目で、面白味に欠ける。聴きどころはフィオレンツァ・コッソットが歌うケルビーノのアリアくらいか。
シカゴ響と録音したムソルグスキー(ラヴェル編)の『展覧会の絵』(1976年録音)、シューベルトの「ザ・グレイト」(1977年録音)は、オーケストラの巧さが際立つ名演で一分の隙もない。アクセントの付け方が独特で、ズシンと来る重みを生んでいる。「ザ・グレイト」は、「ここでレガート?」と意表をつかれるところもあるが、そのカンタービレ表現には妙味があり、一度聴いたら忘れられない。
ブルックナーの交響曲第2番(1974年録音)は、ジュリーニだからこそなし得た、信じがたいほどの美演だ。オーケストラはウィーン響。最初から最後まで全てが美しい。木管と弦の響きに耳がとけそうになる。繰り返すが、ウィーン・フィルではなく、ウィーン響の演奏である。
ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」(1978年録音)の第2楽章と第4楽章、交響曲第6番「田園」(1979年録音)の第1楽章、シューマンの交響曲第3番「ライン」(1980年録音)の第3楽章は、テンポを落とした時にデモーニッシュと形容したくなるほど異様な雰囲気になり、低弦が歌い、うごめき、我々を音楽の底の方へと引き込んでいく。生真面目な優等生が歌い出したら、とんでもなく妖しい色気を含んだ美声だったというような意外性がある。ロス・フィルの対応力も素晴らしく、団員全員が「ジュリーニの楽器」と化している。
ロス・フィルを去った後は、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、バイエルン放送響、コンセルトヘボウ管が「ジュリーニの楽器」となる。この時期は、総じてテンポが遅めになり、息の長いフレージングによって旋律の美しさを浮かび上がらせるスタイルが徹底化された。1980年代半ばから1990年代にかけて行われた録音の中には、音の響きに角がなくなり、まろやかな美の飽和状態になっているものや、遅すぎて間延びしているものもあるが、緩徐楽章の深みは以前より増している。遅めのテンポを持つ宗教曲の演奏も、絶美と言うべき域に達している。
ジュリーニは声楽を扱うのが驚くほど上手かった。歌心があると言うだけでは足りない。そこには人を無力にするほどの美がある。美しすぎて体に震えが起こるほどだ。そんな合唱を堪能させる録音が、フォーレの『レクイエム』(1986年録音)、ヴェルディの『レクイエム』(1989年録音)、ヴェルティの『聖歌四篇』(1990年ライヴ録音)、シューベルトのミサ曲第6番(1995年録音)、J.S.バッハのミサ曲ロ短調(1994年ライヴ録音)である。
晩年の録音を聴くと、緩やかだなと感じることしきりだが、その音は枯れておらず、みずみずしい。フレーズを伸ばして持続させ、豊かな響きを広げようとするのも、昔から保持してきた自身の指揮スタイルーーのびやかでなめらかなフレージングを深化させた結果である。私はそれを枯淡とは無縁な「ジュリーニ節」と呼んでいる。「〜節」という言葉はいささか野暮ったいが、そうとしか言いようがない。
「ジュリーニ節」によって、聴き慣れたベートーヴェンやブルックナーやドビュッシーなどの作品が表情を変えることがある。彼の指揮でしか聴くことのできない音楽がそこに生まれているのだ。その音楽の豊かさにはまると、抜けられなくなる。むろん、楽譜通りの正確な演奏や、刺激的でインパクトのある演奏も悪くない。しかし、その手の表現はむしろ世に溢れているのだから、ジュリーニに求める必要はないだろう。
(阿部十三)
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