オイゲン・ヨッフム 〜ドイツのカペルマイスターの音〜
2020.09.03
一つのオーケストラの真価を知らしめるには一人の名指揮者の存在が不可欠である。すぐれた指揮者がいて、素晴らしい公演が実現してこそ、その評価は高まり、名実共に一流オーケストラとなるのだ。レコードだけでは「録音技術の魔術でうまく聞こえるのだろう」などと言われかねない。
では、いわゆる世界三大オーケストラはどうだったのか。むろん彼らにも、来日して圧倒的な演奏を披露し、その評価を盤石なものとした瞬間があった。それがベルリン・フィルとヘルベルト・フォン・カラヤンの来日公演(1966年)であり、ウィーン・フィルとカール・ベームの来日公演(1975年)である。そして残る一つ、コンセルトヘボウ管弦楽団は、1986年9月にオイゲン・ヨッフムの指揮で、ブルックナーの交響曲第7番を演奏した時に、皆から何の誇張もなく、「すごいオーケストラだ」と実感を込めて言われるようになった。少なくとも私はそう思っている。
それだけでも大きな足跡を残したと言えるヨッフムだが、大指揮者名鑑のような本を読んでも名前が省かれていることがよくある。いかんせん派手さのないドイツのカペルマイスターだし、ベームやカラヤンに比べると知名度も低いけど、ヨッフムを省くことなど私には考えられない。
オイゲン・ヨッフムは1902年11月1日にドイツのバイエルン州に生まれた。8歳の時から教会でオルガンを演奏していたが、指揮者を志し、ミュンヘン音楽大学を卒業後、1926年にミュンヘン・フィルを指揮してデビュー。キール、マンハイム、デュースブルクなどの歌劇場の指揮者を経て、1934年にハンブルク国立歌劇場の音楽監督に就任した。ナチス政権下で出世したわけだが、戦後そのことで非難されることはなかった。
戦後は、バイエルン放送交響楽団の創設に手を貸し、首席指揮者としてこの楽団を育成。1961年にはベルナルト・ハイティンクと共に、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者に就任し、若きハイティンクをサポートした(当時、このオーケストラの指揮者はオランダ人に限定されていたので、ドイツ人ヨッフムの一頭体制にはならなかった)。その後は、ヨーゼフ・カイルベルトを失ったバンベルク交響楽団の指揮台に度々立ったり、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、ロンドン響のコンサートで指揮をしたり、レコーディングに精を出したりしていた。
1986年には、先にも書いたように、コンセルトヘボウ管弦楽団を率いて来日し、神がかりの音楽を響かせた(映像が残っている)。この演奏会の後、記者が「また日本に来てくれますか?」と問うと、ヨッフムは「神のお許しがあれば」と答えたという。それから半年後、1987年3月26日にバイエルン州で亡くなった。
得意としていたのは、ずばりドイツ、オーストリアの音楽で、録音の大半がそれで占められている(ラヴェルやシベリウスの録音もある)。ドイツのカペルマイスターらしいレパートリーだ。
オルフの『カルミナ・ブラーナ』(1967年録音)は作曲者が監修した超有名盤。これはカラヤンの録音を押し除けて、ドイツで最も売れたレコードとして記録されている。作曲者監修だけあって、音の作りはきっちりとしている。荒れ狂ったところはない。おそらく、この録音をもって作曲者お墨付きの規範とする目的があったのだろう。無論、それだけでは味気ない教科書的な演奏になってしまいそうだが、ヨッフムはそこに野性味や重厚さをもたらしている。合唱も迫力があって、みずみずしい。
しかしヨッフムといえば、やはりブルックナーだ。彼は録音全集を2度も録音し、ブルックナー協会の総裁まで務めていた。数多あるブルックナーの録音の中では、バイエルン放送響との交響曲第2番(1966年録音)、コンセルトヘボウ管との第5番(1986年ライヴ録音)、同オケとの第6番(1980年ライヴ録音)、同オケとの第7番(1986年ライヴ録音/映像もあり)、ミュンヘン・フィルとの第9番(1983年ライヴ録音)が特に良い。極度にテンポを遅くして、一音一音に意味を付け、我々の感覚や神経を刺激してくるセルジウ・チェリビダッケのようなやり方も個人的には嫌いではないが、ヨッフムのように我々を外側から大きく包み込み、音楽の宇宙へと体ごと連れ去っていく演奏の方が、長く聴いていられる。
