ハンス・クナッパーツブッシュ 〜ワーグナーへの忠誠〜 第2章
2011.05.10
クナッパーツブッシュが作り出す音楽は構えが大きい。テンポは概して遅め。しかし緊張感を失うことはない。響きは重厚でがっしりとしているが、時折えもいわれぬ透明感を帯び、聴き手に息を呑ませる。
スタジオ録音の代表盤は、ワーグナーの『ワルキューレ第一幕』『ヴェーゼンドンク歌曲集』、コムツァーク2世の「バーデン娘」などが入った名演集。全てオーケストラはウィーン・フィルである。プライドが高く、ネチネチと細かいことをいわれるのが大嫌いなウィーン・フィルの団員はクナのことを敬愛していたようだが、たしかに両者の相性は良かったようである。
ブルックナーの交響曲第5番の録音も超名演とされている。しかしこれは悪名高いシャルク版を用いているため手放しで絶賛できない。どの版を使おうと音楽の本質には関係ない、クナの指揮の前では版の問題など取るに足らないことだという人もいる。気持ちは分からなくもないが、そういういい方は何でもかんでも精神論で片付けようとしているみたいであまり共感できない。
ミュンヘン・フィルと録音したブルックナーの交響曲第8番もシャルク版。こちらも名盤として知られており、私も某評論家の推薦文を読んで影響を受け、学生時代に何度も聴いた。今聴いても独特の風格を持った演奏だと思うが、どうせブル8を聴くならほかにもっと聴くべき演奏があるのではないかと思う。
ただ、なぜクナッパーツブッシュがシャルク版を選んだのかという点は一考に値する。そういえば、ブルックナーの交響曲第9番ではレーヴェ版を使っていた。1958年にバイエルン国立管弦楽団を指揮した際のライヴ盤である。レーヴェ版も「改悪」として評判が悪い。音質も古い。しかし演奏は素晴らしい。音が充血している。これが原典版だったら良かったのに、と思わずにはいられないが、クナッパーツブッシュの場合、何らかの理由であえて改訂版にこだわっていたのかもしれない。あるいは、版の問題でああでもないこうでもないと揉めている人たちへの皮肉、挑発として、問題のある版を使っていたのだろうか。彼ならやりかねないことだ。
ライヴ盤では、1962年のバイロイト音楽祭での『パルジファル』が有名である。音楽だけでなく、その周囲に漂う崇高な霊気をも感じさせる演奏だ。ベルリン・フィルを指揮したブラームスの交響曲第3番は、クナッパーツブッシュがバトン・テクニックをまざまざと見せつけた名演。巨大なエネルギーを孕みながら、じっくりと音楽が進行する。指揮者のテクニックを見極める上で、ブラームスの交響曲第3番ほど最適な材料はないという話を聞いたことがあるが、もしこれが例によってリハーサル無しで演奏されたものだとすると、クナッパーツブッシュは凄いテクニシャンだったということになる。クナッパーツブッシュのことを精神論の領域で語るだけでなく、めざましい技術の持ち主という観点から語る資料もそろそろほしいところだ。
長い間伝説として語り継がれてきた1951年のバイロイトでの『神々の黄昏』も評価が高い。これが1999年にリリースされた時は、クナ信奉者やワグネリアンの間で大きな話題を呼んだ。しかし、せっかく聴くなら1956年のバイロイトでの『指環』全曲がオルフェオから正規盤で出ているので、そちらを聴く方が良い。1951年の『神々の黄昏』が歴史的に特別な重みを持っていることは理解できるが、演奏内容だけで見るなら1956年盤も素晴らしい。しかも全曲聴けるのだ。ほとんどの人は『ラインの黄金』の冒頭からその神秘的な雰囲気に引き込まれてしまうだろう。
1949年のザルツブルク音楽祭で演奏された「ジークフリート牧歌」は、ウィーン・フィルの美質を存分に引き出した演奏。音質も良い。ジャケットには「ステレオ」と記載されているが、本当に1940年代のザルツブルク音楽祭でそんなことが行われていたのか、真偽のほどは分からない。いずれにしても、これは何種類かあるクナッパーツブッシュの「牧歌」の音源中、最もみずみずしい美演である。残響の効果もあって、朝の教会で奏でられているような趣がある。
クナッパーツブッシュ関連の音源で、個人的に最もよく聴いたのは、ベートーヴェンの交響曲第7番。オーケストラはウィーン・フィルで、1954年1月17日にムジークフェラインで行われたライヴである。猛烈に遅く、しかも緊張感が途切れず、低音が地底で不気味にうねっているような演奏。これは病みつきになる。ただし海賊盤のようなので現在入手できるかどうかは分からない。
