音楽 CLASSIC

レオニード・コーガン 〜峻厳な響き〜

2021.08.01
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 1951年、エリザベート王妃国際音楽コンクールの開催が決まった際、ソ連政府の役人はスターリンから「必ず優勝を」と命令された。困った彼らは、国際コンクールでの優勝経験がある大演奏家ダヴィッド・オイストラフに相談した。「ソ連のヴァイオリニストの中で、誰なら優勝できるのか?」オイストラフは答えた。「レオニード・コーガンしかいない」――こうして当時27歳だったコーガンの出場が決まった。コンクール本番、ソ連政府からプレッシャーをかけられる中、コーガンは鬼神のようにパガニーニの協奏曲第1番を弾いて優勝を飾り、その名を馳せた。

 これ以降、コーガンはソ連を代表する演奏家となった。体格も演奏スタイルも異なる16歳上の先輩オイストラフとは友情で結ばれていたという。ほかに親しくしていたのは大ピアニストのエミール・ギレリスで、その妹エリザベート(彼女もヴァイオリニストだった)と結婚し、義理の兄弟となった。この2人にムスティスラフ・ロストロポーヴィチを加え、トリオを組んでいたこともある。

 ヴァイオリンの音は凛として峻厳、その演奏は作品の奥深くに鋭く切り込んでいくようなところがある。耳がとろけるような甘さや柔らかさはないが、ひたむきで情熱的な歌心に溢れている。また、パガニーニを得意とする技巧派でもあり、その高度なテクニックを武器にどんな作品でも格調高く演奏することができた。

 コーガンは1924年11月14日、ウクライナで生まれ、4歳からヴァイオリンを始めた。10歳でモスクワ中央音楽学校に入学し、名教師アブラム・ヤンポリスキーに師事。1934年にモスクワへやって来たヤッシャ・ハイフェッツの演奏に感激し、さらに研鑽を積んだ。1941年3月にブラームスの協奏曲で公式デビューを飾った後、1943年から1948年までモスクワ音楽院で学び、その間、1947年のプラハ世界青年音楽祭でジュリアン・シトコヴェツキー、イーゴリ・ベズロドニーと共に1位を獲得。エリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝してからは、アメリカ、イギリス、フランス、南アメリカ、そして日本などでツアーを行い、大きな成功を収めた。

 1965年にはレーニン賞を受賞。この頃から映画に出演したり(1968年)、カール・リヒターと組んでバッハのヴァイオリン・ソナタの録音を行ったり(1972年)と新たな展開を見せるようになった。アメリカ・ツアーの回数も増えた。しかし、1982年12月17日、ソ連国内で行われるコンサートのために列車で移動中、心臓発作で急逝。まだ58歳、演奏家としても教育者としても活動の幅が広がり、これから最円熟期に入ろうとしている時だった。息子のパヴェルは指揮者になり、娘のニーナはピアニストになった。コーガンの指導を受けた演奏家にヴィクトリア・ムローヴァやイリヤ・カーラーがいる。

 レパートリーはJ.S.バッハ、ロカテッリからハチャトゥリアン、バーバーまで幅広い。録音も多く、西側で録られたもの、東側で録られたもの、さらにライヴ音源や放送録音を合わせると厖大な量になる。私はその全てを聴いたわけではないが、CDやレコードを50枚くらい聴いた限りでは、若手の頃から晩年まで、ほとんどの演奏が充実していて、「これは不調だな」と感じさせるものがない。

 定評のあるチャイコフスキー(コンスタンティン・シルヴェストリ指揮、パリ音楽院管 1959年録音)、メンデルスゾーン(ロリン・マゼール指揮、ベルリン放送響 1974年録音)、ヴュータンの第5番(キリル・コンドラシン指揮、ソ連国立響 1952年ライヴ録音)、ハチャトゥリアン(ピエール・モントゥー指揮、ボストン響 1958年録音)、ショスタコーヴィチの第1番(キリル・コンドラシン指揮、モスクワ・フィル 1959年ライヴ録音)の協奏曲は何度聴いても素晴らしい。メンコンの演奏など、高潔としか形容しようのない音色で有名なメロディーを豊かに歌い上げていて、実に感動的だ。

 ギレリス、ロストロポーヴィチと組んだ室内楽の録音集も名演奏の宝庫である。特に傑出しているのは、チャイコフスキーのピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」(1952年録音)。第1楽章冒頭の第1主題を奏でる哀切な音色とロマンティックな歌い回しに耳を奪われる。3人の息もぴったりだ。第1主題を再現するヴァイオリンの静かに澄んだ語り口も胸にしみる。音質はやや古びているが骨董のような美しさをたたえている。それがこの作品にはかえってふさわしいように思える。

 コーガンの特徴である切れ味の鋭さが思いきり炸裂した一例が、ベートーヴェンの「クロイツェル」(1964年ライヴ録音)だ。「クロイツェル」には熱演が多いが、ここまでアクセントが鋭く、鬼気迫った表情を持つ演奏は珍しい。表面的な美しさを削りに削って弾いている。いつも存在感があるギレリスのピアノが控えめに感じられるほど、ヴァイオリンが叫んでいる。

 卓越した技巧を誇り、表現が直接的で勿体ぶったところがなく、濃密さや峻厳さで聴き手を唸らせていたコーガンも良いが、1960年代後半になってからは、音色が清澄さを増してきた。J.S.バッハの演奏にも落ち着いた美しさがあるし、先にふれたメンデルスゾーンの協奏曲も然りだ。息子のパヴェルが指揮をしたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(1981年録音)も美しい。これは亡くなる1年前の録音である。オーケストラはソヴィエト国立交響楽団。コーガンの演奏はしなやかで、ゆったりとしたフレージングでは旋律を慈しみながら弾いていて、温かみを感じさせる。その一方で、突き抜けるような高音には辺りを払う威厳がある。

 2016年3月にグラモフォンに掲載された記事によると、コーガンは1959年のイギリス・ツアー中に反ソ発言をしたロストロポーヴィチを監視するようソ連当局から強要されていたという。そのせいで2人の友情は壊れた。政府からの命令や圧力はコーガンにとって相当なストレスだったようで、彼の置かれた立場を思うと胸が痛くなる。
(阿部十三)


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