ヨッフムが指揮したハイドン、モーツァルト、シューベルトも傾聴に値する。ハイドンの「ロンドン」(1973年録音)は、ロンドン・フィルとの相性が余程良かったのか、何とも強い生命力を感じさせる演奏で、第4楽章では楽器の音色が優雅に歌い踊っている。ベルリン放送響を指揮したシューベルトの「ザ・グレイト」(1986年ライヴ録音)も絶品。第3楽章の中間部を聴くだけでも別世界にいるような気分になり、音が大きく広がって、体に深く浸透していくような心地を覚える。
モーツァルトでは、バンベルク響と組んだ交響曲第39番(1982年録音)、ヨハンナ・マルツィ、バイエルン放送室内管と組んだヴァイオリン協奏曲第4番(1952年録音)が最高だ。絶妙なフレージングによって、音の切れ目が繊細に処理されているが、それをいかにも簡単にやってのけているのが凄い。音楽の流れによどみがない。それでいて、ここぞという時に美しいフレーズを濃厚に響かせる。鮮やかというほかない熟練の技だ。バイエルン放送響を振った「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1950年録音)も気品のある演奏で、華美になりがちなところを巧みに抑えている。
1950年代にベルリン・フィルと録音したブラームスの交響曲全集の中では、第1番と第4番が出色の出来だ。アンサンブルは引き締まっているし、重みのある響きも胸にズシンときて、たまらない。さすがフルトヴェングラー時代のオーケストラと言うべきか。ただ、昔の銅板レリーフを思わせる色合いの音は、ヨッフムの音だろう。味わい深く、日本風にいうとワビサビがきいている。爆撃のような演奏にならず、気迫のこもった強音にすら哀愁がある。それがいかにもブラームスにふさわしい音、ドイツのカペルマイスターの音のように感じられる。
では、いわゆる世界三大オーケストラはどうだったのか。むろん彼らにも、来日して圧倒的な演奏を披露し、その評価を盤石なものとした瞬間があった。それがベルリン・フィルとヘルベルト・フォン・カラヤンの来日公演(1966年)であり、ウィーン・フィルとカール・ベームの来日公演(1975年)である。そして残る一つ、コンセルトヘボウ管弦楽団は、1986年9月にオイゲン・ヨッフムの指揮で、ブルックナーの交響曲第7番を演奏した時に、皆から何の誇張もなく、「すごいオーケストラだ」と実感を込めて言われるようになった。少なくとも私はそう思っている。
それだけでも大きな足跡を残したと言えるヨッフムだが、大指揮者名鑑のような本を読んでも名前が省かれていることがよくある。いかんせん派手さのないドイツのカペルマイスターだし、ベームやカラヤンに比べると知名度も低いけど、ヨッフムを省くことなど私には考えられない。
オイゲン・ヨッフムは1902年11月1日にドイツのバイエルン州に生まれた。8歳の時から教会でオルガンを演奏していたが、指揮者を志し、ミュンヘン音楽大学を卒業後、1926年にミュンヘン・フィルを指揮してデビュー。キール、マンハイム、デュースブルクなどの歌劇場の指揮者を経て、1934年にハンブルク国立歌劇場の音楽監督に就任した。ナチス政権下で出世したわけだが、戦後そのことで非難されることはなかった。
戦後は、バイエルン放送交響楽団の創設に手を貸し、首席指揮者としてこの楽団を育成。1961年にはベルナルト・ハイティンクと共に、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者に就任し、若きハイティンクをサポートした(当時、このオーケストラの指揮者はオランダ人に限定されていたので、ドイツ人ヨッフムの一頭体制にはならなかった)。その後は、ヨーゼフ・カイルベルトを失ったバンベルク交響楽団の指揮台に度々立ったり、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、ロンドン響のコンサートで指揮をしたり、レコーディングに精を出したりしていた。
1986年には、先にも書いたように、コンセルトヘボウ管弦楽団を率いて来日し、神がかりの音楽を響かせた(映像が残っている)。この演奏会の後、記者が「また日本に来てくれますか?」と問うと、ヨッフムは「神のお許しがあれば」と答えたという。それから半年後、1987年3月26日にバイエルン州で亡くなった。