序章で紹介した、リハーサルをせずに帰ってしまったというエピソードは、1955年にウィーン国立歌劇場が再建されたときのもの。この本番のライヴ音源が遺っている。演目は『ばらの騎士』。クナッパーツブッシュの十八番だ。これも歌手やオケの実力を引き出した名演奏で、何度も聴いている。
今では映像も容易に見ることが出来る。昔は『世紀の指揮者 大音楽会』という作品で「第九」の指揮姿(しかもドアップ)を拝むことが出来る程度だったが、1962年と1963年の「ウィーン芸術週間」のコンサート映像が出てからは、クナッパーツブッシュの指揮法の真髄に視覚的にふれることが出来るようになった。そのエッセンスが一番はっきり映し出されているのは『トリスタンとイゾルデ』の「前奏曲」と「愛の死」ではないだろうか。勘所をぴしっと押さえていて、動きに無駄がなく、示唆に富み、二つの目は常に光っている。コンサート形式の『ワルキューレ第一幕』も素晴らしい。ソリストもウィーン・フィルも気合い十分。燦然たるクライマックスが終わりを告げた後は胸がいっぱいになって言葉も出ない。
【関連サイト】
ハンス・クナッパーツブッシュ(CD)
ハンス・クナッパーツブッシュ 〜ワーグナーへの忠誠〜 序章
スタジオ録音の代表盤は、ワーグナーの『ワルキューレ第一幕』『ヴェーゼンドンク歌曲集』、コムツァーク2世の「バーデン娘」などが入った名演集。全てオーケストラはウィーン・フィルである。プライドが高く、ネチネチと細かいことをいわれるのが大嫌いなウィーン・フィルの団員はクナのことを敬愛していたようだが、たしかに両者の相性は良かったようである。
ブルックナーの交響曲第5番の録音も超名演とされている。しかしこれは悪名高いシャルク版を用いているため手放しで絶賛できない。どの版を使おうと音楽の本質には関係ない、クナの指揮の前では版の問題など取るに足らないことだという人もいる。気持ちは分からなくもないが、そういういい方は何でもかんでも精神論で片付けようとしているみたいであまり共感できない。
ミュンヘン・フィルと録音したブルックナーの交響曲第8番もシャルク版。こちらも名盤として知られており、私も某評論家の推薦文を読んで影響を受け、学生時代に何度も聴いた。今聴いても独特の風格を持った演奏だと思うが、どうせブル8を聴くならほかにもっと聴くべき演奏があるのではないかと思う。
ただ、なぜクナッパーツブッシュがシャルク版を選んだのかという点は一考に値する。そういえば、ブルックナーの交響曲第9番ではレーヴェ版を使っていた。1958年にバイエルン国立管弦楽団を指揮した際のライヴ盤である。レーヴェ版も「改悪」として評判が悪い。音質も古い。しかし演奏は素晴らしい。音が充血している。これが原典版だったら良かったのに、と思わずにはいられないが、クナッパーツブッシュの場合、何らかの理由であえて改訂版にこだわっていたのかもしれない。あるいは、版の問題でああでもないこうでもないと揉めている人たちへの皮肉、挑発として、問題のある版を使っていたのだろうか。彼ならやりかねないことだ。
ライヴ盤では、1962年のバイロイト音楽祭での『パルジファル』が有名である。音楽だけでなく、その周囲に漂う崇高な霊気をも感じさせる演奏だ。ベルリン・フィルを指揮したブラームスの交響曲第3番は、クナッパーツブッシュがバトン・テクニックをまざまざと見せつけた名演。巨大なエネルギーを孕みながら、じっくりと音楽が進行する。指揮者のテクニックを見極める上で、ブラームスの交響曲第3番ほど最適な材料はないという話を聞いたことがあるが、もしこれが例によってリハーサル無しで演奏されたものだとすると、クナッパーツブッシュは凄いテクニシャンだったということになる。クナッパーツブッシュのことを精神論の領域で語るだけでなく、めざましい技術の持ち主という観点から語る資料もそろそろほしいところだ。
長い間伝説として語り継がれてきた1951年のバイロイトでの『神々の黄昏』も評価が高い。これが1999年にリリースされた時は、クナ信奉者やワグネリアンの間で大きな話題を呼んだ。しかし、せっかく聴くなら1956年のバイロイトでの『指環』全曲がオルフェオから正規盤で出ているので、そちらを聴く方が良い。1951年の『神々の黄昏』が歴史的に特別な重みを持っていることは理解できるが、演奏内容だけで見るなら1956年盤も素晴らしい。しかも全曲聴けるのだ。ほとんどの人は『ラインの黄金』の冒頭からその神秘的な雰囲気に引き込まれてしまうだろう。
1949年のザルツブルク音楽祭で演奏された「ジークフリート牧歌」は、ウィーン・フィルの美質を存分に引き出した演奏。音質も良い。ジャケットには「ステレオ」と記載されているが、本当に1940年代のザルツブルク音楽祭でそんなことが行われていたのか、真偽のほどは分からない。いずれにしても、これは何種類かあるクナッパーツブッシュの「牧歌」の音源中、最もみずみずしい美演である。残響の効果もあって、朝の教会で奏でられているような趣がある。
