ルドルフ・ゼルキン 〜情熱と慈愛のピアノ〜
2023.02.04
練習魔
天才のなかには練習嫌いが少なからずいるが、ルドルフ・ゼルキンは練習魔で、毎日何時間もピアノに向かっていた。まず非常に遅いテンポでスケール練習を行い、時間をかけて徐々にテンポを速め、最終的に最速で弾くのがお決まりだった。何度も演奏したことがある曲でも、手を抜かずに練習をくり返した。それはもはや練習というより、音楽に奉仕する儀式だったのかもしれない。グレン・グールドの話によると、朝9時45分にホテルの一室で、「昨晩ゼルキンがシューマンのピアノ協奏曲を弾いた」という新聞記事を読んだ5分後に、ゼルキンが泊まっている部屋からスロー・テンポで同曲を練習する音が聴こえてきたという。ゼルキンらしいエピソードである。
10代の頃の話も広く知られている。1921年、ゼルキンはベルリンのコンサートでアドルフ・ブッシュらと共にブランデンブルク協奏曲第5番を演奏した後、ブッシュからアンコールを弾くよう言われた。「何を弾けば良いですか」と尋ねるゼルキンに対し、ブッシュから返ってきた答えは、「ゴルトベルク変奏曲」。ブッシュは冗談で言ったのだが、ゼルキンは真に受け、全曲を弾き通してしまった。最終的に客席に残っていたのは4人だけだったという。ゼルキンには「アリア」だけ弾いて終わらせることができなかったのだ。
主なレパートリーはドイツとオーストリアの音楽で、特にバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスの演奏に定評があった。ひたすら誠実に音楽と向き合い、約70年の長きにわたりコンサート活動を続け、高い演奏力を維持してきたゼルキンは、聴衆のみならず同業者をも魅了した。滅多に人を褒めないウラディミール・ホロヴィッツも、「自分がホロヴィッツでなければゼルキンになりたい」と語っていたという。
ヨーロッパからアメリカへ
生まれたのは1903年3月28日、出身はオーストリア・ハンガリー帝国領のエーガー(現チェコのヘプ)である。両親はロシア・ユダヤ系で、幼くして音楽の才能を示し、9歳の時にウィーンに移住。ウィーン音楽院でピアニストのリヒャルト・ロベルトに師事した。当時、ゼルキンと共に学んでいたのが、後の大指揮者ジョージ・セルである。1915年、メンデルスゾーンのピアノ協奏曲を弾いてデビューしたが、さらに勉強を続け、シェーンベルクに作曲を師事。17歳の時にヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュと出会い、その後、ブッシュの伴奏者として活躍した。
ドイツでヒトラーが政権を握った1933年にアメリカ・デビュー。1935年、ブッシュの娘と結婚(2人の間に生まれた7人の子供のうち1人がピーター・ゼルキンである)。1936年には巨匠アルトゥーロ・トスカニーニ率いるニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会でソリストを務め、称賛された。1939年、アメリカに移住。積極的にコンサート活動を行いながら、カーティス音楽院で後進の指導にあたり、さらに1951年からマールボロ音楽祭を主宰した。ソロ・ピアニストとしての地位を確立し、ヨーロッパでも活動を再開。1977年にはラファエル・クーベリックが指揮するバイエルン放送交響楽団と協演し、ベートーヴェンのピアノ協奏曲チクルスを成功させた。80歳を超えてもコンサートと録音を行なっていたが、1988年以降は演奏会を実質リタイアし、1991年5月8日に亡くなった。
初期・中期・後期
ゼルキンのキャリアは、ブッシュの影響下で室内楽の腕を磨いた初期(EMI時代)、ソリストとして破竹の勢いで活躍した中期(CBS時代)、老いてなお潤いのあるピアニズムで魅了した後期(テラーク&ドイツ・グラモフォン時代)の3つに分けることができる。それぞれの時期に名盤があるが、レパートリーは限られている。バッハの平均律クラヴィーア曲集、モーツァルトやベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集といったシリーズものも少ない。大掛かりなレコーディング企画には慎重だったようだ。
初期の代表盤は、シューベルトのヴァイオリンとピアノのための幻想曲(1931年録音)とピアノ三重奏曲第2番(1935年録音)。ゼルキンのピアノは実に清澄で美しく、力の出し方に無理がなく、弦楽器に献身的に寄り添っている。CBS時代は1941年から約40年間に及ぶので、録音数も多い。そのため代表盤を絞るのも難しいが、ブルーノ・ワルター指揮、ニューヨーク・フィルと協演したベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」(1941年録音)、ブッシュと組んだヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」(1941年録音)は、ゼルキンの激情的な一面を示す演奏として挙げておきたい。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」(1962年録音)、第14番「月光」(1941年録音)、第23番「熱情」(1962年録音)、シューベルトのピアノ・ソナタ第20番(1966年録音)、ユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィア管と協演したシューマンのピアノ協奏曲(1964年録音)、同じ組み合わせによるメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番(1957年録音)、ジョージ・セル指揮、クリーヴランド管と協演したブラームスのピアノ協奏曲第1番(1968年録音)、同じ組み合わせによるモーツァルトのピアノ協奏曲第20番(1961年録音)も名盤。どれを聴いても、音の表情の付け方が実にこまやかで、深い叙情性がある。明確さと力強さもある。
ゼルキンのライヴ
ゼルキンの録音ならライヴ盤の方が断然良い、という人もいるだろう。モーツァルトのピアノ協奏曲第21番(1967年ライヴ録音)、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」(1973年ライヴ録音)、レーガーのバッハの主題による変奏曲とフーガ(1973年ライヴ録音)、ベートーヴェンのピアノ協奏曲チクルス(1977年ライヴ録音)は、みずみずしい感性がそのままピアノの音になったような印象があり、精彩に富んでいる。ベートーヴェンの「皇帝」と「合唱幻想曲」は、情熱と慈愛に満ちた演奏で、スケールが大きい。70歳を超えてこんなベートーヴェンを弾ける人はそうそういない。
晩年、クラウディオ・アバドや小澤征爾と共に残した協奏曲の録音は、どれも名盤である。ゼルキンは70代後半〜80代半ばで、技術的な衰えが見られるが、その表現は老練さを超越し、年齢を感じさせないほど純粋無垢である。とりわけ美しいのは、アバドと組んだモーツァルトのピアノ協奏曲第23番(1982年録音)、第18番(1986年録音)だ。消えゆく音楽を惜しみ慈しみ愛でるようなタッチで、「この音をずっと聴いていたい」と思わされる。ウィーンで弾かれたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番(1987年ライヴ録音)も温かみがあり、豊かな人間味と高い精神性を感じさせ、私はこの録音を聴くたびに、すがすがしい感動に包まれる。
(阿部十三)
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Rudolf Serkin(CD)
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