得意としていたのは、ずばりドイツ、オーストリアの音楽で、録音の大半がそれで占められている(ラヴェルやシベリウスの録音もある)。ドイツのカペルマイスターらしいレパートリーだ。
オルフの『カルミナ・ブラーナ』(1967年録音)は作曲者が監修した超有名盤。これはカラヤンの録音を押し除けて、ドイツで最も売れたレコードとして記録されている。作曲者監修だけあって、音の作りはきっちりとしている。荒れ狂ったところはない。おそらく、この録音をもって作曲者お墨付きの規範とする目的があったのだろう。無論、それだけでは味気ない教科書的な演奏になってしまいそうだが、ヨッフムはそこに野性味や重厚さをもたらしている。合唱も迫力があって、みずみずしい。
しかしヨッフムといえば、やはりブルックナーだ。彼は録音全集を2度も録音し、ブルックナー協会の総裁まで務めていた。数多あるブルックナーの録音の中では、バイエルン放送響との交響曲第2番(1966年録音)、コンセルトヘボウ管との第5番(1986年ライヴ録音)、同オケとの第6番(1980年ライヴ録音)、同オケとの第7番(1986年ライヴ録音/映像もあり)、ミュンヘン・フィルとの第9番(1983年ライヴ録音)が特に良い。極度にテンポを遅くして、一音一音に意味を付け、我々の感覚や神経を刺激してくるセルジウ・チェリビダッケのようなやり方も個人的には嫌いではないが、ヨッフムのように我々を外側から大きく包み込み、音楽の宇宙へと体ごと連れ去っていく演奏の方が、長く聴いていられる。
ヨッフムが指揮したハイドン、モーツァルト、シューベルトも傾聴に値する。ハイドンの「ロンドン」(1973年録音)は、ロンドン・フィルとの相性が余程良かったのか、何とも強い生命力を感じさせる演奏で、第4楽章では楽器の音色が優雅に歌い踊っている。ベルリン放送響を指揮したシューベルトの「ザ・グレイト」(1986年ライヴ録音)も絶品。第3楽章の中間部を聴くだけでも別世界にいるような気分になり、音が大きく広がって、体に深く浸透していくような心地を覚える。
モーツァルトでは、バンベルク響と組んだ交響曲第39番(1982年録音)、ヨハンナ・マルツィ、バイエルン放送室内管と組んだヴァイオリン協奏曲第4番(1952年録音)が最高だ。絶妙なフレージングによって、音の切れ目が繊細に処理されているが、それをいかにも簡単にやってのけているのが凄い。音楽の流れによどみがない。それでいて、ここぞという時に美しいフレーズを濃厚に響かせる。鮮やかというほかない熟練の技だ。バイエルン放送響を振った「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1950年録音)も気品のある演奏で、華美になりがちなところを巧みに抑えている。
1950年代にベルリン・フィルと録音したブラームスの交響曲全集の中では、第1番と第4番が出色の出来だ。アンサンブルは引き締まっているし、重みのある響きも胸にズシンときて、たまらない。さすがフルトヴェングラー時代のオーケストラと言うべきか。ただ、昔の銅板レリーフを思わせる色合いの音は、ヨッフムの音だろう。味わい深く、日本風にいうとワビサビがきいている。爆撃のような演奏にならず、気迫のこもった強音にすら哀愁がある。それがいかにもブラームスにふさわしい音、ドイツのカペルマイスターの音のように感じられる。
エミール・ギレリスをソリストに迎えたブラームスのピアノ協奏曲第1番(1972年録音)は、広大無辺なスケールを持つ演奏で、ギレリスのピアノの音も、ベルリン・フィルの音も、星の光のように美しい。美しいだけでなく、造型もがっちりとしている。昔、私はこれを聴いた時、初めて音楽を仰ぎ見るような心地を味わった。
変わり種として、ヒンデミットの「ウェーバーの主題による交響的変容」(1977年ライヴ録音)の音源もある。オーケストラはロンドン響。ウェーバーの旋律をもとにした超モダンな異形の舞曲で、ヨッフムのイメージに合わないと思われそうだが、音が生き生きしていて豊かな響きに溢れている。高度なバトンテクニック、作品への深い理解なしには成立しない名演奏だ。
(阿部十三)
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