クナッパーツブッシュ関連の音源で、個人的に最もよく聴いたのは、ベートーヴェンの交響曲第7番。オーケストラはウィーン・フィルで、1954年1月17日にムジークフェラインで行われたライヴである。猛烈に遅く、しかも緊張感が途切れず、低音が地底で不気味にうねっているような演奏。これは病みつきになる。ただし海賊盤のようなので現在入手できるかどうかは分からない。
序章で紹介した、リハーサルをせずに帰ってしまったというエピソードは、1955年にウィーン国立歌劇場が再建されたときのもの。この本番のライヴ音源が遺っている。演目は『ばらの騎士』。クナッパーツブッシュの十八番だ。これも歌手やオケの実力を引き出した名演奏で、何度も聴いている。
今では映像も容易に見ることが出来る。昔は『世紀の指揮者 大音楽会』という作品で「第九」の指揮姿(しかもドアップ)を拝むことが出来る程度だったが、1962年と1963年の「ウィーン芸術週間」のコンサート映像が出てからは、クナッパーツブッシュの指揮法の真髄に視覚的にふれることが出来るようになった。そのエッセンスが一番はっきり映し出されているのは『トリスタンとイゾルデ』の「前奏曲」と「愛の死」ではないだろうか。勘所をぴしっと押さえていて、動きに無駄がなく、示唆に富み、二つの目は常に光っている。コンサート形式の『ワルキューレ第一幕』も素晴らしい。ソリストもウィーン・フィルも気合い十分。燦然たるクライマックスが終わりを告げた後は胸がいっぱいになって言葉も出ない。
(阿部十三)
【関連サイト】
ハンス・クナッパーツブッシュ(CD)
ハンス・クナッパーツブッシュ 〜ワーグナーへの忠誠〜 序章
月別インデックス
- June 2024 [1]
- February 2024 [1]
- April 2023 [2]
- February 2023 [1]
- November 2022 [1]
- June 2022 [1]
- April 2022 [1]
- January 2022 [1]
- August 2021 [1]
- April 2021 [1]
- January 2021 [1]
- September 2020 [1]
- August 2020 [1]
- March 2020 [1]
- November 2019 [1]
- July 2019 [1]
- May 2019 [1]
- January 2019 [1]
- November 2018 [1]
- August 2018 [1]
- May 2018 [1]
- January 2018 [1]
- July 2017 [1]
- March 2017 [2]
- December 2016 [1]
- October 2016 [1]
- May 2016 [1]
- March 2016 [2]
- October 2015 [1]
- July 2015 [1]
- June 2015 [1]
- March 2015 [2]
- December 2014 [1]
- October 2014 [2]
- July 2014 [1]
- April 2014 [2]
- March 2014 [1]
- January 2014 [1]
- December 2013 [1]
- October 2013 [1]
- July 2013 [2]
- May 2013 [1]
- April 2013 [1]
- February 2013 [2]
- January 2013 [1]
- November 2012 [1]
- October 2012 [1]
- September 2012 [1]
- August 2012 [1]
- May 2012 [1]
- April 2012 [1]
- March 2012 [1]
- January 2012 [1]
- December 2011 [1]
- November 2011 [2]
- October 2011 [1]
- September 2011 [2]
- August 2011 [2]
- July 2011 [2]
- June 2011 [3]
- May 2011 [3]
- April 2011 [3]
- March 2011 [3]
- February 2011 [3]